とある猫又ウェイトレス
「スイベラスさん、いらっしゃいませー」
「よぉノイルちゃん。いつもの頼む」
「はーい、定番二のD盛りと麦酒一杯ですね? 店長おねがいしまーす!」
「あいよ!」
「ノイルちゃん、俺も同じやつ頼む。ああ、麦酒じゃなくブドウ酒で」
「セレゼンさんに、定番二D盛りとブドウ酒でーす! はい、ノッチルさん、お勧めC盛りお待たせしました-!」
「ありがとうノイルちゃん」
ここは冒険者の町ウェストクリーズ。
冒険者たちが集い、仲間を集め、仕事を請け負う場所、通称冒険者ギルドのすぐそばに一軒の定食屋があった。
ちょうど昼時であり、中はかなりの冒険者で賑わっている。そして、オレンジ色の配給者服を着たテキパキと働く一人の小柄な猫の獣人がいた。
彼女の名はイーヴェンノイル、御年百と一歳の猫又だ。
(いっそがしーよー! 何これ何なの? 俺死ぬの? 働きたくないでござる、働きたくないでござる)
絶対に口には出せないような言葉を内心で思いつつ、それでも笑顔は絶やさず、客の注文を取り食事を出している。
くるくると大きな金色の目が動き、頭についている二つの耳がまるでレーダーのように客の声を聞き取り、注文が聞こえれば即座にそのテーブルへと足を運ぶ。
彼女の小さなかわいい尻から生えている一本の尻尾が、その動きに合わせひょこひょこと左右に振られた。
彼女はこの定食屋の看板娘だ。百と一歳という年齢のくせに娘と呼ぶのは烏滸がましいが、外見はどう見ても十代前半の少女であるので問題はないと思われる。
「ノイルちゃん、夜にも入らないの?」
「セレゼンさん、私を殺す気ですか? 朝からずっと働いているんですよ、夜まで入ったら死んじゃいます」
「ノイルちゃんにお酌して欲しいのにな」
「あはは、機会があったらです」
ノイルの担当は明け方に料理の仕込みの手伝いと弁当の売り子、そして午前中に昨日の売上計算、昼はウェイトレス、夕方は夜の料理の仕込み手伝いだ。
朝四時から夕方の四時まで、実に一日十二時間労働である。間に休憩は挟めるが、夜の八時にはもう寝ないと翌日に響くのだ。更に定食屋に休日という文字はない。一年中営業である。
これも獣人の体力があってこそだが、それでもかなり辛い。
(それにしてもここへ就職して半年。意外と慣れるもんだな)
彼女は元々猫獣人の冒険者だった、しかもAランクというほぼ最高峰といっても良い冒険者だ。八歳から冒険者を始め二十五歳まで現役で働き、その後結婚して一男一女を生んだ。
そして夫に先立たれ、子供や孫、ひ孫たちも独立して一人寂しく生きて百歳ちょうどになった時、猫又として覚醒したのだった。
ちなみに獣人が百まで生きた前例は無い。概ね四十歳、長くても六十歳程度で亡くなる。その代わり十歳くらいで人間の大人に負けないくらいの身体能力を発揮する。
更に彼女が猫又として覚醒したとき、自分の前世の記憶がよみがえった。彼女……いや彼は日本で生まれ、そして三十六歳の時に課長へ昇進、その後三十八歳で過労死したリーマンだった。
猫又として覚醒し、前世の記憶も蘇った彼女は、これからどう生きるか悩んだ。普通であれば、もう一度冒険者になるだろう。だが、生前は平和な日本に生まれた記憶がある。今更殺伐とした冒険者などできないし命のやりとりは怖い。
ということで、安全な町中でウェイトレスとして働くこととなった。ちなみに住み込みである。
冒険者だった頃はもうすでに七十五年以上も昔だ。同じパーティだったものもとっくの昔に死んでいる。
エルフやドワーフなどの長命種ならAランクまで上がった彼女の記憶はあるかもしれないが、今の彼女の姿は冒険者時代の頃とは全く異なる。猫又に覚醒したとき、しわしわの猫獣人から十代前半の少女へと変化したのだ。
更に猫又の技能である幻覚で、尻尾を一本にしている。何しろ猫又という種族が居ることなど聞いたことがないのだ。猫獣人だった時の記憶を漁っても無いので、確実である。
下手に公にしては彼女自身が困る。目立ちたくない、責任も負いたくない。何しろ生前は課長という肩書きが増えた後、過労死するほど働かされたのだ。このままひっそりとただのウェイトレスとして生きていくのだ。
「ノイル! 休憩入れ」
「はい!」
昼時も終わり、ようやく遠のき始めた客足。やっとノイルは店長に言われ休憩に入ることができた。
冒険者ギルドのすぐ側にある定食屋だ。しかも初心者向けの値段設定にしているため朝、昼、夜は戦場である。
(このままだと下っ端のウェイトレスでも過労死するんじゃね?)
