暴食 その7『そして鏡は砕け散り』
「ぐううううっ、肩がッ、私の肩がぁぁぁぁっっっ!!!」
「み、ミライ、くん?」
「あの鏡⋯⋯うん、間違いないだわさ。まさかミライボーイも、カガミの一族だったなんて」
「おいおいおいおい、どういうこったよ。なんでそっち側に立ってやがるんだ。なァおい白髪の同胞くんよォ!!」
絶叫と混迷が入り交じる。ミライにはその中心たる自覚はあった。
けれど満を持した種明かしなどではない。茫然と名前を呼ぶナージャの声に、だからこそ振り向けなかった。
ミライは苦い顔をしたまま、のたうち回るシトメを見据え続けるしかなかった。
「フウン! フウンンンッ! 私の肩! 肩が、痛い! 千切れそうだ! なんとかしろ!」
「ああクソ、こっちは混乱してるっつうのに。後で治療してやっから、ちっと黙ってろ!!」
「ぐ、うっ、あの、白髪、め⋯⋯⋯⋯────」
「はん。シトメの野郎、伸びちまいやがった。痛みに耐性がねえ奴はこれだから情けねえ⋯⋯にしても、マジで意味分からねえぜ。なんだって同胞が敵側に回ってんだよ」
予想外の事態に、フウンもまた苛立っていた。
よもや居合わせただけの包帯男が同胞とは思うまい。ましてミライの耳にはカガミの証たる三頭蛇のピアスがない。予知しろという方が難題である。
「よう。ミライっつったか。分かってんだろうな? カガミがカガミとやり合うなんざ禁忌中の禁忌だぜ」
「⋯⋯知ってるよ、そんなこと」
忌々しい気に尖る紅と、暗く細まる赤がぶつかる。
そう、この赤目だけでも気付くべきだった。
血濡れた瞳。これもカガミに通ずる特徴の一つなのだから。
「ほう、覚悟の上ってか。いいんだな?」
「良いもなにも、今更見逃してなんかくれないだろ?」
「はは。そりゃ当然だ。面白え。同胞とマジで殺り合うなんざ初めてだ⋯⋯愉しくなって来たなあオイ!」
「俺はちっとも楽しくなんてないっ」
「つれねえなあ。ほら、受け取れよ」
「⋯⋯!」
禁忌を破る歓びを隠そうともせず、フウンは双剣の片割れを投げて寄越した。つまりは、これもお遊戯の延長だと言いたいのだろう。
どこまでも不遜。こんなにも受け取りたくない施しがあるものか。
しかし無手で挑む訳にもいかないと、歯噛みしつつミライが剣を拾い上げた時だった。
「ほい隙有りぃ!」
「──!」
つくった隙を縫わんとばかりに、既にフウンは己の間合いにミライを収めていた。狡猾極まりない。
「鏡よ鏡!」
「っとぉ!」
だからこそ、読めていた。
不意打ちに合わせた鏡の現出。必殺のカウンターが決まるかに思えたが、フウンもまた狡猾なだけではなかった。
鏡を斬る寸前に引っ込め、フウンは大きく後ろに退いていた。反射神経だけではない。フウンが危機を脱したのもまた、読みであった。
「引っ掛からなかったか。お前、優男に見えて案外強かじゃないの」
「剣じゃ敵わないからって挑発するようなヤツからの施しを、警戒しない訳ないだろ」
「は。言ってくれるねえ。だが獲物ってのは、活きが良くなくっちゃなァ!」
攻防は主導を変えず。
小休止もなく続いていた。
「そらよォ!」
「──鏡よ鏡!」
「なんちってな。ほい今度は下からァ!」
「くうっ⋯⋯!」
「出したり消したり忙しないねえ。下手なダンスでもやってるみたいだぜ?」
「うるさいっ、そうさせてるのはあんただろ!(なんだ、この違和感)」
剣のみならず、舌鋒も交わしながらもミライは違和感を感じていた。
カガミを相手に攻める事自体が愚策。守勢こそが正道である。故にシトメのように、自ら仕掛けられる武具を持つカガミの一族は少なくない。
にも関わらず、フェイントでありながら攻め手を緩めないフウンに、容易く翻弄されているのである。
(⋯⋯やっぱり、こいつ変だ。剣を止めるタイミングが、全部的確。まるで⋯⋯)
「──まるで、カガミ相手を想定した動きだって?」
脳裏に過ぎった違和感を、そのままなぞったフウンからだろう。同時に視界の端から襲い来る剣閃に、反応が遅れる。
「っ。鏡よ鏡!」
「出すよな。だが、おかげでがら空きだぜ?」
「しまっ──ガアッ」
態勢を崩しながらでも、鏡の現出は間に合った。
しかし左の剣閃はまたも寸止め。フウンの本命は、空いた右胴への鋭い蹴りである。
完全に無防備な胴へ刺さった一撃。堪えることも出来ずに、ミライは横っ飛びに蹴り飛ばされた。
「ミライくんっ、うそ、血が⋯⋯血が止まらないっ」
「まずいケロ⋯⋯治療した傷が、今ので拓いちゃったみたいだわさ」
「ぐう⋯⋯ゲホッ。ク、ソ。なん、で⋯⋯」
「まー無理もねえわな。その驚きは至極ごもっとも。だがなァ、真実なんざ割と単純だ」
「真、実⋯⋯?」
慌てて駆け寄るナージャを、フウンは制すことすらしない。のみならず、彼は陶酔したかのように空を仰いでいた。
さながら、舞台上の役者のように。夢見る無垢な童のように。
口角を愉悦に吊り上げて、フウンは種を明かした。
