月給
女子大学生×社会人 (R15?)
「うそ!!!」
ふるふると震える手に持つのは明細書の文字。今月振り込まれたバイト代の給与明細である。
「先月これしか働いてないの…?」
常ならば気にしない金額ではある。しかしこんなにも泡を食っているのには訳があった。
来月には二つもイベントがあるのだ。高い物であれば良いわけではないけれど、どうしてもあげたいものは少々…いやかなり値がはるものだった。
なぜよりにもよってあの人は12月生まれなのか、クリスチャンでもないのに己は浮かれているのか云々、何をどう考えても仕方がない。
しかしながらこちらは大学生、あちらは社会人。見栄は張りたいし対等になれずとも近づきたい願望はある。
「よしっバシバシ稼ごう!!まだ間に合うっ!」
幸いにして今日はまだ11月15日、来月の12月15日までには一月ある。
朔は頭に浮かぶ己の彼氏、英介の姿に、稼ぎまくることを決意した。
「本気を出した私をなめるなよっ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「今週、金曜日の夜空いたんだが会えるか?」
『あーゴメン。バイトだ』
仕事が立て込んでいるなか、思い出すのはいつも同じ姿。仕事が落ち着きふと思えば一週間も会わず声も聞かず、果てやメールもしていなかった。
そしてやっとこじあけた時間をどうするかなど愚問であった。にも関わらず、だ。英介が電話をしてみれば、聞こえる彼女の言葉はなんとも無情なものであった。
「またか?お前こないだもバイトだったろ、働き過ぎじゃないか?」
恨みがましい声になるのを抑えながら尋ねるのは思いのほか至難の業であった。内心、盛大に舌打ちがでた。
『だーいじょーぶ大丈夫。体の丈夫さには定評があるから!多少の無理に倒れる私じゃないって』
大丈夫でないのは主に英介の忍耐やら理性といったものであったが、すんでのところで抑えた。ただでさえ社会人となっている自分は時間が頻繁に空くわけもないが、しかし年上としてのプライドもある。
そんな男の心情を解する様子もなく、からからといつも通りの彼女に嘆息を禁じえない。
「……わかった。体には気をつけろよ」
『ん、いつもありがと』
大好きだよ、続く言葉に詰まりながらもそう言われてしまえば引くしかない。
「ったく。また連絡する。お前も早く寝ろ」
電話をかけたのは自分であるのを棚に上げて、照れているなど死んでも知られたくない英介はごまかすよういささか強い口調で言う。
『おやすみ』
「オヤスミ」
少し笑いを含んだ声には、そんな英介の葛藤などわかっているようだった。
電話を切り、わき上がるのは焦燥感。一週間ぶりの逢瀬(しかし声だけ)は満足するわけもなく、ただ会いたくなっただけなのだから始末に負えない。
「…………寝れん」
そして明日は寝不足になることが決定した。
電話をかけてきた主とは、かれこれ一週間ほどあっていなかった。誘いの言葉に予定があるからと落胆しながらも断った。それでも声だけでも聞けただけで心が浮き立つ気がした。
電話を切ったあと、幾ばくの寂しさを感じた朔であったがそれも後少しと思い直す。
「よしっ。買うものは決まってるし頑張ろ」
今日はもう寝ようと、ベッドに入りかけたところで目眩が襲った。
「っとあれ?………うん、寝よ」
悪寒がしたような気がないではなかったが一瞬のことであったので気のせいと思うことにする。そして来たる日を思いながら眠りに落ちたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ありがとうございましたー」
「ちょちょっと朔っ!すんごい顔色っ。店長に言って早く帰んな!」
ものすごいいきおいで心配をしているのは朔の同期で同い年の高橋恵だ。恵は身長180センチ近くベリーショート、シャープな顔立ちでそのあたりの男子よりもよっぽどモテた。まったく女にしておくのが勿体ないと朔は常々思う。
「んーでも今日で連勤ラストだし頑張る」
「あとどうせ2時間だし。お客はもうこないでしょ。大丈夫だから」
「でも……」
「ハ ヤ ク カ エ レ?」
「はぃ」
美人がすごむとなんでこんなにも怖いのか。有無をいわさず帰宅することになった。
「あぁもうなんだって…」 自覚したとたんに体がどんどんと重くなり、部屋に戻り着替えたところまでで限界を迎えた。
「ダメだ」
最後の理性でベッドに倒れ込む。