定食屋の二階にある自室へと戻ったノイルはそのままベッドに倒れ込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「店長、お肉とお酒の在庫がそろそろ切れそうです」
翌朝、仕込みの時に魔道具の冷凍設備を覗いたノイルは危険信号を発信した。
厨房からぬっと顔を出したのはこの定食屋の店長であり、料理長のベルムル、御年三十五歳の熊の獣人だ。
身長は軽く二メートルを超え、腕力だけなら獣人の中でも一番の熊だ。しかしその大きな手で細かい料理を作る事ができ、更にノイルを雇ったのも同じ獣人だから、という仲間意識の強い人である。
しかもこの人はこの朝の早い時間から夜遅くまでずっと料理を一人で作っている。一体いつ寝ているのか不思議だ。
「早くないか?」
「ここのところ暑い日が続きましたから」
まだ夏には早いが、ここ数日暑い日が続いているのだ。こういう日は冷たい食べ物、冷しゃぶが売れるのだ。また冷たい酒も同時に飲む人も多くなる。
何しろ冒険者にとって一杯二杯程度の酒は水と代わりがない。それに水は川から汲んできたのを沸騰させて放置したものを出しているため温いが、酒類は冷凍設備内に入れているので冷たい。
価格差もあるが、やはり冷たいものがよく売れている。ノイルの見たところ、おそらく明日の昼には在庫が無くなるだろう。
「そうだな。なら仕入れに行って貰ってもいいか? 金はノッケアから貰ってくれ。取り急ぎ三日分だ」
「はい、分かりました」
ノッケアはベルムルの妻で、狐の獣人だ。しかも二十二歳という若さで既に七歳の娘がいる。そして夜の女将さん担当である。
(ベルムルさんはロリコンと)
ただし、獣人は成人が十二歳からとなっている。別に悪いことではない。だがさすがに十三歳差はあまり居ないのも事実ではある。
ちなみにノイルは成人して山から下りてきて一人暮らしをしにきた、という設定で十二歳と偽っている。
ノイルは厨房から二階へとあがり、ベルムル夫婦の部屋をノックした。
「ノッケアさん、三日分のお肉とお酒を仕入れてくるのでお金頂いてもいいですか?」
そう声をかけると、ドアが開いて中から妖艶な美女が顔を出した。ふさふさの耳と尻尾を持っている狐の獣人、ノッケアだ。
(これだけ色香のある女性なのに子持ちとは、ベルムルさんが羨ましい)
前世の記憶を取り戻してからすっかり男の心となったノイルだが、自分も昔は結婚して子供を二人も産んでいるから他人の事は言えない。
しかし今のノイルなら、男に抱かれるなんて信じられねぇ、と言うだろう。
「あら、悪いわね。三日分よね、えーっと」
「お肉が銀貨三十枚、お酒が銀貨十五枚で、合計銀貨四十五枚です」
「ノイルちゃんっていつも思うけど計算速いよね。メルリアもノイルちゃんくらい賢ければ良いんだけど……」
「あはは」
ちらと部屋の奥を見るノッケア。部屋ではまだベルムルとノッケアの娘であるメルリアが寝ているのだろう。
ただ、賢いと褒められても単純な足し算だ。肉や酒の定価が分かれば簡単に求められるのだ。あまり褒められた気にはなれない。
しかし獣人は脳筋が非常に多い。だからかノイルのように計算を、しかも暗算で素早く答えられる者などそうはいないからノッケアとしては絶賛しているつもりだ。
ノイルもそれは分かっているものの、乾いた笑いしか出ない。
「はい、銀貨四十五枚。大金だから気をつけてね」
「ありがとうございます。行ってきます」
住み込みとはいえ、本来金を扱うような仕事をウェイトレスに任せるなど普通はしない。それだけベルムル夫妻に信頼されているのだろう。
人手が足りない、とも言えるが。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(三日分か。多分二日くらいしか持たないだろうな。でも二日持たせられれば、次に仕入れ業者が来る日には間に合うか)
ノイルがウェイトレスを始めてから、客先が格段に増え、しかも客単価もあがった。
最初この定食屋で働き出した時、金管理がザルだったのだ。
