神有月家のシンケン相続
結局のところ、私はあの下らない相続争いに参加することになってしまった。
野心と欲望、欺瞞に裏切り、いつぞやの林檎が原因で起こった戦争に負けぬとも劣らぬ程の大規模で醜い争いだった。やっている最中にも思っていたことだったが、終わってしまった今になっても、あれほど馬鹿馬鹿しい争いもないと断言できる。
まあ、参加している時点で私も他の兄弟と変わらないようなものだが。しかし、今まで散々下らないとこき下ろしてきたが、あの事件を通じて私の心に大きな変化が生じたのも事実だ。
誰もが大きな喪失を経験し、それでも求める物の為に夢中で足掻いたあの日々のことを、私たちの誰もが忘れてはならない。それが私たちの世界に対して私たちが負っている責任なのだ。
そこで私はあの日々のことを、日記に記すことにした。語り手たる私の名前は、仮に[神有月ツキミ]とでもしておこう。
この日記は私が体験した戦争について、そして私が出会った、あの美しい“死”についての記録だ。
私の日記は、父が死んだところから始まる。
老いて尚気力旺盛で、いつ死ぬのか分からないというよりも死ぬことがあるのかどうかすらも定かでないような男だったが、やはりこの世界に永遠なんてものはないのだと思っていた。元来の気質か、私はつい厭世的な考え方をしてしまいがちだ。
父が死んで悲しくないかと聞かれれば、確かにそういう感情が無いわけではなかった。生活の上で色々と世話にもなった。が、それ以上に私は彼の性質が吐き気を催すほど嫌いだったのだ。この気持ちは、誰もが理解はしてくれるだろうと思う。
一家の当主が死んだということで、一族総出の葬儀が行われた。端が見えないほど広い葬式会場の壁に、暑苦しい笑みの父親の遺影が飾られている。喪服に身を包んだ正妻は、ひっきりなしにハンカチで涙を拭きながらスピーチをしていた。
「あの人は……女癖は最悪でしたが、とても良い夫でした……」
「本当に、女癖は悪かったが偉大な方だった……」「女癖さえなければ完璧な存在でありましたのに……」「功績も女癖も、正に歴史に残るものだったな……」
周囲の弔問客は父に関する下馬評を続けている。そう、あの女癖さえ何とかしてくれていればこんな評判を立てられることもなく、私も素直に彼を悼めたのだろう。まあもしそうだったら、私は生まれていないが。
退屈からくる眠気で殆ど意識を失いかけていると、隣の席から袖を引いてくる者がいた。
「なあ……姉さん」
「……何? 静かにして」
私の弟だ。ここでは仮に名前を[神有月シュウ]としておこう。悪い奴ではないのだが、姉の私が絡むと我を忘れてしまうことがある、少し困った弟。
「何でそんなに興味が無いんだよ、親父が死んだんだぞ!」
「早く葬儀を終わらせてほしいとは思う。ここ何週間も職場を開けっぱなし」
その頃は葬儀に一族が集まったせいで、世界中で酷い弊害が起こっていた。今年は天変地異の年だと言われる所以だ。
「そりゃそうだけどさ、もっと大切なことがあるだろ?」
「……何?」
「遺産相続だよ、遺産!」
下世話な弟。私は思わず、周りに聞かれかねない大きさのため息を吐き出してしまった。慌てて辺りを見渡したが、誰も自分の話に夢中だった。
シュウは私の反応を意に介することなく言葉を続ける。
「あいつの管理してた土地とか使ってた道具を、今リストアップしてるところなんだ」
「……シュウ、あなたアレの遺産なんかに期待してるの……?」
「当たり前だろ! 親父の財産がどれだけだったと思ってるんだ」
「じゃあ逆に聞くけど、うちの一族がどれだけいると思ってるの?」
父親はその天才的な節操の無さでもって、正妻を娶った後も愛人を作り続け、挙句の果てに自分の子供にも手を出し、その数延べ三十以上。これに私たち子供世代を加えると三桁は超えるだろうし、孫まで入れればそれこそ天文学的数字になる。
こんなことが許されていたのは、ひとえに父の職業のためだ。
人間からは無駄にたくさんの名前で呼ばれていた。第一の不動の他者とか、むやみに語らざるべきものとか言われていたが、要するように世界を統べる最高神。それが父の役職だった。私たち子供もそれぞれに異なる性質を持つ神なのだ。例えばシュウなら太陽を、私は月を司っている。
