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地球のための命で良い  作者: 川田開拓
第二章 空中輪舞
20/20

空中輪舞-5

 当時の新聞記事にはこうある。


『仏瑞国境・未曾有の大爆発

 隕石の衝突か? 推定70万人超に被害


【リヨン=デュバル・デュバリエ】欧州気象衛星開発機構(EUMETSAT)によると、西欧スイスで10日午後2時45分、ジュネーブ近郊を中心とした約半径25キロの範囲にわたり大規模な爆発が起こった。衛星メテオサット15がとらえた。死者・行方不明者の総数は不明。爆心地にクレーターが形成されていることから、隕石の衝突を原因とする声もあるが、同衛星にそれらしき物体・巻き上がった土砂などは共に観測されておらず、原因究明は依然難航している模様』


 後の混乱を思えば、この段階で厳重な情報規制が敷かれなかったのは全ての『国家』にとっての痛恨事だった。決定的な綻びは、間違いなく、そこから始まっていた。


 とはいえ、その点で時の為政者を無能と謗る事も流石にできない。


 定点観測カメラ、個人のVR配信、観光バスのリアルタイム記録などに代表される数多のキャッシュ――高度にネットワークが発達した社会で、白昼堂々、これだけ大規模な人々の営みが完全に消滅するという事態を、どうやっても隠しおおせるはずがなかったのだ。


 なにより、初期の報道はまだまだ理性的だった。調査が暗礁に乗り上げ、遅々として進行しなくなるうち、隕石などの自然現象に原因を求めていた論調は、次第に様々な勢力の陰謀を疑う方向へとシフトして行くことになる。各国の世論は段々と遠心力を増していき、国際社会は随所に火種の再燃が起こり始めた。


 後知恵で見るなら馬鹿げた事としか言えないが、当然と言えば当然の流れではあった。街一つを跡形もなく、原因すら分からず消し飛ばす技術を、仮想敵国が保有している可能性さえあるのだ。安全保障上、慎重にならない国があるわけもない。


 こうして『ゼロセカンド』は人類史上最大の災厄として多くの人間の記憶に刻まれ、続く『パンデミック』と『終末戦争』の引き金となるわけなのだが……テルスが語りはじめたのは、当然そう言った表向きの歴史の話ではなかった。


「……まずは、現象そのものの説明をしよう。おそらくは、お前らの認識との間に、重大な齟齬がある」


 かつてないほど引き締まった表情で、訥々と述べるテルスに、場の空気も一気に緊張する。そして、


「あの爆発の直接の原因は、爆心地である国際真空研究センター――あそこでミツキを含む研究員によって行われていた『スピリトン加速衝突実験』で、最終的に周囲の人間たち全てが地球(ワタシ)と繋がってしまったこと、そして、か細く繋がっただけのパスを、逆エントロピーの法則に従った精神子が、短時間で急激に行き来したために、単位時間あたりの圧力が、拡張チャンドラセカール限界を越えたレベルでかかり、混成魂性軌道のエネルギー順位が、重なり効果によって一気に上がってしまった事による」


 真剣な顔をそのまま、一気に彼女はそう言った。

 言ったが、


「う、うーん?」

「……すまん。相変わらずお前の言う事は良くわからない……」

「……」


 当然ながら、明日美と光弘には専門的に過ぎた。頼みの綱のドロシーも、黙ったまま苦笑を返している。


 テルスはいささか肩透かしを食らったような顔をして、


「と、言われてもな。ここはまだ導入にもなっていないぞ……?」

「いや、そうなんだろうが……もう少し平易な表現はできないか? 俺に理解できたのは、ミツキ? さんたちが加速衝突なんとか? を行った所為で地球の精神子の軌道? に繋がって? ……それで……えっと……なんか、よくわかんないけど、なんかしら、あって? ゼロセカンドが起きたということぐらいだぞ?」


 なんとか頭を悩ませて光弘がそう言うと、


「? 要約するとまさにその通りだが?」


 彼女はあっけらかんと答える。


「なら最初からそう言えよ……」

「あはは……ごめんねテルスちゃん。私ってばあんまり精神子(そっち)の事詳しくなくて……勉強したんだけど、数式ばっかで難しくってさぁ」

「……わかった。なるべく留意しよう。専門用語と思われる語彙は控える」


 明日美が手を合わせながら嘆くと、テルスはとても重いため息をして二人を順番に見やり、あからさまに失望した調子で告げた。生温かい目線だった。


「……なんか凄くバカしてないかお前」

「してない。私の感情とやらの無理解に対するお前らの……気持ち? がなんとなく理解できただけだ。そうか。これが……啓蒙というやつか。確かに、なかなか骨かもしれんな」