値段設定も計算が面倒だから、という理由で定食は一律銅貨五枚、一品料理が三枚、酒一杯銅貨二枚だった。原価計算も人件費も何も考慮していない。いつもカツカツだったらしい。
よくこれで長年潰れず経営出来たものだと思ったが、立地によるものが大きかった。何せ冒険者ギルドのすぐそばなのだ。
また値段設定が相場に比べ安めなので、初級ランクの冒険者でいつも賑わっている。更に料理もそれなりに美味く、量も多い。
店長であるベルムルは元冒険者であり、熊の獣人だ。体付きも非常に大きいため、食費も馬鹿にならなかった。だから初級ランクの頃、非常に食費について頭を悩ませていたらしい。
時には外に出て野生の獣を狩って調理していたという。その頃の料理の腕が今生きているのだが。
だから冒険者引退後は出来るだけ安くて量の多い料理屋をやりたかったそうだ。
(その志はすごく分かる。自分も安月給の頃、外食なら牛丼系、自宅では袋麺が主食だったしな)
だが、それが元で潰れてしまっては意味がない。
そしてノイルがここへ働き始めてからは、まず帳簿をつけ始めた。一日どんな物が何食売れたのか、そしてその原価、更にどんな客層が多かったか。
一週間もすればだいたい傾向は分かってくる。
朝と夜は圧倒的に冒険者、特に初級ランクが多かった。朝は一仕事する前の腹ごしらえ、そして夜は終えた後の一杯、という事だろう。
その代わり昼間は閑散としていた。殆どの冒険者は何らかの依頼を受けて町にいないからだ。一般の客が来てもいいのでは、とは思ったがここは冒険者向けの定食屋だ。一般の人は冒険者たちを野蛮、がさつ、乱暴など思っているらしく、近寄る人はあまりいないらしい。
まずノイルは値段設定とメニューに注目した。
定食は一律というのは分かりやすく、またそれで量が足りない人は一品料理をいくつか頼めば満腹になるのもいい。しかしそれではどんな原価の料理も一律なのだ。ものによっては赤字になるものもある。
そこで、定食の種類を定番一と定番二、そして店長お勧めの三種類とした。定番はずっと変わりの無いメニューだが、お勧めメニューはいわゆるその時期に原価の安い食材を使った料理だ。
価格は定番が銅貨十枚、お勧めは銅貨八枚である。
更に量を細かく設定した。実にAからFまでの六種類である。これは冒険者のランクと合わせている。
つまりAだと特大大盛りだ。ベルムルのような熊の獣人向けである。逆にFだと小柄な種族、あるいは子供などが食べられる量としている。そしてDが平均となるようにしていた。
値段はAなら銅貨十五枚、Bなら十枚、C五枚、Dは変わらず、Eマイナス二枚、Fマイナス三枚を加えた。
一番安いお勧め定食のFだと銅貨五枚で食べられる。これは今までと同じ値段だ。そして冒険者の大半は追加で一品料理をいくつか頼んでいたので、その人たちはだいたいDからCを頼むので結果的に殆ど値段は変わっていない。
最後に一品は全て撤廃した。
冒険者側としても、毎日同じ定食しか無かったものが一気に三種類へと増えて、更に少しだけ安いお勧めメニューも増えた。
また量も冒険者ランクと同じ形としたので非常に覚えやすい。
結果、それなりに好意的に受け止められた。
作る側としても一品料理は手間暇がかかっていたが、撤廃したので作る作業が減った。
量は細かく設定されているが三種類の料理を一気に大量に作ればいいだけであり、量は皿に盛る段階で調整できる。
また食材の購入についても一週間に一度、大量に買うようにした。その代わり大量購入なので値引きして貰っている。
一月後には食材の大量購入による値引きで、カツカツだったのが少しだけ余裕が出来るようになった。
次にノイルは昼間が閑散としているのはメインの客層である冒険者が町にいないからだ。ならば昼用の弁当を出せば売れるだろうと考えた。中身は昼に出す定食と同じものである。
ただ弁当ということは、入れる箱が必要だ。使い捨てだと毎日作ってもらわなければならない。それは手間がかかるし、金もかかる。
という事で販売時に銅貨三枚を加算した。そしてあとで箱を返してくれた人に銅貨三枚を戻すようにした。
このおかげで箱の返却率は高い。
他にも雨が降っているとやはり客足は鈍る。たいてい宿泊している宿屋の食堂へと足を運ぶからだ。
