ニートな私がうっかり再就職しちゃった理由
「こんにちは。僕は宇宙人です」
突然そう言われたらあなたはどうしますか?
只今夜の9時。
8畳一間の安アパートの窓から入り込んだ金髪イケメンがそんな事言いだしたらあなたならどうしますか?
身長推定185cm。
長い手脚に逆三角の体形。
金髪碧眼、サラサラの髪。
鼻筋真っすぐ、メリハリくっきり、一体どこのモデル?って容姿。
というかこの人、最近売れっ子モデルのナツキだよね。目の前に置かれたファッション雑誌の表紙でもその甘いマスクに白い歯を輝かせて『夏のカジュアルルック特集』ってデコられたタイトル背負ってる。最近は某政治家の美人秘書とアイドルの二股がすっぽ抜かれて週刊誌でもお馴染み。
その本人が突然うちの窓を開けてずかずかと入りこみ、正座してこんな事言いだしたらほんと、どうします?
「お宅をお間違えではありませんか?」
それが私の返答だった。
「いいえここで間違いありません。早速ですが今お時間よろしいでしょうか?」
私の返事も待たずに表紙そのままの笑顔を青白い顔に貼り付けてテキパキと話し始める。
「宮崎香さん。31才。職業、多言語同時通訳。恋人なし、友人少数、ご両親とも他界されていてご兄弟や親しい親戚はいらっしゃらない。しかも非常に健康。視力も良くて胆力もある」
なんでそんなことを知ってるんだこの人。そんな私の履歴書にも載ってないことまで。
すっかり精神的金縛りにあってた私は無理やり言葉を絞り出す。
「ここまで人のプライバシー侵害したら訴えられると思いません?」
これは虚勢。こんな人間に家に入らちゃてる時点で終わってる。嫌な汗が全身に吹き出して背中を伝う。
「あ、すみません、発汗量が増えてアドレナリンが放出されている。怖がらせてしまいましたか。そんなつもりではなかったんですが」
「こ、怖いに決まってるでしょ! 何で私のことそんなに色々知ってるのよ!」
とうとう感情的に叫んでしまった。
「最初に申しました通り僕は宇宙人です。今のは僕の宇宙艇の調査結果です」
「誰がそんなの信じるのよ。その顔、表紙に出てるわよ!」
私は雑誌を指差して叫んだ。だけど彼はしれっとしたまま小さく頷いて答えてくる。
「はい、確かにこの男性の肉体を頂戴しました。本日日本時間20時31分、目黒区3丁目〇〇番地地上40メートル付近のご自宅内で若い女性に刃渡り20㎝の包丁で胸を一突きにされ即死してましたので」
「……何言ってるの? そんな嘘……」
答えつつ、よく見ると彼の赤いジャケットの胸元がジットリ濡れてる。それが目に入った途端、ぞぞぞっと背筋を冷たいものが駆け抜けた。思わずジリリと身体が後ろに退く。
「目立たないようにジャケットをお借りしたんですけど……やはり動くと少し滲み出てしまうようです」
そう言ってジャケットをはだけた彼の胸の辺りには縦に5㎝程の大きなスリッドが開いてて、裂けたシャツの隙間から固形化した血の塊と少量のドロリとした血液が垂れだしてた。
思わず目を逸らせる暇もなく思いっきりその傷を見てしまい。
結果私は気絶した。
* * *
「……ぇさん、お姉さん」
遠くから聞きたくない声が私を呼び起こす。
「起きてくださーい」
起きたくない。
なんか絶対起きたくない理由があったはず。
「もう狸寝入りしてないで起きてください。……イタズラしますよ」
ボソリと付け足された最後の一言にグワっと意識が浮上してガバッと起き上がった。
こんな奴のイタズラなんて冗談にならない。
「け、警察、呼びますよ! で、出てって下さい!」
私が怒鳴り散らしてるのに彼は軽く首を傾けて思案する。
「この国の司法機関ですか。どうでしょうね。生命活動を停止した肉体を乗っ取るのはまだ法律違反として認識されていないと思いますが」
そりゃそんな事案、ホラー映画の中にしか普通ない。
「まあまずは落ち着いて話を聞いて頂けませんか? こちらにお茶を煎れましたから」
言われてみれば目の前の湯呑みから湯気が立ってる。
恐怖と緊張のせいか喉はカラカラだった。
でも飲むかこれ?
