王子とバックハグ
ウィル様を守らなきゃ!
と思った私は、光る何かとウィル様の間に入ろうとして、身を乗り出した。
ところが手を繋いでいるのを忘れていて転けそうになり、結果抱きついたみたいになってしまった。
そんな私を支えてくれるウィル様。
これじゃあどっちが守られてるんだか。
「…大丈夫かい、クリス?」
「えへへ…すみません」
っていうか、これ、どう見ても私がただ抱き付いただけだ。
自分の非力さを甘く見ていた。
これは誑かしてるって言われても仕方がない。
いや見てる人もいない筈だけど。
「…って、あ! 刺客は?! ウィル様下がってください! 私が…!」
武術も魔法も出来ない私に、何かできるわけじゃない。
でもこんな状況でウィル様が怪我でもしたなら、私は今度こそ処刑されてしまうかも…!
急いで体を起こして、ウィル様を背中に庇うように立て直す。
ウィル様は、あの光に気付いていないのか、今度は容易に手を振り払えた。
何が出てくるのか。茂みをじっと睨む。
どうかそんなに痛いやつじゃありませんように。
ガサガサと草が揺れ、そこから出てきたのは1匹の黒猫だった。
短毛で凛とした姿は、正しく私の想像する黒猫で、宅配業者のトラックを思い出す。
野良とは思えないほど毛並みも綺麗で、どこかの飼い猫のようにも見えるが、当然のごとく首輪はしていない。
この世界では猫をペットにしている話は聞いたことがない。
金色の瞳が陽光を浴びてキラキラ輝いている。光っていたのはこれか。
そこだけは前世での記憶とは少し違った。宝石のようだ。
黒猫はこちらを見て足を止めるとひと鳴きした。
「にゃ~ん」
「……猫ちゃん?」
どう見ても刺客ではない。
なんなら可愛い可愛いって撫で回したいくらい可愛い美人さんな猫ちゃんだ。
気っまず~!恥ずかしすぎる。
物騒なことを考えていたばかりに、空回りしてしまった自分がとても恥ずかしかった。
黒猫は暫しこちらを見ていたが、歩いて別の茂みに入っていった。
後ろのウィル様を振り返るのが気まずい。
黒猫が消えた茂みの方を向いたまま、言い訳を始める。
「あのっ、もしかしたら刺客かもって、その、守らなきゃって…思ったんですけど…違いました」
「ありがとう、守ってくれたんだね」
ウィル様は後ろから優しく両手を回して私を抱き締めた。
これはまさかのバックハグ…!
ドキドキしてるのはこれ恥ずかしい気持ちが残ってるからだよね。
いや好きじゃなくてもイケメンにこんなイケメン然としたことされたら照れちゃうよね。
「…落ち着いた?」
耳元で囁かれて、私はさらにドキドキしてしまった。
この状況で落ちつけるもんかい!
慌ててコクコク頷き、解放して貰うが、ウィル様の顔を見られない。
早とちりが恥ずかしかった筈なのに、別の恥ずかしさで顔が熱い。
わざと?わざとなの?!
やっぱりウィル様って私のことタイプなのかな。
好きじゃないとバックハグなんてしないよね?!
転けそうになってとか、出会い頭にとかじゃなくてわざわざ抱き締めたよね今?!
モンモンとしている私はウィル様がくすりと笑っていることに気が付かなかった。
(やはり凶器らしきものはなし。ミスリードってわけでもない。純粋に照れてるだけか…可愛いな)
気を取り直して食事の準備をする。
ウィル様がふたつの切り株にかかるように大きなクロスを広げる。私も反対の端を持ってクロスを敷く。
いつも直に座ってるとは言えない。
しっかり乾いてるし触っても手も汚れないんだもの…!
自然のベンチみたいなもんでしょ?
心のなかで言い訳をする私を他所にテキパキと準備をするウィル様。
私が手伝う隙もなく、目前にはサンドイッチが沢山とクッキーとブドウの絵のラベルがついた飲み物──お酒ではないだろうからブドウジュースかな──とコップが並べられた。
この量が入っていたならけっこう重かっただろう。
だからウィル様が持っていてくれたのか。
普段からやってないとこんなにスッと出来ないよね。
王子様ってもっとお世話されるのに慣れてると思ってた。
「私がこんなこと出来るのが不思議?」
「…あ、はい」
「小さい頃はよく城を抜け出して街で遊んでいたんだよ。それに野営の時は世話されるばかりでもいけないからね」
「そうなんだ…!」
意外とヤンチャだったんだ。それに野営もしたことあるんだ。
規則破ったことなさそうな真面目な王子様に見えるのに。
いや、けっこういつもふざけてるね。
さっきのだってやっぱりふざけてただけかも。
「さ、どうぞ」
「ありがとうございます」
靴は履いたまま、切り株に腰かける。
ウィル様は「どれにする?」とサンドイッチを選ばせて手渡しまでしてくれた。
至れり尽くせり過ぎる。
膝の上じゃなくても不敬過ぎるのでは…?!
