王子は出会う
※別視点です
その日は朝から学園の執務室で報告書を確認していた。
最近は忙しく、いつもこうだ。側近であるフレッドも一緒なことが多い。
彼は真面目で、少し潔癖が過ぎるところもあるが、とてもよく働いてくれる。
書類仕事が上手く将来は文官でも上位職になるだろう。
ただ、既に文官として勤めており優秀でかつマーティン公爵家の嫡男である兄君の方が宰相になる可能性は高い。
フレッドは跡継ぎのいない遠縁のコリガン伯爵家に婿入りする予定で、既にその娘と婚約している。
コリガン伯爵は財務の要職についているし、領地もまずまず、確か娘のソフィア嬢とも相性は悪くなさそうだった。
気になることと言えば最近、ソフィア嬢と同じ年の庶子をひとり引き取った話があったことか。
愛人や妾の子供は珍しくないが、その年まで平民だった者が引き取られるのは珍しい。
さらに光属性の高い魔力を持っているとあって、すっかり噂の中心だ。
その娘──クリスティーヌ嬢が学園へ編入する話が広まると、ソフィア嬢は随分と忙しそうだった。
もっとフォローしてあげても良いのに「コリガン家の話ですから、まだただの婚約者の私が口を挟む問題ではありません」なんてフレッドは放置だ。
まあソフィア嬢もそれで俯くような弱い女性ではないから、外から茶々をいれるのもよくないかと見守っている。
そもそも私も人のことを言える立場でもない。
私には現在、正式な婚約者はいない。
学園を卒業してから西の隣国の第二王女と婚約すれば、すぐに結婚することになるだろう。が、隣国との関係もあと1年半で何があるかわからない。
表面上で友好関係を装っているが、お互い隠し持っているものが多いからだ。
西の国境周辺は、広大な森と山脈があり、魔物被害はもちろん、盗賊などによる人災も多い。
東とは大違いだ。西の隣国が何かやっているんじゃないかと皆が言う。
そもそも西からは何代も前に独立しているというのに、いまも支配国気取りで強引に縁談をまとめようとしてくる。
幼い娘の"一目惚れ"だけで縁談を組むほど浅はかな王ではない筈だ。本当の狙いがなんなのか掴みきれていない。
順当に行けば、ダフィー公爵の娘──パトリシア嬢が婚約者となるはずだったが、西のせいで彼女には損な役回りをさせてしまっている。
彼女からは「殿下と親しくしていると、もしもの時に困る」と距離を置かれて、そのままにしてしまっている。
執務を優先して女性を蔑ろにしてしまう。貴族男性には珍しくもないことだが。
私も徐々に大人になっているということか。
どちらにせよ婚約者の扱いに関してフレッドに何か言える立場ではないのだ。
それに、この事件が解決できるまでは西の疑いも晴れない。
難しい問題を任されたものだ。
「そろそろ、きりの良いところで教室に向かおうか」
斜め前に座るフレッドに声をかけた。
「はい。この書類を片付けたら終わります」
彼用に設けられた机はいつも綺麗に整頓されている。書面にも性格がよく表れており、とても読みやすい。
アーサーと足して半分にして欲しいくらいだ。
手にしていた少し読みづらいアーサーからの報告書を置き、机の上をそれなりに整えた。
外の空気でも吸おうと、一足先に立ち上がる。
「先に出ているね」と背後のフレッドに声をかけながら扉を開けた。
「きゃ!」
「おっと…?」
金髪の小柄な女生徒にぶつかってしまった。
普段ここに生徒が来ることはほとんどない。
綺麗な金髪は貴族らしいが、シルエットに見覚えがなかった。
思わず抱き止めた腰はコルセットをしてるにしても細い。腕も細すぎる。
小柄で細く華奢な体は、さっきまで見ていた報告書の事件を思い出させた。
近年、活発に動いている犯罪集団、通称”明けの明星”。
