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テレヌス  作者: 熊と塩
第一部 : Cogito, ergo sum.
7/40

 7/ままごと遊び

 正午の鐘とほとんど同時に、子供達がどっと押し寄せてきて、津波かバッファローの大群か、僕を押し流していく。怪我人だなんてお構いなし。何とか壁際に逃れた頃には、もう息も絶え絶えだった。

 目当てはおもちゃ箱、そう、僕が片付けたばかりのおもちゃ達だ。引っ繰り返してぶちまけて、奪い合って散りばめて、瞬く間に元通りだった。

「どちら様?」

 腰に手を当てて、僕を見下ろしていた女性だった。女性と言ったって、僕よりいくつか年上くらいだろう。ひょろっとして背が高い。振り返った僕を見て、ちょっと驚いた様だった。

「あっ、新しく来た子?」

「今日からここで働けって」

「ああ、そうなんだ。助かった。力持ちはみんな農場だし、あとは食堂だから」

 ホッとした、と笑う。ひょっとして、

「一人で全員の世話を?」

 子供達はざっと数えただけでも二十人から居る。それも四、五歳くらいの幼児ばかりだ。意味不明な言動を繰り返しては暴れる年頃。

「んん、まあ、ほとんどそうかしら。他の人はサボりがち」

「オニだね!」

「オニ?」

「ニッポン語で『とんでもない』って意味らしいよ」

 彼女の名前はハンナというそうだ。


 ハンナはやっぱり「オニ」だった。おもちゃを組み合わせて作った、不可思議な造形物を見せに来た子を褒めて軽くいなしたり、喧嘩が始まればもの凄い速度と剣幕で仲裁に行く。僕とはその合間に話をするという感じだ。でなくても、子供達の叫び声でいちいち掻き消されては言い直すから、話が一向に進まない。とうとうじれったくなって、

「それで、色々あってここに来たんだ」

 と適当な言葉で締め括った。忙しいながらに興味津々と聞いていてくれたハンナは、感心した様子だった。

「壮絶ねえ!」

「君は?」

「わたしは別に、普通よ。避難命令で家を追い出されたけど、両親は生きてるし」

「普通じゃないよ。幸せなことだよ」

「うん、そうね」

 ハンナは複雑な笑みを浮かべた。「そうよね」と言いながら、目を泳がせる。

「家族が居るって、幸せなのよね、本当は……」

「本当は?」

 聞き返すと、口元は笑ったままなのに、暗い影が落ちた様だった。

「嫌いなの」

 思い切った様に言って、目を上げる。遊んでいる子供達を見ながら、どこか別の場所を見ているみたいだ。

「去年、弟が死んだの。病気でね。元々体が弱かったし、ウチはお金もない方だったから。弟を凄く可愛がってた両親は、それきりふさぎ込んじゃって……あの人達にとっては、あたしなんて居ても居なくても同じなんだって、気付いちゃった」

 切なく目を細めるハンナの横顔を見て、僕は最初に思った大人びた印象を打ち消した。

 僕には、親が居てもその愛情を受けられない寂しさは、解らない。けれど、それがとてつもなく悲しいことだとは、解る。

 解るのに、何と言っていいのか解らなくて、僕はただ「ごめん」としか言えなかった。

「大丈夫。今はほら、仕事してるし」

 向き直った顔はまた笑っていた。無理をしたものだってことくらい、簡単に見抜けたけれど。

「そう言えば、もしかして、それ――」

 ハンナが何か言い掛けた時、小さな女の子が泣き叫ぶ声が遮った。「何したの!」と声を張り上げながらハンナは行ってしまい、「それ」が何を指して、何を言おうとしたのか、結局聞けなかった。


 昼食の時間になって、子供達を引き連れ食堂へ向かった僕は、もうへとへとだった。ハンナを見習って子供の相手をしてみたけれど、あれは恐ろしく重労働だ。子供は容赦がない。怪我の概念が薄い幼児なんて、僕の左腕なんて知ったことじゃないし、むしろ面白がって掴み掛かってくる。

「これじゃあ体が持たないよ。ハンナはよく平気だね。何かコツでもあるの?」

「慣れかしらね」

 つまり体を鍛えろということか。

 食堂には、さっきの集会場の半分くらいの人数が集まっていた。元々、自転車で端から端まで行き来出来る程度の集団農場で、そこで働く人達の為にあるものだから、収容人数は多くないらしい。難民が増えてからは食事も交代制なのだと、ハンナは教えてくれた。

 そこでパンを配って歩くワッカを見付けるのに、そう時間は掛からなかった。長い髪を後ろで一括りにし、大きな三つ編みにしているのがとてもよく目立った。カゴを手にエプロンをして、人の間を縫っている。声を掛ける間もなく、ワッカも僕に気付いてくれた。出入り口のところに居た僕らの元まで来て、

「お疲れ様」

 と言った。「ありがとう」と返す僕を押し退けて、ハンナがぐいと躍り出た。

「あなたがロコルと一緒に来た子? あたしハンナ、よろしくね」

 屈み気味に手を突き出す。ワッカは目をぱちくりさせてから、頷いて握り返した。

「可愛いね」

「あ――」

 ありがとう、と言った様な、言わない様な。もごもごと口ごもってしまった。直球にそう言われたことがないんだろう。たぶん、照れている。そういうところも可愛いと思ったけれど、僕が言ってしまうとニュアンスが変わってくるから、黙っていた。そこへ、

