グダグダ男女の恋愛未満結婚
とある産業革命後の英国にも似たファンタジー世界の辺境の地に、一人のうら若き日本人女性が道端でこけた拍子にトリップしてきた。
広い石畳の街路に放り出された彼女は、数刻かけて町を探索し冷静に現状を把握すると、その足で対凶獣都市防衛軍の門を叩く。
中央の噴水広場にある掲示板に貼られた一際大きな隊員募集チラシに「出自不問」と「衣食住保証」の文字がデカデカと掲載されていたからだ。
ちなみに、なぜ文字が読めるのか、言葉が話せるのかという疑問に関しては、喫緊の状況を脱しない限り不要と捨て置いている。
全体的にいかにも人手不足を感じさせる怪しげな内容であったが、例えブラックな職であろうと先立つもののない己には必要な苦労だと考え飛びついた。
ただし、彼女が希望したのは事務方である。
もちろん、最低限の体力は必要であるし、本隊ほどではないが訓練や演習にも参加せねばならない。
だが、それでも前職の経験上イケると踏んで、彼女は入隊を望んだ。
当然、出自不問とはいえ試験は行われたが、トリップ女性はそれらを見事に突破してみせた。
特に事務方として必要な計算能力は優秀の一言で、彼女はその場で主計課への配属が決定されたのだ。
その後、早速とばかりに先輩隊員の案内で職場や宿舎、食堂といった場所を順に巡り簡易的な説明を受けていく。
女が常に浮かべている日本人らしい曖昧なアルカイックスマイルからは、正と負、どちらの感情も窺えはしなかった。
道中、ふと廊下の先からキャラメル色の髪の青年が気怠そうに歩いて来る。
すれ違い際、彼女は無言で体の向きを変え腕を伸ばし、力強く彼と握手を交わして、再び何事もなかったかのように先輩の後を追った。
一秒あるかないかの、ほんの一瞬の出来事だった。
突然の新人の奇行に、先輩隊員は足を止めぬまま困惑の表情で問いを紡ぐ。
「なんだ、知り合いか?」
「いえ、同類の気配がしたので」
「はあ?」
それはあまりに端的な回答であった。
理解が及ばず首を捻る主計課の男性へ、彼女は自身の体感した出来事を伝えるべく言葉を重ねる。
「あー、私もこんなことは人生で初めてなので説明が難しいのですが。
同じ群れの仲間というか、双子の片割れというか、別の環境で育ったもう一人の自分というか……おそらくアレは感性がものすごく近しい人間なのだと思われます。
わざわざ言葉を交わさなくとも考えが手に取るように理解できる、そんな赤の他人です。
あるいは、脳波もしくは電気信号のパターンが似ていて、ソレを感じ取っているのかもしれません。
これが私だけの勘違いでないのは、相手が当然のようにこちらの手を握り返した反応からも明らかです」
「……さっぱり分からんな」
または、オタクが明確な論拠なく同類を察知する感覚にも似ているだろうか。
今回、彼女が読み取ったのはソレの究極版ともいえる確信すら抱くレベルのものだ。
「ちなみにあの方は、どこの誰なのでしょう?」
「名は知らんが、装備を見る限りでは空軍の少尉だろう」
面倒臭そうな顔をしながらも律儀に答えを返してやるあたり、この隊員は存外お人好しな性格をしているのかもしれない。
戦闘機もないのに空軍とは、という疑問は直後に自身で氷解させた。
「……あぁ、砦の周辺を旋回してる巨鳥や翼竜に騎乗しているような人たちですね」
「かなり大雑把な認識だが、間違ってはいないな。
ただ、あまり気易く関わろうとは思うなよ」
急に声のトーンを下げた男から不穏な忠告を受けて、女性は小首を傾げる。
「はて、何故です?」
「そりゃ、お前。騎獣ってのは基本的に自前だ。
そして、人を乗せ空を飛ぶ騎獣はかなり希少で調教も難しい。
奴らは余程の財力か実力のあるエリートで、逆に俺たち頭脳労働者は戦場において目に見える戦果が少なく、防衛軍の中では軽視されがちな傾向にある」
