なんか変な女の子となんか変な男の子-2
「……ん?」
しばらく呆と、テルスが思うさまビカビカテカテカ光っている様子を、光弘が黙って眺めていると、不意に彼女が集中を緩めた。
「どうした? もしかして、地層が見当たらないか?」
「いや、違う。ミツヒロ。耕作に使うとして、水場は必要か?」
「水場? ……ああ、そうだなあ。空中水蒸気固定装置は、今のところ俺らの飲用と生活用水でいっぱいいっぱいだもんなあ。今はじいさんが残した畑がいくつか残ってるし……まあ、後で井戸でも掘ってもらおうと思ってはいたんだが……」
「そうか。丁度いいな。じゃあ始めるぞ」
ミツヒロの言葉に納得したとばかり、すぐさま自己に没入する。
きっぱりとしたその言い草に、光弘はなんだか嫌な予感を覚えた。
「……まて。まずは何が丁度いいのか俺に言おうかテルさんや。お前はいつも無駄に大乗的というか大宇宙的な観点で……っ!?」
言いさした言葉は途中で切れた。
指の先から何かが抜けて行くような、嫌な感覚を覚える。まるで生きる力を根こそぎ吸い取られていっているような……。
(これは……!)
『精神子』が……奪われている?
「お、おい! おま、何して」
「喋っている余裕など無いはずだぞ。真剣に『アバドン』を回転させろ。『魂性軌道』の規模は、私の全身を覆うまで、『七大罪源回路』の順位はフォース。『プライド』を作れ」
「んなっ……そんなエネルギー何に使う気なん……」
「『穏便に』なんだろう? 行くぞ!」
抗議の声より、テルスの方が速かった。
容赦なく体から力が抜かれていくのが解る。テルスが、『精神子』で何かをなそうとしている。
彼女の周囲を回っていた光が、ますます大きく強く輝いて、すさまじい速度で運動していた。
その赫々たるや、そこに太陽があるかのよう。
光弘は、事ここにいたって、静止するには遅いと気づく。彼女の元に集っているエネルギー量からして……無理に止めたら恐らく、どちらかが確実に灰になる。
(くっそ!)
心の中で毒づきながら、光弘は集合をイメージするしかない。丹田の辺りで回転する力を想像する。自分の中に植えつけられたパスを通って、奪われていく第五の力を手繰り寄せる。
宇宙開闢の古に分かたれた、重電強弱、四つの力の裏にある、時空に関わるその力――。
強固なイメージで、失われていく力を、奪いかえす獰猛さを、荒々しさをさえ自らに課す。自分の精神がどんどんと拡大して、回転して、膨張して……肉体を超えて暴れまわっていく嫌な感覚。それに合わせるがごとく尚煌々と、テルスの周りに光の粒が乱舞する。
「これでいいのかよ!」
「ああ。ようやくやる気になったか!」
やけっぱちになって怒鳴ると、テルスがさも嬉しそうに返す。よほど力を行使するのが楽しいのか、珍しく語尾が上ずっている。
彼女を中心に集まる、一層高まったエネルギーを愛撫するように軽く手を振って、
「いいぞ……いいぞ、ミツヒロ!」
もはや、近くで目を開けていられないほどに、光量を上げたテルスが、感極まったようにそう叫び――
「行くぞ!」
そして、唐突に全てが静止した。
荒れ狂っていた光の奔流は夢のように潰える。
少しだけ肌寒い空気が、テルスの周りでつむじ風をつくり、すぐに消えた。一瞬だけ辺りをかき混ぜ、孕んでいた異常な雰囲気を、跡形も無く浚っていく。
沈黙は数秒ほど。
「……で? 成功したのか?」
何も説明をしないテルスに半ば呆れながら、光弘が尋ねる。見た目に変化はまるでない。
「ああ、問題ない。場所は――あそこ」
それに何の気負いも無くテルスは答え、数百メートル先の荒野を指差した。
「規模は?」
「地球の表面積の、約五百億分の一ぐらいだ」
「わっかんねえよバカ……」
イメージし辛い答えに、ため息とともに突っ込みを返す。
「ば、バカっていうな。それって失礼な言葉だぞ? 確か言ってはいけないはずだ。この前そう習った。今後改めろ。うん、改めるべきだ。……それで、とにかく。お前たちの単位で表すならだな、ええと、うんと……いち、万? ㎡? であっているはずだ」