そしてどこか遠くで着信が鳴っている音を片隅に意識が遠のいていった。
ぱちりと目が覚め起きあがると、ばさりと掛かっていた布団が落ちる。はて、と布団の中に入った記憶がないもののよく寝たあとのように体のだるさは無い。
辺りを見回せばなにやら暗く、ほのかに光るのは豆電球だった。
「あれ…いまなんじ…」
「深夜0時だ」
「っ!!」
誰と問わずとも慣れ親しんだ声。どこから、と見回せばベッドの直ぐ右下にしばらく姿さえ見ていなかった男が寄りかかっていた。
呆れたようにため息をついた英介はベッドに腰をかけ、朔の方を向くとそのまま手を額に当てた。
「な、どして」
「熱はないみたいだな」
朔の質問に答える気がないのかなんなのか、心配げな顔が朔の目に映る。
そして英介はおもむろに額に当てた手を引くと中指と親指で輪っかをつくり何やらためている。それをただ目で追っていた朔はイヤな予感しかしなかったが避けられる気もせず、きたる衝撃にそなえ固く目をつむった。
「っったーい!!!」
「んの馬鹿もんがっ!!!倒れるまで働くやつがいるかっ」
先ほどの心配げな雰囲気はどこへやら、眉間にしわ眉をつり上げて叱りつけられた。そんな状況であるのにぽかぽかと心が温かくなり自然と頬がゆるんだ。
「ぬゎ〜にを笑ってるんだ?」
「いや〜だって、ねぇ」
怖い顔ですごんでも己を心配しているのだと分かるから朔はちっとも怖くなかった。
「ほう良い度胸だ。会うのは三週間ぶりで?電話もメールもろくにしない。お前はバイトする時間はあるというのに俺に会う時間はないんだな」
「や、えーと」
マズいと感じたときにはもう遅かった。ベッドに乗り上げる英介はじりじりと追い詰める。
「体の丈夫さには定評あるんだよな?多少の無理では倒れないんだよな?」
「あは、あははは」
「手加減いらないよな」
「えーと、私ほらつかれてるし?」
「ほう?よく寝た血色の良い顔をしているが」
「えーっと、ほら疲れてるだろうし?」
「いや全くだな。むしろ有り余ってるくらいだが?これ以上溜めこむのは逆に毒だな」
言うや否や英介は朔を押し倒す。
「な、ななななっ、ちょ」
「逃がさない、寝かせない」
「んっ」
パジャマ(着替えさせてくれていたらしい)の裾から節くれだった大きな手が入りこむ。
「もう何も考えるな。俺だけ見てろ」
朔が覚えてられたのは獲物を狙う豹のように細められた目と体を撫ぜる熱いくらいの感触だけだった。
「んー?」
カーテンの隙間から射す光が朝だと告げる。頭は覚醒しているものの体が動かない。
「のわっ…くぅ〜〜〜〜」
せーので起きあがったがあちこちの節々が軋む。特に下半身。それと同時に昨夜の記憶が一気に蘇った。
「自業自得だ。馬鹿め」
振り向かなくとも男がどのような顔でいるかなんて分かった。きっと頭の下で両手をくみ、やにやと悪戯が成功したときのガキ大将のような顔つきをしているに違いない。
「で、なんで俺よりバイトを選んだ訳を聞こうか」
むむと唸りながらうつむけば、いつの間にやら後ろから抱きしめられた。
「別に食うに困ってるわけじゃないよな」
「…」
あくまで黙秘を貫く朔に、英介は抱き締める力を強め目の前の細い首筋に顔を近づけると囁いた。
「分かった。当てる」
「来月の16日」
「っ」
「あとは24日あたり?」
「ぐっ」
「降参?」
「こうさん」
「ったく。俺の誕生日なんて気にしなくていいの」
「だって私はちゃんと誕生日もらったし」
やっと観念した気が抜けたのか朔は背中を英介にあずけた。
「身体辛くして悪かったな。だが次同じことやったら」
そんな様子の朔に気を好くした英介だったが幾分低い声で忠告をする。
「…………やったら?」
「監禁する」
笑顔で宣言され、朔は何を言う気も起きない。
「…もうやりません」
「当然だ」
むっつりとふてくされるような声に驚いた朔は後ろを振り返る。
「………寂しかった?」
「………」
「ごめんなさい」
「もういい。これでチャラ、だ」
思いのほかへこんでいる英介の姿に反省をした朔であったがもぞもぞと背中を動き回る不埒な手に青ざめる。
「な!!!もうむりだよっ」
「ゆっくりやるから安心しな」
お前も俺も休みだしな、という死刑判決にも似た英介の言葉に朔は愕然とする。
「いーやー!」
「あきらめろ」
非常に楽しそうな男と怯えまくっている女がその後、男にとって有意義な女にとって不本意な休日を過ごしたことは想像に難くない。
そして完全にむくれた女を宥める男の姿があったとかなかったとか………。