ちなみに、対凶獣都市防衛軍は領主から多少の援助も受けてはいるが、基本的には商人や地元民からの融資により運営されている私設の存在だ。
ゆえにこそ、全体を個とする集団意識は薄く、公的な軍隊よりも随所に格差が生じやすい。
こと脱退の理由について、訓練の厳しさや職務自体の危険さを差し置いて、人間関係のイザコザを原因とするものが最も高い割合にあるという、中々闇の深い職場であった。
「なるほど、暗黙の軍内カーストがあるワケですか。
貴重な情報に感謝します」
「いや、まぁ、そういう空気のせいもあって、事務方はいつも人が足りていないんだ。
せっかく戦力になりそうな人間が来たってのに、早々に辞められても困るからな」
「それはそれは。ご期待に沿えるよう頑張ります」
さて、本人の宣言通り、主計課の誰より計算が早く正確で、優秀さをこれでもかと見せつけるトリップ女であったが、反して、彼女は誰より面倒臭がりで常習的にサボりを繰り返す悪癖があった。
直属の上司から幾度か注意を受けるも、女性は「給料分は働いた」と告げて、勤務時間内でも勝手に宿舎へ戻ってしまう。
それで退職や停職を言い渡されないのかといえば、実際のところ、その短時間で課内において最も優秀とされる男性隊員と同等量の書類を処理しているため、糾弾もし辛かったらしい。
また、これ以上仕事をこなされると先輩たちの立場がないと、敢えて放っておかれた面もあった。
そのくせ、男でも根を上げるような戦闘訓練や演習には真面目に淡々と取り組むのだから、周囲の人間たちは到底理解が及ばないと、徐々に女性から距離を置くようになっていく。
そうした事情がありつつも、人材不足を補うため彼女を更に働かせようとした事務方上位陣の判断により、身元不明の人間としては異例のたった半年という短期間で、女性は『主計伍長』と一つ階級を上げられてしまう。
告げられた際、本人は責任と仕事とヤッカミが増えると言って心底嫌がっていたが、お上の命令に逆らうのは得策ではないとして最終的には渋い顔で受け入れていた。
さて、そんな自由気ままな軍隊生活を過ごしている間、彼女が唯一親しくしていた人間がいる。
トリップ初日に廊下で出会った、空軍少尉の青年である。
彼は女性が入隊してから十日ほど経った頃に、寮の自室でサボっている最中、換気のため少し開けていた窓から唐突かつ当然のように侵入してきたのだ。
「あー、ダルい。ちょっと匿って」
職務の規定時間からいえば、青年もほぼ確実にサボタージュ民である。
ちなみに部屋は三階にあり、特に足場もない構造になっているので、彼がどういうルートでやって来たのかは不明であった。
そんな型破りの登場を果たした空軍少尉に対し、トリップ女性は呆れた顔をつくり肩をわざとらしく竦めて、お道化けた声色で苦言を呈する。
「おいおい、君ぃ。仮にも女の部屋だぞ?
ノックぐらいしてくれ給えよ」
もちろん、問題はそこではない。
規則で禁じられてこそいないが、余程のことがない限り男性が女性専用の区画へと立ち入ることは許されざる行為と認識されている。
それを知っていながら飄々と女の部屋に上がり込む男も、そうした男の行動を一切非難しない女も、とんでもない非常識だ。
「もし、私が着替えなどの真っ最中だったら一体どうするのかね」
「えーと、自分のことは気にしないでって言いながら部屋に入って、適当な場所でダラけつつ生着替えを鑑賞するかな?」
クズの所業である。
彼の人生にデリカシーという言葉はおそらく刻まれていないのだろう。
そもそも、遭遇時の行動を答えろという意図の質問でもない。
「完全に一致。私でもそうする」
そして、そんな戯けた回答を深い頷きと共に受け入れる辺り、二人は間違いなく同類であった。
「だよね。ってことで、ちょっと寝床借りるよ」
「どぉーぞ」
許可を得て直後、青年は一切の躊躇なくベッドに倒れこむ。
