夫婦よ、塩の道をゆけ ~引きこもり王子と馬賊の姫君~
なにゆえに俺がこんな目に遭わなければならないのか。
説明が必要だ。断固として説明を要求する。
十五歳で、俺は自分の未来に見切りをつけた。
王家の生まれだが、宮からは逃げ出した。軍才、商才、魔術の才――天才揃いの兄姉に、なけなしのやる気を粉砕されたためだ。
隠居して、五年が経とうとしている。
全ては、健やかな引きこもり生活のため。
塩っ辛い野菜と、質の悪い岩塩だけがある荒野の村。そこを、控えめに言っても無双の活躍で、都市と呼べるまで育て上げた。
目指したのは、俺の、俺による、俺のための街。
悠々自適に暮らしていても、『あの人は昔がんばってくれたから……』とか、『この街の創設者だから……』と言われて、みんな温かい目で眺めてくれる。その実現に、俺は五年の歳月を注いだのだ。
その結果、どうだ。
街の名前はフランツィア。フランツという俺の名前を冠した、荒野の大輪花へと成長した。国内有数の岩塩産地である。
だというのに――。
◆
「どうしてこうなった」
俺は完全に包囲されていた。
青空に無数の旗がひるがえる。彼らが馬の毛で編むという布だ。恐らく屋敷のどの窓を見ても、この旗が消えることはあるまい。連中はフランツィアを取り囲んでいるのだから。
「くそっ」
汚い言葉も、今日ばかりは許されるだろう。王族のローブを、今ほど重く感じたことはなかった。
かろうじて保っていた行儀も吹き飛んでいる。
「婿殿ー!」
屋敷の下から、俺を呼ぶ声がする。異民族が俺を探していた。
荒野の春は、朝に気温がぐっと下がる。だというのに、俺は汗びっしょり。冷汗と涙で、体中が号泣している。
「嫌だ、嫌だ……」
どやどやと家来が部屋に入ってきた。
「おいたわしい。ああ、フランツ様……」
「ばあや」
付き合いの長いばあやは、目を潤ませた。俺は今年でニ十歳。その間、ずっとついていてくれた人だ。
ばあやは目じりを拭い、深々と頭を下げる。
「色々ご意見ありましょうが、ご結婚おめでとうございます」
体よく送り出す気か。そこは引き留めてほしい。後ろ髪を引け。
執事のダンタリオンが、銀縁眼鏡を持ち上げる。老執事はこんな時でも冷静だ。
「若様。お気持ちはお察しいたします。ですが、いっそ前向きに捉えてはいかがでしょう」
ダンタリオン、お前もか。
「ご結婚おめでとうございます」
俺はがっくりと項垂れた。
この期に及んで、引きこもり計画に障害が現れていた。
「まさか俺が結婚していたとは」
障害とは、嫁である。
俺は、俺の知らぬ間に結婚していたようなのだ。
――お前、結婚したから。
父王からの、お知らせの親書は短かい。短かすぎるほどだ。勢い、俺達は理由を推理するほかない。
「フランツィアの発展が、陛下のお心に届いたのですよ」
ばあやが希望的なことを言う。
老執事は咳払いをして、引き取った。
「我々も調査いたしました。お相手は、馬産地として有名な、遊牧の国家です。奥様はそちらの姫君ですな」
「馬賊だろ」
「馬国と称しています」
執事は指を一つ立てた。なお、俺達の国は『商国』と呼ばれている。
馬賊とは、草原の盗賊のことだ。
「国王陛下は、同盟に塩をお考えなのでしょう。馬国は遊牧国家。物資を東から西へ運びます。流通に若様の塩を乗せたいとすれば、縁談に筋が通りますな」
額に手を当てた。
フランツィアは豊かになりすぎたのだ。質の悪い岩塩も、人と知識を使い、正しく鉱床を探せばそうではなくなる。少しでいいのに、頑張り過ぎたのだ。
婚姻は国同士を結びつける常套手段でもある。
「しかし、相手も相手だ」
俺はなんとか矛先を外そうとした。
「岩塩と引き換えに、嫁は見たこともない花婿を了承したのか?」
「王族の縁談ですからなぁ」
上で話は決まってしまうということか。
ため息が落ちる。
「ああ、ここにいたのですね!」
扉が開き、部屋に不愉快な顔が現れた。
「オズか」
血色の悪いイケメンは、今日も吸血鬼のようだ。腹立たしい笑顔で、歩み寄ってくる。
「オズを見損なった」
言ってやると、ローブを揺らし、驚いた様子だ。
「へ。何です?」
「お前だけは、俺を売らないと思ったのに」
オズことオズワルドは、宮廷魔術師だ。俺の悪友でもある。
が、魔術の方はへっぽこ。
得意分野は宮廷のゴシップだ。『愛情の錬金術師』を自称している。実際、どのような人脈か、自由自在に縁談を生成することに定評があった。
ゴシップの裏に、オズワルドあり。今回もこいつが絡んでいると睨んでいた。
「お前がこの話を知らぬはずがない」
