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テレヌス  作者: 熊と塩
第一部 : Cogito, ergo sum.
5/40

 5/月明かりの下で

 なんとか直撃は免れたけれど、これは、かなりヤバい。

 バッタはどんどん侵入してきて、もう全てがバッタの絨毯に覆われようとしている。僕の足下なんかは、膝くらいまで昆虫のプール状態だった。さっき転げた隊員は、埋もれてしまって見えない。もし、マスク無しでこの中に埋もれたら、どうなることか。きっと、バッタで溺れ死ぬ。そうでなくとも、もしホロが吹き飛ばされて、勢いの付いたバッタの群れが直にぶつかってこようものなら……考えただけでぞっとする。

 もし、ワッカがそうなったら。それは、死ぬより怖い。

 僕が守ると約束したんだ。一方的かも知れない、彼女は何とも思ってないかも知れない。でもいいんだ。ワッカを守れなかったら、僕は僕を許せない。

 例え、死んでしまってもいい。

 守らなくちゃいけない。そんな気がする。


 ホロを留めていたロープが引き千切れ、僕達はさらけ出された。

 白い光に包み込まれた。眩しくて、熱を持った光だ。

 何食わぬ顔をした太陽が、ぽっかり浮かんでいる。空はスカッと晴れやかで、僕達を迎える様だった。

 足下やそこら中に溜まりまくっていたバッタが、風を受けて、枯れ葉の様に荷台から飛び出していく。それらが合流していった黒いわだかまりは、もう程遠い後方にあった。

 途端に訪れた静寂。空気を切る音がびゅうびゅう耳元で鳴っているはずなのに。しかし、それさえも緩やかに消えていった。車列が速度を落としていったからだ。

 うずくまっていた他の連中も顔を上げ、天を仰ぐ。

 残っていたバッタを払い落とし蹴り落とし、ワッカを包んでいた毛布をタマネギの様に剥いた。それから暑苦しいマスクも取ってやる。マスクの下から出てきたワッカの顔は、上気してうっすら赤らんでいた。大きな瞳は、やっぱり僕を見詰めている。

「暑かったよね、ごめん。大丈夫? どこか痛いところは――」

 僕の言葉を否定する様に、ワッカは腕を持ち上げた。そして僕の左腕を取ると、そっと三角巾に通した。

「あ、ありがとう」

 そうしてようやく、僕の腕は痛みを思い出し始めた。


「なるほど、蝗害(こうがい)ですか」

「この一週間で既に三分の二をやられています。ご存知の通り、この一帯は我が国の食料庫……これ以上の被害は致命的です。このままでは国が滅ぶ」

「つまり害虫駆除ですな。そりゃ人手が要る訳だ。しかし確か、かなりの額の支援金を出してましたよねえ。農薬だか殺虫剤だかも」

「もちろん使用していますよ。ただ、薬剤耐性が出来たのか、効果が出ないのです」

「ここ数年、生物の進化速度は飛躍しています。世代交代が早く、淘汰による進化と突然変異とが急速に行われている。実践された対策が、翌年には全く有効性を失う、そんなことばかりです。あのバッタは相当巨大化もしていた」

「見たのですか?」

「ええ、途中擦れ違いました」

「それなら話は早いですね。奴ら、長く留まることをしないのです。一日の内に何度も移動を繰り返しながら、体重と同じ分だけ作物を食い荒らしていく」

「じゃあ取っ捕まえて食っちまうってのはどうです? この辺りじゃ、バッタを食べてもバチは当たらないんでしょう?」

「……冗談を言っている場合じゃあないのですよ。国内から避難民を受け入れているのです。これでは供給が追いつかなくなってしまいます」

「非礼をお詫びします。次の飛来は予測出来ますか?」

「明日の朝、でしょうか」

「解りました。それでは我々は準備を進めます、が、こちらからも一つお願いが」

 隊長は話を終え、ワッカと僕を手招きした。

「孤児、ですか」

「ええ。お聞き及びかと思いますが、少女は先日壊滅した町の生き残りです。それで、こちらの少年は――」

「見たところ、この国の生まれではなさそうですね」

「はい。しかし彼はその国すら失くしています。ですから、こちらで引き取って頂けないかと」

 驚いた。驚いたけれど、僕とワッカがこの場に連れられた時点で、予想していたことだ。だから、すかさず言い返そうと声を立てた。

「待ってよ隊長、僕は――」

「しばらく保護してきましたが、我々の任務は危険を伴います。ご覧の様に、怪我まで負わせてしまった。状況を聞かせて頂いたところ心苦しいのですが、お願い出来ませんか」

 隊長は僕が言うのを遮り、無視して続けた。農場の経営者、この町の代表はいい顔をしなかったけれど、

「お断りする道理は無いでしょう」

 と言った。


 腕を引かれ、耳をつままれ、髪を掴まれ、襟首で吊されて、ずるずると外に引き摺り出された。途中、後から静かに付いてくるワッカと幾度も目が合って、恥ずかしさを覚えたけれど、それどころじゃない。