まるで仲の良い知り合い同士のような会話を交わしているが、これは初対面の無言握手に続くセカンドコンタクトだ。
彼女は自分が無礼な口を利いたからといって男性かつ上官である彼が全く気にしないことを自然と理解していたし、彼は見ず知らずの女の部屋に前触れなく押しかけておきながら、余程の事情がない限りは滞在を断られることがないと当人に聞かずとも知っていた。
同じことを別の男が行えばトリップ女性はすぐに大声を上げるなり刃物を向けるなりと対処をしたであろうし、青年にしても、彼女以外の人間に同様のフザケた態度はけして取らなかっただろう。
二人の感覚からすれば、身内や仲間と理解している存在に警戒も遠慮もする必要がない、といったところか。
結局、彼は彼女の部屋のベッドで一時間ほど爆睡した後、昼ご飯だと言って、堂々とドアから出て行った。
その後も、幾度となく彼女の部屋に入り浸っては好き勝手に行動する青年空軍少尉。
「あっ、毒の谷の風姫だ。面白いよね、これ」
「同意。
最近は図書室通いがマイブームなんだが、その本は今のところの一番だな」
「分かるなぁ。キャラクターもストーリーも本当に深くてさ」
「あれだけの世界と人間を生み出せる作者の頭の中は、全くどうなっているのやら」
「およそ人の持てる能力を超えてしまっている気はするね」
「作者自身が描いたらしい挿絵が、また素晴らしく熱い」
「意外とアレ好きだったな、裁定者がちょこんと座って待ってるヤツ」
「あぁ、不気味なのに可愛いっていう絶妙なアレか。
私は蛇王の最期かな、死の間際ですら王とは人にあらずって感じでシビれる」
「うんうん。そのシーンも良かったねぇ」
中々盛り上がっているが、この状況を互いの同僚が見れば酷く驚いたことだろう。
彼らは仕事以外の無駄口、とりわけプライベートに関するあらゆる話題を嫌っており、はぐらかしたり、明らかな嘘をついたり、無視したりといった、頑なな態度を常に崩さない人種なのだから。
「あー、軍務ダルすぎー、面倒臭いー」
「はー、かったるい」
別日。
一人は机に突っ伏しながら、もう一人はベッドにうつ伏せに転がり足をバタつかせながら、互いに返事を求めぬ独り言を垂れ流す。
半月に一度か二度という奇妙な頻度で顔を合わせる彼らは、会話さえも気まぐれで、二人でいながら一言も声を発さず解散するといったような過ごし方も少なくなかった。
「お、買い出しに行くのか。なら、ついでを頼まれてくれ」
「ええー、自分で行きなよ」
「そちらさんと違って、怪しい異国女はちょっとした外出の手続きさえも煩雑になっておりましてな?」
「あぁ、うーん。そういうことなら仕方がないな」
「では、よろしく。代金は前払いしておこう」
「はいはい、確かに」
男と女ではあるが、彼らは互いに性差を認識してはいても意識はしておらず、常に対等な、親密な友人の如き関係を続けている。
「ん? 何だい、君。今日が誕生日なのか。
えーと……よし、ポケットに入っていた、この食べ残しのクッキーをあげよう」
「わ、やった。家族以外の成人女性から初めて誕生日プレゼント貰った」
「ははは。せいぜい自慢してくれたまえ」
「ちなみに、そっちはいつが誕生日なんだい?」
「あー、それがなぁ。祖国とこちらでは暦が違うから正確な日付は分からないのだよ。
大雑把でいいなら、春の花が咲く頃合いってとこだな」
「へーぇ」
一応ながら貰い物をし相手の誕生日を尋ねた状況でありながら、その後、青年がトリップ女性を祝うことはなかった。
とはいえ、女がクッキーを渡したのは偶々の気まぐれであり、わざわざ用意などしようものなら互いに鳥肌を立てていただろう。
「うわ、カップルだ。嫌なモノを見てしまった」
「公の場で手を繋いだり肩を抱いたりして、ホント気持ち悪いなぁ」
「露出狂の汚いオッサンと同じぐらい無理」