「俺は常々思ってた。カガミの一族。一族ってなんだよ。最強が何人も居るなんざつまんねえだろ。頂点ってのは一人でなきゃ収まらねえ。だからいつか決めちまいてえ。俺こそがそうなんだって証明する。そんな夢を見てたのよ」
「⋯⋯まさか、あんたは」
「ああそうさ。ずうっと頭ん中で描いてたさ。いつか。いつかってなァ! その成果を、まさかこんな形で発揮出来るとはよ⋯⋯嬉しいぜ。ああ最高だ。なんて今日の俺はツイてんだ!」
つまりフウンは、いつか唯一の最強となる事を夢見て、対カガミの戦闘シュミレーションを行っていたのだ。
幾度も何度も。脳裏に描くだけに留めず、鍛錬も重ねて。
今まさに夢のひとつが叶ったのだ。
描いた空想が、流した汗が、成就への一歩目として実を結んだ。こんなに喜ばしい事はないと、歯を剥き出しにしてフウンは笑う。
だが。
「けどよぉ⋯⋯⋯⋯お前、落ちこぼれだな?」
「⋯⋯⋯⋯っ」
「その鏡の大きさと曇り具合。なんだそりゃ、ガキのそれ以下じゃねえか。せっかくのおめでたイベントに、なんつうケチつけてくれんだ、ああ?!」
彼は満たされていた訳じゃなかった。
鏡の大きさは即ち、跳ね返せる力の規模の限界値。
鏡面の曇りなさは即ち、力を行使し続けられる限界値。しかしミライの鏡はどれも未熟でしかなく、夢の第一歩を刻むにしてはあまりに物足りなかったのだ。
「ちょっとした連続現出ですぐガス欠。そんな雑魚じゃ足でまといだわな。どうせあれだ、どっかの戦場で落ちぶれたんだろ? それがのうのうと生き恥晒し続けてるって訳だ。三頭蛇のピアスを外してまでなァ!」
「⋯⋯!」
しかし履き違えても居た。
フウンはミライを、戦場から逃げ出した臆病者だと捉えていた。無論ミライはそんな顛末を迎えてはいない。そうであれば、まだよっぽどマシなくらいであった。
(外してなんかない。俺は、最初から⋯⋯!)
カガミに非ず。戦士に非ず。
証明たるものなど、ミライは与えられなかった。
弱いから。劣るから。基準を到底満たさないから。
そして遂には人ですらないと実の父に追いやられ、こんな所に這いつくばっている。
そして。
「もう、止めてください」
命を救ってくれたお姫様に、また救われそうになっているのだ。
「⋯⋯あン? なんのつもりだ、お姫様よう」
「あ、貴方達の狙いはわたし、なんでしょう。だったら、投降します。ですから、お願いだからこれ以上、みんなに酷いことしないで⋯⋯」
「ひ、姫様⋯⋯」
「ゲホッ。うぐ⋯⋯な、ぁ、じゃ⋯⋯」
口の中が鉄の味が満ちた。それが内側の傷によるものか、悔しさで噛み切った口の隅の血によるものか、もはや分からないしどうでも良い。
どれだけ悔しさに耐えようが、現実は変わらないのだ。
身体の震えを押し殺して、庇い立つナージャに。
私は大丈夫と伝う為に、振り向いて口元を緩めてくれる彼女に。
何者でもないミライは、何も出来ないでいるままだ。
「ククク、なるほど。良い女だなァお前。でも残念」
「え?」
「俺、女は泣き顔の方がそそるんだ」
鈍い音と呻き声。苦悩に歪む口元が、すぐ目の前に並んだ。
どこまでも理不尽。どこまでも不条理。
でも思えば、いつだってこうだった。
「安心しろよ、落ちぶれ。お前はここできっちりと殺すさ。聞かせたままじゃいけねえ話もしちまった訳だしなぁ?」
「⋯⋯は」
(ああ⋯⋯結局、いつも通りか)
誰かの鈍い歯ぎしりが鳴り響く。
しかし拾われることなく、吹いた風に掻き消された。
いつだってそうなのだ。力は正義で、強さは絶対だ。
だから世界は高飛車を呑まざるを得ない。
「臆病者め。滑稽だぜ。なにも守れねえ雑魚が。生まれてきたことそのものが間違いみてえな奴が、誰に刃向かってやがる」
(滑稽。確かに。でもさ、弱けりゃ生まれちゃ駄目だってのかよ。生まれ持ったもんだけで、価値を決められなきゃいけないのかよ⋯⋯!)
生まれて来たこと自体が間違いだった。
そうなのかも知れない。
矮小な才能だけで、刃向かう事自体が愚かだった。
そうなのかも知れない。
弱肉強食がこの世の真実だとしたら。
虐げられるのは、弱ければ仕方のない事なのかも知れない。
「折角カガミに生まれて来たってのに、"逃げた"結果がこれだ。精々、自分の弱さを噛み締めながら⋯⋯死んじまえ」
けれど、嗚呼。
なにを勘違いしているのだ、お前らは。
「⋯⋯"逃げた"だって?」
弱者とて、ちゃんと生きているのだ。
生きているなら、怒りを持つのは当然だ。
ただ虐げられるを良しとするはずがないだろう。
「ふざけんな。ふざけんなよお前ら⋯⋯!」
折られても折られても。
抗う意志は根底に、いつだって再び灯るものだ。
「どの口で。もう、いい加減我慢の限界だっ」
何故ならば。
それもまた──生きるという行いなのだから。
「お前達がっ⋯⋯追いやったんじゃないかぁぁぁぁ!!!!!」
鏡がふざけた現実しか映さないというのならば。
なりふり構わず、割ってしまえば良いだけだ。
「────────鏡よ鏡、砕けてしまえ」
.