なんか変な女の子となんか変な男の子-1
クエスション。
――富士山はどんな形をしているか?
アンサー。
――簡単だ。彼、藤間光弘の目の前に、悠々と広がる荒野の先、高い秋空に、禍々しく黒々と聳やかす、馬蹄型カルデラこそがその答えである。
「よく、晴れたな……」
光弘はオンボロコンテナ――型落ちの多目的発電機を取りつけただけの、住居と言うよりバラックと呼んで相応しい――から外に出ると、空と、目の前の馬鹿に大きい山を見上げた。
「ん、んーーっと、うしっ!」
そのまま伸びを一つ。続いてぴしゃりと頬を叩き、簡単な準備運動を始める。
ボロボロに色褪せた青いツナギを袖まくりして、首に汗拭き用のタオル。足元にはクワと大き目のスコップ。
洒脱さとは縁遠い場所にある格好だったが、彼には妙に雰囲気があった。その引き締まった長躯と、やや眉の太い精悍な風貌に、作業着がよく似合っているのだ。
「本日も結構なお姿で……」
ひとしきり体をほぐすと、最後に目の前の山へ拝んだ。
茶色の瞳を悪戯っぽく輝かせて、ふざけた様な仕草。
旧日本国、山梨県南都留郡、山中湖村、元山中湖北西岸――現グリーンアース極東支部直下、危険保護特区『フジ』B024:E151地点。
今彼のいるこの場所から、なんの邪魔も無く見えるのが、雄大きわまる富士山の威容なのだった。
二十年ほど昔。
つまりは、光弘が生まれる二・三年前まで、かの御山は円錐型の天辺に白銀を纏う、それはそれは優美なお姿であった。
最高峰の常として頂上は神域とされ、神代より霊峰と尊ばれ、これを題材にした名画も数多かった――と光弘は聞き及んでいる。
「神域っていうか……どう見ても魔境寄りだよなあ」
されども今は前述の通り、単なるどす黒い岩の塊である。
火山活動の活発化によって地熱が驚異的に上昇し、白銀に替わり、恒常的に白煙を噴くようになって以来、富士山が山頂に雪を抱いたことなど一度も無い。
その上ごく最近、派手な『イベント』も起こったのだ。雪花が定着するわけもなかった。
往年の霊峰・富士とは形から何から全くの別物だ。
「お? 来たか」
そこで、ドアが開いた音がした。
背後の家が誰かを吐き出したようだった。振り向くまでも無く、今日の作業の協力者だろう。
「うーっし」
これから土木作業のような事をするのだから、体はあったまっていた方がいい。視線は変わらず富士を捉えながら、光弘はもう一度軽く体を動かしてみたりする。
十数キロ遠方で、もくもくと水蒸気を立ち上らせる火口。それを取り囲む、剣山のような外輪山。
中央がスプーンで抉りぬかれたかのように、大きく深く抉り落ちた、そのある意味不恰好な形を、馬の蹄になぞらえるのは確かに納得できる。
頃合を見計らって傍らに話しかけながら、まるで大魔王かドラゴンの一匹でも棲んでいそうなフォルムだな、とくだらないことを光弘は思った。
「いいか、テルス。今日俺たちが行うのは『天地返し』と呼ばれる作業だ」
「『天地返し』……ふむ。なかなかに壮大な行為のようだな。これはやりがいがある」
すると彼の胸辺りの高さから、何とも意気込みに富んだソプラノの声が返る。
いつの間にそこまで近づいていたのか、相変わらずよく気配が掴めない。最初は驚いたものだが、はや一年。流石に慣れた。
彼がちらりと下向けば、黒く染めた絹糸のように、細く艶やかな打ち垂れ髪の、日本人形もかくやという綺麗な分け目が目に入る。
「天地を返す……言葉から推測するに、ここら一帯の岩石圏を隆起・爆散させることによって空気の層を取り囲み、天、つまりは対流圏の一部を岩流圏近くに押し込むということだな。少しばかり派手に『精神子』を浪費するが……地球が地球である限り、私に不可能は無い。まかせろ、ミツヒロ!」
光弘の視線に気づいたのか、やる気に満ちた双眸をこちらに向けて、勢いよくテルスと呼ばわれた少女がまくし立てた。
子猫のように大きなどんぐり眼と、控えめに通った鼻筋、少し薄めの唇を、今は自信ありげに吊り上げている。
光弘は、自然とたじろいでいた。
天真爛漫。日輪のような笑みだ。外見自体は、彼とそう変わらない年齢に見えるというのに、童女のようなあけすけさがある。その表情は、彼を思わずはっとさせる。
彼女は、文句無く美少女なのだった。生まれ育った環境が少し複雑である光弘は、こういうふとした瞬間に再認識する、彼女の伸びやかな美しさにだけ、今でも慣れることがない。
「……」