「他人のいない所でやればいいのに、わざわざ表に出てきて迷惑極まりないよね」
「なぜ愛欲見せつけプレイに巻き込まれねばならぬのか」
「こんなに不愉快にさせられて罪にも問えないなんて、嘆かわしい世の中だよ」
二人きりの空間において、彼らは驚くほど自然体だ。
常日頃から悪態ばかり吐いているような性根の腐った人間たちだが、それを起因として両者が険悪なムードに陥ることもない。
「おっと、失礼」
「ふはッ! ちょっ! 君、オナラの音、芸術的すぎるでしょっ」
「くっくっく。何を隠そう、史上初のオナラ演奏家プイングルスとは私のことだ」
「も、もーっ、止めてお腹痛い、お腹っっっ」
「不定期ソロ演奏会HOUHI、ご期待ください」
「ひぃーっ、ぜったい聴きたい」
内に、気の抜けた子供のようなやり取りも増えてきた。
とはいえ、職務中の彼らがこのような幼稚な面を表に出すことはなく、相変わらず感情の読めない不気味な存在として同僚や上司からは遠巻きにされているのだが。
「やあやあ、主計伍長おめでとう」
「イヤミは止め給え」
「いいじゃない、僕なんか少尉だよ少尉。
もうダルすぎるったら」
「君の立場には同情するが、比較対象にされるのは業腹だ」
「はっはっはっ、そちらもまたすぐに昇進するさ。
なんていったって、僕たちには致命的な欠点があるからね」
「……サボりは余裕でも、肝心の仕事自体には手を抜けない性分、か」
「当たり。まぁ、覚悟しておいた方がいいよ。先人からの忠告」
「うわぁぁっ、嫌だ、かったるいぃぃ」
そんなこんなで、難解な人種である彼らが出会って、約一年。
その頃になると、精神的な距離はそのままながら、二人の物理的な関係は決定的に変わってしまっていた。
きっかけは、青年から発された一つの相談によるものだ。
「ただぁーいーまぁー」
「はい、おかえり。そういえば、久しぶりだな?」
「んー。ちょっと長めかつ厳しめの任務があってさぁ」
「そうか。そりゃ、お疲れ」
すでに二つ目の自室とばかりに一切の遠慮なく踏み入れた女の部屋で、彼はもはや許可すら取らずにベッドへと仰向けに倒れこみながら、疲労全開の声色で言う。
「で、一つお願いがあるんだけど」
「ほぅ、珍しいな。聞こうか」
「率直に言うと、御珍棒様が荒ぶったまま鎮まらなくてさ。何か適当に処理してもらえない?
もう疲れすぎて、一人で済ますのも、娼館行くのも、まともに誰かと交渉するのもダルい……」
THE・クソ。
ここまで来ると性別どうこう以前に、まず人間として最低である。
とはいえ、相手は同レベルの埒外女だ。
彼女は突然かつ不躾な要求に対しても、実にフラットに応えて返した。
「なるほど、事情は把握した。
あー、受けてやっても構わんが、当然ながら準備がなくてな。
万一がないとも限らないワケだが、そこのところどうする?」
恋だの愛だのに夢も希望も抱いていない女にとって、重要なのは現実に存在するリスクのみである。
「んぁー、どの服用薬も体に悪いしねぇ……いっそのこと、後日に籍入れておくんじゃダメ?
そしたら、今後も『乗って』の一言で済むし」
ここに前代未聞の塵プロポーズが爆誕した。
いくら疲れ切った脳で考えたにしろ、ここまで酷いセリフもそうは出てこないだろう。
「一度手を出したら、あとは二度も三度も同じの精神かね、君。
であれば、どう足掻いても妊娠の可能性がゼロにならない現状、結局、婚姻しておくのが一番互いに面倒事がない、か。
じゃあ、届にサインだけはするから、他のかったるい作業は全部任せたぞ」
「まぁうん、了解。一応、言い出しっぺだからね」
あっさりと新たな関係を成立させているが、当然ながら、彼らの間に恋愛感情が芽生えたなどという事実はない。
頭のおかしい男と女は、二人のみに通じる理屈でもって、ただ書類上の繋がりだけを欲したのだ。
ちなみに、心なき最低のクズ人間たちではあるが、なぜか堕胎という選択肢は最初から含まれていなかった。