 そしていやに得意げに鼻を鳴らす。フフン、というオノマトペが見えそうな感じである。

 といっても変わらず彼女は無表情なので、これは光弘の被害妄想かもしれない。


「すっごくムカつくけど、事実だから何も言えん……」

「まあまあみっちゃん、良いじゃない。謙虚に聞かせてもらおうよ」


 つまりはテルスが光弘達の心を慮れないレベルで、彼らは彼女の言う事が理解できていないと言われたのだった。釈然とはしないが、しかし、同時に言いえて妙だとも彼は思う。


 お互いの得意な部分や価値観の基準が共有できていない。それは、とりもなおさず相手を知らないことに他ならない。今回の問題の、根本原因だ。


「ともあれ、事態は単純だ」


 そうして光弘が心を整理しているうち、テルスは居住まいを正して、再び説明を始めていた。


 その口調は先ほどより幾分軽くなっていたが、しかし、ずっと慎重な響きだった。


地球(ワタシ)の魂性軌道――精神子を保有する存在が形作る固有の構造体――は大きいので、小さい人間(おまえら)は引き寄せられる。この宇宙にはそういう法則がある。そして、その法則によって、実験の中心部に周辺の有機生命体全てが集まった。集まったものの、地球(ワタシ)と繋がるには経路が細すぎたため、時とともに滞ったエネルギーがあの場所に溜まり続けた。結果、行き場をなくしたそれらが、人間を精神子体に変化させたが、尚も留まることなく、最後には……」


 そこまで言うと、テルスは両手をギュッと握り合わせ、


「圧縮された。何もかもが」


 そのまま、己の手に視線を落とす。


「結果、あまりの圧力で、そこにあったすべてが融合することになった。その段に至ってようやく、喩えるなら超新星爆発のように、高まったエネルギーだけが外に向かって放出され、離散し、大爆発が起こったわけなのだが……それでも、この多重精神子結晶構造だけは爆心地に残った。あれを超新星爆発になぞらえるなら、それこそ中性子星のように」


 手を開くと同時、彼女は視線を全員に向ける。


「これが『聖母』だ。私の、遺伝学上の母、ということにになるのだろう」

「……ちょっと待て。すべて? ……融合? 人間が?」


 相変わらずテルスはテルスの口調には抑揚が無い。突飛に過ぎる事態を、簡単に過ぎる調子で言われたので、思わず光弘は問い返す。


「ああ。局地的に精神子体に圧力をかけてやると、ままこう言う事が起こる。この場合はパスが細すぎたために、精神子を引き寄せるエネルギーが物体にまで干渉した。結果的に、数百……メートル? 程の構造体が出来上がっていたようだ。精神子体と、ごく一部に生体の残る複合構造だ」

「生体? じゃあ、ゼロセカンドの被害者たちは、実は生きていたってこと?」

「……それはなんとも答えるのが難しいな。『聖母』独自の精神子軌道は、放散しつづけてはいたものの、確かに存在していた。とはいえ、少なくとも融合の結果、お前らの用語で言う……アイデンティティ? というものは全くなくなっていたはずだ」

「……」


 半径25キロ以内の人間が全て融合して構造体を形作る――俄かには想像しがたい現象だった。そして、そんなものでできた存在が、彼女の『母』であるという。


 光弘は唸りつつ、半信半疑の体で隣に訊いた。


「そんなの、聞いた事も……。あす姉は?」

「うーん。今でも封鎖されてる『グラウンドゼロ』には、グリーンアース最高の秘密があるって話は前からあったけど……」

「あ、あの。すみません」


 テルスの言う事を、どのように受け止めればいいのか。二人が顔を見合せた時、それまで黙っていたドロシーが控えめに手を挙げ、しかし全員に聞こえるように言った。


「ん? どうしたのドロシーちゃん」

「組織のデータを検索してみました。セキュリティレベルAクラスの資料に、確かに『聖母』という存在が明示されています。テルスさんの仰る通り、『グラウンドゼロ』の中心部にあるようです。……ん? あ……映像もありました。しばしお待ちを……うん」