「どうした?」
彼と同じボロボロのツナギで身を包んでいる為、色気などどこにもまるっきり有り得ないのだが、それでも隠しきれない眩しさ、の様なものを、光弘は感じてしまうのだ。
あくまで、見た目においてだけは。
「……任せられるかよ」
「な、なにをする」
そしてすぐさま我に返った光弘は、ため息とともにその頭を小突く。
こつりと触れただけの部分を、テルスは大げさに抑えた。
「馬鹿かお前は。そんなこの世の終わりみてーな天変地異を起こして、俺に一体全体何の得があるんだよ」
テルスはこの辺りの大地――いや、地殻と言った方が適当か――深度二百キロ程度までを空に向かってぶち上げて、マントルとの境界に空気の層を閉じ込めると言ったのだ。
言うまでも無いことだが……そんな事をさせるわけにはいかない。というより、どんな事になるのか彼の想像の範疇を超えている。
例えばそれを引き起こしたとして、特別な存在であるテルスや彼などは、かすり傷を負うことすらないだろうが――いくら富士山周辺が危険区域として隔離され、『グリーンアース極東支部』から放置されているとはいえ、付近への被害は甚大極まりない。
大陸か、あるいは星か……そういう大規模な単位での『付近』に、である。
「利得……そういえばそうだな。目的がわからん。簡単に試算して……少なくとも、ここら一帯の有機生命体は残らず死に絶えるだろうし、他にも大規模な地殻津波と地震が起こるな。周辺各地の断層が呼応して地割れと津波が頻発するし、そういえばこの辺りはサブダクション帯だから、火山活動にも大きな影響がある。事態が完全に沈静化するのにざっと数十年。お前らにとっては、長いな……おい、そう考えると『天地返し』にはお前らの言う『営利的要素』がまるで無いぞ。何のつもりだ、ミツヒロ」
ぶつぶつと、自分が行おうとした行為の、起こしうる影響を説明しながら、最後がついに質問になった。名前を呼んで、隣を見上げて、首をかしげる。
……やはりやたらに可愛らしい。が、もう流石に動揺はない。
「何のつもりだ、じゃねえよ。お前が勝手に勘違いしたんじゃねえか。いい加減その無駄に大規模な思考を何とかしろ」
「わわ……やめろ!」
もう一度小突いて、説明する。
「天地返しってのはな、一種の農作業だ。この辺りの地面は見ての通り、火山活動による堆積物に覆われていて、今すぐにまともな耕作ができるような状態じゃない」
「たしかに、そうだな」
「だが、二十年……ぐらい前か。元々この辺りは国営の公園で、一面の花畑だったんだ」
言いながら、光弘は地面をつま先で小突く。
「だから、地下。多分、十数メートルぐらい深くに、耕作地が潜在してるはずなんだ。俺ら自給自足の民としては、なんとか農業に向いてる肥沃なその土壌を、表面に持って来たいよなあ?」
そこまで言うと、テルスは得心がいったとばかりに頷いた。
「ふむ。理解できた。つまりその地層を地表に押し上げて、今見えてるものと交換しろ。そう言いたいわけか」
「そういうこと。その作業を『天地返し』と古来より呼び習わしている。やり方も規模も全然違うんだが……まあ、そんなんはどうでもいいか。頼むぜ、女神様。もちろん、あくまで、なるべく、穏便に」
「任せろ。その程度、お前らの言葉で言うと……『臍から茶が湧き出る』ほどに単純な作業だ」
にやりと口の端を吊り上げて、テルスは目を閉じる。
同時に、背中の真ん中辺りまである打ち垂れ髪が、風も無いのにふわりと宙に浮いた。
周囲の空気の粘度が変わったような感覚。テルスが、『精神子』を使って地球と共振し始めたのだ。
(繋がった、か)
微弱な振動が空間を支配し、『精神子』の移動を受けて、真空から遊離させられた種々のエネルギーが、彼女の周りにぽつぽつと、色とりどりの発光を始める。
最初は不規則に明滅するだけだったそれらが、次第に運動を始め、空中でそよぐ黒髪と戯れるように、ついには螺旋を描きだす。
忙しなく色を変えながら踊り狂うそれらは、泰然としたテルスに付き従う妖精のようだった。そして、そうであるならば、その渦中で目を閉じ、鷹揚と佇む彼女は、正しく女神のようだった。美しい光景だと、手放しで言えた。
そんな彼女の、ある種神々しい姿を見て光弘は、
(しかし、茶が湧き出るって……その言葉、使い方から何から間違ってるだろ……)
だとか、心底どうでもいい事を思っていたのだが、テルスはテルスで真剣そうなので黙っている。