彼らにとっては胎児であろうと生じた時点で一個人であり、親だからといって生殺与奪の権を有しているとは考えないからだ。
だが、それは善意に基づいたものではなく、生きるも死ぬも自分で勝手にすればいいという、究極の無責任からくる思考の放棄であった。
それから、数日後。
先の言葉通り、書類の束を抱えた空軍少尉が女の元を訪れる。
「ホラ、婚姻届その他諸々をもらって来たよ」
「お、さすがに仕事が早いな」
バラバラと机に放られた数種類の用紙を手に取り、まずは内容を読み込んでいくトリップ女性。
彼女は、家電製品にしろ何にしろ、使用前に説明書の全てのページに目を通しておくタイプの人間だった。
その様子をしばらく黙って見守っていた青年は、ふと思い立ったように、妻となろうとしている女へ今更な質問を投げかける。
「……そういえば、君、名前なんだっけ?」
「あぁ、何だかんだで、お互い名乗ったことはなかったな。
ルイだ。瑠衣・刈田」
刈田の苗字をカーターと読み替えているのは、あまりに異国情緒あふれる名では、いくら出自不問とはいえ警戒され入隊を断られる可能性が出てくるのではと不安に思ったからだ。
自身が生きるためならば、名を偽るぐらい平気で行えるのが彼女という人間である。
「ルイね。覚えた。
僕はダルギス。ダルギス・メンドーダ。
ギースでいいよ」
「ギースか。分かった。
そうすると、私は今後、ルイ・メンドーダになるわけだな」
「だね。改めて、よろしく……えーと、奥さん?」
「あぁ、よろしくだ。旦那さん」
不敵な笑みで握手を交わす二人。
夫婦というよりもパートナーといった方がしっくり来るような、全く色艶のない表情であった。
「ところでさぁ。
夫婦になるからって、わざわざ今すぐ一緒に暮らそうとか思ってないよね?」
「もちろんだとも。私は寮生活を続けるぞ。
そこら辺は子どもが出来てから考えればいいんじゃないか?
なに、金さえあれば大体の問題はなんとかなる」
「うーん、真理だ。
しっかし、たまたま僕と君の性別が男と女だったから、こういう形に落ち着いたけど……何だか不思議だねぇ」
「こういう形、といえば……私にはいないが、君には家族がいるだろう?
立場として挨拶や式が必要なら、嫌々だが付き合わんこともないぞ」
「あー。いらない、いらない。適当に手紙で報告だけしとくよ」
「それなら助かる。見世物になるのもダルいからな」
などというやり取りをしてから、約二ヶ月後。
ルイはダルギスの実家であるメンドーダ商会の一室で、彼に深々と頭を下げられていた。
「真に申し訳ない」
結婚報告をしてからというもの、ダルギスの元に『嫁の顔を見せろ』という内容の催促の手紙が引っ切りなしに届き続けたのだ。
それだけならまだ無視で耐えられたのだが、内容を知らないながら今までになく高頻度で送られて来るソレに何か問題が起きているのではないかと心配した同僚や上司らが度々声を掛けてくるもので、あまりの鬱陶しさから、ついに名ばかりの妻へ協力を要請する流れとなったのである。
ちなみに、挨拶自体はすでに終わっており、根掘り葉掘り馴れ初め等々を聞き出そうとする彼の両親へ、ルイが適当に濁したり、耳障りの良い内容にすり替えたりと、猫を何重にも被って対応した結果、『しっかり者のお嫁さん』などという、真実とは程遠い評価を得ていた。
今は父母の一晩泊まっていけ攻撃に押し負けて、ダルギスの元自室で二人きり、すっかりダラけきっているところである。
「まぁ、親御さんも息子が心配なんだろう。
それで安心するなら、無難に挨拶ぐらい熟してやるさ」
「そんな殊勝なモンじゃない、ただの好奇心だよ。
僕みたいのが結婚できるなんてって、単に驚いてるだけ」
「何にせよ、この一回で納得して催促を止めてくれるなら、ソレでいいんじゃないか?
