暴食 その1『追放』
『ミライ・スー・カガミよ。只今をもって、貴様を我らカガミ一族より追放処分とする。疾く、我らの元より失せるが良い』
ほんの一時間前に長老に突き付けられた三行半が、今も脳裏で囁いている。赤い月の薄っぺらな夜。暗い暗い森の中。使い込んだ刀剣だけを手に、白髪の青年は歩いていた。
彼の名はミライ・スー・カガミ"だった"。だが今はもうただのミライだ。族名も家名も名乗ることは許されなくなったのだから。
「⋯⋯」
大陸最強の傭兵集団「カガミの一族」。
その名について問えば、誰もが口を揃えて答えるだろう。
敵に回すことなかれ。刃を向けることなかれ。
いかに攻め手を尽くそうとも、カガミの前では全てが無意味。業火も水流も風雷も、カガミに向ければたちまち全てが"跳ね返る"。
最強の盾にして最強の矛となる。
刃向かうは即ち死。決して敵に回すことなかれ。
それがカガミの一族に対する共通認識であった。
「これから、どうしようか」
ミライは歩きながら茫然と呟く。
答えなど帰ってくるはずもない。森の中で彼は独りだ。カガミの集落を追放された彼に、ついて来てくれる者など居ないのだ。追いかけてくれる者も居ないだろう。
なにせ追放される以前から、落ちこぼれのミライ・スー・カガミに居場所などなかったのだから。
「──鏡よ、鏡。映し出せ」
立ち止まって、ミライは囁く。
するとミライの眼の前に光の粒子が立ちのぼり、ひと一人分ほどの大きさの姿見が現れた。
くすんだ姿見の鏡面が、暗い森とミライを映し出す。
白髪に赤い瞳。失意に染まった自分の顔。けれど一筋とて、涙は流れていなかった。
「はは」
苦笑が漏れた。永続的な追放処分。
確かに悔しい。悲しい。でも、ちょっと安心している自分が居るのだ。もうあんな屈辱の日々を送らなくて良いのだと、安堵している自分の顔があった。
カガミの一族の力とは、鏡である。
一族であれば誰しもがこうして鏡を取り出せるし、また現出した鏡は判りやすい力の規格である。
鏡の大きさは即ち、跳ね返せる力の規模の限界値。
鏡面の曇りなさは即ち、力を行使し続けられる限界値を指している。
非常にわかりやすく、そして較べやすかったのだ。
自分より小さな鏡など、見たこと無かった。
自分より曇った鏡など、在ったことも無かった。
力に目覚めたばかりの子供よりも、ミライの鏡は劣っていたのが一目見れば分かるのだ。
(⋯⋯落ちこぼれのミライ、か)
もう何度も聞いた蔑称だ。
落ちこぼれ。役立たず。ハリボテ。化粧台。小屋住まいの無能者。
中でもまだマシなものを並べてこれだ。控えめに言って地獄の日々だった。
負けじと剣を鍛えていれば、鏡でも磨いていろよと揶揄されて。
せめて役に立とうと調薬を学べば、我らが傷を負う訳があるものかと憤慨されて。
食い扶持を稼ごうと狩りに励めば、傭兵が戦で稼がぬとは恥を知れと唾を吐かれて。
何をしても嘲笑われるうちに、次第に自分も笑うようになった。笑って、誤魔化した。本心を。何度も何度も。
そして、せめて道化でも良いからと。寂しすぎる居場所を見出すしかなかった少年は──遂に、追放されたのだ。
今日、十六の年を迎えた者を祝う【成人の儀】にて、「お前は人に非ず」と告げられた。
カガミと名乗ることを禁じられ、集落から放り出された。
居場所はもう、居場所でなくなったのだ。
「これから、どうしようか」
鏡に向かって、無意味に問う。
かれこれ歩き続けて一時間。深い森からは未だに出られない。闇ばかりしか見当たらなくて、まるで自分の人生でしかなかった。
どうすればいいかなんて分からない。
どうしたいかなんて、ミライには到底見つけられない。
薄っぺらな紅い月を、迷子のような目で見上げるしかなかったのだ。
「どうもせずとも良いわ、戯けめが」
「⋯⋯え」
そんな迷いすら無駄と斬るような、無感情な声が背後から届いた。
「父、さん?」
「⋯⋯⋯⋯」
振り向くまでもなく、ミライには声の主が誰か分かった。鏡に映ったからではない。声に聞き覚えがあったからだ。
父親だ。ミライの父、シュライ・スー・カガミが幽鬼のように背後に立っていた。その手に一振りの刀を握り締めながら。
「それ⋯⋯なんの、つもりだよ」
「見て分からんか愚息めが。鏡だけでは飽き足らず、その眼まで曇らせたか」
シュライの淡々とした怒気に、耳に付けた三頭蛇のピアスが揺れる。
ガラス玉のような瞳が鏡越しに睨めつけていた。ミライと同じ赤い目。しかし親類に向ける温度など欠片も見当たらない。
決定的な失望。ただそれしか浮かんでいなかった。
「カガミの一族は大陸最強。汚点などあってはならない。また、晒してもならない。いつか『神』すら『噛』み砕いてみせようという我らが理念。そこに、弱さなど残しておけるはずもあるまい」
「汚点、って、そんなっ!」
「追放処分とは袂を別つことではなく、一族として認められるものを"処分する"ことを云うのだ。もっとも⋯⋯才能欠如で追放処分など、ゆうに百年以上もない事例だがな。全く、どれだけ私の顔に泥を塗ってくれるのだ──貴様というゴミは!」
「父、さん⋯⋯」
父親であるはずの男の言葉には、噛み砕く余地などなかった。恐ろしい結論が否応なく突き付けられる。
シュライは、自分を、殺しにきていた。
血の繋がったはずの息子を、手ずから葬ろうとしていたのだ。
「カガミに非ず。スー家に非ず。貴様の生にはもはや価値もあらずっっ!! 不出来な倅よ、喜ぶが良い⋯⋯父が手ずから、引導を渡してやる!」
暗い森の中を、告死の刃が駆け抜ける。
親愛の灯りが消えて久しい父の眼を見て、ミライは改めて思い知らされた。
ああ、やっぱり。
自分の居場所など、最初から──どこにも無かったんだな。
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