誰そ彼に影のみが揺れて
サイト掲載済みの短編です。お盆なのでそれらしいお話をどうかと。
母に頼まれて、コンビニに行く。
折角帰宅したのにと文句を言いながらも私は鞄を置いて、再び家の外に出た。外は夕焼け色に染まっていて、あと少しで、あたりは真っ暗になってしまうだろう。
コンビニへは五分ほどだ。
通り雨の過ぎた蒸し暑い中を歩く。一歩進むたびに汗が噴き出ていく。そのうちに体の中の水分がすべて溢れてしまうのではないかと錯覚しそうだ。
コンビニの中に入ると冷気が体を包み、べたついた肌が生まれ変わったような気分になる。母から頼まれたものを買うついでに、自分のためのアイスも一つ。店を出るとすぐに開けて、食べながら帰路につく。
ぼんやりしながら歩いていると、道の先に影が出来た。
「あれ? さっちゃん?」
見たことのある影に首を傾げる。
呼びかけた影はその形を揺らすが、振り向いてくれない。
一歩、踏み出す。
されど一歩、影が遠のく。
「さっちゃん?」
「ごめん。いまちょっと、転んでみすぼらしいから、このままでいい?」
「あ、うん。大丈夫」
幼馴染のさっちゃんは私立の中学へ行ってしまったせいで、ここ数か月会っていなかった。
「久しぶりだね。どうしたの?」
影に笑い掛けると同じように笑った気配がした。さっちゃんはおとなしくて、やさしい男の子だ。お父さんと同じ中学に行くんだと言って、勉強を頑張っていた。卒業の時には暇な時はまた遊ぼうね、なんて約束したものだ。
そのさっちゃんと久しぶりに会っている。……と思う。
「さっちゃん?」
夕暮れのオレンジ色は既に藍色を含んでいる。動かないさっちゃんに不思議に思う。どうして何も言わないのだろう。
「転げたって、言ったけど大丈夫?」
「……うん」
少し答えるまでに時間があった。
「派手に転んだけど、もう痛みはないから」
「そう」
ホッとして安堵の息を吐き出した。
「さっき姿が見えて、久しぶりに話しかけたくなったんだ。急にごめん」
「いいよ。元気にしてた?」
さっちゃんの話はあまり私の耳にまで届かなかった。だから元気にしていたのだろうと思っていた。
「それなりに」
さっちゃんの答えは曖昧なものだった。けれどそれだけで満足した。
「実はさ、謝りたいことがあったんだ」
「何?」
「昔さ、五年の時だったかな。バレンタインにチョコを作ってくれたでしょ。市販のを買ったって言ってたけど、手作りだった」
「え、なんでばれてるの?!」
「おばさんが教えてくれた」
「ちょっと、おかーさん!」
今は居ない母に向かって叫ぶ。くすくすと笑う様を見せながら、影は続ける。
「あれね、おいしかったよ」
思いの外真剣な声が落ちてきた。
渡したあと、感想を訊いたら普通とさっちゃんは答えたのに。何故嘘をついたんだ。
「恥ずかしくて、さ。でも本当においしかった。嬉しかった」
「……まあ、許してあげる。後からでも美味しかったって言ってくれるのは嬉しいもの。今度何か作って行ってあげようか?」
「本当に? 実はそれをお願いしたくて、声を掛けたんだ。僕、知佳の作ったチョコをもう一回食べたい」
甘えるような声に忍び笑いを漏らす。そんなに気に入っていたのなら素直に言えばよかったのに。
「いいよ。今度家に寄っていい?」
「うん。楽しみにしてる。絶対来てね。待ってるから」
「いつでも言ってよ」
「……そんな、言えないよ」
少しだけ曇った声に頬が緩む。おとなしくて、やさしいさっちゃんらしい。
「あ、じゃ、じゃあ、もう暗くなるから行かなくちゃ。呼び止めてごめんね」
「うん。またね」
いつの間にか街灯の明かりが神々しく輝いていた。さっちゃんは少し足を引きずるようにして姿を消した。家に帰るのだろう。
ひさしぶりの幼馴染の会話に私は穏やかな気持ちになっていた。
家に帰ると何故か母が忙しなく動いていた。呑気に声を掛けると、どこに行っていたのかと責められた。理不尽だ。買い物を頼んだのは母だったのに。
しかし次の言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。
「悟くんが、事故に遭ったって……」
「え! さっちゃん? ……さっき会ったよ?」
さっちゃんはさっきまで居た。話をしていたのだ。だけど母は違うという。どうすればいいのか私はわからなくて困惑した。
「あのね、落ち着いて聞いて。悟くん、中学で苛められてたみたい……。学校近くで背中を押されて道路に飛び出して、偶々走ってきたトラックに轢かれたんだって。少し前に病院で息を引き取ったんだって電話があったの」
嘘でしょう、と叫ぶが母の真剣な顔に嘘はないのだと知る。呆然としたまま、さっきの会話を思い出していた。
手作りのチョコが欲しいと言った。
母がお通夜に、と準備を始める。私にも出席するかと訊ねてきた。私は追いつかない頭のまま、行かないと首を振る。
胸に湧くのはチョコレートを作らなければという想いだ。やさしいさっちゃんは、私が驚かないように影だけで遭いに来てくれたのだ。そう気づくと目尻から涙が浮かぶ。
母が急ぎ、外出の支度をする。窓の外はもう真っ暗だ。
黄昏時は既に彼方に遠のいていた。