もともと盗賊だったが、捕まらないのをいいことに手広くやりはじめた。今では国内最大規模の犯罪集団である。
なかでも厄介な事件のひとつに、平民の子や孤児を拐って教育し奴隷と言って売りさばいた先の商家や貴族のところで暗殺させたり情報を流させたりしている疑いがあった。
やられた側も、違法である奴隷を買ったことに関しては供述が曖昧になる。
使われた子供達も重要なことは知らず、子によっては前より良い生活に感謝して忠誠心の高い様子もみられる。
恐らくこれも”明けの明星”の仕業であろうと思っているが、本当にそうであるという証拠があるわけでもない。とかげの尻尾切りが上手く、捜査は難航していた。
それに貴族の子供が拐われていないことと、この件に関してはまだ大きな被害が出ていないからか、捜査も、盗賊としての”明けの明星”を追う者達と比べると、そこまで大規模なものではない。
事実、この事件に関するトップが私であることからもわかる。
しかし私は、これは行く行くはさらに大きな問題になると思っている。
まだ教育されている子供が多くいる。子供を拐われたと訴える親達も多い。
子供達を殺しているわけでもなく、奴隷として売られている数は圧倒的に少ない。
生かしているなら相当な土地と金がかかっている筈だが。
さらに、事件が王都から西で起こっていることを考えると、噂通り”明けの明星”だけではなく西の隣国の関与も疑われる。
一瞬、その手のものかと思った。
彼女は学園の制服を着ていたが、貴族にしては小柄で細すぎた。
反射の腕輪があるので、私には少しの衝撃のみ。
無傷であることは特におかしなことではない。
彼女もその手のものであるなら、話を聞きたい。
制服の入手ルートには確実に貴族が絡んでいる筈だ。
盗まれた可能性もあるが、そんな話しは出ていない。
とにかく、生きていれば良いのだが。
「すまない、大丈夫かい?」
ところが、心配を他所に彼女は無傷だった。
反射の腕輪は常に身に付けている。故障もない。つい先日も発動したのを目の前で見ている。
反応しないということは、悪意がなかったということだ。
もしくは反射の腕輪をすり抜ける術を持っている可能性もあるが…私は無傷だ。
「すみません! えっと…そっちこそ、大丈夫…ですか?」
「僕は大丈夫だけど…君は本当に何ともない?」
「? …はい」
金髪に碧眼。見目も良い。一見、貴族に見えるが、平民でも稀にいる色合いだ。しかしよく手入れのされた髪と肌。
見た目と感触とで、ちぐはぐな印象があった。口調も貴族らしくはない。
何より、見たことがない。
学園に所属する年代の貴族の子女は把握している。
彼女の頬に触れる。直に触っても、特に反応はない。
ご令嬢にこの距離で触れれば、期待のこもった熱い視線を向けられるか、怒られるか、のどちらかだが。
彼女は本当に意味がわからないという顔をしている。
わざと反射の腕輪に視線を向けて、彼女がそれを見るよう仕向けても、反応はない。
貴族であれば知ってる筈だ。少しでも邪な考えがあれば痛みに体が動き、考えが透けて見える。
諸外国にも内密にしているわけではないので、組織の手の者であれば、教えられていそうなものだが。
「殿下どうされましたか? まさか…刺客?!」
「刺客?! ち、違います!」
一向に部屋から出ていかないことを不信に思ったフレッドが慌てて近寄ってきた。
「って…王子様?! 本物?」
話を進めると、編入生のクリスティーヌ・コリガンだとわかった。まだ本物かどうかはわからないが。
彼女──クリスは、どうやら気を抜くと敬語が出ないようだった。
愛称でウィルと呼べと言ったのは私だが、本当にただの友人のように扱う。
探りをいれても、気付いていないのか素直に答えているようだった。
それに会話に夢中で遠回りしてもまったく気付いていない。疑わないのか?