そんな光弘に、やや不満げに(かつ自信なさげに)テルスが言い直す。
「あー……つまりは大体三千坪だから……十反、一町か。正直まだまだ広すぎるが、うん、お前にしてはめずらしく無難な広さだ。ありがたいよ」
「そうだろうそうだろう。大いに褒めろ! ほら!」
少し感心すると、テルスがついと胸を張って、しかしかくんと下を向いた。
「……ほら!」
そのままの体勢で、なにやら腕をじたばたさせる。光弘は思わず眉を寄せた。意図がまったく分からない。
「いや、なにしてんのお前」
「撫でろ!」
きっぱりと言い切って、もう一度腕をばたつかせた。まるで犬である。
「……あー。そうだな、偉い偉い」
「へへ……」
催促されるがまま適当に頭をぐりぐりしてやると、テルスは心底嬉しそうに笑った。
(こ、こういう所は単なるガキだよな……)
などと内心照れながら考えているうち、
「ん?」
地面が少しずつ振動を始めた。
「少し、揺れるぞ」
それを感じてか、真顔に戻ったテルスが言って、左手をちょん、と上に軽く動かす。
その瞬間揺れが一瞬大きくなり――先ほど彼女が指差した辺りが、動きに伴って隆起した。
「うおっ!」
思わず光弘は目を見張る。百メートル四方の地面が、十数メートル分丸々持ち上がったのだ。思った以上に迫力がある。
「いらないのは、この辺りか」
しかし当然のようにテルスは動じない。
無造作にそう呟きざま、右手を払いのけるように振れば、頭を出した部分全てが、自分の意思を持っているかのように奥へと簡単に雪崩れをうつ。
大きめの体育館が瞬時に建って、すぐさま倒壊するような光景。まるでコメディだった。現実感が全くない。
濛々と立ち込めるはずの土煙も、耳を劈く轟音も、無い。
目の前で滅茶苦茶な地面の運動が行われているのに、二人の下へ届く振動さえ僅かだった。
唯一現れた痕跡は、足元に置いたままのクワとスコップが、控えめにカチカチと音を鳴らす程度。振り向いても、元から倒壊寸前の彼らの家が、悠々とそこに建っている。
あんなにも凄まじい力が、目と鼻の先で行使されているというのに、である。
そして僅かなそれらすらも簡単に、一分もしないうちに収まってしまう。
「できたぞ」
そうテルスが呟いた時には、件の場所の地形が、完全に変わってしまっていた。
富士山までほぼ平坦だった荒野に、小高い丘が出来ている。そして、その直下百メートル四方に、周りとは全く色の違う地面。おそらくは、耕作に向いた、二十年前の地層。
「どうだ!? これ以上なく完璧に、しかも穏便にすませたぞ!」
「あ、ああ……凄い。うん、素晴らしいよ」
無邪気に笑ってこっちを見るテルスに、何とか賞賛の言葉を贈る。
あくまで口では褒めているが、光弘の背中には我知らず冷や汗がつたっていた。軽い気持ちで農作業を手伝ってもらったが、やはりこの力は強すぎる。
集めた膨大な『精神子』で場を形成し、エネルギー順位『プライド』の性質によってその内側で物理法則を掌握。さらに慣性力を伝えるゲージ粒子の反粒子を、場の境界に形成することで周囲に与える影響を封殺。しかもそれらの衝突で得られた、作業で発生する余剰エネルギーを『精神子』に再変換し還流する――あえて頭の痛くなるような言葉で、今テルスが行った行動を表せばこうなる。
そして一言で表すならこうだ。
(荒唐無稽……)
「おい!」
呆然としている光弘を気にもかけず、もう一度、胸を張ってすぐさま頭を下げるテルス。腕をばたばた。まるで尻尾のように。
「……そうだな、わかってるよ。お前は凄い」
その滑稽な姿を見て、持て余した戦慄やらなんやらの感情が、なんとか妥協して呆れに変換された。
結局のところ彼女はどこまでもこうでしかない。なんとかそれを納得しようとした。
だから、彼は隠れて一つため息をつき、まるで代償行為のように、求められるがまま彼女の頭に触れた。ゆっくりと彼女の頭を撫ぜて、自らも落ち着こうとした。
まさにその時だ。
光弘がどん、と凄まじい轟音を聞いたのは。
「な、なんだ?」
反射的にテルスが創造した丘を見る。
瞠目した。
(なんだよあの――水柱?)
