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しにがみさま

 市立神塚(かみづか)小学校は、市の北部にある学校であった。

 近くには公営住宅が幾つもあり、昭和の時代には一学年十クラスもあったほどのマンモス校である。

 だが、ベビーブームも終息した平成六年の今、各学年二クラスと無数にある教室を持て余していた。


 夕暮れが校舎を橙色に塗り替える頃、校舎のスピーカーからチャイムが流れる。


『みなさん、下校時間となりました。残っている生徒は、下校準備を始めてください。繰り返します――』


●●●


「これで、終わり……と」


 マイクのスイッチを切り、神崎(かんざき)直哉(なおや)は放送室の扉を施錠した。


 放送室は職員室の傍に設けられていた。

 教師らは姿を現した直哉の事を気にとめる様子もなく、黙々と机に向かっている。

 所々から紫煙が上っており、頭上のクーラーへと吸い込まれていく。おかげで四角形のエアコンは黄ばみがかっていた。


 キーボックスに鍵を預け、教師たちの邪魔にならないよう退散しようとする。


「おい、ちょっと――直哉」


 振り返ると、うず高く積もった書類の山から頭一つ出した人物が、手招きをしていた。


「はい」


 うんうんと唸る職員の背を抜けて、その人物――関町(せきまち)先生の元へと歩み寄る。

 5-1の担任であり、角刈りを伸ばしたようなショートヘアに剃りたての青髭が特徴だ。

 ちなみに、本人は気づかれていないと思っているが、後頭部が薄くなっているのがチャーミングポイントだ。


「悪いな、直哉。ちょっと頼みたいんだが――」


 と、机の上から鍵をひったくる関町先生。


「今日、恵子(けいこ)が休んでるだろ。あいつ図書委員でさ……悪いけど代わりに鍵かけてきてくれ」


 そういえば――と直哉も思い出す。

 藤原(ふじわら)恵子(けいこ)。同じクラスではあるが、あまり話したことのない。

 うなじを隠すくらいのセミロングで、モデルが身に付けるような服ばかり着ていた。

 どちらかというと本よりお洒落に興味があるという印象だった。


「なんで俺なんですか」


「丁度、先生が鍵をかけてこようかな……と思ってたところに、直哉を見つけたからだ」


 前半は嘘だな――と直哉は心の中で呟いた。


 とはいえ、生徒が先生の頼みごとを断れるはずもなく。

 もとい、大人に逆らえないのが子供である。


「……解りました」


 若干の沈黙のあと、直哉は鍵を受け取った。


「サンキュ。通信簿に『直哉君は率先してお手伝いをしてくれます』って書いといたぞ」


 見れば、机の上には書きかけの通信簿が置かれていた。

 どうやら周りの教師が唸っているのはコレが原因らしい。


「――って先生。これ佐藤のじゃないですか。俺の通信簿は、もう終わったんでしょ?」


「なぁに心配するな、お前が引き受けてくれると解ってたからな。先に書いておいた」


 ハナから俺に頼むつもりだったんじゃないか。

 心の中で呟いた直哉だったが、どうやら表情に出ていたらしく、関町先生は口早に続ける。


「最初から頼むつもりじゃなかったんだぞ? 俺は先読みの出来る超能力を持っててな……ユリ・ゲラーから直々に授かったんだぞ」


 疑念の色を示す直哉に向かって、スプーンを擦るような手つきをする関町先生。


「はいはい、解りましたよ……もう行きますね」


「なんだよ、つれないな〜」


 今度は掌を向け、何かの念を飛ばしてくる関町先生に背を向けると、職員室を後にした。


●●●


 人気のない廊下は静まり返っていた。

 差し込む夕陽と照明の消えた暗がりが絶妙なコントラストを生み、まるで別世界のようだった。


 図書室がある別校舎は家庭科室、理科室、音楽室――と特別教室が設けられたエリアにある。

 また二階には講堂を兼ねた体育館があり、驚くべきことにバスケのコートは四つもある。


 日中は体操服姿の生徒やリコーダーを持った生徒らが入り乱れる別校舎も、今やその喧騒は嘘のように物音一つしない。

 まるで、校舎が眠りにつこうとしているようだった。


 多目的室の対面に位置する図書室。

 その扉を開け、直哉はゆっくりと踏み入る。


 図書室の中はというと、やはり廊下と同じくして、人の気配など感じられなかった。

 直哉のアナウンスを聞き逃すほど読書に没頭する、本の虫はいなかったようだ。


 窓際に向かい、一つ一つ施錠されているか確認していく。

 窓からは中庭と校舎の渡り廊下が見渡せた。かすかに覗く運動場には、人影がいくつか確認できる。


 ――関町先生に捕まらなければ、あそこにいたのは自分かもしれないな。

 と、直哉の頭によぎる。

 早く帰ってやらないと、ハクが煩いな。


 足を早め、図書室の奥に差しかかった時だった。

