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地球のための命で良い  作者: 川田開拓
第一章 選択の始まり
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【04】暴君

 ほんの数秒で『エンヴィー』の効果は切れた。ビル数階分を自由落下した光弘の体は、しかし、床に叩き付けられる寸前でふわりと運動量を失い、羽毛のように音もなく着地した。


 降り立った場所は、どうやら十畳ほどの密室のようで、薄暗く、部屋の端までが見渡せない。


「……」


 クオリア投影型の照明であるのに、光量が安定していない。精神子に関わる、何らかの理由があるはずだったが、今の光弘にはそんな些細なことにかかずらう気力がなかった。


 ただ、呆然としている。


「あす……ねえ」


 彼の思考には、最早その一事しか存在していない。先ほどの光景が、光弘の精神に多大なストレスを与えている。薬物のおかげで、なんとか混乱を押さえつけていられるが、その実、思考はぐちゃぐちゃだった。


『テス、テス……接続状態は良好。通信の切り替えは上手くいったようだ。距離は……あまり、稼げなかったようだな。ここまで来たら最下層の"ローンチ・リング(カ タ パ ル ト)"まで行きたいところだが……』


 そこに声がかかる。

 なんでもない調子で呟くのは、光弘が、今最も怒りをぶつけたい相手だった。思わず全身が震えた。


『現在位置は……うん? ブラックボックスか。区画のデータが見れないね……』

「お前……」

『改めまして、シェイドだ。ここから脱出までの間、君をサポートする』


 瓢げたような電子音声。それを聞いて、光弘の感情が昂ぶる。


「どうでもいいんだよそんなことは……あす姉はどこなんだ。ここから、どうすればあそこに戻れる」

『教えられないな』

「どうして」

『無意味だから』

「無意味? ……何が、無意味だって? 命が……人一人の命が掛かっているんだ。俺みたいな化け物じゃなくて、あす姉は、あす姉は、あんな馬鹿みたいな場所から生き残って、許されて、これから……これからの生き方があったんだ。奪われた生活を……取り戻して……幸せを手に入れて……普通の、人間としての、いつもずっと焦がれていたはずの、本来の、じっ、人生を……歩みなおす事ができたんだ……それを、お前らが……」

『まず』


 言葉の急所を知っているかのように、自然にシェイドは割り込んで来る。光弘は接ぎ穂を掬われて、そして続きが出てこない。

 ただただ荒々しい息だけが出た。思い返してみれば、彼はここ数年、何かを矢次早に述べたことなどなかった。


『あそこまで送り届けても、君にはあの状況を打開するすべがない。次に。億が一状況を打開しても、彼女が行動できない状態では、前途がない。最後に』


 そこで一拍。今度は、何かを投げ出すように。


『これはそもそも……こういう種類の作戦だった』


 目の前が真っ暗になったような感覚を、確かに光弘は感じた。


「おい……」

『解っていると思うが、彼女の発案だ。成功条件は、君の奪還と生存、私達による保護。それだけ』


 たった、それだけ。と、ひどくつまらなそうに呟く。


「……そんな、ばかな。だって、なんで……」

『解らないのか? ……そんなことも?』


 感情のない調子だった。合成音声に相応しい平板な抑揚で、そうのたまう。

 確かに、光弘には嫌になるほど解っていた。解りたくなかっただけだ。


『準備を徹底せずに、彼女を死地に追いやった私たちに、君は疑問があるようだったね?』

「……っ」

『さて。ではそれについて、少し質問をしよう。リスク・リターンの問題だ。ある組織がある。理由は省くが、世界を股に掛ける大組織の大シークレット、アバドンを浄化する施設を潰してしまいたい……警戒が強い浄化中と弱い平時。君が責任者ならどちらを狙いたいかな?』

「ぐ……」


『二つ目。今度は作戦の発案者の立場に立とう。その作戦にはすさまじいリスクを伴うが、少なくとも自分にとって、かけがえのないリターン――それは自分の存在そのものの、根幹にかかわるようなそれだ――があるとき。作戦に組織の貴重なリソースを、多大に消費してしまうことが解っていたら、善良な人間は、そのうちリスクを負うべきは、誰だと考えるのが自然かな?』