そろそろ授業も始まるからと教室に向かうと、建物の入口でソフィア嬢と合流でき、本物だとわかった。
やはりというべきか、ソフィア嬢はこれからも苦労しそうだな。
「殿下、お戯れもほどほどにお願いします」
放課後。ふたりで執務室に向かう途中。フレッドが呆れたように言う。
クリスのことだろう。
しかし、教室に連れ立って入っただけでも反応はそれぞれで面白い。
彼女の話も独特な視点で興味深かった。もう少し様子を見たい。
「ふざけてるつもりはないんだけどね」
そんな話をしていると、噂をすればなんとやら、正面からクリスからやってきた。
思い付きで学園案内を提案したが、やはりクリスの話は面白かった。他学年の反応も直接見られて良かった。
その後、執務室で書類を片付けているとき、ふと思い付いたことをフレッドに訪ねる。
「そうだ、明日の昼食に彼女を誘うのはどうだろう?」
「ご冗談を…そもそもどうやって誘うのですか。先ほど別れたばかりでしょう」
「フレッドがソフィア嬢に手紙を書けばいいんじゃないかな?」
「体裁を保っても、結局は知れ渡りますよ」
「それがいいんじゃないか」
「また何か良からぬことを考えていますね…?」
フレッドを丸め込み、手紙を書かせ、早馬で届けさせた。
明日の食事の手配も行う。
楽しみだな。ふと笑みが漏れて、気付かされた。
誰かと会うのが楽しみなのは久しぶりだ。
クリスの食事のマナーは完璧とは言えないが及第点はあった。
調べさせたところ、家庭教師は厳しくて有名なマイヤー夫人だった。
及第点もやれないようでは、流石のコリガン伯爵も学園に編入させたりはしないだろう。
だが、本当にただの、しかも貧民層の平民が、たったの1ヶ月でここまで出来るだろうか。
彼女は本当に平民として15年育っていた。
"明けの明星"などの怪しい組織の接触も一切見られない。
さらにコリガン伯爵家にも特に怪しい動きは見られなかった。
何かありそうな気がするんだが…。
調査に関しては昨日の今日なので、これからまた分かることもあるかもしれない。
もう少し様子を見よう。
それから、たまにクリスに話しかけたりして様子を見ていた。
引き続き調べさせているが、おかしな動きはない。
それどころかクリスはどこかへ出掛けたり、商人を呼んで買い物したり、ということも全くしなかった。
動きがあったのは、暫くして──しかも、クリス本人ではなかった。
「「ウィリアム殿下、おはようございます」」
「おはようギル…どういう心境の変化なんだい?」
頑なに髪を切らず、背を丸めていた彼が、バッサリと髪を切っている。
そして何故か二学年の教室の前で人に囲まれていた。
私が驚きのあまり声をかけると、それまで話していた者達は会釈し下がっていった。
「ああ、歓談中にすまないね」
「やっぱり変、でしょうか…」
「いや皆も驚いているだけで、変なんかじゃないさ。むしろ爽やかで良いと思うよ」
ただ、これまで誰が何を言っても頑なに変えようとしてこなかったスタイルの急変に驚いている。
遠征中に何かあったか?報告書に彼に関して記述はなかった。
新人でもあるまいし、魔物があの程度増えたからと言って心身に異常をきたすこともないだろう。
昨日もいつも通りだったが…ああ、放課後にクリスと会っているのか。
「ありがとうございます」
「もしかして、クリスかな?」
「あっ…はい。殿下も面識があるんですよね」
「そうだね。…良い影響があったようで嬉しいよ。それより遠征は大変だったみたいだね。去年より随分と多かったんだって?」
「はい…何か良くないことの前兆じゃなければいいんですが…詳細は師団長の報告の通りです」
「うん、私も出来る範囲で確認しておくよ。暫くは学園にいるんだろう? 忙しいところに悪いが、クリスのことも気にかけてあげて欲しい」
「はい」
ギルはバーク辺境伯とは相性が悪いからな。
その娘のキャサリン嬢と婚約しているが、学園でも一緒にいるところは見かけない。