オズは目をそらす。俺はがっしとその肩を握った。
「なぜ俺なんだ? 武芸がいいなら、兄上がいる。学問がいいなら、弟がいる」
俺の成功など、兄姉は鼻で笑っている。俺が五年かかった仕事を、鼻歌交じりでやってしまえる人達なのだ。
「またそんなに卑下する振りをして」
「何? 振り、だと?」
「あなたは本当は一番になりたいんだ。でも宮には姉君や、兄君がいる。それで辺境へ来たんでしょう」
「こいつ……!」
激怒した。二十年来、熟成された気持ちを分かっちゃいない。働き出せば、またいやがおうにも家族と比べられる。
「結婚は、やる気を注入してくださいます」
外から声が聞こえなければ、鉄拳が振るわれていただろう。
「婿殿ー!」
「今、お迎えに上がります!」
ぞっとした。馬賊が俺をさらいに来る。
「逃げる」
「けけ! 盛り上がってきましたねぇ」
本音は人の不幸を見たいだけだろう。
捨て台詞を投げつけた。
「いいか! 俺は自分を知っている! 結婚生活にも、外にも耐えられない!」
そういうわけで、俺は屋敷から逃げ出したのだった。
◆
絶対に引きこもる。
たとえこの身が燃え尽きようとも。
俺は戦いを開始した。ローブを脱げば、動きやすい砂漠の装備だ。顔に布だけまいて、顔を隠すと同時に土埃を避ける。
まず、合図ののろしで仲間を集めた。
門番のレッド。飲んだくれ友人のブルーとメリッサ。退役騎士で今は庭師のロブじいさん。
稀に見る豪傑達の出現に、荒野の方が震えるだろう。
「いくぜ」
俺達は馬を連れ、秘密の抜け道から颯爽と荒野へ旅立った。
「若様が結婚とはねぇ」
夜になった。
しかし仲間達の、呑気なこと。我々は窪地で、周囲を警戒している。
なのに連れはもういつもの調子ときた。目を離すと酒盛りをしそうだ。
「俺は結婚しない」
「えー、なんで?」
後ろで、パキリと枝を折る音がした。
荒野は冷える。息が白い。俺は窪地の淵から、顔だけを出していた。
「相手は馬賊だ。想像できるか? こんな場所の、さらにずっと遠くで暮らしているんだぞ」
地面にはしなびた草が、延々と生えている。月が照っていて、草も大地も鉛色だ。この果てなんて、考えたくもない。
パキパキっと、また枝を折る音。
俺は遠見を続けた。
「そこら中、敵だらけだな」
脱走は、知れ渡っているようだ。起伏を繰り返す荒野を、無数の騎馬が駆けている。数百騎がいくつもの隊に分かれて、俺を探していた。
「大丈夫だ」
周りを見ながら、俺は仲間を励ました。
「当てはある。隙を見て、隠れ家を目指す」
「ああ、例の」
「信頼できる隊商に、管理させている。井戸もあるはずだ」
かつては治安も悪かったため、疎開を想定した措置をしたのだ。
パキリと、また後ろで音がした。
「うるさいぞ。なんで枝なんて折って――」
振り向いて、俺は絶句した。
逃亡の現状。
なのに、火を焚くバカがいた。
「あ~、あったけぇ」
「酒を温めようぜ」
救いがあるとすれば。道連れは選ぼうという教訓だけだ。ぱあっと燃えて、白い煙がのろしのように上がる。
周囲に散っていた馬賊が、一斉に方向転換するのが見えた。上空を、ひゅうと音を立てて矢が駆け抜ける。合図に違いない。
「逃げるぞ!」
「酒が冷める」
ボンクラ共を馬に担ぎ上げ、俺は馬の尻に鞭を入れた。必然、俺が最後尾とはどういうことか。
その分、状況がよく見えたが。
「すげぇ数だ」
左右から馬群が迫っていた。
飲まれる、いや、喰われる。
馬蹄と怒声が、耳の中をかき回した。頭がガンガン鳴る。巨大な胃袋に落とされたような、芯から這い上がる恐怖だ。
「若様ぁ、これは無理です。統制され、訓練されちょります!」
退役騎士のロブじいさんが、声を張った。土煙で姿は見えない。
「馬賊は、馬賊だろ!」
「これは騎兵というべきです」
不意に、正面に馬が出現する。
幽霊のように現れて、逃げ道を塞いでしまった。追い込まれたのだ。
「止まれ!」
涼やかな声。
もはやこれまでか。速度を緩めた俺達を、騎馬が取り囲んだ。群れの圧力に、馬の足は止まってしまう。
「塩の道と聞いていたが、なるほど。塩辛そうな王子だ」
やがて前方の一団から、美しい栗毛の馬が進み出た。
乗り手は、女だ。
彼女が進むと、周りの馬も、馬賊も自然と頭を垂れる。何か気高いものに、誰もが敬意を表していた。
艶めく黒髪が、風になびく。
「お前は、誰だ?」
問うたが、俺は恥を知るべきだった。
見惚れるなど、父やオズの意のままではないか。
切れ長の目。白い頬が引きつり、微笑する。
それが馬賊の姫君、サーシャとの出会いだった。
「貴様の嫁だ」