あ、あとは子どもが出来たら見せに帰れとか言っていたな」
「はぁぁ。悪いねぇ、ホント。こっちの都合に付き合わせちゃって。
っあ、春画本でも読む?」
「中々年季が入っているな」
「十代の頃に使ってたヤツだからね」
「おやおやぁ? このページ、開きグセがついているようだがぁ?」
「アッー! 分析止めて、さすがに恥ずかしいっ」
こうした特殊イベントを経て、両者の仲が更に深まったかといえば、そうでもない。
恋愛的な感情はないにしろ、互いの親密度は初手からほぼMAX状態にあるからだ。
まぁ、それも『彼らなりに』という条件が付いた上での話にはなるのだが。
そもそも、二人は常に自分の身が一番大事であり、己以上に重きを置く存在はあり得ないという信念の持ち主だ。
ルイとダルギスが常日頃どれだけ懇意にしているように見えても、いざという時には互いが互いを見捨てることを知っているし、どちらもそれで良いと思っている。
一般的には薄情と呼んで差し支えない浅い絆だが、そんな程度でも、この男女の在り方でいえば最上級の仲にあたるのだ。
「なぁおい、ギィースくぅん……君、近ごろ露骨に発散頻度が増えていないかね?」
「すぐそこに妻の肩書を持つ女体があるのに、わざわざ外に出掛けるのもムダ金かつ面倒だなって」
「あぁ、そりゃそうだ。
金も時間も労力も何も掛けなくて済む手があるなら、自分とてソッチを選ぶだろうな」
「とはいえ、何だか僕ばっかり甘えてるみたいで悪いね」
「ま、構わんさ。別に我慢して付き合ってるわけでもない」
「ホラ、アレだと思えば。奥さん一筋の愛妻旦那みたいな」
「オエーッ、勘弁してくれ」
「うん、ごめん。自分でも言ってて吐き気がしたよ」
「今ので、ふと思ったが……仮に君の偽物が夫です面して現れたら、一瞬で判別がつく自信があるな」
「はは。同じく。
たとえ僕らの全てが観察されていたとしても、完璧に言動を真似ることは出来ないだろうね」
何より、彼らの理屈不明な同族判定を突破できないだろう。
ニワカがどれだけ必死に擬態したところで、ガチ勢の目を欺ける道理はない。
さて、そんな精神的にはともかく肉体的にはそこそこ夫婦らしい日々を送っていた二人だったが、だからこそ、彼らには更なる転機が訪れることとなる。
「うー、ダルい。今日も匿ってー」
「はいはい…………あっ、そういえば子ども出来たらしいぞ、私」
「へぇ、本当? 案外簡単に実っちゃうものなんだ。
やっぱり、先んじて籍を入れておいて良かったねぇ」
「医師の話によれば、今、七週目だと」
「えー、確か不調になってくる時期じゃないのソレ。
そうなると、さすがに寮暮らしを続けるのもマズイか。
いよいよ家を探して一緒に住まないとだね」
「家はともかく、二人で暮らす必要はあるのかね。
別にアレを、えー、ハウスキーパーを雇ってもいいが」
「赤の他人にベタベタ触られたり、プライベートなテリトリー内をウロつかれたりするのって嫌じゃない?」
「まぁ、好まないけれども」
「でしょ? いいよいいよ、僕が面倒見るって。
製造責任者だし」
「ふむ、そういうことなら頼もうか」
妊娠をきっかけに、ついに一つ屋根の下で共に生活を送る手筈となったのだ。
「やぁ、無事に家が決まって良かったね。
生活費は折半するでしょ?」
「子供のこともあるし、共有のサイフを作ってそこに必要な額を毎月給料日ぐらいに入金する方式でいくか」
「普段の家事諸々の分担も決めないとね」
「お互い生活リズムもあるだろうし、基本的にはシェアハウスに入居してるお隣さんって体でいいな。
ご飯も個人で取ろう」
「あ、当然だけど、体調不良の時とか男手が必要な時は言ってくれたら僕がやるよ。
逆に察するとか無理だから、今の元気な内に無言でも出来るサインとか決めておこうか。
本気でキツいと、しゃべって指示するのも億劫だろうからね」
「へぇ、意外とマメなトコロもあるんだな」
「僕が原因で君の日常が害されてる状況でしょ。
ここで面倒がるほど、人として終わってるつもりはないよ」
ダルギスのこれまでの言動からすれば、とても言えた義理ではない。
一方、魂の双子などと言って憚らないルイが珍しく彼のセリフに驚いているが、これは性別や育った環境の違いによる根本的な感性や有する知識の差によるものだ。
あくまで彼らは思考回路が似ているだけの赤の他人であり、完全なる同一の存在などではないのである。
「しかし、アレだな。
愛し合ってもいない両親から成り行き上しかたなく産まれる愛されない子どもって可哀想だな」
「あー、確かにねぇ。
ま、どうしても難しかったら、養子に出してあげたらいいんじゃない?