……飲む。
だって今更私に怖いものはない。
「頂きます」
ずずっと啜る。
……美味しい。
「やっと落ち着かれたようですね。ではお話を再開させて頂きます」
そう言って彼はニッコリ微笑んで膝を詰める。
「さて、今日こちらに伺いましたのはお仕事のお話です」
「仕事?」
「はい。香さんのスキルを最も活かせるステキなお仕事です」
「……水商売の勧誘?」
「は? とんでもない。香さんにそのようなスキルは期待いたしておりません」
期待外れってか? 失礼な奴だな。
「私、某星系から参りました『佐藤』と申します」
「さ、佐藤さん?」
「はい。こちらの星にはこの銀河系内でも大変珍しい生命体群があると伺い、ぜひ観光したいと思いまして」
「は? 観光?」
「はい。ですから語学堪能な香さんに案内をお願いしたいのです」
「無理です、仕事もありますし」
「おや、1ヶ月前から失業中のはずでは?」
「ぐっ」
その通りだった。訳あって私只今失業中です。
「だ、だとしても、なんで私なんですか?」
「さっきも言いました通り、宇宙艇が香さんの語学力、家族構成その他全てを鑑みて僕の理想的な案内役としてはじき出したんですよ」
「そんな勝手な。大体、そんな死体の身体すぐに腐りますよ」
「え? ああこれですか。大丈夫です。後できちんと蘇生しますから」
「へ?」
「医学的には蘇生と言えないかもしれませんね。脳の機能は復活できませんし」
「脳が働かないって……」
「ああ、僕自身は香さんの目に映るような肉体を持っていません。この体はこちらの観光用に調達しただけですから」
頭が痛くなってきた。
こういう手合いにまともな応答は無駄だ。
「私、安くありませんよ? お金だけでも動きません。仕事にはポリシーがありますので」
「分かりました。ではまずこちらの条件を提示させて頂きます」
そう言って折り畳んだ紙片をポケットから取り出す。
「ああ、こちらの紙は液体に侵食されるんですね。次から気を付けます」
眉をしかめて開いたのはノートの1ページ。
奇麗な字で箇条書きの条件が書かれているが、ちょっと待て。
裏がなんか変だ。
「ちょっと先に裏見ていい?」
「はいどうぞ」
手渡された紙を裏返せば、そこには真っ赤な血で字が書かれている。
『あずみ、許さない』
うわぁ、これダイイングメッセージだったんじゃないの!?
「これ持ってきちゃだめでしょう!」
「なぜですか?」
「だって、これ、ほら、殺した人の名前がばっちり!」
「大丈夫です。コピーとっておいてきましたから」
そういう問題じゃない!
私の焦りなどお構いなしに紙を裏返して箇条書きを読み始める。
「まず雇用体系ですが、とりあえず1年の短期契約でいかがでしょうか? 週5日、日本の祝祭日はお休み、有給年24日、実務一日8時間程度、ただし勤務時間は現地時間のフレックスでお願いします」
……青い顔した美形の死体の口から紡がれる言葉にしては余りにも場違いだ。
「次に給与ですが、香さんのスキルをこちらの星の給与帯平均から算出させて頂いてこんな物でいかがでしょうか?」
提示された額は私が退社した会社の年収の3倍だった。
ちょっとクラっと来る。
「続いて仕事内容ですが、主に一部通訳と現地の観光案内、および緊急事態対応となります」
「緊急事態対応??」
「はい。もし僕の出自が何かの手違いで発覚した場合政治的対処が必要となりますので、その交渉をお願いします」
いけしゃあしゃあととんでもないことを曰わるわねこの異星人。
「そんな危険な立場を雇用契約に入れてそんな給金ではとても釣り合いません」
なんでこんな馬鹿らしい話に真面目に対応してるんだろ、私。
そう思いつつも、ついつい仕事モードで交渉してしまう。
「それはごもっともですね。では緊急事態発生時は時給計算で給与の5倍お出しします。また労災もバッチリ出します」
労災ってどんな災害が私に降りかかるんだろう……
「さて、続きまして賞与に移らせていただきます。観光地ごとに僕の満足度が一定のラインを超えた場合、満足度に比例してボーナスを年収の10%までお付けします。また移動、宿泊、食事などは全てこちらでお支払いいたします」
一定のライン……ねえ。
「健康保険は対応出来かねますが、有事には我々の最先端技術を持ちまして、肉体損傷度98%までは回復させていただきます。ただし、脳細胞への損傷が激しい場合、記憶、精神または魂の回復は不可能となるため、頭部にはあらかじめ保護膜の着用をお願いします」
98%ってほとんど残ってないじゃない。
全く現実離れした心底怪しい話である。
しかもこの人、このノートを契約書だと言い張るつもりのようだ。
さっき話していた緊急事態発生時の補償をここで書き足してる。
普通に考えてこんな訳の分からないオファー受けないでしょ。
でも受けちゃうのよねぇ、これ。
だって、私に怖いものはない。
なぜなら。
「あの、そのオファー、自殺慣行中でも受けられますか?」
「ああ、問題ありません。香さんが34分12秒前に致死量の睡眠薬をお飲みになったのは存じております」
「分かりました。それではよろしくお願いいたします」
こうして私の再就職が決定した。