「……もういい」

『わかっただろう? つまり、それが理由だ』


 ため息をひとつ。


『彼女は、君のために。すべてを、(なげう)った』

「うるさい……」

『そして、だからこそ。彼女は、この施設の機関を破壊するために、行動が不可能になった時点で、最終的に『極縮崩壊』する』

「……え?」

『聞こえなかったのか? 彼女は、精神子加速器に、己の体組織の結合・質量エネルギーまでもの全てを投入して、最終的に順位をフィフスの『グリード』まで上げたのち、疑似的な極縮崩壊を起こす』


 『極縮崩壊』――スピリティ・コラプス。


 アバドン病を最終形態まで悪化させることによって、精神子は極小のブラックホールを作り出す。ミニブラックホールはピコ秒(一兆分の一秒)オーダーで蒸発するが、その瞬間――というにも短い時の狭間――において、かつての炉心、アバドン病患者本人の体を、余すところなく崩壊させるという現象。


 それを明日美が行うと言う。まさに今、この事態に陥ったから。

 つまりは、


『彼女は、全てのリスクを背負って消えるのさ』


 崩壊した物質は、質量分ほぼ全てがエネルギーとして放射される為、成人男性60キログラムが最大効率で極縮崩壊した場合、TNT換算で約二千五百メガトン――ヒロシマ型原子爆弾でおよそ十六万発分、前世紀最強の原水爆と恐れられた、ツァーリ・ボンバでさえ五十発分――にも達する力で災厄をもたらす。これは、一般的な密度、速度において、百メートル級の隕石が衝突するエネルギーに等しい。


 しかもその際に生まれたアバドン粒子をいくつも、複数種類混合で、モザイク状に高速で打ち出すことになる。それらは消滅する際により甚大な被害をもたらし、元のエネルギー発露と相乗効果を発揮する。現状では、これを封じ込める方法が、工学的に存在しない。


 明日美君は元々位階が低いので、通常のスピリティ・コラプスの万分の一程度の威力にしかならないだろうが、とシェイドは前置きをして、


『こう言うわけで、意味がない。君があそこに戻る意味は、残念ながら、一つも残されてはいない。むしろ、君はすぐにでも逃げなくてはならない。方法は、こちらで用意してある』


 つまらなそうに、そう断じた。


「ふざけるなよ……。こんなバカげた作戦……!」

『では最後の質問。私たちのような――そうだな、君の言葉を借りればテロリスト、にとって、一番のリスクの源とは何か? そして、それを回避する方法は何か?』

「それがどうした……! 今は……」

『そこに、もう答えがあるよ』


 言うまでもなくそれは『人間』だろう。光弘の様な素人にだって解る。どのような組織でもそうだが、一番の資産とリスクはその構成人員でしかありえない。


 特に、常に体制側からの粛清、壊滅と隣り合わせの、ゲリラ的な行動を旨とする組織である以上、情報漏えいこそ、徹底して懸念すべき事柄である。

 そしてだからこそ、作戦行動において最も厳重に考えるべきは、工作員の痕跡の、抹消方法であることは間違いがない。


「……ッ」


 光弘はそこまで考えてハッとする。納得する。

 だから。


「じゃあ、お前らは、本当に、なにもかも、最初から……」


 最大のリスクが人間であるならば――そして、もし、工作員が失策をして、なおその上、作戦の目的が破壊工作であるならば、


『最初に言っただろう? こういう作戦だと。それが最も、効率がよい方法だからね』


 シェイドの声には、一欠けらの迷いも読み取れなかった。

 ただ淡白に、『明日美が全てを抱えて爆死すれば、作戦目的と証拠隠滅を同時に行えるので一挙両得だ』と暗に言い切った。


「……」


 沈黙する。

 それ以上、光弘は何も言えない。

 もう、何も喋りたくはなかった。


 黙して、自己の心を見定める。恒常化した精神が、フラットに横たわっている。一定以上の揺らぎを、経口摂取した化学物質が廃している。


 いつもの精神状態だった。薬物で管理された化け物は、それ以上、なにもない。


『さて、そういうわけで、もういいかい? 先ほども言ったが、時間がないんだ』

「……」


 なにもない。なにも。彼は過剰なものは感じない。感じられない。そのように訓練され、調整されたのだ。そういう風に弄られた(・ ・ ・ ・)


