おっさんのやり直し高校生活
俺、神蔵明人は今の会社に勤め始めて早十数年。鍛え上げられたエリート社畜だ。入社した頃は有名企業に入ったと喜んでいたが、少しするとサビ残、休日出勤は当たり前のブラック企業だと分からされた。家に帰り着く頃には日をまたいでいることもよくある事だ。納期前なら数日家に帰らないなんてことも少々。
だが、その日は社内のパソコンの入れ替えとかで、18時過ぎには退社していた。久しぶりの早上がりで、機嫌がよくなった神蔵は暇そうな同期の佐伯幸喜と、仲の良い後輩の吉川英也を誘ってのみに行っていた。
「神蔵先輩のおごりってなかなかないですよね」
「確かにぐらっさんのおごりなんて珍しいよな。こんな珍しいことめったにないだろうし、高いのいっちゃう?」
「いや、おごるって言ってないよな。そんなに金があるわけでもないし」
「とか言いつつおごってくれるんだろ。ごちでーす」
神蔵は、無理だ無理、と首を横に振る。そこに最初に注文したビールとつまみが届く。
「おお、来たな。ええ、今日の早上がりにかんぱーい」
「「かんぱーい」」
3人はジョッキいっぱいに入ったビールをのむ。
「いやー、仕事終わりのビールは最高だな」
「ぐらっさんのおごりだし、よりうまいな」
「佐伯、俺はおごらないって言ってんだろ」
「じゃあ今日は佐伯先輩のおごりですか?」
「いや、よっしーがおごってくれてもいいんだぞ」
誰がおごるか、なんてくだらないことを言いながら、ジョッキを開けた3人は次の1杯を注文する。
「しかし、早く上がれるなんて珍しいよな」
「予定とか入れておくと、早上がりできたりするけど、そんなに予定もないし、納期ばっかだし」
「そういえばよっしー、この間、早上がりだったよな」
「この間は、高校の同窓会あったんですよ。早上がりさせてもらっていったんですけど…………先輩たちの高校時代ってどうでしたか?」
吉川の質問で、佐伯と神蔵はもう20年も前の高校時代を思い出す。
「普通の高校時代だったな。彼女もいたことあったけど、長くは続かなかったな。これといったことはなかったな。ぐらっさんはどうなん?」
「俺か? 彼女はいなかったな。気になる子はいたけど、転校することになったんだっけ」
「曖昧な関係のまま、その子が転校してったとか?」
「当たらずとも遠からずってとこだな。その子を乗せた飛行機が事故で墜落してその子は亡くなったんだよ。あの時はショック受けたっけ。まあもう終わった話なんだけどな」
あと1歩を踏み出せなかった高校時代の自分を笑いながら、神蔵はビールをあおる。
「なんか悪かったな」
「なに、気にするな。あん時はそいつのために、何度だって高校生活やり直してやるとか思ったけどな。終わったことだしな。のもうぜ」
2人はうなずくとつまみにビールを追加で頼む。
「でもあの事故は話題になったよな」
「俺らが高校の頃の飛行機墜落事件……7月の末だっけ? 結構大きな事件だったよな」
「そんな事件もありましたね。あれでいろいろ見直されたんでしたっけ。いろいろとあの頃とは変わりましたね」
「あの頃は寝れないほどにショックだったことでも、今はのめば寝れるからな」
「もう、すっかりおっさんだな」
そこに追加で注文したビールやつまみが届き、3人は年を取ったな、と言いながら笑い、ビールを飲んでつまみに手を伸ばす。
それから3人は、その店で適当に飲んだ後、2軒目でさらにのみ、3軒目を出る頃には、そこそこ酔いが回っていた。
「ぐらっさん、次行こうぜ、次」
「かーぐらせーんぱい、もう1軒、もう1軒」
「おまえらどんだけ飲んでるんだよ。ほら、帰るぞ。駅はこっちだ」
「のまねーのか? のむぞー」
「行きましょー。って、ん? 雪?」
「みてーだな。どうりで寒いわけだ」
「今年の初雪だな。どうする?」
「途中で足止め食らうのも厄介だし、かといってもう1軒行くと、間違えなく帰りにどっかで寝て凍死しそうだし」
「ファミレスで酔い覚まして、適当なとこ泊まるか」
「何なら、ファミレスで夜を明かしますか?」
「それもありだな。とりあえずファミレスだ」
3人は少しおぼつかない足取りで、駅の近くの深夜営業もしているファミレスに向かった。
そこで3人は、止む気もしない雪の夜を明かした。
仕事というのは面倒なもので、雪が降っていようと、徹夜でファミレスにたむろしていようと、減ることはなく、佐伯と吉川は直接出勤していった。ちなみに俺は、今日は休みだ。