 喋りながら虚空に目をやって、しきりに何かを追っている。微動だにせず目だけを動かし、最後に大きく頷いて、控えめに微笑む。


 普段の緩い雰囲気と違い、その笑みには自信と、見ようによっては不敵さまでが見て取れる。絶妙なタイミングでの助け舟と、精神子技術への親和性――シェイドが彼女を秘書として用いているのは、まさにこう言った部分の為だろうと、光弘は初めて理解した。


「許可は頂きましたが、ご覧になりますか?」

「さっすが! ドロシーちゃんは有能だね。お願い!」

「えへへ……っと、来ます」


 はにかんだまま彼女が手を中空でスワイプすると、丁度料理の上にホログラムモニタが現れる。幾度か彩度の調整で点滅した後、映像が映し出された。


「……なにこれ?」

「ん? ちょっとよく見えないぞ」


 光弘は最初、それを何かのオブジェだと思った。

 偵察機のものだろうか、やたらと荒く画素の少ない映像に小さく示されているのは、草一つ生えていない荒野の只中で佇立する、白磁のように白く、方々からか細い突起がいくつも突き出た、塔のような構造物。


 全体のフォルムとしては松かさに似ているだろうか。奇抜だが、なにかの建物のように見える。前世紀に流行ったという、シュルレアリスムの作品にすら、思えなくもない。


「……少し引き伸ばします」

「うわ……」

「え……?」


 しかし、その画像が一段階寄り、細部が明確になった段階で、彼の口から出てきたのはうめき声だけだった。

 松かさ、オブジェ。平和な印象は彼方へ吹き飛び、ただただ瞠目するしかない。


「これは……」


 腕だった。脚だった。


 複雑に、有機的に絡み合った人体の器官が、圧縮されて塔から方々に飛び出していた。まとまりは先端に行くに従ってどんどんとほつれ、まるで何かから逃れようとするような形で、あるいは助けを求めるような形で、外側へ向けて目いっぱい伸ばされている。


 熱帯雨林の蔦のごとく、互いに相絡まって、白く固形化しているその様は、あるいは、確かに、稀代の芸術品のようにも見えた。実際、光弘は表情さえ見えない彼らの姿に、形容しがたい苦悶を見て、古代ギリシアの彫刻『ラオコーン』を連想した。


 一方で、そんな現実感のない、無機的な外観のなかで唯一、外側を巡って網羅されている樹状の膨らみが、心臓の冠動脈のように、何度も何度も脈動している。合わせて本体も、一見しただけでは見逃すほどの緩やかさで蠕動している。

 だから、それは、見れば見るほど直感に訴えかけてくるのだった。


 『生きている』。これは――いや、『我々は(・ ・ ・)生きている』と。


「この『聖母』は、発見後、周期的に一人ずつ、合計で6人の女を――産んだ。この女たちは生命活動だけはしていたものの、意識はなく、お前らの言葉でいう……植物状態? だったという」

「産んだ? 女性? ……これがか?」


 醜穢とさえいえるその存在を、どのようにして思考に落とし込もうかと、ひどく難儀をしている三人には構うことなく、テルスはさらに話を続ける。


「ああ。少なくとも組織にはそう言われていた。もちろん、事故当時中心部に居たが為に、独自のパスを『聖母』だけでなく私とも繋いで融合を免れ、かつ、両者の力によって絶妙なバランスを保つことに成功し、精神子を私に奪われきらなかった存在がこの女どもであって……『産んだ』とはいっても、事態が収束に向かうにつれ、『聖母』の軌道の干渉力が、これらを排斥しただけなのだろうが」


 少なくともそれが『聖母』と呼ばわれるのは、ここから来ているらしい、とテルスは言添えたが、光弘も、明日美も、当時の想像をするだけで手一杯である。


「……今度こそ、本当に解りました。テルスさんの体と、ミツキさんを含めた六人にパスを繋いだ理由……なるほど、『アバドン』はここで生まれたのですか」


 だから、その場で明晰な答えを返せるとしたら、彼女しかいなかった。

 魅入られるように『聖母』の映像を直視したまま、興奮した調子でドロシーが言う。テルスは彼女が返答したことで、少しだけ不服そうにしながら、


「……そうだ。最初の説明でわかるだろうが、お前らが言う『ゼロセカンド』と、その後頻発した『アバドン』による爆発は、まったく別の現象になる。それも当然、『アバドン』は、こうした事態が起きたのちに、人間が作った存在だからだ」

