9/ホワイトカラー
学者と聞いてもピンと来なかった。
「ま、ぼくの本業は医者なんだけど、最近はもっぱらエコロジーでね」
「環境保護活動?」
自然と眉間に皺が寄ってしまった。今時、環境保護活動家なんて言ったら、動物の凶暴化は人間の業に対する罰であり受け入れるべきだ、なんて主張する様な、カルト宗教の信者みたいなものだ。ずっと軍隊と一緒だったから、そう刷り込まれているだけかも知れないが。
クリストファー、キッツは「いやいや」と肩を竦めた。
「それはぼくから言わせれば『エゴ』ロジーだね。ディープエコロジーならいいけど、環境保護なんてのは産業活動を行う前提で人間の利益を優先した――」
語り始めるのを、シュエという女の人が遮った。
「動植物とそれを取り巻く環境との相互関係に対する研究、生態学ね」
なるほど、と頷いて見せたけれど、実のところよく解っていない。「平たく言えばね」とキッツが相槌を打つから、尚更だ。何となく、途方もない事柄を研究している、とだけ思っておくことにした。
「そういう訳で、世界中あちこち飛び回って色々研究してるんだ。今回はここら辺のバッタを調べに来たんだけど、生憎と駆除されちゃった後らしいね。出来れば捕獲させて貰いたかったんだけど、一足遅かったみたいだ」
ガックリ肩を落としたところで、「それなら」とハンナがしゃしゃり出た。
「この子、ロコルはその軍隊と一緒に来たのよ。一年も一緒に居たんですって」
余計なことを言う。それを教えてしまうと、根掘り葉掘り尋ねられるのは目に見えていた。全くその通り、キッツは急に元気になった。
「へえ! それじゃあ、色んな動物に出会ってきたんだろうね?」
興味津々と目を輝かせた。うわあ、これは大変なことになる。僕は咄嗟に閃いた。
「うん、それで、沢山の人が殺されるのを見たよ。僕の家族も……」
子供にこんなことを言わせたら、黙らざるを得ないだろう。我ながらずる賢い作戦だと思った。ところが、キッツという人はどうも純粋と言うか馬鹿と言うか、研究熱心な人物らしく、
「そうか、大変だったね。それで、どうだった? ほとんどの動物が大型化してただろう? 間近に見た様子は? 詳しく教え――」
興奮して一息に質問を飛ばし続けるところを、シュエの強烈な肘打ちが止めた。正確にみぞおちを抉られ、キッツは息を吸うことが出来なくなりうずくまった。
「ごめんね、コレはいつもこうなの」
「あ、うん、大丈夫」
この一連のやり取りで二人の関係性は理解出来た。
「ね」
とハンナが声を潜めて逆に訊く。
「あの、車に居る人……先生も学者さん?」
「ああ、クラウスはハンター、用心棒ってところね」
ならあの風貌、あの眼光も納得だ。凶暴な動物達とも渡り合えるだろう。しかし、この頃に狩人というのも違和感がある。狩りっていうのは道楽でやるものだ。暴れ回る動物達で切迫している今、そんな馬鹿馬鹿しい趣味に興じる人間は居ないと思う。差し詰め、動物退治の専門家、という意味でのハンターだろう。
ともかく、それじゃあ、と僕は場を離れようとした。学者や科学者や研究家とは、あまり関わり合いたくない。ところが、そそくさ行こうとする僕の二の腕を、ハンナがガッチリ掴んで放さなかった。あまつさえ、
「もうちょっと教えてくれない?」
なんてことを言い出す。
「ちょ、ハンナ、ダメだよ! 僕達はこれから仕事があるんだし、この人達だって――」
「ぼくらは構わないけど?」
さっきまでうんうん唸っていたキッツが、急にケロリとして言った。
「どうせ、講習会を開かせて貰える雰囲気でもない。ぼくら学者にとったら、研究内容を伝えることは実に有意義だ。君らになら、脳の石化著しい年寄りに話すよりずっといいだろうしね」