恐縮しつつも食べ始めると、さっきの黒猫の話になった。
「あの黒猫はよくいるのかな?」
「いえ、初めてみました」
「そうか。きっと妖精だろうね…見られて運が良かったのかな?」
「え! 猫って妖精さん、なんですか…?!」
「いや猫すべてがそうじゃない。だけど、あの金の瞳は恐らく妖精だろうね。妖精は皆、金の瞳を持つ…って聞いたことないかな?」
私は首を振った。初めて聞いた。
「え、じゃあ普通の動物に見えても金の瞳だったらみんな妖精ってことですか?!」
「そうだと言われているよ。まあお伽噺だから、本当かは定かじゃないけど…」
なんてこった。
私は金色の瞳に心当たりがあった。
壁ドンしてきた俺様だ。
え、あの人…妖精さんだったの?!
妖精さんって人間にもなれたんだ?
それであんな俺様な態度だったってこと?
「そもそもここが妖精の作りだした場所だろからね」
「あ、それはなんとなく…そうかなって…思ってました」
「帰りたいと思ったら帰り道が出てくるでしょう?」
「そう! なんです! やっぱり妖精さんの仕業だったんだ…」
じゃあ、あの黒猫ちゃんがクッキー好きなトト○…?
子猫じゃなかったけど。クッキーは1枚でちょうどいいのか。可愛い。
もしかしていつも話を聞いてくれてたのかな。
今日はウィル様が一緒だから姿を見せてくれたのかしら。
もっと仲良くなりたいなあ。猫ちゃん。出来れば撫でさせて欲しい。
「ふふ…ここには僕達だけだから、無理に話さなくていいよ」
最近敬語を使うようにしていたが、咎められなくなっていた。
ウィル様も気付いていたんだ。
周りの目を気にして気を付けているって。
なんだかんだ優しい。
転けそうになったところを受け止めてくれたり、やっぱり理想的な王子様なんだよね。
「それに、ウィルって呼んでもいいよ」
「やっぱりからかってる!」
いま感心したとこだったのに!
それから、ウィル様とふたりきりの食事は、友達みたいで楽しかった。
お義姉様やフレッド様、周りに人がいないとこんなに楽なんだ。
ウィル様も普段は王子様として大変だから、もしかしたらこういう気安い友達が欲しかったのかな?
きっとそうだ。
LOVEとLIKEを勘違いしちゃダメよね。
そうそう…あれでもそれならウィル様はLIKEでもハグするってことで──
私はフレッド様をバックハグするウィル様を想像してしまい首を振った。
ないない。それはない。
レディーファーストだねきっと。女性に特別優しいのよきっと。
「そろそろ戻ろうか、アーサーは大丈夫だけど、フレッドが心配してるだろうから」
「確かに…!」
怒られそう。すっかり話し込んでしまった。
はやく帰らなきゃ、と思ったらやっぱり道がでてきた。
片付けは流石に私もちゃんと手伝った。
ウィル様にお願いしてクッキーを1枚残してあったので、今日も切り株に置いていく。
「今日もありがとう。驚かせちゃってごめんなさい」と小声で手を合わせた。
それから、またはぐれると良くないからだろうけど、自然な流れで手を繋いで帰ることになった。
友達…友達…ウィル様は友達として私を好きなんだ、LIKEなんだと言い聞かせながら歩いた。
少し歩くと中庭に出てきた。
そこにはのんびり構えるアーサー様と、見るからにイライラしてそうなフレッド様がいた。
ウィル様が言った通り、アーサー様は「俺は弾かれちゃいましたねえ…ご無事で何より」と軽く言って、フレッド様は「ウィリアム殿下! ご無事で何よりです!」と同じ台詞なのに重かった。
アーサー様がウィル様の持つバスケットを受けとる。
私はフレッド様に「何も問題を起こしてないでしょうね?!」と怒られた。
一瞬考えて「な何もなかったです!」と答えて、ウィル様も何も言わなかったのでホッとした。
「フレッド、女の子には優しくしなきゃ~」
と言ったアーサー様が、それまで怒られていたようなのに更に怒られていた。
「だいたいお前が一緒にいないのが悪いんだろう! サボるなと何度言えば…!」
「ウィルが良いって言ってたんだからさ~」
「良くない! それと殿下とお呼びしろ!」
犬猿の仲ってこういうのを言うんだなと思った。
私にも原因が少なからずあるとは言え、フレッド様は話しだしたら長い。
あ、またお義姉様との共通点を見つけた。
そしてなかなか終わらないふたりの掛け合いに段々と呆れてくる。
ウィル様が止めるまで続くんだもの。
トイレ行かせて。午後の授業始まっちゃうよ?
ウィル様はまだすぐに止める気配はない。
イケメンはトイレしないってそんなことないよね?
だって美少女の私だって行くんだから!