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地球のための命で良い  作者: 川田開拓
第一章 選択の始まり
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【06】最後に残ったもの

 結局、明日美が光弘に近づく理由は、それだけで十分だった。

 光弘に目をこじ開けられた彼女は、彼から目を離すことができなくなった。


 だからこそ、彼の特異さにはすぐに気付いた。


 まず、当時の彼には寝床がなかった。

 注意深く見れば、すぐに気づくことだ。

 げんき? と話しかけられている際には煩わしさが先立ったが、神出鬼没であるという時点ですでにおかしい。


 名目上であっても、あくまで治療目的であるので、彼女ら患者は、基本的に設定されたプランに則って実験を受ける。であるから、一つ一つに割かれる時間の長短は変化しても、使う機材は変わらない。つまり、一日の間で、どこにどれだけ居るかが自然と一定になる。


 時系列変化を見る種類のものである以上、反復動作こそが仮説の検証を行う唯一の術なのだから、当然と言えば当然だった。よって、彼女らはささやかながらも、己だけの空間、ベッドを有することができる。


 しかし。彼にはそれがまるで当てはまらないようだった。

 彼に行われるのは、ただただ単純なるトライアンドエラー。計測機器が使い物にならないため、有効性など元より全くわからない、一か八かの、スタートラインを探す博打を手当たり次第に繰り返す事になる。


 だから、彼はひとところになど居られなかった。

 彼と言うハイリスクハイリターンの『研究対象』は、ある程度の実績がある研究者には見向きもされなかったが、予算の割り当てを狙って、少しでも結果が欲しい新興の勢力、あるいは、古参であってもなんらかの失敗をして、捲土重来を狙う者などから引く手あまたなのだった。


 そしてその引く手の持ち主は、大概がろくでもない人間ばかりなのだ。


 ある時見かけた彼は、顔色が青白さを通り越して、土気色になってしまっていた。

 右足を引き摺りながら、腹部を押さえながら、脂汗を額にびっしり浮かべているときもあった。

 完全に意識が混濁して、焦点の合わない視線をさまよわせ、車椅子に乗っているときもあった。

 それでも。


『げんき?』


 彼はそれでも、明日美を見るなりそう笑う。

 彼の為に何かをしてあげたい。

 明日美がそう思ってしまうのに、さして時間はかからなかった。



 *



 崩壊は、刻一刻と近づいていた。


(そう……そうなんだ……やっぱり、私は……)


 明日美は既に、あらゆる刺激の受容体が機能を停止している。

 自分がどこに居て、どういう姿勢をしていて、周りに何があるのか、全て解らない。


(私は……アバドンになって……確かに……色々なものを……自分以外の何かに……奪われた……だけど……だからって……自分以外の全てを……憎んで良い訳は……ないんだ)


 ただ、外界への感覚が完全に遮断された所為か、思考の順序だけは回復していた。


(不幸だから……誰かに幸せを奪われたから……辛いわけではなかったんだ……。自分が……誰かに……何も……与えられなくなった……惨めさ。……自分の中に……あった……はずの……全てのモノが……不幸によって……空っぽに……なって……しまったという……錯覚……こそが……全ての苦痛の……原因……だったんだ)


 燃え尽きる寸前に見せる蝋燭の光のように、今ある思考を、状況に関係なく紡いでいく。


(……それを教えてくれた……みっちゃんに……私があげられるのは……これ位しかないんだけれど……。それは……解っていたのだけれど……。やっぱり……それでも……ちょっとは……)


 これが末期の思考となるだろう事を、明日美は直感的に確信している。



(あの子と、普通ってやつを。平凡な日常ってものを……感じてみたかったなあ)



 だから、苦笑してしまった。

 最期に思うことでさえ、結局光弘のことだったからだ。


(本当に、私は……ひとつも、大事なことを、伝え……)


 そこで、途切れる。

 極限まで薄くなった思考が、突如ゼロへと誘引される。

 それは『終わり』の端緒だった。


 彼女の知覚がとらえたのは、塗りつぶされるように広がる暗闇。

 ぼろぼろと何かがこぼれていき、失われていく感覚。

 奈落へと永遠に落ちていく、崩壊のイメージ。


 そして、その後に訪れる、目も眩むほどの光――


 と、


 強烈な加速度( ・ ・ ・)