 直哉の視界の隅に、何かが映った。


「あ……」


 か細い声が、奥から発せられる。

 視線を向けると、その何かと目があった。

 それは見覚えのある人物だった。


長谷川(はせがわ)……さん?」


 図書室の奥に、一列に並んだ自習用の机。

 他の閲覧テーブルとは違い、卓上には木製の間仕切りが設けられている。

 そこから頭一つ抜けて、こちらを見ていたのは長谷川(はせがわ)(しおり)だった。


 腰まで伸びた、烏の濡れ羽色のロングヘア。顔は小さく整っており、沈魚(ちんぎょ)落雁(らくがん)といっても過言ではない。

 ピアノを習っており、学校の催し物で体育館の壇上で弾いていたのを覚えている。


「神崎……くん?」


 その双眸に戸惑いの色が滲む。

 図書委員であるはずの藤原恵子ではなく、直哉が来たせいだろうか。


「もしかして、勉強してた?」


 僅かな間の後、栞は視線を落とすと「そんな感じ」と応えた。

 いそいそと何かを片す音がしたと思ったら、栞は真っ赤なランドセルをもって出口へと向かう。


「ねぇ――直哉君」


 出入り口のドアに手をかける直前、静かな口調で栞は問いかける。


「あたしがここにいたこと、誰にも言わないでね?」


 肩越しに振り返る栞。

 切れ長の眉が少しばかり、半月に歪んでいた。


「あ、あぁ――うん」


 何故そんなことを言うんだろうか――。

 疑問に思いつつ、反射的に頷く直哉。


 栞はその返答に笑顔を見せ、図書室を後にした。


 再び、静寂が包み込む。

 直哉は、今しがたまで彼女がいた自習机を見やる。


「俺もたまには……勉強しないとなぁ」


 忘れ物がないか、念のため確認するため、座面の方へと回り込む。


 重厚な木で作られた、自習机。

 まるで先ほどまで人がいなかったといわんばかりに、机は静かに佇んでいた。

 じっくりと見ると、仕切り板や天板にはいくつもの刻み込まれた文字が散見できる。


『5-4 相原美奈子 川岸学』と相合傘が書かれたものや『江藤先生 クソ』と独り言が掘られたもの。

果ては『友達ほしいな』という文字には『あたしも友達ほしい』と、呼応するように刻まれたものもある。


 いつ書かれたかも解らないものに、返事を刻んでしまう。

 仕切られた牢獄のような机で勉強していると、寂しくなってしまうのだろうか。


 どれも色あせたり、埃が入ったりして年代を感じる。

 だが……その中に一つ、真新しいものがあった。


 埃が入り込まず、痛々しく傷ついた天板の奥。

 照明さえも差すことのない仕切り板の下に、その文字は刻まれていた。


『しにがみさま

 5-1 ふじわらけいこをころしてください』


「なんだ……これ」


 他のものとは違い、深くまで彫り込まれたその文字からは、禍々しさが感じられた。

 手を伸ばして触れようとした矢先――直哉の手と並行して、白い腕が伸びる。


「ふむ、呪詛にしては荒いな」


 まるで子供の落書きを窘めるような、澄んだ声音。

 思わず振り返ると、そこには直哉よりも背の高い女性が傍に立っていた。

 白い長髪は腰まで伸びており、袴姿の出で立ち。まさに仙姿(せんし)玉質(ぎょくしつ)の一言に尽きる。


 だが、直哉は僅かに声を漏らした程度で、さして驚く様子はなかった。


「もう……急に出てこないでよ、ハク」


 ハクと呼ばれた女は、直哉を見下ろす。


「なに、帰りが遅かったので心配して来てみれば――また『せんせい』からの頼まれごとか」


 そんなところ、と直哉は頷く。


「全く、お前は人が良すぎるのだ。だから狐憑きやら水子やらに憑かれるのだぞ」


「ごめんよ。

 でも俺は、一度死ぬ運命だったんだ――ハクからもらったこの命、誰かのために役立てたいんだ。たとえ小さなことでも」


 ハクを見上げ、はっきりと答えた。

 眉をひそめるハクだったが、しばらくすると観念したように表情を和らげる。

 

「阿呆につける薬はない、か――お前は、それが気になるのだろう?」


 顎で指したのは、先ほどの真新しい天板の文字だった。


「やっぱりこれ、まずいものだよね?」


 問いかける直哉だったが、ハクは小さく笑みを浮かべる。


「安心しろ、これは呪詛の類ではない。

 例えば、陰陽師などは『のろしてやる』とか『しゅしてやる』と独自の呪詛を綴る。これは単なる落書きだ」


 ハクは、腰ほどの高さから見上げる無邪気な黒髪に手を伸ばす。


「そら、いつまでも油を売っている場合ではないぞ。帰ってファイナルファイターの続きをしようではないか」


 犬を撫でまわすかのような手つきで、わしゃわしゃと直哉の髪の毛を乱すハク。

 その手から逃れ「髪の毛が乱れるから」と頭髪を整えつつ、直哉は出口へと向かった。

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