きちんと愛してくれそうな人を探してさ」
「うむ。我々が情けと義務感だけで育てる子どもなんぞ、確実に歪んだ大人になるだろう」
「とりあえず、臨機応変でいこうよ。
最終、犯罪者にさえならなきゃ何でもいいし」
「結局は、子個人の人生だからな。
最低限の倫理観だけ学んでくれたら、あとは好きに生きて貰おうか」
「それに、この子がどんな歪み方をしたって敵にだけは回らないさ……一応、親としてね」
「うわぁ、いやらしい。いい話風に語るのは止し給え。
逆に味方でいる保証もないんだろうが。欺瞞が過ぎるぞ」
「ソコは敢えて黙っていたのに、酷いや」
子を授かった夫婦として最低以下の会話をサラリと交わす二人。
歪んだ人生が確約された赤子のなんたる不幸なことか。
仮にもし、両親どちらにも似ず極一般的な感性を持った子どもが産まれてしまったとしたら、それだけで地獄街道まっしぐらである。
臨月近くになれば、体調不良が続き一足先に産休を取っていたルイを追うように、夫であるダルギスも妻の看護と育児を理由に一年半という長期の休暇をもぎ取ってきた。
「申請が受理されて良かったな」
「サボり常習犯の我々が一人で飽きずに赤子の面倒を見続けられるとでも?
っていう小さな命を盾にした脅しが効いたよね」
「サボタージュを続けた甲斐もあったというものだ」
「別にこういう時のためってワケでもなかったんだけどねぇ」
そんな会話から更に数週間が経過した頃合いに、無事、二人の赤ん坊がこの世に生を受ける。
ナモーと名付けられた息子は、怠惰な両親に適当に育てられつつも、すくすくと成長していった。
ちなみに育児におけるMVPは、ルイでもダルギスでもなく、騎獣のグリフォンである。
ダルギス個人の持ち物である賢く逞しいグリフォンは、休暇中は無駄飯食らいだからと、やたら赤ん坊の面倒を見るよう押し付けられていた。
我が子に対する興味が薄く、すぐに目を離してしまう両親に代わり、騎獣である彼女が何度ナモーを日常のちょっとした危機的状況から救い続けてきたか分からない。
最低男女二人は、騎獣に心から感謝した上で、今後永遠に足を向けて寝られないだろう。
ただし、そうした経緯もあり、いつしかグリフォンは、ルイとダルギス以外の人間が赤子に触れようとすると激しく威嚇するような親バカ過保護獣となってしまった。
結果、何が起こったかというと……。
「空軍少尉ダルギス・メンドーダ戻りました」
「主計伍長ルイ・メンドーダ戻りました」
「うーぉあーだぁー」
「コレは息子のナモーです」
『なぜ赤ん坊まで連れて来るぅ!?』
「我々に似て泣くのもすぐサボるので、ご想像より邪魔にはなりません」
『そういう問題じゃねぇぇぇ!!』
まさかの赤子同伴出勤である。
騎獣が騒ぐので誰かに預けるということが不可能になり、ならば連れて行くかと実に軽々しく決が下されたのだ。
当然、隊員たちの反発は大きかった。
が、口では非常識な両親二人に文句を垂れつつも、実際のところ、赤子を害そうとするほどの悪意ある者は現れなかったのである。
むしろ、ルイとダルギスの適当すぎる世話を目の当たりにして心配が先に立ってしまったらしく、ナモーはいつの間にやら誰かが即席で作ったベビーベッドに寝かされ、心優しいむくつけき男たちからマメに構われ続けていた。
いたいけな幼子であるはずが、「赤ちゃんなのに可愛くない」「ふてぶてしい」「すでに妙な貫禄がある」などと慄かれながらも、彼らの手厚い援助を受けていたのである。
さらに、翌日また翌日と注意を受けながらも面の皮厚く赤ん坊連れ出勤を繰り返す内、そのままなし崩し的に隊内での暗黙の承認を得るに至ったのだった。
そうした流れで、小さな頃から多くの人間に囲まれて育ったナモーは、やがて、実の両親とは比較にならないマトモな感性と社交性を備えた、大層立派な青年に成長したとか、しないとか。
一方、ルイとダルギスは壮年期や老年期を迎えてなお、相変わらずの性格と関係性を保ち、互いに数回出世させられた点を除けば、それなりに楽しく人生をエンジョイしたという話である。
ま、兎にも角にも、結果オーライ。
めでたしめでたし、ということだ。
\チャンチャン♪/