「え?」


 まず、風を感じた。暴風と言って良いそれだ。

 背中側から、台風の只中に居るかのように、大きな力が押し寄せている。


 次に音。びょうびょうと、鼓膜を押し破りそうな圧力を持って、荒れ狂う空気の流れに気がつく。


 そして光は最後に来た。

 閉じてなお瞼を焼く強烈なそれに――。

 『それ』を感じている自分に気がついて、明日美は漸く自分の体がそこにあると言う事を、思い出した( ・ ・ ・ ・ ・)


「……」


 薄くなって消えてしまった筈の自我と感覚が、元に戻っている。


 腕がある。足がある。体がある。

 頭があるから耳があって、鼻と口があって、呼吸を確かにしていて、瞼の裏に光を感じる目がある。

 吹き荒れる風が体のあちこちを撫ぜて、そこに確かにあることを教えている。


「……なんで?」


 完全に混乱したまま、明日美は目を開いた。思いのほか眩しくて、反射的に眇める。

 一瞬だけ、くらりと眩暈が過ぎて、すぐに視界が戻ってくる。


「……へ?」


 どこまでも青い空がそこにあった。

 日が高い。もうすぐお昼ごろだろうか。


 視界全てで空を眺めたことなど無かった明日美は、まずこれが死後の世界なのかと思った。

 しかし、それにしてはいやに風が煩いので、難儀をして横向いて、


「なに……ここ?」


 地平線を見た。

 赤茶けた大地(グレートベースン)が、空との境界線まで広がっている。


 一瞬思考を停止して、そこから更に首を、振り返るようにして捻る。


「……えっと」


 はるか遠くに地上が見えた。

 容赦なく目の粘膜を叩く風の、数百メートル以上先。

 干からびた古代湖に作られた軍事基地……の地下への入り口たち。

 先程まで明日美がいた場所。……の地表面。


「は、はは。死んだら天に昇るって本当なのかな……っ痛ぅ!」


 乾いた笑いで思いついたことを述べた瞬間、アバラと全身の傷が痛みを訴える。それはあまりに鮮烈で、明日美を一気に現実へ引き戻す。


「……」


 冷静な思考は言っている。


(私は何でか生きていて、しかも精神子軌道が元に戻っていて、そして――)



「現状、多分、空にいる」



 というよりは、落ちているのだった。

 地球のもつ引力に従って、全力で運動しているのだった。


「……え? ……なんで?」


 把握したところで意味が全く解らなかったが、誰も答えてくれるわけが無かった。

 ネバダの太陽はぎらぎらと、何も言わずに照っている。

 まるで明日美の無理解をあざ笑うかの様だ。


 しかし、その混乱の只中に。


「あす姉!」


 何も把握できなかった彼女だのに、その時聞こえてきたその声が、誰から発せられたかにだけは。


「え……?」


 何の抵抗も無く、思考も無く、間隙もなく理解した。


「みっ……ちゃん?」


 呆然と声の方へ視線をやる。髪の毛が暴れて視界が遮られる。

 もどかしげに振り払って、明日美は声の主を見る。


「みっちゃ……」


 そこには、こちらへ向かって泣きそうな顔で手を伸ばす少年がいた。

 最後の最後まで、この世のよすがとなった彼がいた。

 状況を全部無視して、明日美は歓喜を浮かべようとした。


「……ん?」


 が、すぐにそれは困惑に飲み込まれた。なぜなら。


「こいつでいいのか?」


 ――そこには、泣きそうな顔でこちらへ手を伸ばす光弘がいた。

 そして、その首根っこを捕まえて、子猫のようにぶら下げながら――この風と重力の暴力圏内で、『ぶら下げながら』――、悠然と空中で佇立している、全裸の美少女がいた。


「へ……?」


 ひどく無愛想な美少女と、とても情けない顔をした光弘。

 理解を超えた組み合わせに、明日美は呆然とするしかなかったのだ。

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