「あ……」


 そうまで言われてようやく、光弘も、彼女の言葉を思い出す。

 そう、テルスは確かに初めての会話で言っていた。


『私から力を引き出すために作られた、ちっぽけな有機生命体が、星と綱引きをできる唯一の存在』


 それがアバドンだと。


「不可解な破壊現象と、植物状態の人間。そこから導き出される惑星規模の精神子軌道に関する仮説と、それに干渉する為に必要な引力。奇跡的に残存した六人と『聖母』を研究して、その結果見つけた答えが『アバドン』だった。だから、『聖母』のクローンを作り、六人と強靭なパスを繋ぎ、『アバドン』にて軌道から精神子を引き寄せ――まさしく、お前らの言う『神』を産もうとしたのが、続く『テオトコス計画』になる」


 惑星規模の精神子軌道――。

 単なる地政学的なシアターと化した『ゼロセカンド』の事故調査委員会の中で、真相に最も近付いていたのは、この主張を展開する物理学者の一派だったという。


「奴らは、自分たちの調査結果を証明すべく、これを支持する人間で寄り集まって、とあるプロジェクトを走らせた。それが、地球という惑星との対話を謳った『テオトコス計画』だ」


 とはいえ、彼らは当然のごとく非主流派であり――惑星という物体そのものに精神があるなど、万人が理解し得る概念ではない――そのプロジェクト自体、当初はトンデモ論者達を事故調からパージするための、機密保持的な措置でしかなかったらしい。


「しかし、奴らにはこれといった……後ろ盾? がなく、故に、計画は早い段階で行き詰った。主に、お前らの言う……金銭? の面でだ」


 支持母体が無いということは、資金が調達できないということに他ならない。どんな種類であれ、実験には多額の歳費が必要となる。

 真理を探究するアカデミズムの世界においてさえ、予算の獲得は猖獗を極める戦場であり、かつ、また揺るがしようのない最低条件だ。『人類史上最大の災禍』という、どうあっても政治が絡むこの件においては、その側面がなにより重視されてしまった。


 派閥抗争に敗北して、真理が埋もれてしまう。あまりに先進的すぎる理論の黎明期において、こうした事態はまま起こり得ることではある。


 だから、正しい推察を行い、限りなく真相に近づきながら、『国家』の扶助を受けられずに、ただ臍を噛むだけだった彼らは、秘密裏に、なりふり構わず誰にでも阿り、どんな資産家にでも秋波を送ったそうだ。


 そして、それに答えたのがまさに――


「そんな奴らを強力に支持し、絵空事でしかなかった六人の身柄を計画に呼び入れたのが、『緑の惑星財団』――お前らの言うところの、『グリーンアース』だ」


 専一のイデオロギーに染まった、巨大な国際組織だったのだ。


「『地球との対話』。……なるほど、あの組織の悲願かもしれないね」

「実際、当時の組織力から鑑みて、全資産中八割程度の資金を投入したという推察があるようです。『聖母』のレポートに付記してありました」

「そこまでうちで掴んでたの? ……なんで私達には教えてくれなかったのかなー」

「ええと……」


 非難交じりの明日美に、ドロシーが申し訳なさそうにしていると、


「恐らくはあの男が、この実験の関係者であるからだ」

「え? あの男って……シェイドさんが?」

「ああ。お前らに説明したあの技術。“バレッド”と“シリンダー”だったか? あれは『テオトコス計画』の、アバドンを生み出す原理によく似ている。しかも、それを関係者以外の人間が知りえることは、原理的に(・ ・ ・ ・)ありえない」

