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鈴木さんのハンカチは異世界へ行く ─俺は、会社へ、帰りたいっ!─

 同僚の岡田が、怒鳴られる彼女を見つめ呟いた。


「鈴木さん、部長にまた怒鳴られてる……

 藤白(ふじしろ)、お前の席だと、嫌でも聞こえて大変だな」


「まぁな。声、デカいしな」


 そんな部長の()()()を聞きながら、岡田は俺のデスクの書類を手に取り、


「お前、今日ヤバいな。残業確定じゃね?」


「岡田に確定って言われたくない」

 俺は言いながら右を見た。彼女は小さな肩をすぼめ、俯いたままだ。

 しかし、もう昼休み。

 先ほどベルが鳴ったのに、部長の耳には入っていないのか、怒声が罵声へと変わり始めている。


 ……俺は、気持ちよく、昼を、食べに行きたいっ!!!


 俺はそれだけのために書類を取り上げると、部長の元へと踏み出した。

 岡田はやれやれと声を出さずに呟くが、俺はそれを見て軽く笑い、すぐに顔を引き締めなおす。


「部長、お取り込み中にすみません……」


 声をかけると、彼女のために真横に向いていた体がこちらへ向いた。だがこちら側を向くのが、本来の正しい部長の向きだ。


「……なんだ?」


「午前中に頼まれていた書類なんですが、一度部長にお目通しを……」


「ああ。ったく、鈴木、藤白を見習えっ! はぁ、……戻っていいぞっ!」


 大きなため息に押し出された彼女は、小さく頭を下げ、眼鏡をあげ直しながら猫背で去って行った。

 俺はそれを見送り席へと戻ると、岡田は外国人並みに肩を上げて、首を傾げる。


「なんでお前はこうもお節介なのかな?」


「実際小言は止んで、俺も仕事が進んだんだからいいだろ?

 な、岡田、駅前のラーメン屋行かね? 今日は冷やし中華の気分なんだよねぇ」


 上機嫌で自動ドアをくぐったが、ビルの外は別世界だ。

 熱の空気が体に絡む。

 日差しが刺さり込んだアスファルトを踏みしめて、俺たちは目当てのラーメン屋へと向かって行った。


 吹き出す汗をハンカチで押さえながらの徒歩10分。

 引き戸を開けて店へ入ると、ガンガンに冷えた空気が体を包み込んだ。

 身震いするほどだが、ここはまさにオアシスだ!

 空いてるテーブル席にすかさず腰を下ろすと、おばちゃんが「お疲れ様」の声とともに水を出してくれる。

 俺はすぐに飲み干し、2杯目をねだりながら、


「俺、冷やし中華。岡田は?」


 指を差すと、岡田は壁にかけられたメニューをぐるりと眺めて俺を見た。


「冷やし中華で」


「はい、冷やし、2ね」


 伝票に書き留めながらカウンター越しにいる主人へ声を投げる。主人が繰り返した冷やし2という声を聞きながら、何気なく店の角にあるテレビを見上げた。

 今日の特番は心霊特集をやるらしい。


「へぇ、心霊……」


 岡田がぼそりと言うので、

「興味あんの?」

 水をひと口飲み込んだ。


「いや、こういう番組少なくなってんじゃん。藤白は見たりする?」


「俺は0感で怖がりだから見ない」


 グラスの水滴を俺はなぞる。これは子供の頃からの癖だ。

 岡田は俺に目もくれず、特番の内容を復唱した。


「あ、コックリさん系の話もやるんだって……藤白、そういうのやったことある?」


「俺は全くない。だいたい親が絶対するなって言っててさ」


「なんで?」


 岡田が水を飲み干すと、おばちゃんがすかさず水を注ぎ、さらにピッチャーを置いていってくれた。

 これで心置きなく水が飲める。


「なんか親が中学の時、そういうの流行ってて。それをやってたひとりがいきなり発狂したんだと。

 しかも髪の毛が真っ赤に染まって救急車で運ばれたらしい」


「……結構過激だな」


 こちらに目を戻した岡田の顔は固まっている。

 眉唾だと頬に書いてあるのを見て、

「どこまで本当かわかんねぇけどな」

 付け足すと、その通りだと言わんばかりに、顔を小刻みに揺らしてうなづいた。

 俺自身も親の脅しだとは思っているが、あの真剣な母の顔は、今も忘れられないでいる。


 ぬるくなった水を飲み込んだとき、待ちに待った冷やし中華が届いた。

 やはり、ここの冷やし中華は別格だ。

 特に具材!

 湯むきされたトマトが半分も使われ、さらにハムではなく、特製焼豚がたっぷりと鎮座している。

 皿に付けられた練り辛子と、焼豚の香ばしい風味が食欲をそそり、玉子風味のちぢれ麺が酢のきいたタレによく絡んで、ウマイっ!


 夢中で麺をすすっていると、岡田が思い出したように話し出した。


「さっきさ、コックリさんするしないとか言ってただろ?