そこには勢いよく天をつく、大規模な噴水があった。高さは五メートルほどか。
キラキラと、早くも水しぶきが周囲を煙らせている。まるで温泉が湧き出た瞬間のよう。
「うむ。これで完了だな」
満足げに頷いて、テルスが両手を静かに合わせる。恐らくはパスから『七大罪源回路』に接続し、この現象を終わらせようとしている。
「か――」
「ん? 光弘?」
「――完了だな。……じゃねえよ! 何一区切りついてんだよ!」
「な、なんだ? 乱暴はやめろ。爪が……痛いぞ!」
光弘は頭に置いたままだった手を、思わずぐしゃぐしゃとかき回してしまった。
テルスが抗議するが、それどころではない。勢いは弱くなっているものの、こうしている間にも水がどんどんと湧き出て、丘から下の農地へ滴り落ちている。
「お、お前……なにして」
「何って、ミツヒロが水源が必要だって言ったんじゃないか。だから山から流れる地下水脈に、思い切り圧力が掛かるように調整して……」
「いや言ったけれども! これは流石にやりすぎだ! てか、お前そんなことして『精神子』の場を解除したら……!」
その講義は最後まで言えなかった。
先ほどとはうってかわって、地面が立っていられないほどに揺れる。背後のバラックがぎしぎしと嫌な音を立てている。足元でクワとスコップがチークダンスして、耳障りに歌いだす。
「お、おお……なんだこの揺れ! 案の定だよ!」
「安心しろ。平衡状態に戻る前の最後のゆらぎだ」
「ほ、本当に大丈夫なんだろうな!?」
「任せろ、私は完璧だ」
完璧だ、と言ったのとほぼ同時だった。
今度はずがん、と鈍く。しかしやけに遠くで大きな音がした。
「……え?」
もう一度丘を見る。いつの間にか水柱は消えている。
じゃあなんの音なんだと、ひどい揺れの中周囲を見回してみて、けれど何の音だかわからなくて、そしてもう一度ずがん、と木霊する音が耳に届いてそれに気づいた時、
「……あ?」
「……む」
今度は驚愕でなく呆然とした。
「富士山、が」
馬の蹄のような山肌から、
「……ああ」
黒々とした周囲の峰から、
「外輪山が、水を噴いてるな」
十数キロ離れたここでも確認できるほどの量をもって、水が、勢いよく噴き出していた。
「なんだよ……あれ」
言っている間にも二本、三本と水柱は増えていく。遅れて拡散した爆音が届く。
あまりに標高が高く、水の勢いが凄まじいため、噴水は地面に届かず、半ばから雲を作り始めている。夏に多く見るような、低くて重たい雲だ。透き通るような秋空には、正直、まるで似つかわしくない。
「火山はその組成からして、山体に多くの穴があり、周辺の地殻には空洞も多い。雨水が浸潤して、地下水脈を作るのはよくあることだ。だから、かけた圧力分、逆流した地下水が、その空隙を伝って山で噴出したのだな。まあ、このあたりに小さめの堰き止め湖を作るには、結構な深い場所を操作する必要があったから仕方ない。しかし……『天地返し』か。中々骨の折れる作業だった」
テルスはしれっと言った。目の前の光景に対してどうという特別な感想もなく、アナウンサーのような冷静さで、淀みなく淡白に所感を述べた。
「……」
光弘はのろのろと開拓した耕地に視線を移す。最初の噴水で、半分ほどの土地に水が入ってしまったが、それ以上落ちてくる様子が無い。
恐らく、ここからでは確認できないが、丘の上がすり鉢上に作られていて、湧水を保持しているのだろう。
水場が出来、広い耕作予定地が確保できたのならば、後は光弘の仕事である。岩石になりかけた土を砕き、掘って用水路を通し、耕し、施肥し、日にさらして、団粒化を促進し、土壌の性質を分析して、必要であれば石灰などを撒き、耕作に適した土地を仕上げればいい。
つまりは、『天地返し』成功である。
「……って、そんなわけあるかよ……」
無理やりにでも現実から目をそらそうと考えたが、無理だった。
思わず頭を抱えてしまう。
富士山に目をやれば、たなびく雲とともに、大きな大きな、山全体に被さる虹が出来ている。力強く七色がはっきり見えて、まるで後光を纏っているかのようだ。
それはおそらく、かの山が生まれてから考えても、そう何度も現れたことはないだろう、とてつもなく荘厳な景色ではあった。だが、同時に明らかな異常さがあった。