「原理的って……どういうこと?」

「それは……」

「すみません。シェイドさんからストップが掛かりました。『そこから先の情報は、彼女の口からだと誤解を助長しかねない。時期を見て私から話す』とのことです」

「ありゃりゃ……」


 テルスの言葉を遮って、珍しく淀まずドロシーが言った。相変わらず、人を黙らせるのに絶妙なタイミングだった。シェイドはどうやら、この会談を聞いていたようだ。


「……」


 当のテルスはあからさまに不快な顔をして、彼女を矯めて見やったが、


「テルス? 俺は一応、この件では、最後まで暴力を自制したあいつを支持するぞ?」

「……まあいい。これは本題ではないからな」


 すぐさま光弘が声をかけると、思いのほか簡単に引いた。興味をなくしたようにふいと目をドロシーから逸らす。


「とにかく、私のこの体はこの計画でグリーンアースによって生みだされ……実験の中で唯一、正しくアバドンを身に宿し、植物状態から覚醒したミツキと『契約』を結ぶことになった」


 そして、何事もなかったかのように言葉を紡いでいく。しかし、


「そこからの時間は特筆するようなこともない。何度もパスが途切れそうになって、長い眠りに落ちたし、アバドンが安定してからは、人間とのコンタクトをとるための学習と、試行錯誤。それだけをしていた」


 そこまで言ってテルスは、なにを思い出したのか、完全に言葉に詰まってしまう。

 そのまま一呼吸、二呼吸して、


「……それだけをしているうち、私は眠らされた」


 眉根を寄せてぽつりと吐き出した。


「……」


 彼女のその言葉は空気を伝播して、憂鬱を伝えるかのように、その場で重く横たわった。明らかにわかるのは、テルスの強い失望と憤り。それらが一緒に蟠って、しばしの間、沈黙が流れる。


 誰も何も、声をかけられなかった。

 彼女の感情がこうも面に出たのは、もしかして初めてなのではないかと光弘は考えている。


「ひどく簡単になったが、私の、境遇? とやらは以上だ。……これでなにが解るんだ?」


 そうして彼女が再び口を開いたとき、光弘は、まだ初めの衝撃が抜けきっていた訳ではなかったし、配慮してくれたと言ってもやはり、彼女の話は難しくて、全部を理解したとは言い難かった。


「もちろん、いくつも解ったことがある。だからこそ、質問がある」


 それでも、テルスの今の調子から、彼女という存在がなんとなく光弘には解ってきていた。

 だから、彼はもう殆ど納得していながら、それでもあえて問うてみた。


「お前はどうして、眠らされたんだと思う?」

「……これは推測になる。先ほど明日美に言われた話を総合して、私の……立場? からの意見だ」


 それを受けて彼女はまた躊躇い、慎重に言葉を選んで、ひどく自信なさげに続ける。


「奴らの求めていた……『神』と、意識を取り戻したミツキが求めていた『子』と、産まれた私の間には埋めがたい差異があった。そして、私はそれを埋めるすべを知らなかった。彼女らも『理解』しようとはしなかった。多分、そういうことなのだろうと思う」

「……」


 光弘は黙って明日美に目を向ける。彼女は『やっぱりそうだったでしょ?』とでも言いたげに笑んでいた。


 全部に納得したわけではないし、彼女の境遇には未だに多くの謎がある。それでも、光弘にとって一番必要だった情報はすでにして揃っていた。


『大事なこと、何も解ってないだけなんじゃないかって』


 確かにその通りなのだろうと、もう彼は疑っていない。


 テルスは精神子やそれに類する歴史に関して、明晰で、饒舌で、厳密だ。光弘などには理解の及ばないレベルで、そう言った部分に造詣がある。

 しかし、一方で彼女は、自らの判断における基準を、それ以外に持っていないようだった。


 人を殺してはいけません。

 相手の気持ちになって考えなくてはいけません。


 道徳の最も基本にあるこの部分すら、全く理解していないのだ。

 そして、彼女の話が本当ならば、そこに悪意は存在しない。なぜなら彼女はおそらく――そうあるように弄られた(・ ・ ・ ・)


「なんだ? なにか変だったか?」

「いや……」


 じっと見つめていると、なお不安げに彼女は問う。それに生返事を返しつつ、光弘は更に深く考える。


 テルスが語った境遇は、殆ど全てが真理や法則に関することだった。人と人とのつながり、そして何を持って彼女が彼女たりえたのか、そう言った部分にはあまり触れられていない。


