暴食 その5『カガミの一族』
「⋯⋯まとめると、そちらのナージャはやんごとなきお姫様であって、今は各地を見聞する為に旅をしている。そんでケトルンはペットであり、ダストンさんはその護衛の⋯⋯近衛兵士って身分だと」
「貴様、姫様を呼び捨てにするでない! 無礼である!」
「訂正するんだわさ! ケトルンは聖獣、立派な護り神ケロ!ペット扱いなんて罰当たりケロ!」
「ふ、二人とも落ち着いて⋯⋯」
(⋯⋯見聞ねえ)
いや嘘つくの下手かよ。ミライは思った。
ナージャがやんごとなき身分というのは分かる。
性格はともかく、その風貌や仕草には気品があるのだ。市位の出といわれるよりは余程納得させられるものがあった。性格はともかく。
ケトルンについては喋る蛙という摩訶不思議生物なのでなんとも言えない。そして散々ミライを追い回してくれたダストンという中年衛士が、ナージャの護衛というのも違和感はない。
だが、それ以外は穴だらけであった。
(⋯⋯さっき思いっきりファタモルガナって言ってたけど。それって南のアルフ砂漠にあるっていう『水の都』だろ? )
ファタモルガナといえば、他国情勢に疎いミライでさえ聞き覚えのある国なのだ。
そんな国の王女の護衛が中年衛士一人だけというのは、いくらなんでも無理があった。
心の引っ掛かりが視線に出てしまったのだろう。たまらずダストンが不満を述べた。
「そも、貴様こそ何者だというのだ。姫様の温情故に治療を施したとはいえ、貴様については一切不明のままである」
「俺は、ただの旅人だよ」
「旅人だと? 旅人風情が何故あのような辺鄙な場所で切り捨てられておったのだ。辻斬りにでも会ったというのか」
「⋯⋯分からない。記憶があやふやなんだよ。少なくとも誰かに斬られる覚えも無いんだけど」
「どうだかな。貴様の軽薄な笑み、吾輩は到底信用出来ぬ」
「ダストン! いくらなんでもそんな言い方、なりませんよ」
「し、しかし姫様。こやつが刺客であったのならばどうするのです。まして我らの状況を鑑みれば、見ず知らずの男を介抱するなど迂闊が過ぎますぞ!」
「で、でもあんなに血を流してたのを放っておくなんて⋯⋯」
「はぁ、姫様とダストンが言い合ってどうするんだわさ」
旅人と誤魔化すには苦しい自覚はあったが、やはり訳有りなのはお互い様らしい。刺客なんて物騒な言葉が出るのだ。見聞の旅と呑み込むには、切羽詰まった事情が見え透いていた。
「ところでミライ。あーたは旅人なんだケロね?」
「ん、ああ」
「ケロ。じゃ、あの小屋はミライのものじゃなかったんだわさ。てっきりあーしは、ミライが小屋の主と思ったんだケロ」
「そうなのか? 生憎、心当たりはないな。しばらく遠出でもしてるとかじゃないか?」
「それにしては最近までの生活感があったケロよ⋯⋯うーん。ま、いいケロ。あーしが考えても仕方ない事だわさ」
「⋯⋯(生活感か。確かにあの小屋、描きかけの絵やら模型やらまであったしな。無人なのが可笑しいくらいだ)」
ケトルンの言う小屋の生活感については、ミライにも感じれた事だ。むしろミライはあの小屋がナージャの別荘か何かだと思っていたのだが、違うらしい。
考えても仕方ないのはミライも同じだったが。
「ともかく姫様。この者も先のように駆け回れるほどに快復したのです。急ぎここを発ちませんと、奴らに追いつかれてしまうやもしれませんぞ」
「奴ら?」
「ぬ。貴様には関係ない事である! いらぬ詮索をするでない!」
「そっちがポロッと零したんじゃ」
「うぬぬぬ、うるさいのである! 単に我らの旅を邪魔する者も居るというだけだ!」
「へえ。ただの見聞の旅なのに?」
「ぐはあっ! そ、それは⋯⋯うぬぬぬぬ!」
(この人も大概面白いな)
さして誘導してる訳でもないのに、喋るたびに綻びを広げてしまっているダストン。腹芸が得意ではないのだろう。痛い所を付かれる度に顔色を変える様は、少し愉快だった。
「ミライくん」
「ん?」
「その、まだ怪我も治り切ってないと思いますけど、急いで此処を離れてください。もしかしたら、私達のトラブルに巻き込まれてしまうかもしれませんから」
「⋯⋯」
やはりただの見聞の旅ではないのだ。ミライを慮るナージャの声色には、焦燥がにじんでいた。
ひょっとして、と既視感を覚える。
刺客。追手。焦燥。トラブル。ああこれではまるで、彼女達は昨日の自分と同じなんじゃないか。
そうミライは思い至った──その時。
空気を裂く音を、ミライの鼓膜が拾い上げた。
「⋯⋯ッ、ナージャ!!」
「えっ? うわひゃあっ!?」
鋭く名を呼んで、ミライはナージャに飛びかかった。
「ふぁっ!? みみミライくん、きゅっきゅきゅ急に何をそんな会ったばかりですのに!?」
「わお、大胆ケロね。とても情熱的なんだわさ!」
「きっ、貴様ァ! 姫様になんたる、なんたる狼藉をォォ⋯⋯⋯⋯、────!!」
あまりに突然なミライの行動に、場に混乱の嵐が吹き荒れる。しかし、いの一番に混乱から復帰したのはダストンである。彼の目線の先には、樹木に深々と刺さった一本の矢。
襲撃の狼煙であった。
「はっはっは、外してやんの。やいシトメ、なにが族中一の弓の遣い手だ。全然じゃねーかお前!」
「うるさいですね。弘法も筆を誤ることとてあるのです。フウンのような粗暴には分からぬ道理でしょうがね」
「ぬう、貴様ら⋯⋯何奴か!」
姿を現したのは二人組の男であった。
髪毛を逆立てた粗暴な双剣士と、弓を構えた涼し気な長髪。ナージャに射られた急襲の一矢は、シトメと呼ばれる長髪の男の仕業だった。
「おうおう声でけえなおっさん。まーあれだ、折角だし答え合わせをさせてくれねーかい?」
「答え合わせだと?!」
「そちらの麗しき女性。"ナージャ・シュトン・ゼル・ファタモルガナ"王女殿下とお見受けしますが、如何でしょう?」
「⋯⋯!!」
憶測とも断定とも判別出来ない平坦な問い掛けに、ナージャの顔が青ざめる。
彼女は怯えていた。彼らが自分を狙う刺客であるという事にも。確信が無くとも平気で急襲する冷酷な人間達であるという事にも。
「ははは、大当たりってか! ほうら見ろ、やっぱり俺様の言うとおり、急いで正解だったろ? ククク、あのクソアマの悔しそうな顔が目に浮かぶぜ」
「独断専行である事に変わりませんが⋯⋯しかし、我らの手で狩り取れば、報酬も多く得られるのも事実。結果論ですが、良しとしましょう」
(あいつら⋯⋯くそっ、間違いない⋯⋯)
だが一方で、ミライもまた青ざめざるを得ない。
彼の目線の先は、刺客達の耳元で揺れる装飾に釘付けとなっていた。
ミライからすれば当然だろう。
刺客達の装いは細部は違えど、黒い法衣に三頭蛇のピアスなのだ。
それらが果たして何を示すのか、ミライに分からぬはずがなかった。
「──カガミの一族⋯⋯」
因縁が、狙いを変えながらも。
再びミライの行く末に立ち塞がったのだ。
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