神蔵は会社の近くまで2人を送ったのち、駅のタクシー乗り場に向かう。だがその途中、積もった雪でスリップしてきた車にはねられた。
体が焼けるように熱くなる。地面を少し見ると、俺の体から出た赤黒い血で染め上げられていくのが分かる。それが確認できたところで俺の意識は遠のいていった。
あれ、俺は確か佐伯と吉川とのんだ帰りに車にはねられて……
神蔵は辺りを見回す。そこは、病院の一室でもなければ、異世界に行く前に寄るような神の間などでもな。ただ懐かしい、いつだかの自分の部屋だった。
「明人、起きなさい。遅刻するわよ」
神蔵はもう何年も聞いていない母親の声に驚き、時計を見る。
時計に表示された日付は、19年前の4月5日。ちょうど高校2年の時の始業式の日。鏡を見れば白髪の生え始めたおっさんではなく、人生の最盛期と思えた高校時代のものだった。
「後で時間を作って考えるか」
神蔵はそう零し、ため息をつくと、時計を見て家を出た。
学校に着いて間もなく始業式が始まる。神蔵はクラスメイトを確認して本当に過去に来たことを実感する。
俺の高校時代と何一つ変わりない。やっぱりここは過去なのか? なら、俺は————
神蔵があれこれ考えている間に始業式は終わり、気が付けば下校時刻を告げるチャイムが鳴る。
「――らっさ――――さん、おーい」
「ああ、悪い、ぼーっとしてた」
「ぐらっさんの事だし徹夜でゲームしてたんだろ。そんなことより帰ろうぜ」
神蔵に話しかけてきたのは、中学からの知り合い、桐原翔。
「ああ、いいぞ。ってかひどいな。まあいい、飯でも食べて帰るか」
「そりゃいいな。で、どこに行く?」
有名チェーン店の名前を出し、食べたいものを考えている桐原の言葉に、適当に相槌を打ちながら神蔵は前を行く女子生徒を見ていた。
「ん? 前にいるのって高瀬結莉じゃないか? 中学の頃ぐらっさんと仲良かったよな」
「ああ。まあ仲は良かったかもな」
「ぐらっさんが珍しく女子を気にしてるみたいだから、どうしたのかと思えば、なるほどね」
翔は、うんうん、とニヤニヤしながらうなずく。
「なんだよ」
「いやなんでもないけど、あのぐらっさんがと思っただけ」
ニヤニヤと高瀬との関係を聞いてくる、翔を適当にあしらいながら、有名チェーンのファミレスに入る。
「しかし、高瀬ねぇ」
「いい加減くどい。特に何もないっての」
「そっか。でもなんか今日のぐらっさんおかしいよ。なんかこう、老けた?」
神蔵はその一言でかなり焦りを覚えた。
今の今まで言動に気を遣わなかったけど、俺って今高校生なんだもんな。
「老けたってひどくないか? 加齢臭とかしそうだし、大人びたと言え大人びたと」
「まあ、ぐらっさんだし良いか」
「おい、どういうことだ」
「まんまの意味だよ。もともとぐらっさんは変に歳食ったよな感じだし」
2人は、運ばれてきた料理の数々に手を伸ばしながら話を進める。
「悪かったな。無関心装って、斜に構えて、達観してる風で、更には人の裏を探ってるようなやつで」
「分かってんなら、治した方がいいんじゃねーの?」
るっせ、と小声で零してから神蔵はこう続ける。
「ご生憎さま、そう簡単には治りそうにないんでね」
「そう、それ治せ。諦めた感じなのも」
そう言われても、もう云十年はこれだしな。今は16だけど。
「その諦め根性と達観したとこ治せばモテると思うんだよ」
「そんな簡単な理由なら、小学生の頃とかモテてたと思うんだけど。何せ、あの頃の俺はピュアだったからな。女子が代筆した男子からの偽のラブレター信じて、体育館裏で雪の中で待ち続け、挙句翌日高熱だして倒れる程にな」
「自虐ネタの混じった皮肉が自然に出てくるのもな」
すまん。それならもう、ゼロから人生やり直した方が早いわ。云十年治らなかったものが、そう簡単に治る気もしないし。
「無理そうだし、諦めた方が早いって。そんな事より帰りにゲーセン寄ろうぜ」
「そんな事って、おまえの事だろ」
「それよりゲーセン行くか?」
悪いな、と翔に言われた神蔵は仕方なく、帰路につく。
「はあ、どうしたもんかな」
神蔵は家に帰ると、自分の部屋のベッドに一直線。倒れこんでは、把握しきれていない現状に頭を悩ませていた。
分かっているのは、今が高校時代であるということ、それだけだ。なぜ戻って来てしまったのかなんてわかるはずもない。俺は同僚とのんでたんじゃないのか?
だめだ、その辺の記憶もない。困ったもんだ。
「はぁ」
気付けば日も沈んでいる。
「とりあえずは、高瀬を助ける、か」
神蔵は静まり返った部屋で1人そう呟くのであった。