『お前に言葉を教えた馬鹿は、どこのどいつだ』

『独学だ。旧時代のネットワークを参照して、使用頻度の高い言葉と、その類語を重点的に覚えた』


 思えば、光弘が人と人の触れ合いの中で覚えた言語と言う繋がりさえ、彼女はたった一人で学んでいた。

 肉親、言語、存在――まるで、最初からそれらが必要とされなかったかのように、人間らしさが欠落している。


 明言される事のない――いや、おそらくは明言することができない(・ ・ ・ ・)テルスのこれまでの暮らし。だからこそ、同じ境遇の光弘にはよくわかった。


 とどのつまり彼女は――地球と言う存在などというマクロな部分を抜かした彼女は――勝手な期待で見知らぬ場所に引きずり出され、母親代わりの近しい相手に何も与えられず、最後には彼女を生み出した張本人に裏切られた、ちっぽけで哀れな子供なのだと。


「……何もおかしくはない。俺が知りたいことは、全部お前が言ってくれたよ」


 疑問は氷解し、結果的に明日美が正しかった。ならば、残る問題は彼女への対応だけだ。

 彼が考えるのはどうするべきか。どうしたいのか。


 ――この段に至って、彼女がなぜ、執拗に彼にそれを求めていたのか、本当に理解できたような気がした。だから。


「どうやら俺に、お前に対する誤解があった。いや、単なる邪推か。とにかくすまない」

「……」


 思い切って頭を下げると、テルスはぽかんと口を空けたまま固まった。


「いいのか? ……今ので?」

「その上で、お前とこれから協力してやっていくために、幾つか約束して欲しいことがある」


 予想通り、ただただ不思議そうな顔をする彼女を半ば無視し、光弘は譲れない部分を伝えていく。

 『幼女のつもりでいろ』。なるほど、と頭の隅で思う。


「人を殺すな。これは絶対の条件だ。力で相手を威圧するな。これも重要なポイントだ。後は……おいそれとアバドンを使うな。どうしても必要な時は、俺かあす姉に話してくれ」

「……力を使うなと言うわけではないと?」

「俺はもう、そこを追及するつもりはないが……お前にも、なにか目的があるんだろう? 曲がりなりにも、あの時協力すると言ったんだ。恩だって間違いなくある。許せる範囲であるならば、お前のためにも動くべきだと思う」

「……」


 光弘の言葉を吟味するように、テルスは黙って再び顎に手をやった。哲人のような面持ちは、やはりどこか不思議な神聖さがある。しかしもう、彼はそれに気をとられるのをやめるつもりでいた。


「気に入らないのか? お前は確かに、『森羅万象をやろーう』とか『私は組織だのなんだのを超越した存在だー』とかなんとか。ありえない大風呂敷を広げてたもんな」

「……む。なんだそれは。お前らの言うところの……当てこすり、と言うやつではないのか」

「なのにお前、結局俺一人翻意させる事さえできなかったじゃないか。しかも三ヶ月間も。俺は確かに無視していたけど、話しかけてくることすらなかった」

「それは……」

「俺のことが理解できなかったからだろ? 自分を正当化するつもりはないけど、その解らなかった部分が人の理だよ。しがらみとも言うかもしれない。面倒だろうし、理解しがたいだろうが……お前の目的に俺が――いや、人間が必要なのだとしたら、同じ事を繰り返さないためには、きっと絶対に必要なものだ」

「……」


 そしてまた、テルスは黙考する。彼女にとって、これほど難解なものはないのだろう。


 人の理。人間関係。

 もとより答えがあるような種類のものでもないし、光弘だってそう自信のある分野ではない。それだけに、そんな彼に半ば諭されるようにして、やたらと深く考え込む彼女の姿は、どこかユーモラスでさえあった。


「まあ確かに。みっちゃんってもの凄く騙されやすいもんね。この前だってジュアン君の言ってること真に受けて、私の下着を服の上から着用してたし。なによ重篤アバドン矯正ギブスって。馬鹿じゃないの? よしんばそれがあったとして、フリルがついてるわけないじゃない」

「……あす姉なんで今それ急に暴露したの? 全然必要ない情報じゃない? なんなの?」

「皆さん『ヤツはクレイジーだ』って言って慄いてましたからね……暫く距離を置いて様子を見たいと口をそろえて言ってました」

「なにそれ! 俺がハブられてたのってそんな理由だったのかよ!?」

「いや当然それだけじゃないだろうけど……三ヶ月経って私かジュアン君にしか話せないみっちゃんが、人間関係の事でテルスちゃんを苛めるのはなんかとっても違和感あるなー」