そういうわけで、引き継がれる遺産はこの世界全ての所有権、『神権』が主となるのだが、それも縁者全員で分割したらどれだけ残るだろうか。
「精々島一個くらいに決まっている。期待するだけムダ」
「欲がないよな、姉さんは……実はな、遺産を増やす方法があるんだよ」
私はもはや弟の話を聞く姿勢ではなかったが、耳に入ってきた言葉によるとこういうことらしかった。
父の遺言に曰く、遺産は人間の資金価値で計り、妻子で可能な限り平等に分けること。ただし、父の生前に父から援助を受けていた場合、その分を遺産から差し引かなければならないという。
つまりこの弟は、他の兄弟が父から受けた援助を暴いてその分だけ遺産を増やしてしまおうとしているのだ。
「俺たち姉弟の力があれば余裕だって!」
「そう、良かったね」
「なあー……頼むよ姉さん、他の連中は軒並み信用ならないんだ、頼れるのは姉さんだけなんだよ」
神であるというのにそれ以上のものを求める必要があるのだろうか。
「ここで神権を多く手に入れれば、父さんの後釜だって夢じゃないんだ! 姉さんにだって欲がないわけじゃないだろ、例えば子供とかさ、欲しいだろ? 遺産があれば天下一の男だって──」
「姦淫は絶対にしない! 子供が欲しいと思ったこともない。一人で頑張って」
弟はまだ何か言いたそうにしていたが、やっと諦めたのか前に向き直った。私もやっと一息ついて、また物思いにふけり始めた。
性的な事柄が嫌いなのは、父の欲望と正妻の嫉妬によって死ぬような目にあった母親のことを知っているからかもしれない。一度だけ恋をした時の相手は弟に射殺されてしまったし、家庭というのは私にとって縁遠い言葉だった。
それから先のことは、よく覚えていない。私も通り一辺倒のお悔やみを申し上げたのかも知れないし、何もせずにそのまま寝てしまったのかも知れない。ともかく次に書くべきことは、葬儀がひと段落ついて帰路に就こうとしていた時の事だろう。
「ああ、ツキミさん。少し良いですか?」
私に話しかけてきたのは、今回の葬儀並びに遺産相続などの諸々を押し付けられた末っ子の神だった。彼は幸の薄そうな顔で眼鏡を押し上げながら、手に持った途方もなく分厚い帳簿を捲りつつ聞いてきた。
「どうかしたの?」
「いえ、この辺りで女の子を見なかったかなと……人間で言うと十歳くらいで、黒い髪、黒い眼の子なのですが」
「見ていない。誰、それ?」
この世界では割と顔の広い私だが、聞いたことがない特徴だった。といっても、家の家系では出産はしょっちゅうだ。父が死んだ今になってもそうだ。
付け加えると、神が増える理由は出産以外にも存在する。
「いえ、それがね……大御父様が亡くなった時、最後の呼気が“転じた”らしいんですよ。他にも色々と生まれてはいたのですが」
この場合の理由は後者だ。神たる存在が生き、動き、死ぬ。その全てが神を生み出すトリガーとなっている。
「その子がどうしたの?」
「仕方がないので今回の遺産に加えようという話になっていたのですが、その子どもだけ葬儀中に逃げ出してしまったようなんです。具合が悪いのは生まれ方ですね。もしかしたら強い呪い身に秘めているかも知れないので、探しています」
「成る程。さっきも言った通り私は知らない。とりあえず、部下にも伝えておく」
そうして下さると有難い、と笑って握手を求める彼から私は一歩距離を取り、そのまま式場を後にしたのだった。
次この日記に記される出来事は、葬式から三日後。葬式の際のごたごたで溜まっていた仕事をあらかた片付けて、いつもの泉で水浴びと洒落こんでいた時のことだ。
私の耳は、周囲の草が不自然に擦れ合う音を耳にした。誰かがいる。また不埒な男が覗きに来たのかと思い、今度は動物に変えるだけでは済ますまいと私は弓矢を構えつつ音のした方に近づいた。
背の高い草をかき分け、そちらに向かって弓を引く……私は初め、そこに誰もいないように見えた。しかしそれは思い違いであった。
深い森林の闇に溶け込むようにして、黒い双眸がじっとこちらを見つめていた。オリンポス山から落ちる滝のようなウェーブを描いた黒髪が見えた。触れれば即座にその命を散らしそうな儚さと、逆にこの私がこれから殺されるのだと錯覚させられた程の狂気。それらを内面に両立した存在が、私の目の前に立っていた。私は思わず構えていた弓を下げた。
私は、“死”と出会ったのだ。




