暴食 その6『大陸最強』
「カガミの一族、だと⋯⋯!?」
「ほほう、名乗る前に当てるたぁ物知りな餓鬼が居やがるもんだな。ククク、ご褒美にサインでもくれてやろうかい?」
「大陸最強という看板も有名税が過ぎますね。こういう任務であれば余計な警戒を招く。やはり我らは混沌満ちる戦場にこそ十全。合理的ではない」
「へっ、シトメめ、珍しく意見が合うな。だが、たまには楽したっていいだろ。金の払いも悪くなかったんだからな」
大陸最強カガミの一族。
刃向かうならば必敗の最凶最悪。
決して敵に回してはいけない相手に、刺客として襲われている。その事実がどれだけ希望を奪うものであるかは一目瞭然である。彼らと対峙する誰もが、表情に絶望を滲ませていたのだから。
「くっ、貴様らの好きになどさせるものか⋯⋯姫様今すぐお逃げ下さい! 此処は吾輩が引き受けます!」
「だ、ダストン。そんな、それじゃあ貴方が!」
「貴女様はファタモルガナの希望です。何を賭してでも逃げ延びねばなりませぬ⋯⋯ケトルン!」
「⋯⋯姫様、ダストンの言うとおりだわさ。此処で捕まれば全てが終わってしまうケロ!」
「でもっ⋯⋯」
「涙ぐましいねえ。身を犠牲に姫を逃がそうたぁまさに騎士の鑑。いや衛士だっけか? ま、どっちでも結果は変わりゃしねえが」
「舐めるなよ下賤の輩が。吾輩はファタモルガナの近衛たる衛士である! 容易に相手取れると思うでないぞ!」
最強を謳われるカガミを相手に勝機は薄い。
されど出来る事はあるとダストンは奮い立つ。
希望を繋ぐ為ならば、我が身を賭す覚悟などとうに出来ていた。
「吠えるじゃねえかおっさん。いいねえいいねえ! ならどれほどのもんか、愉しませて貰おうか!」
「来るならば来い。我が大剣の錆にしてやるのである!」
狂乱めいた嘲笑を浮かべ、剣を手にフウンは踊り出る。呼応して、己が最後の砦なのだといわんばかりに衛士ダストンは立ち塞がった。
双剣と大剣。野花が千切れて、せせらぎが死ぬ。剣戟は、どちらかが斃れるまでは止まらないだろう。
だが片側はカガミの一族。軍配に上がるのがどちらかは、子供ですら想像がついてしまう。だからこそ立ち尽くすしか出来ないナージャの腕を、ミライは掴んだ。
「み、ミライ?」
「良く分かんないけど、逃げなきゃなんだろ? 走るぞ!」
「で、でもそれじゃダストンが⋯⋯私ひとり逃げたって⋯⋯!」
「姫様、ダストンの決意を無駄にしちゃ駄目だわさ! ダストンの為にも、今まで散っていった命の為にも!」
「議論は結構。ですが悠長極まりない。獲物を前に、このシトメが見逃すとでも?」
「──くっ。伏せろナージャ!」
「きゃあ!?」
勝てぬならば逃げるしかない。
しかし易々と逃がしてくれるはずもない。
咄嗟にナージャを押し倒してかわせたが、まさに紙一重。シトメの矢の腕は伊達ではなく、ミライの右耳を掠めていた。
「姫様!⋯⋯ぬうっっ!」
「っとぉ、今のも防ぐか。ハハッ、マジで強いなおっさん。近衛兵ってのは伊達じゃねーらしい!」
「ふん、貴様のような若造に負けるほどファタモルガナの兵は惰弱ではないのである!」
「へえ、そうかい。だったらもっともっと愉しませて貰いたいところ────なんだがなぁ?」
「フウン! 骨董相手にいつまで戯れているつもりですか。非合理にも程がある。さっさと終わらせなさい!」
「──と。悪いなおっさん。あんたは良いおもちゃだったが、"お遊び"はここまでらしい。残念だね全く」
「遊び、だと⋯⋯?!」
これは戯れなのだと。趣味が興じた結果に過ぎないと。冷めた顔で言い捨てるフウンに、ダストンの表情が歪む。
