暴食 その2『奈落』
「はぁッ、はぁッ⋯⋯!」
木々を横切る。夜月がちぎれる。
途切れる息を整う間もなく、ミライは森の中を駆けていた。
(なんでだよ。どうしてこうなるんだよ⋯⋯!)
必死だった。今の自分はさながら、狩られる獲物だ。
手慰みに覚えた狩りであったが、まさかこうして獲物側に回るなんて思ってもいなかった。
まして自分の命を狙う者が、実の父親だなんて。
「みっともない。逃げ足だけが取り柄かっ!」
振り向く事すら出来ない背後から、どこまでも責める声がする。追駆の足音は緩むことなく迫っている。
逃がすつもりなど微塵もないのだろう。常に不遜を崩さなかった父親の、鬼気迫った調子が恐ろしい。
(俺が、何したって言うんだ)
木々の間に間を駆けながら、ミライは自分の人生を反芻していた。
カガミの一族のスー家に生まれ落ちた。
カガミの中でも力を持つ家格の息子として期待された。
期待は年を経る度に失望へと代わり、次第に"減らされる"だけの人生となった。
食事も、服も、金銭も。挙げ句は同じ屋敷に住まうことすら許されず、屋敷の物置小屋に追いやられた。
(ただ生きてただけじゃないかっ! それが駄目だって言うのかよ⋯⋯!)
成人の儀を祝う色とりどりの風船飾りを見て、ミライは思った。
あれは俺じゃない。俺はきっとその脇に落ちた、萎みきった残骸なんだろう。
だったらその残骸はどうなるのか。決まっている。
掃除されるのだ。
「⋯⋯!」
いつしか視界が開けていた。
鬱蒼とした木々を抜けたのだ。だがそれは未来への展望に繋がるものではない。
崖だった。深い谷底へと続く断崖絶壁。心乱れたまま逃げていたせいで、ミライは自分が追いやられていた事に気付けなかったのだ。
「ようやく追い詰めたぞ」
「⋯⋯本気なのかよ。本気で俺を、殺すのか!」
「この期に及んで是非を問うか。ああ、本気だとも。誇り高きスー家から吐き出た汚点は、スー家の手ずから葬るのが道理だろう。全く、どこまでいっても貴様というやつは、誇り高きスー家の手間を掛けさせてくれるものだ」
今更親愛に期待した訳じゃない。けれどもすがりたかった。思いとどまってくれるかもしれないと。
しかし返ってきたのは、いつも通りの軽蔑と曇り無き殺意。
そして、道端に落ちた残骸を見るような、冷たさだった。
「⋯⋯」
「ほう、剣を構えるか。猪口才な。だがやはり、どこまでいっても愚物だな。この私に、カガミに! そんなものが通ずるはずもないのに」
「っ──うわああああああっっっ!!!」
風船が割れるような衝動だった。
絶叫と共にミライは殺到する。
せめて、という思いではない。全てがどうでも良く、かなぐり捨てるような衝動に身を任せただけだった。
「鏡よ鏡、映しませい」
「──ぐっ」
だから結果は考えるまでもなかった。
父シュライが現した大鏡に斬りかかれば、"跳ね返った斬撃"が自分の身体を斜めに切り裂いていた。
「これぞカガミ。神すら噛み殺せ給う偉業。ろくでなしの冥土の土産には、いささか過ぎたるものであるがな」
激痛に後退れば、もう後などなかった。
靴底が擦った崖先の石が、奈落の底へと転がり落ちる。
けれど、血に濡れる息子を前に誇らしげな父の言葉は、痛みの中でさえ強く響いた。
「ぐ、ぅ、とう、さ⋯⋯」
ぐらりと景色が傾く。
見上げてもいないのに、薄い月が遠くにあった。
痛みに喘ぐ身体に、浮遊感が襲い来る。
ああ、落ちる。そんな言葉が、脳裏を埋めた。
(死、ぬ──)
刹那に手を伸ばした理由は、ミライ自身にも分からない。
助けを求めたのか。縋りたかったのか。
最後の最期に、とうに得られなくなった"何か"を欲しがったのか。
「スー家の恥もこれにて終い。我らが始祖たるアイーヴ様も、満足なさることだろう」
伸ばした掌を裂いたのは、冷たい鉄の切っ先で。
どこまでも自分を否定する、残酷な刃の塊であった。
(ああ⋯⋯俺って、なんのために、生きて⋯⋯)
そうして。
肯定されることもなく。
かえりみられることもなく。
黒黒い谷底へと、ミライは呑み込まれていった。
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