「……別に苛めてなんかいないって」


 それはあす姉が終始まとわりついてる所為もあるだろ、と反射的に返しそうになった光弘だったが、あまりに反抗期な言葉だと寸前で気づき、なんとか飲み込むことに成功する。

 そんな風に、光弘がよそ事に気をとられているうち、明日美はちゃっかりテルスに向きなおっていた。


「だから! みっちゃんだって……それで言ったら私だって、あんまり理解してるところでもないから、テルスちゃんもそんなに考え込まないで」

「そうなのか?」

「そうなの。実際みっちゃんは大事なことなんて一つしか言ってない。むやみに人を害さなければ、何も聞かずに助けになってやる……なんかやたらとお堅く言っていたけどね」

「そうか。……そうなのか。なら」


 テルスはそれに何度も頷いて、やっと眉根の皺をといた。


「いや、さすがにそれは……」


 言い方がテルスに寄りすぎている。


 光弘はその恥ずかしい言葉を訂正すべく、大きく声を上げた。同時に少し腰を浮かして、二人の視線を遮るように待ったをかけようとする。


 だが、彼は頭の片隅で、既に明日美の言葉に首肯してもいた。彼女を同情的に見てしまった時点で、彼の負けだ。自分と似ていると認めてしまった時点で、すでに明日美の計画通りだ。

 きっと彼は彼女のために、できるだけのことをしてあげたくなってしまうだろう。


 ならばその悪あがきは、ある種の照れ隠しに過ぎない無駄な行為だ。彼は自覚している。それでもそういう人間味のある“遊び”こそが、これからの関係には必要なのかもしれなかった。


 だから先ほど明日美がやったように、今度はこちらから混ぜ返してやろうと光弘は思っていた。思って無理して大仰に、慣れないオーバーリアクションをしようとして。


 それら全ての行動が、けたたましいサイレンによって阻害された。


「な、なんだ?」

「……ドロシーちゃん!」

「はい、繋がってます」


 さすがと言うべきか、明日美とドロシーはすぐに動き出している。

 施設全体を揺るがすようなサイレン、それも実際の音波でなくハンチによる2・2・3のリズム。非戦闘員の非難区画への誘導サインと戦闘員への緊急召集――間違いなく敵襲だ。


 こまごまとした訓練は受けていたものの、未だにマインドセットを得ていない光弘が混乱から復帰する前に、『聖母』を映していた中空のモニタが切り替わって、シェイドの顔が映し出された。


『やあや。楽しい会食の邪魔をしてしまってすまないね』

「いいから、シェイドさん」

『これは失礼。意外と真剣に切迫しているから簡単に説明する……前に、確認したい』

「? 何を?」

『光弘君』

「え、あ、は? 何だ?」

『君とテルス君を勘定に入れても良いのかい?』


 そうして、平生と違った鋭い声でシェイドに問われ、光弘は漸く正体を取り戻す。


「俺とテルス……」


 無意識に視線をそちらへやると、彼女は強い意志をその瞳に込めていた。かち合った瞬間、彼は覚えずびくりとした。まっすぐな双眸に、射抜かれたような気がしたのだ。


「約束は守る」


 そして出た言葉にも、先ほどとは別人のような力強さがあった。


「だから、私と精神子を――アバドンを。共に回転させてくれ」


 彼女が光弘に求めるのものは、相変わらずひどくシンプルだった。

 アバドンの回転。全ての開放。大きく、速く、尊大な、宇宙を手に入れるかのような貪欲さ。


「あ、ああ……」


 既に答えは決まっていた。

 それでも、その了承は半ば押し出されるような形で出た。彼女の境遇の一片を聞いて、吟味して、理解して。その結果選んだ『決断』ではなく、ただただ単純に、気圧された結果のものだった。


 だから光弘は自分に唖然として、次に己の認識違いに戦慄した。

 これからも関係を続けるならば、いつでも絶対に忘れてはいけないのだ。 

 『この彼女』は、少なくとも『庇護されるだけの存在』ではないと。


「今度こそ……契約成立だな」


 そしてテルスは微笑んでいた。

 今までの馬鹿にしたようなものや、口の端だけを吊り上げるものでない、自らの幸福のみを体現した、童女のような笑みだった。

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