元英雄とドラゴン
「やばいな」
その男は、つぶやく。その男の顔色は悪い。茶色の髪は手入れがおなざりにされているのか、ぼさぼさだ。年は、三十代ほどだろうか、その目には覇気がない。
その男がいるのは、山の山頂付近。そこには沢山の魔物が住んでいる。そんな場所に、彼―――ジーク・トイフィルはただ一人で存在している。
彼は、自分の命の灯が消えかかっていることを正確に理解していた。目の前の狼の姿をした魔物を前に、剣を構える。昔から愛用している長剣を手に、どうしてこのようなことになったかを思い起こした。
ジーク・トイフィルは、つい数日前までとあるパーティーのメンバーであった。ジークは今は力が衰えているとはいえ、十代の頃から名をとどろかせていた冒険者であった。そのこともあって、とある冒険者パーティーに所属していた。パーティーランクSの『勇猛の翼』というパーティーの一員だった。
そのパーティーは元々、ジークが創立したものだった。ただ、創立した当初とは、パーティーメンバーはがらりと異なっている。というのも十代の頃に共にパーティーを組んでいたメンバーは冒険者を引退したり、死別をしたりと移り変わっていった。ジークはただ一人、冒険者として第一人者であり続けた。そんな『勇猛の翼』の現在のパーティーメンバーは、五人である。元々ジークが創立した冒険者のパーティーであり、パーティーのリーダーはジークであった。
が、実質的にジークは名ばかりのリーダーに数年前からなっていた。ジークはある時から、その力を発揮できなくなってきていた。体の衰えを感じていたジークは、この後どう生きていくかというのを悩んでいた。まだ冒険者としてやっていけるとは思ってはいるが、それでも以前のように動くこともできず、パーティーランクSの『勇猛の翼』のリーダーでありながら、他のパーティーメンバーから疎まれるまでになっていた。
ジークの年は既に三十代を越えており、他のパーティーメンバーが全員十代ということもあって話が合わない場合も多々あった。ジークの次に古株であるアーサーという男の存在も大きかっただろう。アーサーはまるで全盛期の頃のジークのように圧倒的な力を見せていた。ジークがリーダーであったが、実質的にはアーサーがパーティーをここの所引っ張ってきていたというのもある。そして他のメンバーたちも、ジークをリーダーとして何時頃か見なくなってきていた。そういうパーティーの雰囲気を感じ取っていたジークは、そろそろ引退しなくてはならないかもしれない、ということを考えていた。ただまだ十代で経験も浅い仲間たちの事が心配だった。なので、完全に裏方業務に回って彼らをサポートしていければ、などと考えていたわけだが……。
「裏方業務……ですか」
「ジークさんは……」
思ったよりもパーティーメンバーたちは、その案に難色を示した。此処の所、役に立てていなかったことは認めているが、このパーティーメンバーたちがパーティーに所属した頃、面倒を見ていたのは他でもないジークである。ジークの案に此処まで難色を示すとはジークは思ってもいなかった。
ジーク以外のパーティーのメンバーは以下の四人である。
魔法剣士であるアーサー。
魔法使いであるルル。
神官であるミサラ。
武道家であるユッキ。
ジークも含めて男二人、女三人という構成だった。女性陣三人は少なからずアーサーに思いを寄せている様子がすぐにわかって、ジークは青春だななどと考えながら見守っていた。
女性陣三人は難色を示していたが、アーサーは「わかりました。じゃあ次の依頼が終わればジークさんは裏方に回るということで」と頷いていた。
アーサーとは他の女性陣三人とは違って、長い付き合いである。まだアーサーが子供の頃に、『勇猛の翼』に迎えられた。行くあてもなかったアーサーを『勇猛の翼』に置くことを決めたのは他でもないジークであった。昔は「ジークさん、ジークさん」とジークの後ろをついて回っていたものだ。
ジークはアーサーの事も心配していた。まだ若く、行動が心配なところが多々見られる。アーサーに全てを負かせても大丈夫だと確信が出来たなら、『勇猛の翼』を正式にアーサーに継いでもらおうと考えていた。
次の仕事が終われば———自分が冒険者を引退して、アーサーに正式に引き継ぐための準備を進めよう。そして冒険者を引退したら何をしようか……。などとそんな風に考えていた。未来へと思いを馳せて、ジークは確かに希望を持っていた。
だが、現実は甘くはなかった。
