神様ハイスクール! ~エリート見習い神、創造世界の巫女が可愛すぎて落ちこぼれる~
雨が、降り続いていた。
どす黒い雲はもう三日もピピの村を覆い続け、雨雲から吐き出される水滴は、弱まるどころか激しさを増す一方だった。
天から降り注ぐ飛沫は、草木を育み生物の喉を潤す。
だが、過ぎた恩恵は制御する事が出来なければ、たちまち自然の刃に姿を変えて土を、木々を、そして人々を蹂躙していくだろう。
そして正に今、その自然の刃が解き放たれようとしていた。土と木でくみ上げた堤防は、荒ぶる川の氾濫を抑えきれなくなりつつある。濁流が解き放たれピピの村を襲うのは、時間の問題だった。
ピピの村の人々は今、村の奥にある丘で身を寄せ集めている。
長年暮らした各々の住まいや畑、冬を越す為の貯蓄が失われようとしているのだ。それだけではない。辛うじて濁流を防いでいる堤防が破れてしまえば、今いる高台でさえ危ういだろう。
人々の目は絶望で濁っていた。しかし、まだ諦めてはいない。
やがてその沢山の目は、川や村から離れ、ある一点に集まっていく。
「巫女様……」
「どうすれば……」
「ああ、巫女様。どうかお救い下さい」
口々に救いを求めながら、村人たちは跪いては祈りを向ける。祈る先にいるのは、まだ幼さを残した一人の美しい少女だ。
少女はただ、腰の下まで届きそうな黒髪を背中に垂らしながら天に向かって立ち尽くしていた。髪は風で乱され、着ている粗末な白い衣は雨に濡れてぴたりと張り付いている。
少女は、やがてその口を動かす。
たすけてかみさま、と。
「はいはい、今助けますよー」
オレは画面の少女に向け、ぼそりと聞こえるはずのない返事をする。
今回のこの災害は、あくまで『課題』、授業の一環だ。居眠りでもしていたらどうかわからないけど、このくらいの大雨なら、すぐ助けられる。だから大丈夫。そんなつらそうな顔、しなくていい。
手元にある神専用端末を見て、考える。
確かに村の防波堤は今にも押し切られそうだけど、このくらいなら水の流れを変えれば大丈夫だろう。ゴッタブから交渉アイコンを呼び出し、タップする。いくつかのメニューから雷マークを選んで、そのまま大岩に向けてドラッグしてやれば処置完了だ。
これで村を襲おうとしている水流は分散されて、巫女達がいる高台に被害が及ぶ事はなくなるだろう。
今は突然の水害で驚き悲しんでいるかもしれない。でも、洪水で巻き上げられた土砂はあの村の土壌を豊かにする。きっと今年の秋には、巫女達が豊作に喜ぶ姿が見れるだろう。
オレの頬が、思わず緩んだ。豊作を祝う巫女の舞を、今年はまた見れるかもしれない。
それにしても……。
いつから、こんなに『ゴッタブ』を見るのが楽しみになっただろう。
あがく様を手に汗握りながら見るようになっただろう。
繊細で、弱々しい生き物だと思っていた。
不完全で、未熟で、危なっかしい生き物だと思っていた。
面倒を見るだなんてまっぴらごめんだった。それこそ、面倒だった。
必死にあがきながら僅かな手助けを求める彼らは、ゆっくりと成長を始めていた。退屈な速度ではあったが、それでも着実に。
オレが彼らにしてやれるのは僅かだ。きっかけを与える程度にすぎない。それでも彼らはそのきっかけに心から感謝しながら、こうして必死に生きている。
「なにぼーっとしてんのよ。授業中よ?」
我が神民の営みに思いを馳せていると言うのに、邪魔をするのはいつもの女だ。
栗色の髪が頬に掛かるのをうるさそうにかき上げながら、ミアは我を睨む。
「うるさいなあ。今、水害対応してたところじゃないか」
「あんた以外みんな終わってんのよ、それ。授業が進まないから、早く対応と結果まとめて提出してよね」
吐き捨てるように言うと、後ろに無造作に束ねた灰色の髪を翻してミアが去っていった。
なんと無粋なことだろう。口やかましく、押し付けがましく、馴れ馴れしい。わざわざ教室の後ろから歩いてきてまで注意してくるとは、真面目に授業くらい受けたらどうなんだ。
「シン! 早くしなさいよ、また余計なこと考えてるでしょ!」
苛立ち交じりに白い天井をにらんでいる我に、後方から再び罵声が飛んできた。心でも読めるのか、あの女は。オレはため息をついて課題の仕上げに取り掛かる。
まったく、神になるのも楽じゃない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
白い壁に白い天井、そして白い机。
オレがいるこの教室は眩暈がするくらいに白く、清潔だ。彩になるものと言えば生徒の髪の色に、肌の色、それに黒い影くらいじゃないだろうか。
オレはいつも通りゴッタブで巫女たちの様子をチェックしながら、見慣れた光景をぼんやり眺めていた。