だから雨の日は銅貨一枚安くした。侮ることなかれ、たった銅貨一枚でも効果は非常に大きい。カツカツな生活をしている初心者には特にだ。
更には昼間は出さなかった酒を一人一杯まで出すようにしたり(ただし水で薄めている)、季節メニューを増やしたり、酒だけでなく茶も出したりと思いつくままやった。
またこれまで妖艶だったものの、愛想はそこまで良くなかったノッケアから朝と昼のウェイトレスを代わり、はきはきと挨拶したり、常連を覚えたりもした。声を出すのに金はかからないのだ。
そして半年が経過した今、売り上げは倍近くに増え、純利益もかなり出せるようになった。
しかもまだまだ上昇中である。そろそろ人手を募集しないと、さすがに死ぬ。せめてホールに二名、料理人も一名増やしたいし、どうせなら二十四時間にしてシフト体制に……。
と、そこまで考えてノイルははたと気がつく。
(あれ? 何で俺、経営まで考えてるんだ? 前世の仕事の影響か?)
ここのところベルムルやノッケアから、養子にならないか、と誘われている。それはつまり、ノイルを跡取りとして見ているのだ。
娘のメルリアは結構脳筋である。包丁よりもどでかい刀を振る方が好きな幼女だ。このままだと彼女はおそらく冒険者となるだろうし、店はノイルに任せたいと考えているのだろう。
(確かにそれも魅力的な話なんだけどさ。頑張って店舗数を増やしてチェーン店のようにすれば、将来食いっぱぐれる心配もないだろうし。でも猫又の寿命ってきっと長いよね)
獣人の寿命は五十年だ。容姿は幻覚で何とかなるだろうが、五十年後もぴんぴんしていたらさすがに疑問に思われるだろう。ある程度のところでここを出て、別の町へ行く事を視野にいれなければならない。それを考えると養子を受け入れる事はできない。
それに絶対結婚しろと言い出すに違いない。それだけは勘弁してほしい。既に一回しているのだ、そんなウホッな経験は一回だけで良い。
(あと五年くらいが限度かな。五年後ならメルリアも成人しているし問題はないだろう)
そんなことをつらつらと考えていると、ギルド前がやけに賑わっているのに気がついた。今はまだ明け方だ。朝の早い商店街ならともかく、ギルドが賑わうにはまだ時間が早い。
殆どのものが困惑、不安な顔をしているが、極一部は興奮を押さえきれないような雰囲気だ。
(ああ、緊急依頼か)
ノイルも昔は冒険者だった、しかも一級品の。その頃の記憶から何となく分かる。
緊急依頼は文字通り一刻を争うような事態が起こった時に発せられる。冒険者ギルドに属する冒険者全員、基本断ることができない。ランクによって依頼内容は異なるが、もちろんランクが高ければ高いほど危険度の高い依頼を受ける。
正直に言えば死亡率は極端に高い。だが緊急依頼は通常の依頼と比べ、報酬が格段に良いのだ。更にランクアップの判断元となるギルドへの貢献度も上がりやすい。ここで活躍すれば一気にランクが上がることだってある。
また緊急依頼はこの町に危険が迫っている事に他ならない。町を治める領主に顔を覚えられればそれだけで箔がつくし、領主の専属冒険者になれれば収入が格段に安定するだろう。
上を目指すものなら、このチャンスは逃せない。
(ま、今はそんなことより買い出しっと)
「あれ、ノイルちゃん」
ざわざわとざわつく冒険者たちを横目で見ながらギルドを通過していこうとすると、声をかけられた。
「スイベラスさん、おはようございます」
「おはよう、こんな朝早くにどうしたんだ?」
「お弁当の食材の買い出しです。それより何かあったんですか?」
「うん、町の近くにゴブリンの大群が居たらしく、領主様が冒険者を募って討伐にいくらしいんだ」
ゴブリンの大群か。うん、確かに緊急だね。
放置しておくと、いずれ襲ってくるかもしれないし。
しかし、領主自ら行くのか。アグレッシブな人なんだ。
「大群ってたくさんなんですよね」
「話によると五百匹くらいだって。こっちも三百人くらい募集してるけど」
ここは冒険者の町と言われるほど冒険者の人数は他と比べ多い。それでも五百人しかいないのだ。更に護衛などで遠出している人もいるだろうし、三百人はさすがに無茶だろう。