快諾というのが、こんなに嫌だったことはない。ハンナは「やった!」と喜んだけれど、僕はどんよりとした気持ちだ。
「オーケー。それじゃあ、場所を変えようか」
車を木陰に移動させ、僕らはそこら辺に転がっていたバケツなんかを拾ってきて、椅子代わりにする。こうやって落ち着いてしまうのはどうかと思ったけれど、ハンナが言うには、子守が誰も来なかった場合は普段サボっている係の人間を呼ぶ様、年長の子に言い付けてあるそうだ。ちゃっかりしている。
キッツはモニターアームを動かして、グラフの表示された画面を見せた。
「ここらに生息するワシの体長を、十年前から一年単位で平均化し、過去最大を記録している現在を百パーセントとしたグラフだ」
折れ線は右肩上がり。確実に、年々巨大化している。
「ここに、ワシのエサになる小動物……ウサギのグラフを重ねてみる」
キッツがキーボードを操作すると、もう一本折れ線グラフが描かれる。線はほとんど一致した。わずかにズレていても、それはきっと誤差の範囲だった。
「ロコル君、君が見たバッタは具体的にどれくらいだった?」
「十センチメートルを超えてた、と思う」
「オーケー、それじゃあ、今年の暫定データとして入力してみよう」
またカタカタ打つと、別の色の線が現れる。それもやっぱり、ほとんど同じ形だった。
「鳥類、哺乳類、昆虫類。ここに挙げた三つの分類を含むほとんど全ての動植物が、この数年ほぼ同じ割合で大型化している。ご存知の通り、動物にとって大型化するということは、リスクを増やすということだ。体が大きくなれば、その体格を維持するために大量の食糧が必要になるし、成熟が遅れ繁殖と世代交代のペースが落ちる。ワシの様な上位捕食者ならともかく、ウサギやバッタでは外敵に発見される危険も高まってしまう。ところが、食物網の端から端まで、同率に巨大化することで、生態のバランスは保ち続けられている。じゃあ、何故に、一体何をきっかけにして巨大化が始まったかと言うと、これが全くの不明なんだ。色々な学者が仮説を立てた。遺伝子組み換え食品の影響だ、核兵器実験や放射性廃棄物が原因だ、なんて言い出すのも居た。けれどこれが、どの方向から考えても説明しきれない。それに、巨大化にしろ矮小化にしろ、自然界では数千年掛けて起きる現象だとするのが常識だ。それがほんの数年っていう異常も異常の短期間に、突然変異として表れている」
キッツは嘆く様な仕草をしたけれど、表情はどこか楽しげだった。モニタの電源を落とし、アームを畳んだ。
「凶暴化に関してもそうさ。以前から、生息圏を奪われた動物が人間の生活圏に舞い戻って悪さをすることはあって、それこそ環境問題だった。人を襲うにも、餓えて仕方なくとか、縄張りを侵されてとか、そういう理由があった。しかし、そうではなく動物達がわざわざ人里にやって来る。肉食動物がぼくら人間を捕食対象と見なす。また捕食目的を持たず襲うこともある。本来群れない動物が組織的に行動する。種の垣根を超えて大群を作る……そういうことが、世界中のあちこちで同時期から、多発的に起きている。本来、自分自身の生存を本能、絶対目的としているはずの動物達が、捨て身でぼくらに挑戦している。まるで戦争だよ。国連が敵と呼ぶのも正しいと思えてしまう」
「なんだ、結局解らないことだらけじゃない」
ハンナがくちばしを突っ込むと、キッツはすかさず「そうでもないよ」と切り返した。
「これらのことは、従来の生態論、常識では説明が付かない、というだけさ。言った通り、ぼくの本業は医者だから、生態学の門徒として培ってきた知識もなければ、学会のしがらみもない。逆に言えば、既成概念に囚われないで済むってことだ」
