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アニメ

異世界魔王

作者: とびうお君

 以前から感じてるなろうの外の深夜アニメとの客層の違い。オタクって事で片付けられない壁がある。単純に少数派だとは言えないけど、偏ってるというのは強く感じる。このアニメ案外面白い。そしてこれ個人的じゃない。コテコテのなろう系なのに、なろうじゃないのと、このアニメコテコテなのに案外受けてる。


 それをプロだからって事で片付けてる。生え抜きのラノベ作家になる。ある意味正しいが、ある意味正しくない。そのプロは優れたって事で片付けたら駄目だ。私も最初はそう思っていた。だがふと気がついた。これ逆だプロはなろうの面白さがイマイチ分かってない。プロは面白さを作り出すもので、面白さの分析のプロじゃない。


 そのレベルからすればラノベ生え抜き作家は私的には、分析においてはど素人だ。何も分かって無い。噛み砕いて言うと、なろう生え抜きの作家は物語のノウハウを知らないとなる。じゃ何故上手く作れるの?となると、なろうだけで熟成された独特の作り方を模倣してるから。それは単純にこれって作品があるわけじゃない。おおくの作品がなんとなく作ってきた文化になる。


 で、プロはこれを詳しく知らない。例えプロとしてなろうを楽しめてもいざ書くとなると、余計なものが邪魔をしてなろう生え抜きの作品は創れない。読者として楽しめていたとしても、作り手としてのプロ経験がその面白さを純粋に出せない。ただでさえ分かりにくいものだから、いざ意識して作ると消えてしまうんだ。


 じゃ何故それがなろう生え抜き作家はそうならないか?なら余計なプロ経験が無いから、ストレートになろうの文化を邪魔されずに表現できるからだ。だからプロは駄目だじゃない。私が言いたいのは、なろうの純粋な作品と較べてきちんとなろうを模倣仕切れてない。それが良いか?悪いか?は全く別で、それはおそらくいざなろうの面白さとは何だ?と文章化しようとしたら多分出来ない。ここがキーになる。


 それは一体何か?といわれると私もイマイチ分からん。以前書いたがキャラクターと視点なら分かる。リゼロ、このすば、オーバーロードなどの違いがあるが、キャラクターを楽しむものじゃない。特にリゼロは全く作りが違う。その点オーバーロードは評判が悪いところがなろうでは面白い部分になってる。このすば笑いが基本なのでキャラクターを楽しむ比重が大きすぎる。


 後は視点だろう。この作品が顕著だが、ヒーローものだ。外から見て他者として英雄を楽しむもの。それを自分に重ねる必要が無い。だからこの作品はやたらとアニメ受けが良いんだ。オタクの基本は自己投影だが、それでもやはり観客となって楽しむ部分が強い。オタクの外との親和性がなろうと比較すると近い。


 以前書いたが、観客に魅せる部分が一切要らない。そこがキーだ。実際はそれは嘘。以前書いてるようになろうの土台は古典的な英雄伝説、勧善懲悪にある。だがそれだけじゃない以前それを不純物と書いたが、それはアニメの視聴者からするとそうなるが、なろうの中で楽しむの一つになる。


 どうして異なるか?と言うと、やはりゲームのプレイキャラクターが一番近い。なろうに置ける主人公はゲームとして受け手が動かすための入れ物的キャラクターになる。あれになる。実際はそこまで美しいつくりにはなってない。何度も書いてるが、不純物程度だ、だがこの不純物って余計な部分がほとんどの作品に混ざっていて、それは下手だからじゃない。


 なろうの中の読者には、このゲームプレイヤー的視点の楽しみが楽しみになるからになる。これが、アニメ的な面白さでは、余計な事ばかりしてる無駄にしか見えない。だから下手となる。これ全く違う。確かにプロは無駄が少ない。これはどんな業界でも似てる。だがそんな単純な結果でランキングが決まってると思うか?となる。


 これ違う、なろうの外のアニメ視聴者が多分面白さを感じられない部分を描いていて、それがすべて作りに計画性が無くて無駄が多いと見られてしまうからになる。確かに全く感じられない部分を省いていくと、この作者の作り方はアニメやこれまで創られてきた物語のプロとしては必要なもの以外省いたコンパクトに纏めたそつの無い旨さがある。


 私もその結論で納得していた。だがデスマで感じた違和感を追求してみると、いやこれ逆だなろうの面白さをこの作者表現できてないんだ。みようみまねで流行ってるもの創ってみましたとなる。これまで上手く居なかったのは、悲劇型のドラマを作る作り方の作者が多かったからになる。(グリムガルなど典型例)すなおに俺TUEEを作ればやっぱプロの方が面白じゃないか?


 そんな風に見られてる。だが違う、これなろうでは別にあっても良い部分を、俺プロだから余計なもの削ってしまうセンスがあるので素人臭い雑味省くよ?と多分してしまっている。いやそれ雑味じゃないから、ちゃんとした味だから。これだけ上手く作ってるのを見ると、分かってないわけじゃない。多分読者として楽しめる刺激をちゃんと意識して把握して無いから、創るときに無駄として捨ててしまっていると見てる。


 それで劣ってるわけじゃない。これはなろうを模倣したものだが全くの別物だ。ただの古典王道に過ぎない。なろうのなろうとしての個性をすべて省いたらすげー古臭い物語になって、それがなろうだけの不純物を面白さとして感じ取れない人たちにやたらと受けてるとなる。何故感じ取れないか?と言うと、それがゲームプレイキャラークターに近く見ないとつまらないからになる。


 どちらが良いどちらが悪いって話じゃない。ただ単純にこの作者はなろうってものが分かってないのだけは確かだってだけだ。真似より良いものだから良いでしょ?そうとも言えない。真似って視点で見たら、これはなろうだけの刺激が真似出来てない。その点ではなろうを模倣して創ったのに模倣が下手糞なんだ。


 それをオリジナルティと言う事は出来ない。それは違う、自分が創れる部分しか模倣できてない片手落ちになる。単純に面白さとしてはこれは面白い。だが模倣って視点だと、この作者は優れたプロなのか?と私は疑問に思う。やらなかったのじゃない、出来なかったって点に優れたと言う言葉を使いたくないんだ。


 根本的に作りが違うんだ。多分なろうの書いてる作者も私の言ってる事多分分かってない人多い。なんとなく体感的に大量に読むと作れてしまうから。そしてどの作品も基本はこの作者と同じで古典王道がベースになってるからそんなに目立つ部分じゃない。逆説的だが、アニメ視聴者にとって面白くない部分が創れてない作り手はなろうの物語の作り方が多分分かってない。


 それが大事なのか?ならやらなかった選択なら良いが、出来ないって能力の問題なら大事だ。何故なら、通常ゲームはやるのが面白くて、物語としてゲームを後ろから見てるだけじゃさっぱり面白く無いからだ。それを面白くするようになろう作品は出来てる。誰がやったのか?ならそれが大量の作品によって作られた文化的なものになる。


 なろうを見て、ゲームを後ろから見てるつまらなさと言う人間はなろうの面白さを何も分かってない。実際はその面白く無さを埋める部分にこそなろうの肝がある。これをもっと言うと、なろうはゲームをするメンドクササを省いて、見る楽さにしてるからゲームとは違う面白さがあると言える。


 ゲームをやるメンドクササと言うマイナスを省き、そのために生じるゲームをするがゆえの面白さが落ちるデメリットを補う補償がなされている。この補償にこそなろうの斬新な価値がある。ただ大して面白いものじゃないのは、この作品が証明している。なくても別に俺TUEEEの面白さで十分楽しめるからだ。


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