困惑顔の人が多いわけだ。
「スイベラスさんも参加するのですか?」
「ゴブリンだけならおいしい仕事だけどな。でもこれだけ数が多ければ上位種がいるのはまず間違いないからちょっと困ってるんだ」
(上位種ってゴブリンロードや、ゴブリンチーフだっけ。ロード相手だとBランクは欲しいところだな)
「でも悩んでいるんだよ。領主様に顔を覚えてもらえれば、今後楽になるし」
スイベラスは人族でDランクの冒険者だ。ゴブリンなら一度に三体くらいは相手できるが、上位種では厳しい。というか負ける。
「高ランクの人は参加しないのですか?」
「まだ募集中だから分からん。でも領主様お抱えのチーム、波風の波止場は出ると思うしな。なら参加してもいいかなとは思ってる」
波風の波止場はB、Cランクで構成された六人パーティの冒険者だ。この町の筆頭冒険者といっても過言ではない。
彼らであれば上位種でも相手できるだろう。
「命は一つしかないのですから、無茶はダメですよ」
「分かってるって。ノイルちゃんに酌してもらう前に死ぬわけにはいかないしな」
「参加するなら逃げ際を見極めて、しっかり稼いで売上に貢献してくださいね」
「はははっ、ちゃっかりしてるな。ノイルちゃんは参加しないのか?」
「ふぇ? 単なるウェイトレスですよ、私は。素人に何が出来ると思ってるんですか」
「そうか、残念だなぁ。参加してくれれば向こうでも料理が食べられると思ったのに」
「いやいや、料理はベルムルさんが担当で、私はウェイトレスですって」
「そうか、そうだよなー」
ひとしきり雑談したのち、ノイルはスイベラスと別れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(……素人ね)
立ち去っていくノイルの後ろ姿をじっと見るスイベラス。
スイベラスはノイルを只者ではないと思っている。いや、彼だけではなく、店長のベルムルも同じだ。
ノイルが来てからあの店はがらっと変わった。メニューから金額から、店の対応まで全てだ。利用する側のスイベラスにとっては良いことなのだが、いくら何でも変わりすぎた。
ただ、それだけであれば商人の子供だったのかもしれないし、商魂逞しい少女、という認識になるのだが、あの働いている時の動きは熟練の冒険者のそれである。
狩りで鍛えた動きではない。魔物、対人を経験している者の動きだ。
スイベラスは現在二十三歳の人族だ。冒険者となって既に八年、強い冒険者たちとパーティを組んだ事もある。
彼自身はそこまで才能はないし、だからこそDランクで止まっているが、最初は上位の冒険者たちの戦い方を貪るように学んでいた。
だから分かるのだ。
ノイルの動きは、その上位冒険者たちとそっくりだと言うことが。
彼だけが気付いているのではない。元Bランク冒険者だったベルムルも気がついているし、それ以外の者も分かるだろう。
しかしあれほどの動きが出来るようになるまで時間はかかる。ベルムルが言うには、彼以上の腕を持っているもののブランクが長い動きらしい。所々ぎこちない動作があるようだ。
ベルムルの冒険者歴は二十年以上だ。彼以上で、更にブランクがあるというのだから下手をすれば三十年や四十年という事になる。
だが、ノイルの外見はどうみてもまだ成人したての子供だ。獣人は七歳から武器を持って実戦を経験する者が多い。そしてノイルの年齢は十二歳、となると経験はあっても五年だ。
いくら才能があっても、五年であの動きは出来ない。
となれば、年齢を偽っている。
見た目は十代前半の子供だが、実際は三十歳、四十歳くらいかも知れない。
ベルムルは何らか理由があって隠しているのだろう、彼女自ら語るまでは何も聞かないそうだ。
スイベラスは昔、ベルムルに育てられたことがある。昔から面倒見の良い先輩だったが、自主性に任せる部分は今でも変わらない。
俺も待つか。
スイベラスはそう思いつつ、ゴブリン退治をどうするか再び悩み出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「え? 食材があまりないのですか?」