目の前のモニターを使って導師が何か説明しているようだが、あれはきっと自分には必要ない知識だろう。神民を危ない目に合わせて成長を促す方法なんて、必要ない。巫女達は平和で静かな世界で暮らして欲しい。
タメにならない授業に耳を傾けるより、巫女を見ている方がずっと有意義だ。
ウチの巫女は、なんて可愛いんだろう。昨日のように時にキリリと引き締まる、普段は優しげで愛らしい大きな瞳。小柄ながらも女性らしい体つきに、白いふわりとした衣に映えるのは、黒く長い髪だ。切り揃えた髪を今日は下ろしている姿がまたかわいい。可憐だ。
こんなにかわいい巫女に祀り上げられているオレはなんて幸せなのだろう。
天上一の幸せものと言えばきっと……。
「あらあら、とんだハッピー野郎ね」
そう、天上一の幸せものといえばオレだろう。
「幸せな顔してる場合じゃないっての。授業、終わったわよ」
「……はぁ」
「人の顔みてため息つくの、やめなさいよね。ちゃんと授業聞かないなんて気楽で良いわね、最前列さん」
幸せな気分に浸っているというのに、どうして邪魔するんだろう。
確かにオレの成績はよくない。この教室で前列に行けば行くほど、成績が低い『神の子』である事になる。でもオレが最前列にいるからと言って、巫女達を愛でる至福の時間を奪う権利はない。断じて、ない。たとえ最後列、最優秀の成績を誇るこの女でも。
「……あんた、何でそんな風になっちゃったのよ。昔は一番後ろにいたの、シンじゃない」
最優秀だからなんだと言うんだ。そんなの、オレはもう求めていない。
ただ、面と向かって反論はしないでおいた。余計な事を言おうものなら、ミアの口うるささが過熱化することは目に見えている。無視してればきっとそのうち諦めて帰るだろう。そう願うばかりだ。オレには祈る神はいないけれども。
「あらあら、また落ちこぼれの相手してるのかしら? さすが一番後ろにいるミアは違うわね、よゆーがあって」
「…………はあぁぁぁ」
回避失敗だ。それどころか、面倒が服を着たようなヤツまでやってきた。この高飛車で人を小ばかにしたようなしゃべり方をする声は、きっとリズだろう。目線はゴッタブから話さなかったが、声だけでわかる不愉快具合だ。やはり向ける先のない祈りは届かないのか。
「落ちこぼれさん、落ちこぼれさん? この美貌を無視するなんてあんまりじゃないかしら」
オレの気を引きたいのか、リズが机をコツコツ叩きながら言う。視界の端に見える指は、細くて握ったら折れそうだ。何も苦労を知らない手。何もオレの気を引くものはない。相手をする必要も、ない。次の授業が始まれば、大人しく席に戻るだろう。
今、ゴッタブの中では神民が必死に畑を作っている最中だ。額に汗して生きている彼らを見る邪魔だけはして欲しくない。
「あらあらぁ……数少ない男の子だから優しく話しかけてるのに、本当に無視するのね。そんなに神民が大事? 何を眺めてるかしら……」
リズの言葉と共に、巫女達の姿がオレの目の前から消えた。
眺めていたゴッタブは、さっき視界の端に入っていた細くて華奢な手の中にある。
「返せよ」
「あらぁ、これ畑? ウチとは比べ物にならないくらい貧相ね、使ってる道具だって随分雑じゃない」
リズはオレの要求には応じなかった。無視された仕返しのつもりなんだろうか。高慢でいけ好かない女だ。目鼻立ちのくっきりした顔も、やたら存在を強調する乳房も、派手な金色の髪も気に入らない。
「嫌だわあ、こんな退屈そうな生活。ほんのちょっと前まで最後列にいたあなたが、随分と落ちこぼれたものだわ」
「返してくれ」
手を伸ばすものの、長い髪を翻しながらリズに距離を取られる。
「前のクラスでは最後列にいたあなたが、どうしてこんな地味で退屈な世界を作ってるのかしら。きっとあなたの神民も……」
「やめなさいよ、リズ」
立ち上がりかけたオレを遮ったのは、ミアだった。リズから奪い返したゴッタブは、オレにむけて突き出されている。勢いを削がれて収まりが悪いけど、オレの巫女達は帰ってきた。イライラを吐き出すように一つ息をついて、オレは腰を下ろす。
「あらあらぁ、落ちこぼれを気にかける余裕があるなんてさすがは最後列さんねぇ。でも、ミアは歯がゆくないの? 自分より優秀だった神の子が、こんなレベルの低い世界作ってて」
「……。そんな事より授業始まるわよ、席に戻らないと」
「はぁ。次は基礎構築だったかしら。退屈なのよねえ」
二人がカツカツと靴音を鳴らしながら自分の席に戻っていく音を、オレは愛すべき神民達を眺めながら聞いていた。何と言われようと、巫女達は守る。二度とあんな思いをするのはごめんだ。