「何故そうも難しそうな顔をしている? これでいいんだろう?」
整理がつかずうんうん唸っていると、テルスが無邪気にこちらを覗きこんできた。心の底から成功を疑っていない顔だった。
そう、彼女は本当の意味で『無邪気』なのだ。善だとか悪だとか、正や邪のような、そんな価値観自体がまさしく『無い』のだ。
「はあ……」
やはりうな垂れるしかない。
「なんだ? どうかしたのかミツヒロ?」
「……あのさ」
「うん」
彼女が頷いたのを確認して、光弘は大きく息を吸った。
「これからきっと山に雨が降るよな? 雨が降ると、山肌は崩れるよな? 崩れると土石流になるよな? あんな上の方から土石流が起きたら、雪だるま式に下では大変なことになるよな? ていうかああして外側に吹き出てるだけだからまだいいけど、溶岩側に漏れたら水蒸気爆発だよな? 大爆発すると、外輪山がもっと崩れちゃうよな?」
「そうか……そうだな。確かに崩れる」
「だよな!? そうなっちゃうよな!?」
話が通ったことに光弘は思わず興奮したが、
「崩れるが、崩れるから……」
「うんうん。崩れるから?」
「……それで?」
とても可愛らしくテルスが小首を傾げたので、泣きたくなった。
「だからなんでそこで詰まっちゃうんだよ! もう考えなくてもわかんだろ! 大災害じゃねーか!」
眩暈を覚えながら叫んでしまう。
その段に至って漸く合点がいったとばかり、テルスは笑い、
「……ああ、そうか。火山噴火はお前らにとっては深刻な危機なのだったな。……なんだ、つまり怖気づいていたということか」
うんうんと、腕組をして頷く。
「いや、そうじゃなくて……」
「心配性だな。安心しろ。私にお前が付いている限り、何が起ころうと絶対に守ってやる」
彼の話を遮って、嫌になるくらい男前に言ってのけた。
「はあ……そうか。守ってくれるのか」
「そうだ!」
「どうやって?」
半ば辟易しながら、半眼で問う。内容は予想外でも、一つ、分りきっている事があった。
「ん? お前がアバドンを全力で回転させてくれるなら、それくらい簡単に対処できるぞ?」
「具体的には?」
「吹き飛ばせばいいじゃないか」
このように、彼女の提案は大体が碌でもないのだ。
「だから、そんなことしたら岩石の雨が!」
「――宇宙まで」
「はあ?」
「宇宙まで。あの山を」
ゴミでも払うように、彼女は軽く手を振る。天を指差す。
思わず動きを目で追って、光弘は空を仰いだ。天高くで筋雲が鷹揚にこちらを見返していた。広く青く、清々しく。
当然のように、星は見えなかった。
宇宙? 想像もできない。
「吹き飛ばす?」
「うん。お前らが『脱出速度』とか呼んでいる速度で打ち出せば、あれが帰ってくることもないだろう」
彼女は大真面目なのだった。
「……そんなこと、できる、わけ」
「いや、簡単だ」
そして断定的だった。
一年寝食を共にしても、このように全く理解の及ばない彼女だが、光弘は、もう一つ確実に知悉していることがある。
彼女は、嘘をつかない。
「……」
圧倒されて、声も出ない。それを彼女はどう受け取ったのか、
「少し考えてもみろ」
言葉を切って富士山を眺め、
「あの山、大体三百キロ立方メートルほどか。……はっ」
何故だか思い切り胸を張り、
「あれ程度がきれいに吹き飛んだところで、地球の大きさに比べたら、まさしく誤差の範囲内でしかないじゃないか!」
呵々と馬鹿げたスケールで笑うのだ。
処置なし。
彼女は光弘が思っているより、いつだって、意味が解らないし無茶苦茶だし、それ以前に理論もへったくれもない存在なのだ。だから。
(ああ、少しでも楽をしようとした、俺が悪かったんだな……)
諦めた光弘は、再び天を仰いだ。秋空はどこまでも高く澄み切っていた。
なんで俺はこいつなんかに関わってしまったのだろう? だとかその蒼穹に訊いてみたが、当たり前のように答えは返ってこなかった。
ならばと光弘は、この種の頭痛に悩まされるようになったのが何時からだったかを思い出してみる。
そう、あれは丁度一年前。
光弘が死を受け入れていたあの時、薄暗いあの密室で、この女神を見つけてしまったあの瞬間に。
きっと、この事態に繋がる全てと……
彼の『人生』が、始まったのだ。