『勇猛の翼』の次の依頼は、とある魔物の討伐であった。マサ山と呼ばれるドラゴンも住まう山に住まう鳥形の魔物の討伐。正しくはその素材を求めた依頼であった。その山がギルドランクの高いものしか入ることが出来ない山ということもあって、『勇猛の翼』に回ってきた依頼であった。
ジークはこの山に来るのは、四度目であり、準備の段階から何がいるかどうかというのをきちんと準備していた。しかし、他のパーティーメンバーは若いというのもあるからだろうか、そういう準備は必要ないなどというものもいた。自分たちは強いから——と口にしているのを見ると、やはりこのまま引退をして全てを任せるのは危険だとジークは思ってならなかった。この世界に絶対ということはない。何事も万全の準備をしてこそだとジークは思っている。そういう準備を万全にして依頼に挑んでいたからこそ、『勇猛の翼』の依頼達成率は高いのだ。ジークはパーティーメンバーには常々、そのことを告げていたのだが、特に入ったばかりのメンバーには伝わっていなかった。
そこまで準備をする必要はない、というメンバーたちを説得し、ジークは万全の準備を行っていた。何かあってから、後悔しても遅いということをジークは分かっていたからだ。
そしてマサ山の中へと『勇猛の翼』は足を踏み入れた。マサ山は、霧が立ち込める山だ。獣の声が響き、一切の油断の出来ないその場所に足を踏み入れた。
山に入って三日目には、その依頼の魔物の討伐は完了していた。依頼者の求めている素材を傷つけないように仕留めて、解体作業までその場で行っていた。解体作業を行ったのはジークであった。
解体した魔物は、アーサーのアイテムボックスの中へと入れられた。このパーティーの中で、アイテムボックスを持っているのは、ジークとアーサーだけであった。
そして山を下りようというその日、珍しく他のメンバーが食事を作るという話になった。ジークは体の衰えを感じるようになってから、迷惑をかけてしまっている分パーティーメンバーたちが万全の態勢で依頼に挑めるように行動をしていた。食事も全てジークが作っていたわけだが、これが終わればジークが完全に裏方業務に回るということで今回は作ってくれるという話だった。
ジークはそれに喜んで頷き、作ってくれたスープなどを手に取る。
「……」
食べようとしたときに、どこか違和感を感じてジークは思わずその手を止める。
「ジークさん、どうしましたか?」
「一生懸命私たちが作ったのです。早く食べてください」
そのように言われ、ジークはまさかな……と思いながらもそれを食した。
そして、気づいたらジークは意識を失っていた。
次に目が覚めた時、ジークは一人であった。加えて感じたのは猛烈な痛みだった。魔物に噛みつかれていた。慌ててジークはその魔物を蹴飛ばして、体から引き離す。
此処まで接近をされて魔物が近づいていることに気づかなかったこと、そもそも魔物避けをしていたはずなのに効能が効いてなかったこと、そもそも他のパーティーメンバーがいないこと。すべてにジークは混乱していた。
しかし、混乱しながらも魔物相手に対応をし、命をつないでいけたのは流石『勇猛の翼』のリーダーであると言えるだろう。
ジークは襲ってきた魔物を倒した後、現状について思考する。
仲間がいないこと、こんな場でこれだけ眠ってしまったこと、そして自分の荷物が使用者指定がされているものなど以外がなくなっていること。
そこから、導き出される答えは……、
「はは……おいていかれたか」
仲間たちにおいていかれたという事だ。
思えば、まさかと思ったが、あの作られた食事には何か薬を盛られていたのだろう。そうでなければ幾ら衰えたとはいえ、ジークがこんな場で眠りこけるなんてことはない。
そこまで疎まれてしまっていたかという衝撃が強い。しかし、ショックを受けているからといって呆然としているわけにもいかなかった。そうしていれば死んでしまう。
ジークは生き残るために、剣を手に取った。
とはいえ、盛られた薬の影響でしびれる体に、全盛期とは違って衰えた体ではこの山で生き残るのは難しい話だった。
ジークは、一人取り残されてから数時間後、ついに倒れ伏せてしまった。
そこに、どしんどしんという大きな音が響く。ジークはその音のするほうに視線を向けることさえもできない。ただ大きな何かがそこにいることだけ理解出来た。
その何かは、ジークを食べようとしたのだろう、口の中へと咥える。
しかし、次の瞬間には吐き出した。
「なんぞ、こやつ。呪詛の味が強すぎる。まずい」
そうつぶやいたその魔物———巨大なドラゴンは、呪詛を解除して美味しくしてから食べようとジークのことを巣へと連れて帰るのであった。




