【それは偽りではなく、ノリです。】前編
「はい、仕上がりましたよ」
私の後ろに跪き、白いエプロンの結び目をリボン結びに可愛く仕上げたクレーが、ポンっと、軽く叩いて合図した。
大きな鏡の前で、右左と私をグイグイ回して服装のチェックをする。
こちらの世界に着いたばかりの私は黒髪のショートボブであったが・・・今は少し髪が伸びて、残念なお菊人形っぽくなってしまっている。
うん・・・ますますお子様風になっているような・・・?
そして、前髪の金色のメッシュはマクシスのせいで“婚約者の証”で付けられたものだ。
右側の灰色メッシュはイスマエルの“忠誠の証”、その後ろ側のもう一束が茶色いのはナトンの“敬愛の証”なんだそうだ。
それを隠すために、侍女のクレーは私の髪をちょちょいと上手くまとめて、メイドキャップで留めてくれた。
「ありがとう、クレー! それじゃあ今日もお勉強頑張ってきま~す!」
「はい、ミリアン行ってらっしゃい」
きれいなお姉さんキャラのクレーは笑顔で私を見送ってくれた。
本日は、城内の職場見学である。
もちろん、侍女見習いのコスプ・・・制服を着て、マクシムに作法の授業を受けつつの城内での仕事がどんなものであるか教えて貰いながら、歩き方も矯正しつつ・・・である。
庭師のお仕事は凄い、このだだっ広い城内をこんな素敵に保っているなんて、凄いハードなお仕事だと思う!
これは、あのネズミ様がいる有名な施設のようなところの庭師レベルではありませんかあ!
城内を清掃する専門の業務や、書面の配達を専門とする郵便室、机や椅子を管理し、必要とあらば会議室の備品を素早く配置転換する施設管理業務、はたまた、廊下に飾る花を専門に生ける業務・・・侍女だけだと城内は広すぎて受け持ちできないとの事。
城内の案内を専門とするコンシェルジュっぽいお仕事まである。
「あれ? 聖女って騎士とか付くの? マクシム」
「ん? ・・・俺達三人が兼任してるよ?」
「兼任?」
「制服とか無いけど、俺もイスマエルもナトンも聖女の為の騎士だよ」
「ええ!」
「・・・ミリアン、言葉使い・・・まあ、そのうち護衛の数も増えていくけどね」
「申し訳ありません。マクシム様とナトン様はなんとな~くわかるのですが・・・」
「イスマエルは・・・あの騎士団長の息子だよ?」
「いや・・・まあ・・・そうなんですけど・・・」
小姑みたいで、いつも勉強を見てくれてるイスマエル先生の騎士姿なんて想像できない。
「ミリアン、俺は聖女様に仕える者として、同僚と思っているキミには軽口を叩くけど、実際、本当に侍女を演じ切るなら・・・クレーを真似るのが分かり易いかな?」
「・・・ありがとうございます。とても分かり易いです・・・つい、今日は初めて足を踏み入れる場所が多く、浮かれすぎてしまいました」
「分かればよろしい」
「そして・・・大変申し訳ないのですが・・・」
「ですが?」
「そろそろ私の体力の心配をして頂けると嬉しゅうございます・・・」
へにゃり。
と、私は膝から力が抜け、床に沈んだ。
「い・・・一番近い医務室はどこだぁあぁあぁっ!!」
ぱちり。
目が覚めると、普通の高さの白い天井が視界に入った。
私は簡易なベッドにひとりで横たわっていた。
きょろきょろ見回すと、何だか病室の様だ。
さすがにここは個室かな?
頭がなんだかぼうっとして、次の正しい行動が浮かばない・・・。
扉のひとつ向こう側は、随分と騒がしい。
ひょっこりと起き上がり、ベッドの横に置かれた靴を履き、その部屋から廊下に一歩出た。
「あ、あんたね! ドジ踏んで降格したって言う新人は?」
「えっ!?」
ぐいっと、左腕を掴まれ、灰色の制服を着た体格の良いおねーさんにそのままリネン室に連れて行かれ、タオルの入ったカゴを渡され、おねーさんはシーツの山を担いだ。
「もう! 初日から迷子ってどういう事? 制服がまだ支給されてないってのは聞いてたけど、勝手に病室に入っちゃダメじゃない!」
「あ・・・はい、すみません」
このおねーさんはどうやら看護婦のようだった。
「あんたもそんな若いのに、いきなり看護塔に配属されちゃうなんてついてないわね」
周りはケガ人やら、同じ灰色の制服を着た看護婦らしき人達がいた。
ここは城の一部なのだろうか・・・?