「ああ、ゴブリンの大群がいるから、入荷が滞っていてな」
「そうですか……」
ノイルが仕入れ業者の店にいくと、そこは沈痛が支配していた。ゴブリンの大群を発見したのが三日前で、そこから食料の入荷が遅れているそうだ。
仕方ないとは言え、これはかなり痛い。
「次の入荷っていつになるかは分かりませんよね」
「ギルドに依頼を出したそうだから近日中には大丈夫になると思うけど」
「一週間くらいはかかりそうですよね。取りあえず今あるだけでも売って貰えません?」
「……他の店にも出す分があるからな、全部は売れないが良いか?」
「はい、それで構いません。他の人にも影響出るのは厳しいでしょうし」
ここは冒険者の町であり、自給自足出来るものはせいぜい麦系くらいだ。肉類は魔物の肉があるものの、五万人の胃袋を支えるほどは賄えない。
そのため、近くの町や村からほぼ毎日たくさんの荷駄がやってくるし、逆に魔物の素材などを他の町へ送っている。
一応各家庭に備蓄食料はあるものの、せいぜい数日である。食料を運ぶ荷駄が数日途絶えれば、麦があるのでパンなどは作れるがそれだけでは厳しい。炭水化物オンリーは身体に悪いのだ。
(これは思ったよりやっかいだな。領主自らゴブリン討伐依頼をかける訳だし、三百人も募集する訳だ)
領主としてはできるだけ短時間で一気に決めたいのだろう。おそらく冒険者だけでなく、領主の私設軍三百人も出すだろう。
ただ私設軍は町の治安維持も担ってるので全員出すわけにはいかない。
(一介のウェイトレスにはどうしようもないけど)
ノイルは猫又とはいえ魔力は低い。元々獣人は魔力量が少なく魔法が苦手なのだ。身体能力も素早さに特化しており、力はそんなにない。
猫又で誇れるものはただ一つ、幻覚だ。それも非常に強力な。
幻覚は魔法にもあるが、そちらは一人ずつかける必要がある。しかし猫又の幻覚はその場にいる全員だ。簡単に言えばものすごくリアルなホログラフを出すようなものだ。
更に、例えば巨大なドラゴンを出して歩かせる。
普通であれば地響きが起こるが、ノイルの幻覚は実際にドラゴンが歩いていると勘違いして、地響きを感じてしまうほど強力だ。
また雄叫びもそうだ。実際は吠えたりしていないが、吠えるような動作をすれば本当に吠えていると感じる。
ただし、あくまで幻覚だ。
幻覚のドラゴンに炎のブレスを吐かせても熱くはないし、噛みつかれたとしても実体の無い幽霊のように通り抜ける。
魔法抵抗力が弱い、いわゆる思い込みの激しいものなら、実際に噛まれたら痛いと感じる場合もあるし失神、あるいはショック死してしまう事もあるが。
このためノイルの幻覚は脅し、しか使えない。
現代日本に戻ればお化け屋敷で大活躍するだろう、その程度だ。
(食料は麦があるから飢え死にすることは無いけど、うーん、どうしようかな)
脅かしてゴブリンたちを散らす事はおそらくできる。ただ、倒せないのではそのうちまた集まるだろう。それでは単なるイタチごっこだ。
領主が緊急依頼を出しているのだから大人しく待っていれば良い、と思うが妙に血が騒ぐのだ。
何せ昔はAランクという最高峰の冒険者だったのだ。その頃の記憶も当然持っている。Aランクであれば、ゴブリンの群れを突っ切ってボスを倒すことだって出来るだろう。
ただし、七十五年も昔の事だからまず身体が言うことを利かないし、戦闘のカンも無くなっているし、何より意識が違う。
ぶっちゃけると猫又として覚醒した時に、それまで生きてきたノエルという元Aランク冒険者は死に、日本で生まれ育ち過労死した単なるリーマンとなった。
身体は未だ剣を持っていた頃の感覚は覚えているが、剣を振るうのが怖い、例え魔物だろうと生きている者を殺すのが怖いのだ。
一人暮らししてきた家を出て、ここの町へ来るとき幾度か魔物と出会ったが、ノイルは幻覚でその魔物を脅して戦いを回避したのだ。
身体は敵の殺気に敏感に反応し迎え撃とうと剣を構えたが、意識は逃げようと幻覚を出した。これではまともに戦えるはずがない。
ま、仕方ない。
もやもやした感情を押し殺してノイルは店へと戻った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