『光弘君?』

「……っ」


 ……はずだというのに何かが腹の奥から突き上げてきていた。

 それを感じて、光弘は思わず身をかがめる。先ほどからずっと、なぜかまともに息が整わない。何度か浅く吸って、吐いて。


 瞳孔が開く。世界が揺らぐ。錆くさい臭いがして、血の味を感じた。なぜだろうと一瞬考え……唇を、噛み切っていたのだと知った。殺伐とした、鉄錆に似た血の刺激が、彼の奥底、深奥、蟠る何かを励起していく。刺々しく、ザラついた感覚が、赤く赤く、思考を染めていく。


「ああ、そうか……」


 そうして、ようやく光弘は気がついたのだ。久しぶりのことすぎて、思考がついて行っていなかった。


(俺は今……)


 まさしく、完全に、言い訳のしようもなく。


(激怒しているのか)


 それに気づいたとき、彼は硬く締め付けられたその手綱を、全くためらうことなく解き放った。



「あああああああ! うああああああ!」



 咆哮。

 喉が張り裂けそうな勢いで、空気を震わせる。何年もの間閉じ込められていた感情が、軛から解き放たれた第一声。


「ああああああああ! うっぐ……っがあああああああ!」


 でたらめに体中を掻きむしりながら、声も()れろとばかりに絶叫する。

 それは、しかし。聴きようによっては歓喜の叫びにさえも似ているのだった。


 空気が慄き、共振し、歓喜する。禍々しく、毒々しく、荒々しい。まさしくそれは魔王のめざめ。


 そうして、そのように引き金は引かれ、


 光弘のアバドンは、回転を始めた。


 光弘の立つ床と天井が、彼を中心とした球状に抉れた。音もなく、一瞬の出来事だった。彼の周りが、その刹那だけシャッターを切ったように暗くチラつく。


 食べられた(・ ・ ・ ・ ・)のだ。

 きゅっ、と間抜けな音がして、急につむじ風が舞う。瞬間的に真空になった光弘の周りに、空気が流れ込んだ音だった。


 その風が光弘の頬を撫ぜる寸前、すぐさまもう一度天井と床が抉れる。今度はさらに一回り大きく。深く抉られて耐え切れなくなった床が、下の階に崩落した。


 が、光弘の体は宙に静止している。薄く閉じかかった目で、どこでもない遠くを見て、だらりと両手をぶら下げ、ただそこに居る。


「……」


 彼は叫ぶのをやめていた。激情は発散とともに失せ、ひとつの波紋もなく凪いでいた。

 全てを飲み込む。その衝動だけが、今の彼を突き動かしている。


 アバドン病ラストステージの光弘が作る、順位フィフスの『グリード』は、精神軌道を己のエネルギーが続く限り拡大させ続け、エネルギー順位が下がる瞬間、その内部の悉く――エネルギーを有するものであれば『光』や『重力子』でさえも――を精神子へ変換する。それによって魂性軌道内の自我精神子の密度がいかに希薄化しても、膨張をやめることはない。


 感情の強度とは、精神子の密度である。彼の怒りはアバドンの活性化エネルギーとして働いた瞬間、その役割を終え、薄くなって消えた。

 だから彼には最早、意識すら殆ど残っていない。その代わりとして、あまりに支配的なアバドンの特性がそのまま、彼の感情に成り代わってしまっている。


『ほう……これはこれは……』


 感に堪えないとばかり、シェイドが笑った。

 光弘のいるリインカーネーション区画の壁や床は、隕石シェルターにも用いられる超超硬靭高分子が使われている。そんな代物が、あまりに簡単に壊された。


『アバドン病のラストステージ。やはり、言葉にたがわず……』


 化け物だ。と言うシェイドの嬉しげな呟きは、通信に乗らずに途切れた。メイデン無限曳線による念話は、急速にエネルギー順位を上げていく光弘の魂性軌道上で、ノイズに飲まれて強制終了した。