はじめて来るところだから、何がなんだかわかんないや・・・。
「あたしはノア、あんたは?」
「・・・ミリアンと申します」
「十代の娘が来るって聞いてたけどさ・・・そんな立派な侍女服来て・・・」
「あ、あのう・・・」
「わかってる、わかってる! どうせエロ親父にセクハラされて反撃しちゃったんでしょう? あるある、ここに来る可愛い娘はみんなそう、そんで、ここのハードな仕事に参っちゃって、ごめんなさいして元ン所で頑張り直すのよ!」
ノアは大股で力強く歩きながら、途中で蒸しタオルの入った桶を準備し、私に渡した。
「新人は、まずは清拭に慣れてね! ま、男性が多いから最初は照れちゃうかも知れないけど」
本当に病院みたいだ。
床の白い樹脂の四角いタイル、白い壁・・・薄汚れてるけど、たま~に、血痕らしきものが・・・。
「清拭・・・ですか?」
「そーよ、教えるから」
彼女は元気な笑顔で、六人部屋へと案内し、清拭の準備を始めた。
「ノアさん・・・そんな若い子の前でオレに脱げと・・・?」
「脱げっ!」
足を骨折した兵士の青年が悲しそうな顔をした。
「いーい? 今から見本見せるから・・・」
「あの、ノアさんお忙しいんですよね?」
「そりゃ・・・まあ、ここの仕事はハードだし」
「私、習った事あるやり方があるんで、ここは手分けして済ませちゃいましょう」
就職支援センターで習ったんだけどね。
「え? 大丈夫? 身体拭くだけだけどさ・・・力もいるよ?」
「済みません、手を貸して頂きたいときは声を掛けさせて頂きますね」
「はい、それでは失礼します」
私はささっと、ベッド周りのカーテンを閉めた。
「若輩者の私でもよろしいですか? 勉強の為、貴方の身体に触れてもよろしいでしょうか?」
骨折した兵士に、ニッコリと承諾を確認した。
「もお・・・好きにして・・・」
「では、顔から失礼しますね・・・痛くはないですか?」
ゆっくりと目頭から目尻へとタオルを優しく触れて行く、額、頬、顎の順番で・・・耳も耳の裏も指でなぞっていく。
「うん、丁寧で気持ちがいいよ・・・」
「骨折しているのは足だけですか?」
「ああ・・・でも、手首を捻っていてね、動かすと辛いんだ」
「そうですか、気を付けますね・・・気になるところはありますか?」
「頭が・・・」
「なるほど・・・では、ハッカ油を足らしたお湯で洗っていいか、確認しますね・・・、腕、上げてもよろしいですか?」
「うん、自分で上がるよ・・・」
などど、触れるたびに本人に確認しながら全身を清拭し、足の指の間までゴシゴシと拭って終了した。
本来は末端から心臓に向けて拭くのが基本らしいが、蒸しタオルを替えつつ、上から下へと今回は清拭をした。
一丁上がり!
私は腕で、汗をかいた額を拭った。
「カーテン開けますよ~」
「うん、大丈夫、どうぞ・・・」
ノアさんも向かい側のベッドの方が終わったようだ。
介護関係も就職の選択肢に入れていたが・・・ハローワークの人に、PCスキルとリテールマーケティングと簿記とカラーコーディネーターのスキルがあるので「もったいない」と言われていた。
PCスキルもマーケティングの才能も介護関係には必要だと思うんだよなあ・・・。
あ、でもそれ、私だとマーケティングの方の仕事に偏っちゃうか?
ただ、誰かを「元気にしたい」って気持ちだけでは、どうにもならないんだよね。
「おおっ~、一室のシーツ交換まですごい速さで終わった! ミリアンこーゆーの慣れてる?」
「そうでもないです・・・私、体力ないんで」
「ありゃあ・・・じゃあ、この仕事はキツイかあ」
「思ったんですけど・・・ここの方は軽傷が多いですね?」
「そりゃここは、一時的なところだもの、専門の治療が必要な人はすぐに転院よ・・・もしくは・・・」
カーン!