店に戻ったノイルはベルムルに事情を説明し、二人で頭を付き合わせた。
「それは困ったな」
「はい、困りました……」
「この分だと、数日後には店を一旦閉める事も考えなきゃな」
「うちだけじゃなく、他の店も同じように閉めると思います」
「どうすればいいと思う?」
そこで何故自分に聞くか、とノイルは思ったものの、ベルムルに戦いと料理の事以外に頭を使えというのも酷な話だと思い直す。
しばし人差し指を額に当てて、軽く目を塞いだ。これは考える時の癖だ。
彼女の尻尾がゆらゆら円を描くように動いているのをベルムルはじっと見ながら待った。
そして尾が突然ぴこんと上に跳ねた。顔を見ると金色の瞳を大きく開いてベルムルを見つめている。
(将来は美人になるだろうし、俺より遙かに頭も良い。きっと一廉のものになる。そのうち誰か紹介してやらんといかんが、適任がいるか? 余程出来た者でないとノイルに喰われるだろう)
獣人は人に比べ身体が早熟だ。だから理由が無い限り結婚も早い。そして結婚相手を見繕うのは親、またはそれに近い者の勤めだ。
そして住み込みで働いているノイルの親代わりとなれば、ベルムルとなる。
だが、獣人は能力的に近いものと結婚したほうが良いと言われている。
獣人は勝ち気な者が多いのか結婚した夫婦に差があると、能力に勝る方が劣る方を貶すものが多いのだ。それを喰うと言う。
互いに支え合えるレベルの者であれば良いのだが、ノイルほど頭が良く、更に熟練の冒険者に匹敵するような動きが出来る者など、そうはいない。
(いざとなれば故郷の族長を頼るか。族長であればノイルと比べても見劣りしない者を知っているだろう)
ベルムルの故郷は熊の獣人たちの里である。そして族長ともなればかなり偉い。熊の獣人だけで数万人はいるのだ。
もちろん他の獣人との繋がりもある。獣人全体で探せばいるだろう。
非常にお節介な事を考えているとは露知らず、ノイルは考えついた事を伝え始めた。
「そうですね、まずは……方針を決めましょう」
「方針?」
「はい、うちは基本的に冒険者相手の定食屋、いわば食の面から冒険者たちを支援するところです」
「ふむ」
「そして冒険者とは、ギルドからの依頼を受けて解決する人です」
「……そうだな」
「ですから、食糧事情に苦しいなら、まず依頼を受けている人を優先させましょう」
それは暗に、依頼を受けていない人ならパンを囓って我慢していてください、と言っている。
そしてそれは正確にベルムルへ伝わった。
苦い表情になるが、ノイルの言うことも分かる。非常時だし、仕方がない。
だが、次のノイルの言葉に一瞬呆けた。
「更に昼の営業をやめましょう」
「……いいのか?」
「もともとお昼に来る人は、休暇中や仕事が取れなかった人しか来ません。全体の数としては少数になります」
休暇中、というのは長期で仕事をしていた、何か大きな仕事などを終えたものが、身体を休める期間だ。また仕事が取れなかった、というのは文字通り自分に合った依頼がなく、やることがない人だ。
それでも時期によっては昨日の昼のように集中する事もあるが、基本的にはそこまで忙しくは無い。
「そしてお弁当は売りますが量を減らしましょう。D盛り以下にして、それ以上はご遠慮しますという形で」
「……俺のような大食らいには厳しいが、まあ仕方あるまい」
弁当は町の外で食べるのだ。足りなければ現地調達すれば良い。
そう納得するベルムル。
「どうせ、お弁当が売れるのは今日と明日だけですよ。明後日には売れなくなります」
「なぜだ?」
「だって大型の緊急依頼が来ているんですよ。明日にはみなさん討伐にいきますから」
「ああ、そうか」
ゴブリン討伐はおそらく二〜三日はかかる。その間の食料は当然自前で用意するが、弁当だと長期保存は出来ないので傷む。だから数日かかるような依頼を受ける場合は、腐りにくい保存食を持って行くのだ。
しかし初日となる明日ならその日中に食べるので、弁当もそれなりに数は出るだろう。足りなければ保存食で賄えるし、誰だって味気ないまずい保存食より、調理してある美味い弁当のほうが良いに決まっているのだ。