ギルは彼女を避けている。それに彼女も避けられているのを分かって積極的に近付いてはいないようだ。
今も、彼女は離れてこちらを見ているだけで、まだ会話していないんだろう。
良い影響だけで終わればいいが。
教室に入りクリスを見ると、彼女は「私何かしましたか?!」とでも言いたげな目をしていて、可愛らしかった。
本当にわかっていないのか。演技なのか。
わざとだとしたら面白いんだがな。
その手腕を王宮でも発揮して欲しいものだ。
その後も様子を見させていると、どうも西の隣国から接触があったようだ。
まだまだ魔法は使えないが、狙われているのか。厄介だな。
まったく、この国も舐められたもんだ。
すでに百余年も前に独立しているというのに、いまだに支配者気取りだ。
クリスとはもう少し親密になっておいた方がよいかな。
何にせよまずは目の前のこの男だ。
食堂の2階の個室。午後の授業を欠席して、机を挟んで座り対峙している。
この国にいる筈のない人間が、何故か学園に、しかも制服を着て、バレバレな変装で見つかったと報告を受けたからだ。
「非公式の訪問でしょうが、ご挨拶した方が宜しいかと思いましてね…満足なおもてなしも出来ず申し訳ありません。是非とも次は事前にお知らせいただけると助かります」
「気にするな。個人的な所用だ。身分を隠しての入国詫びる。もてなしも不要だ」
ここへくる道中に急いで確認した書類上では商人の息子となっていた。
髪色は薄い茶髪で、制服姿は在学中の生徒とも見えなくもない。が、西の隣国の王族の証しである金の瞳はそのままだ。
制服も急拵えなのか、サイズが大きい。
その男は足を組み、なんの躊躇いもなく紅茶に口をつけた。
毒殺の心配はしていないのか。何かあっても構わないのか。そのどちらともか。
「貴賓扱いは不要ですか? それでは何故、学園にいたのか、どうやって侵入したのか、賊として尋問させていただいても?」
「ちょっと留学でもしようかと下見にきただけなんだがなあ。そこまで厳重な警備にも見えなかったが…とられて困るものでもあるのか?」
「"明けの明星"の件で緊迫してましてね。留学なさるなら、さらに警備を強化しなければなりませんね」
「あれは貴族には手をだしてないだろう?」
「…それは、どこから入手した情報でしょう?」
「いや~どこだったか。そういえば面白い猫を拾ったらしいな。そっちに聞いてみたらどうだ?」
男は挑発的な笑みをわざとらしく見せながら、カップを置く。
「あいにくと猫に心当たりがありませんね。ご教示いただけなくて残念です」
「そうか。本人だけが知らないこともあるもんだなあ…」
「まあ、いいでしょう。それでは、お送りしますよ。王宮まで」
「俺は男と馬車に乗る趣味はない」
「私もですが。生憎と貴方を乗せられるような馬車が1台しかありませんので…」
立ち上がり、有無を言わさず退出を促す。
このままだと理由をつけて午後の授業が終わるまでずるずると居座りそうだ。
生徒達が出てくる前にお帰りいただこう。
「貴国とは良い関係を築いていきたいものです」
友好的に見えるよう笑みを携えて右手を差し出す。
しかし男は一瞥するだけで、握手に応じず席を立って行った。
扉の前でピタリと止まり振り返る。
「あ~確か西の王女が、愛しの王子様がなかなか婚約してくれないって泣いてるらしいぞ」
「それは可哀想ですね、酷い王子様がいたものです」
「はっ…よく言うよ」
そのままお返しします。と意味を込めて視線を返す。笑みはそのまま。
わざとらしく大袈裟に首をすくめて見せて、警備兵が開けた扉を出て行った。
警備兵に連れられて玄関に向かうだろう。
逃げ出して事を大きくするつもりもなさそうだ。
「アーサー、宜しく」
壁際に控えていたアーサーに声をかける。
「ええ~俺ですか? ちぇっ俺だって馬車は女の子と乗りたいんですけど~」
「警備兵に任せられないだろう」と言えば、悪態をつきながらも部屋を出ていった。
部屋にひとりとなり、ため息をつく。
クリスの周りは面白いことがよく起きるなあ。