 俺んとこ、ってか、今はどうかわかんないけど、ハンカチ落としが禁止だったんだよね」


「なんで?」

 俺はすする手を止めず、目だけを上げて岡田に聞いた。

 岡田もまた麺をすすりあげ、ゆっくり咀嚼してから話し出した。

 

「うちの婆ちゃんが言ってたんだけどさ、大昔、みんなでハンカチ落としで遊んでたんだって。

 だけどそのうちのひとりがいきなり消えたんだってさ」


「……あぁ、神隠し的な?」

 俺はよくあるヤツな。そう思い、錦糸卵と麺を混ぜて一口含む。タレが玉子に染みて、よりおいしい。


「つか、それも1回じゃなくて、3回も起こってさ、その神隠し?」


「3回……?」


 キュウリと麺の割合をどうしようか悩んでいた手が止まってしまった。

 3度もあるとは気味が悪い。


「そ。だからここの地元の人は、ハンカチが落ちても拾わないんだ。

 よくばあちゃんに『落ちたハンカチだけは拾うな』って言われたわぁ」

 岡田はさも当たり前のように喋り、麺を頬張った。


「すごい話だな」

 俺は額を拭こうとハンカチを取り上げたが、それは手から滑り、食器を下げに出てきたおばちゃんの足元へと落ちてしまった。

 おばちゃんはそれを愛想笑いできれいによけて、下げる食器の元へと歩いて行った。


 他愛のない会話をしながらの昼食は、あっという間に終わってしまう。

 会社に戻った俺は、業務に対して進撃を開始した。


 現在21時42分───


 デスクの上の仕事は半分も減っていない。なのに明日までに仕上げなければならないものが、あと2つ残っている。


 一体、いつまでかかるのだろう……

 

「……休憩しよ」


 俺は自分に言い、立ち上がった。

 見渡すオフィスには、やはり誰もいない。

 岡田も残ってはくれたが、19時30分にさしかかったとき、

 『俺、今日、デートだから!』

 岡田は言い捨て、俺も捨てて帰って行った。


「……俺も彼女いたらもう帰ってるのかなぁ……」

 ゆらゆらと歩きながら通路に面した休憩所へ向かうと、うずくまる女性がいる。

 一瞬ギョッとし、引き返そうかと思ったが、よく見ると鈴木だ。

 そしてうずくまっているのではなく、小さい体を丸め、ドリンクを飲んでいる姿がそう見えたようだ。


「お疲れさま、鈴木さん」


「あ、……お疲れ様です」


 か細い声が返ってきた。だが会話ができる相手がいるのはいい気分転換になる。

 俺は自販機に対峙しながら、

「鈴木さんも残業してたんだね。ねぇ、今飲んでるの何?」


「……へ? あ、えっと。コーンスープです」


「ああ、……え、冷えてるやつ?」


 変な声が出たと思う。

 今まで気づいてなかったが、冷たいコーンスープがあるなんて……!


「あっさり目で、コーンがしゃきしゃきしてて美味しいんです。小腹にもちょうどいいんですよ?」

 そう言った彼女の顔から、メガネが外れていた。

 眼鏡の汚れをハンカチで拭き取っていたからだが、彼女の顔はいつも前髪で覆われ、さらにメガネでカバー。

 なので俺はこのとき、初めて彼女の素の顔を見た。


 ───意外と、美人だ。


「あ、藤白さん」


 ついと顔を上げられ、俺は思わず自販機へと向き直った。お金を入れてはみるが、それはただの誤魔化しで、何を飲むかはまだ決めかねている。


「今日、部長の間に入ってくれてありがとうございました」


「え、あ、……俺も確認あったし、気にしないで」


「ときどき入ってくれるじゃないですか。すごく嬉しくって。いつもお礼言えてないから……

 今日言えてよかったです」


 メガネをかけた彼女はいつもの『鈴木さん』だ。

 地味で小さくて鈍臭そうな彼女である。

 俺はカフェオレのボタンを押し、取り上げた缶で首を冷やしながら、彼女の横に腰をかけた。あえて遠くに行くのもおかしいだろうという結果だ。だが彼女は俺が座ったと同時に立ち上がった。


「仕事がまだ残ってるんで、先にデスクに戻ります」


 彼女は小さく会釈をし、オフィスへと足を向けたが、その後ろに先ほど使っていたハンカチが落ちている。

 俺はすかさず屈み、拾い上げながら声をかけた。


「鈴木さん、ハンカチ落と」

      

 ───空気が変わった。


「したよ……」


 顔を上げると、そこは大草原だ。

 草・草・草・草の真緑の空間である。しかも真昼間だ。

 思わず足を上げてみたが、靴には泥が跳ね、柔らかい土の感触が足裏に流れてくる。風の匂いは雨上がりの香りで、強く吹き、まとめた髪が乱れてしまう。

 白昼夢である割には、とてもリアルだ。

 だが白昼夢のはずなのに、左手には汗のかいた缶コーヒー、右手には彼女のハンカチがある。


 ハンカチ……?

 俺は絶句した。


 ───まさか、岡田の言っていた、神隠し………?


 顔を上げると、草を割って走り、こちらへ向かってくる影がある。


「……っ!

 社畜をなめんじゃねぇっ!!!」


 草地に転がっていた木の棒を取り上げ、俺は叫んだ。


「絶対、会社に、帰ってやるっっっ!!!!!」

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