「……」


 そして、光弘は一人。

 強欲に、いや、貪欲に。この世のエネルギーを食らい続ける。


 拡大する。全てを分解し、全てを自分のものにする。気に入らない世界、優しくない世界、その全てを腹いせのようにむさぼり続ける。


(止……まら……ない。止ま……れ……ない)


 でも、それでいいや、と。そう光弘は思い始めていた。

 いずれ、精神子が飽和し、エネルギー順位がブラックホールを形作るに足るまで。彼の人格、記憶、こころ。そういった全てが、放散に従い、無となるまで。そうやって、全てを飲み込んで行って、自分と言う存在がゆっくりと消えていく。それは、とても魅力的な最後とはいえないだろうか――


 しかし、そうはならなかった。

 光弘の精神軌道が、彼の居た部屋全体までその直径を広げた瞬間、唐突に意識が覚醒した。


「え?」


 アバドン病患者が、その生涯を終えるまでの流れを、諦観に似た薄い感情で漫然と眺めていた光弘は、視界が急激に色彩を取り戻したことでまず戸惑った。


「お……うわあ!」


 当然のごとく、『グリード』が食べていた重力加速度を、総身に受けて彼は落下する。

 想定外の事に受身も取れず、したたかに腰を強打した。


「ぐっ……いっつ……」


 良く落ちる日だ、と瞬間的に思った。反射で閉じていた目を開けて、辺りを見渡す。


(一体、なにが……?)


 どうやら通路のようだった。最初に通ったように、継ぎ目さえみえない真っ白な通路。

 しかし、薄暗い。まるで、今まで居た小部屋のように、端から端が見渡せない。


(なんだ? これ、なんだか……)


 アバドンの発散によって毒気が抜けたように、光弘には周りが見えるようになっていた。


「私を起こしたのは、お前か?」


 だから、クオリア投影としては不自然な『薄暗さ』に、そこで始めて気がつき、眉根を寄せた瞬間、


「は?」


 唐突に聞こえてきた、少女の透き通った声に上向いて、


「んう……ここは……やたらと『薄い』」


 完全に崩落した上の階に、ただ一箇所無事に残る床を見つけ、


「パスを保つには、エネルギーが足りんな」

(誰……?)


 そこに佇立する、気だるげな目をした美しい黒髪の少女と目が合って、



「もっと、まわせ」



 莞爾と。明日美とはまた違う、まるで女神のような。あるいは、契約前の悪魔のような。そんな笑顔を目の当たりにした瞬間。


「え……。あ……? な、なんだこれ……わ、わ、うわ!」


 彼は生まれて初めて、精神子を奪われるという感覚を知ったのだ。


 根こそぎ。持てるだけ。遠慮なく全てを。

 急速に力が抜けていく。驚くほどに暴力的でありながら、どこか官能的な脱力感。それは間違いなく甘美な、死への誘いだった。


「お前、なかなかいいな」


 歌うように、朗らかに、少女は目を細める。


「な、何だ! お、お前一体何なんだ!」


 思わず叫んだ丁度その時、天使のような声で、悪魔のように笑っている少女の周りに、ソフトボール大の光の球が、ぽつぽつと漂い始めた。


「あ……」


 指先から命が抜かれて行っているような脱力感よりも、急激に変転した状況への混乱よりも。その光景に、光弘は思わず心を奪われる。


「私? 私か?」


 濡れ羽色の髪が、細かく複雑に空気を弄い、時折浮かぶ光球を跳ね返して、微細な粒子を虚空に散らす。中心にいる少女の姿が、その度に僅か儚く輝く。放散する光を愛でて、淑やかに動かす指先が、薄ぼんやりと艶やかに軌跡を描いた。


「名前、という概念を問うているのなら、私はそれをいまいち理解していないのだが……テルス。そう呼んでいたものもかつて居た。そして……もし。私の存在を問うているのだとしたら」


 目を細めて、光球をくすぐりながら、


「私はお前らの言う地球――つまりは、この惑星そのものだ」


 (つづま)やかに、少女はそう告げた。


「ち……きゅう?」


 全く意味の解らない言葉であった。質問の答えにもなっているようには思えなかった。


 だのに、その時。光弘はそこに、その不遜な少女の尊大な態度に、なぜだか不思議な説得力を感じてしまったのだ。

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