お前は俺の遊び心のおかげで立ってられている。そう告げられて憤らぬ戦士に誇りはない。
怒りを乗せたダストンの一撃が、フウンに迫った。
「鏡よ鏡、映しやがれよ」
「!」
しかし、決して過言ではないのだ。
敵に回すことなかれ。刃を向けることなかれ。
いかに攻め手を尽くそうとも、カガミの前では全てが無意味。業火も水流も風雷も、カガミに向ければたちまち全てが"跳ね返る"。
「っ──ぐああっっ!!?」
「ダストン! そん、な⋯⋯」
斬撃など以っての他。
現出した大鏡に呑み込まれた大剣は、反転したかのように鏡面から現れて、ダストンの胴を鎧ごと食い破る。
"跳ね返り"。危害への応報。カガミを最強たらしめる奇跡の犠牲をまざまざと見せつけられて、ナージャの悲鳴が響き渡った。
「お、おのれ⋯⋯跳ね返すなどと、卑怯な⋯⋯」
「はっはー! 卑怯か、確かにそうかもなァ。けどそんなもん負け犬の遠吠えなんだわ。負ける奴が悪い、弱い奴が悪い。優れた力を持つもんが強くて偉い! 世の中そんなもんだぜ、おっさんよう!」
「がふっ」
フウンは醜悪に笑いながら、ダストンの頭を踏みにじる。そこに果敢に挑んだ者への敬意など無い。高みから嘲笑える強者たる、己への陶酔だけがあった。
「剣などに興じず、最初からそうしていれば良いものを。全くもって非合理に尽きる」
「分かってねえな。拮抗してると見せかけて、急に梯子外すのがキモチいいんじゃねーかよ。第一、シトメの狩りも同じようなもんだろうが。自分だけ棚に上げてんなよ」
「私のこれは合理的思考に基づいている。一緒にするな」
「へいへい、そんならお前の方もサクッと終わらせちまえよ⋯⋯っとぉ!」
「ぐあああっっ!」
身勝手な理念を謳う悪鬼は、あとは高みの見物とばかりに倒れ伏すダストンに腰掛けた。
おぞましく、下衆に等しき行いだろう。
だが力は絶対的だ。勝者と敗者。見下ろす者と這いつくばる者。いつでも有り様を映し出す鏡のように、誤魔化せない差があった。
「さて⋯⋯では、先程から実に鬱陶しい白髪の。まずは貴様から狩るとしようか」
「っ!」
「まっ⋯⋯待つのです! そ、その子は私達とは、なんの関係もありません! ただ居合わせてしまっただけです!」
「ふむ。だから?」
「だから、って⋯⋯」
「二度も仕事の邪魔をしたのもそうだが、なにより私の狩り場に居合わせたのだ。それ自体が悪。何故私が躊躇わなければならない」
「そ⋯⋯そんな勝手な理屈で、貴方は人を殺すのですか!」
「は。何を馬鹿な。弱肉強食こそが絶対的合理。"我ら"の勝手こそ世界の理屈。ならば貴様らは、我らの勝手で死ねばいい」
「⋯⋯!」
臆病を殺し、震えながらもナージャが唱えた異を、強者は鼻で笑った。
愕然とするしかなかった。あまりに傲慢で身勝手な理屈。振りかざすそれをさも当然と、一片たりとて疑わない。もはやナージャには、彼らが人にすら思えないほどであった。
「ではな白髪。来世は精々、カガミの一族に産まれることを願うが良い」
だとしても、強者の簒奪は止まらない。
真っ直ぐに飛矢は飛ぶ。いかな異論も反論も阻まれるに値しないと、獲物目掛けて空を駆る。
「ミライくん⋯⋯!」
何も手に持たないミライには、もはや抗う手段はないかに見えた。
だがそれは、彼が普通の人間だったのならばの話。
「鏡よ鏡、映し出せ」
「なっ────ぐうあっ!?」
現出した鏡に呑まれた飛矢は瞬く間に跳ね返り、呆気に取られた狩人の右肩を貫いた。
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