「ほら、サボッてんじゃないよ!」

 と、あのおばさんのがなる声がした。「ごめんなさあい」とまた大声で返したのはハンナだった。

「じゃあ、また後でね」

 とやっぱりハンナから言って、ワッカのカゴからパンを二切れ取って、テーブルの空いている席へ向かって行った。僕も一旦別れを告げて、ハンナの後を追った。

 隣り合って席に着いた僕らの前に、すかさずスープのボウルが出された。なみなみ、とはいかないのは想像していたけど、具もほとんどない。それから出てきたのは、パンに塗るデーツのペーストと、気持ち程度に葉物を千切ったサラダ。ドレッシングはオリーブオイルに塩が混ぜてあるだけみたいだ。

「お祈りはするタイプ?」

「しないよ」

「よかった。それじゃあ、遠慮なく」

 ハンナは、ぺん、とデーツをパンに載っけると、大口でかじり付いた。何度が噛んでから、スープで流し込む。忙しなくてあまり行儀のいい食べ方ではなかったけど、この後やって来る人達の事を考えると、のんびりしていられないんだろう。だから僕も真似をして、精一杯急いで食べ始めた。味の方は何とも言えないが、少なくともレーションと違って人の手で作ったものだから、有り難かった。

 葉っぱをシャリシャリ噛みながら、「で」とハンナは言った。

「あの子、何て名前だっけ?」

 乾いたパンを無理矢理飲み込んでから答えた。

「ああ、そうそう、ワッカね。ロコルはワッカのことが好きなんでしょ?」

「えぇ!?」

 託児所で少し話したけど、そこまでは言ってなかった。言える訳がない。

「な、なんで解るの?」

「顔がキラキラしてたもん。誰が見たって解るよ」

 そんなに表情に出ていただろうか。でもそうかも知れない。さっきワッカと会ってから、疲れがだいぶ消えている。

「可愛いもんねえ、あの子。何だかコミュニケーションが苦手って感じだけど、またそこが魅力だったりして?」

 ハンナはまたパンを頬張る。僕の方は、図星過ぎて何か言い返したり食べたりも出来なかった。もぐもぐやりながら、また質問をしてくる。

「知り合ってどれくらい?」

「昨日ここに着いて、その昨日だから……二日」

 答えた瞬間、ハンナの口から大量のパン粉が吹き出た。「二日」と素っ頓狂に繰り返して、むせ込む。慌ててスープを喉に流し込むから、あっという間にボウルは空になった。

「なあに? 一目惚れなの?」

「まあ、うん、そう……」

 カァっと耳が熱くなった。

「だって、誰も彼もが死んじゃった街で、たった一人立ってるんだ。背景は壊れた家と瓦礫と、バカみたいに晴れた空と……何だか、空から落ちてきた天使みたいで……」

 思い出してみても、あの光景は神秘的と言うか、絵画的と言うか、そういう印象だ。嘘みたいだったとも言える。

「何、あんたスペイン人?」

「生まれはそっちの方だけど」

 溜息を吐きながら、ハンナは頬杖を突いた。その格好で、流し目気味に僕を見る。

「な、何だよ」

「別に。何だか羨ましいなあ、と思って」

 ずるずると頭をずり下げて、髪を掻き上げ、唇を突き出した。

「あたしも天使とか言われてみたいなあ、って」

「ハンナだって綺麗だよ」

 お世辞じゃない。集会場やここ食堂で見る人達は、追い詰められた様な顔をしている。でもハンナは違った。頑張って仕事をして、逞しく生きている。そういう女性は魅力的だと思う。

 すると、ハンナは途端に元気になって、跳ね起きる様に顔を上げた。

「あ、そう? あたしも天使?」

「ああ、うん、天使」

 何を言わされているんだか。ともかく、こんな言葉で喜んでくれるならよかった。と、思ったけれど、またすぐにハンナは遠い目をする。

「ここってさ、みんな疲れてるし、乾いてる。みんな辛いことがあって、辛いことから逃げるばっかりで、何もしない。何かするとしたら、ビクビク怯えたり、偉ぶったり、それくらい。息が詰まるよ」

 確かにそうかも知れない。僕が難民キャンプを嫌う理由もそんなところだ。足首を引っ張られる様な、肩に負ぶさられる様な、閉塞感がある。「だからさ」とハンナは言った。

「あたしと付き合わない?」

「え?」

「潤いたいもん。このままじゃ、やってらんないから。ロコルなら可愛いし、いいかなって」

「そ、そんないきなり言われたって困るよ!」

 それに、可愛いなんて言われても嬉しくない。僕だって男だ。

「じゃあ付き合わないにしても、ワッカと三角関係でいいよ? それも面白いじゃない?」

「面白いって――」

 口振りは冗談めいているし、口元は笑っている。なのに目は真に迫るものを訴えていた。

 冗談にしろ本気にしろ、僕を好きになったから言ったものでないのは、簡単に知れた。


 食堂の入り口から、ハンナを呼ぶ声が聞こえた。ハンナ、ハンナと、何度も呼び掛ける。見ると、さっき僕に服をくれたお母さんだった。背伸びをしたり屈んだりして、辺りを見回している。それで僕は、あっ、と気が付いた。

 目を戻すと、ハンナは僕に隠れる様に体を小さくして、下唇を軽く噛んでいた。

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