と、鐘がひとつ鳴った。
「来た! 直ぐにこの桶、片付けて!」
「あ、はい! さっきのところでよろしいですか?」
「ええ! 急患の知らせよ」
「急患?」
「まあ、私達はベッドの準備とかだけど、まずは先生が走るわ・・・」
「えっと、とりあえず桶とシーツを片付けますね」
急いでリネン室前のカゴに洗濯依頼のシーツを突っ込み、桶を洗浄室の受付に渡した。
「はっ・・・私・・・こんな事してる場合じゃなかった!!」
つい、労働の喜びを噛み締めてしまった社畜体質に気が付き、ノアさんに誤解を解きに駆け出そうとした時・・・目の前を医者らしき人物が本当に駆け足で横切っていた。
「おっふぅ・・・マジで先生が走ってる?」
医者が駆け寄った先に、人が群がっている。
私は遠目からその異様な状況を呆然と眺めていた、看護塔の入り口辺りでは「待て、これ以上、人は入るな!」と、見張りの兵士が人の流れを止めようと叫んでいた。
人だかりで良く見えない・・・誰かが大けがをして運ばれて来たらしい。
「そこの人! ちょっとコレ見張っててくれ!」
いきなり私の目の前に放り投げられるように、兵士が担架を置き去りにして行った。
「え? みる? 何を!?」
廊下の向こうでは誰かの救命活動が行われ、私の目の前には・・・放置された担架・・・。
覆いかぶされたその布を、私ははいだ。
それでも顔はフードで覆われていた。
まずい!
私の直感が騒めいた。
直ぐに彼を覆っていた衣服を剥ぎ、殺傷箇所を確認し、呼吸が楽になるように横向きに寝かせた。
ダメだ・・・これはもう・・・助からない!
「せめて、痛み止めは・・・ないだろうな・・・」
弱い呼吸、身体には深い刺し傷が四か所、全て貫かれている。
十歳前後の子供が、身体を刃物で貫かれている・・・多分、この子は・・・。
「刺客・・・なの?」
喉をヒューヒューと空気だけが通っていた、周りはみるみるうちに血で染まって行く。
小さく震える身体から、どんどんと血液は失われて行く――――。
「おか・・・さ・・・いたい・・・」
これを・・・見張っていろと・・・・・・・。
私は、その男の子の手を握っていた。
「痛いの?」
男の子は小さく頷く。
私はその子の頭を恐る恐る、そっとなでた。
「痛いの痛いの、飛んでけ・・・痛いの、痛いの、飛んでけ」
向こうで懸命に救助されているのはお偉いさん、目の前に居るのは・・・多分、悪い大人に騙された子供・・・。
ああせめて、この血で濡れた身体をきれいにしてあげたい・・・。
この傷も・・・汚れてしまった顔も・・・小さな手も・・・。
ぜんぶ、ぜんぶ、きれいに、したい。
ぽたりぽたりと落ちた私の涙は、金色だった。
まるで水面に落ちる波紋の様に、男の子の身体を伝い、床を伝い・・・壁が揺れた・・・。
後方で聞こえるざわめきが、一瞬だけ途切れた。
「ミ・・・ミリアン! 無事か!!」
イスマエル・・・?
力強く駆け寄ってくる足音、私の体は白い大きなタオルで包まれた。
「むぐ・・・クレー・・・この子にもタオルかけて?」
クレーが目の前の男の子に駆け寄った。
「あの・・・ヒロコ様・・・この子はもう・・・」
「かけてあげて? おかーさんが近くに居ないの」
彼女は静かに頷いて、大きなバスタオルを彼の亡骸の上に掛けた。
「ミリアン・・・何を願った?」
イスマエルが静かに言った。
「‟痛くないように”って、‟この子がきれいになりますように”って・・・願ったよ?」
「それで・・・“金の波紋”が・・・」
「多分、これは城全体に響きましたね」
「なんて事だ・・・・・・クレーこの看護塔の抜け道はこの先にあったか?」
「直ぐにご案内します! ちなみに女性に囲まれて、身動きのできなくなったマクシム様の回収は・・・」
「放っておけ!」