「夜はどうするんだ?」
「大半が外に出ますので、お客さんは減ると思います。いっそ夜も閉めましょう。それよりゴブリン討伐した後ですよ」
「後?」
「ええ、きっと討伐に成功してみなさん大騒ぎするはずです。大宴会となりますよきっと」
「確かにそうだな」
討伐が終われば緊急依頼の金が支払われる。しかも普段より得られる金が良いのだ。それで飲み食いするのが目に見える。
「店に残っている食材の量は、明日には無くなると思います。そして幸い三日分、仕入れる事ができました。残ってる食材は明日、お弁当として全て出しましょう。その後討伐が成功するまでお店は臨時休業、そして三日後くらい、討伐が終わった日に今日仕入れたものを全て吐き出しましょう」
「それだと、討伐後の宴会で全部無くならないか?」
「はい、討伐が終わればまた外から食料が来ます。たぶん二〜三日で元に戻ると思います。でもその二〜三日の間はみなさん休暇を取ると思いますよ?」
大規模な仕事の後だ。数日は休暇を取るものが多いだろう。
そして休暇中、依頼を受けていない冒険者なのでさっきの方針で言えば優先度が下がる。
「なるほどな。休暇が終わればちょうど食料事情も緩和した頃か。で、休暇中の冒険者には申し訳ないがパンで我慢して貰うと」
「その通りです」
「なんというか、お前、意外と腹黒いな」
「ええっ?! 必死で頑張って考えたんですよ? 食糧事情という問題があって、皆さんが納得できるような案にしただけです」
「まあいい、うちの頭がそう言うんだ。多少文句が来ても俺が追い払おう」
元々は気の荒い冒険者なのだ。
なぜ店が閉まっている、量が少ない、金を払うからたくさん食わせてくれ、など言ってくる者はおそらく一定数は居るだろう。
「荒事は店長にお任せ致します」
「……そうだな。ではこの方針でやろう。ノッケアにはお前から説明してくれ」
「わかりました」
ベルムルは元Bランク冒険者だ。その眼光は鋭い。更に体付きも並の獣人より遙かに大きい。
たかが十二歳の成人したての小娘が、ベルムルの前に立って怯えず平然と会話をする事がまずおかしいのだ。そしてこの小娘は初めて出会った時からベルムルを恐れず、今のように次々と新しい事を平然と提案してきたのだ。
スイベラスなど、最初は直立不動だったのだ。十二歳の小娘なら泣いて震えるくらいしても不思議ではない。
全く冒険者を引退してから、こんな逸材と出会うとは惜しい。もしあの頃なら有無を言わさず剣を交えただろう。
だが今は単なる定食屋のおやじだ。
そのうちこの小娘の実力を見てやろう、と内心ベルムルは思ったが口には出さなかった。
まだたっぷり時間はあるのだ。急がなくても良い。
ノッケアに説明しにいくノイルの後ろ姿を眺めながらベルムルは思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ノイルちゃん、お酌おねがーい!」
「スイベラスさん、飲み過ぎです!」
「初めてノイルちゃんが夜に入ったんだぜ? この機会を逃す訳にはいかないさ」
無事ゴブリン討伐が終わり冒険者たちが戻ってきた日の夜、ノイルの予想通り定食屋は宴会場と化していた。
しかも朝、昼と数日店を閉めていたのでノイルもゆっくり休憩できただろう、とベルムルに言われ夜に入ることになったのだ。
どうせ明日は店を閉めることになるし、今日はオールナイトらしい。
「はいはい、お疲れ様でしたスイベラスさん」
「おっとっと、うーん、うまい。やっぱ仕事が終わった後の一杯は格別だな!」
「ノイルちゃん、こっちもお願い!」
「はーい、セレゼンさんにブドウ酒二杯ですね!」
「え? 一杯だよ」
「どうせすぐ飲み干すでしょ?」
「まあそうだな」
忙しそうに動く猫の獣人ノイル、本名イーヴェンノイル。旧名元Aランク冒険者、幻影のイーヴェンノエル。
七十五年前に魔物の頂点であるドラゴンを単身打ち倒し、Sランクへの道が開いたものの、そのまま結婚し引退した英雄だ。
猫又として第二の人生を歩み始めた彼女の仕事は冒険者ではなく、ウェイトレス。
これから先、彼女はどのような人生を歩むのかは、誰にも分からない。
多分、続かない