要するに、学者としては異端で、話す内容の学術的根拠は乏しい、ということだ。これからの話は、話半分に聞くことにした。
「種の巨大化については、古代化――進化論的逆行だと、ぼくは考えているよ」
「進化の逆ってことは、退化?」
「残念だけどそれは全然違う。退化というのは、体の一部分が小さくなったり、あるいはなくなったりして、その機能を弱めていくことだよね。これは環境に適応する過程で起きるもので、進化の方向性の一つなんだ。ぼくの言う進化論の逆っていうのは、祖先への立ち返りのことだよ。ゾウがマンモスになったり、ニワトリが恐竜になったり、っていうことさ」
ハンナは「へえ」と相槌を打ったけど、横顔はキョトンとしている。キッツは咳払いをした。
「マンモスも恐竜も、昆虫も魚も、古代生物はみんな大きかった。植物も。ただ、種が増え個体数が増えるに連れ競争が激しくなってきたために、小型化していったという説があるね。小さくなるという選択、進化をした訳だ。遺伝学については門外漢だから、君らに解りやすく説明することは出来ないけど、ま、生物は進化を続け、その情報は遺伝によって親から子へと代々受け継がれる、ってことだけ解ってくれたらいい。とにかく、生物というのは環境に合わせて進化を繰り返し、進化は性質を変え、性質は遺伝子によって受け継がれ、遺伝子は生物の性質を決める。類人猿から進化したぼくらヒトには、ヒトとしての遺伝子がある。けれど、ぼくと君らは違うだろう? 肌や髪や瞳の色、顔や背丈や指の長さっていう骨格。まるっきり同じ人間なんて二人と居ないね。それは親が違うからで、その親もそのまた親も違うヒトだからだ。そうやっていくつも枝分かれした先にぼくらが居る。しかし、枝分かれするからには、最初のタネがあったはずだ。ヒトに限らず、全ての種にね。ヒトのタネのありかに関しては、何十年も前の研究で明らかにされているけど、つまり、生物がこのタネに戻りつつあるんじゃないか、って発想だ」
「あくまで仮説ね」
シュエが横から茶々を入れると、キッツはムッとするでもなく「そう、仮説だ」と頷いた。
「実際、現存種とその祖先である絶滅種とで染色体の塩基配列を見比べてみると、数年前に比べてかなり近しくなってはいる。けど、そもそも始祖になった古代種の完璧な染色体なんて採取できっこないんだから、証明の仕様がない。だから仮説の域を出るものじゃあ、決してないよ。繰り返しになるけど、生物の歴史は進化、変異の歴史だ。種のタネを解き明かした手段だって、変異しないあるいは変異しにくいところを辿っていくもので、枝分かれによって常に変異していく部分が元の形に戻っていくなんて発想は、一笑に付されて当然だよ。そう考えたところで、短期間で、という部分には何の説明も施せないしね。喜んで飛び付くのは、オカルト好きくらいなものさ」
自虐的に笑う。
「オカルト好きよ、あたし」
励ますつもりなのか、本気で言ったのか、ハンナが少し身を乗り出した。キッツは「ありがとう」と応えてから、手を打った。
「じゃあオカルト好きと解ったところで、また別の仮説を持ち込もう。君達はガイア理論を知っているかい?」
僕とハンナは互いに顔を見合わせ、首を傾げた。まだ続くのかと辟易しながら。
「ガイア理論は、生態学が研究している生物と環境との関わりによって恒常性――つまり、生物が体内環境を調整して、常にバランスを保とうとするのと似た作用が働くのを見て、この地球を一つの巨大な生命体だと見なす仮説だよ」
「地球が――」
僕もハンナも、同様に絶句した。また途方もない話に飛んでしまったし、本当に地球が一つの動物で、僕らがその体内に居るのだとしたら、無性に気持ちの悪さを感じるからだ。