「どうしてあんなことを言うのさ!」

「お前こそどうしてそう頑ななんだ、馬鹿野郎」

 管理事務所の外壁に追いやった僕を、隊長は腰に手を当てて見下ろす。その後ろでアディントンがワシ鼻を掲げながら、こちらへ冷ややかな目を向けていた。

「だって、僕には隊長のところ以外、行き場所なんてないよ」

「そりゃお前がそう思ってるからだ。ないと思ってるからねェんだ」

「何だよ、その理屈!」

 追い出そうとしている、そういう風にしか聞こえなかった。

 なおも食い下がろうとすると、突然、隊長に胸倉を掴み上げられた。危うく舌を噛むところだった。

「悪いけどな、アディントンの言う通りなんだよ。お前は俺の部下じゃない。もうずっとお前を世話してきてやったが、そりゃお前が可哀想な孤児だからだ。銃の扱いを教えてやったのも、身を守る為だ、戦わせる為じゃない。ましてや、足引っ張らせる為じゃねぇよ」

「足を引っ張るって……この前のことなら、謝ったじゃないか!」

「謝りゃ何でも済むと思ってるのか」

 一連のやり取りを聞いていたアディントンが、ハッと盛大に鼻で笑った。

「聞き分けのないガキに何言ったって無駄だよ、アラシ。何にしたって、今頃はここの管理人様が諸々手続き進めてんだ、言い負かそうが殴ろうが放っとこうが変わらねえ。それよりもうすぐ日が落ちる、飯にしようぜ。オレぁ腹が減った」

 しばらく僕と隊長は睨み合ったけれど、どんと突き放して、ぷいと背中を向けると、隊長は離れて行ってしまった。

 下唇を噛んだ。壁にぶつけられた頭がズキズキ痛んだけれど、それよりも悔しくて堪らなかった。ワッカが俯いた僕の顔を覗き込んだけど、泣き顔を見られたくなくて顔を逸らした。


 居住区から少し外れた所にテントを立てて、僕ら、と言うか、隊員達はそこに寝泊まりする事になった。派遣先では現地のもてなしを受けない、というのが基本方針だ。小隊毎に別のテントだけれど、両隊合わせてたった二人の女性、オロールさんとワッカは、また少し離れたところの小さなテント。

 あっちでは自分たちのお国柄について言い合っているし、こっちでは女性陣の不在をいいことに、男臭く聞き苦しい会話で盛り上がっている。僕はと言えば、無言でシイタケ飯の缶詰を口に放り込んでいる隊長を睨んでいて、味気ないレーションをより一層不味くしていた。あれ以来隊長は僕と目も合わせようとしない。徹底的に無視するつもりなのかも知れない。そうはいくかと、また抗議するタイミングを狙っている。

 すると、隊長が缶を置き、おもむろに立ち上がってテントを出て行った。しめた、とちょっと間を空けてから僕も出る。用を足しに出たのではない様だった。隊長は女子テントの方へ行って、出入り口から何事か呼び掛けた。それで顔を出したのは、オロールさんだった。

 二人で連れ立って、テントからどんどん離れていくのを、僕はこっそりと追った。

 月明かりが眩しいくらいの夜だった。空を覆い尽くす無限の星も、負けるもんかとばかりに瞬いている。円形農場のスプリンクラーがいくつも、まるでメリーゴーランドの様にゆっくり回っていた。その人工の草原を前にして、二人は立ち止まった。それから隊長が腰を下ろすと、それに合わせてオロールさんも座り込む。何か話しているみたいだけど、聞き取れなかった。

 聞こえなくても、普段の子供っぽい言い争いをする仲や、指揮官と軍医という関係とは、全然違う雰囲気なのは解る。だって、オロールさんが隊長の手を取ったかと思うと、肩にそっと頭を載せるんだもの。

 何となく身を隠しながら、僕は一体何をやっているんだろう、という考えが首をもたげてきた。これじゃあまるで覗きじゃないか。僕はただ意固地になっていて、隊長に物申したい一心だったのに。

 投げ出された様な気分になって、来た道を引き返していった。


 とぼとぼ歩いていると、ワッカと出会した。彼女は一人で出歩いていて、見晴らしのいいところで立ち尽くし、少し両腕を広げて、月光を体中に浴びている様にも、夜の空気を目一杯味わっている様にも見えた。

「何してるの?」

 話し掛けると、僕に気付いていたらしくて、驚きもせずに答えた。

「じっとしてるより、気持ちいいから」

 僕も横に並んで真似をしてみた。胸を張って深呼吸する。夜が染み込んでくる様な気がした。それは錯覚だろうけれど、確かに気持ちいい。憤りも悔しさも、少しだけ洗い流される様だ。

「でも、この臭いはあまり好きじゃない」

「臭い? 農薬の臭いかな。僕の鼻は火薬で馬鹿になってるから、解らないや」

「火薬もイヤな臭い」

「煙草もね。それからゲップも」

 ワッカは少しだけ笑ってくれた。それから座って話さないかと誘った。

「君と同じ様な身の上だって話はしたよね。僕も田舎町の生まれで、そりゃもう、何にもないところだったよ。とにかく狭苦しいだけで、僕の家族はアパートの二階に押し込められてて、子供の僕が遊ぶところって言ったら小さい公園くらいで、つまらなかったな」

「だから枝で遊んでたの?」

「かもね」

 苦笑したけど、段々打ち解けてきたみたいで嬉しかった。もうつっかえることなく、するする言葉が出てくる。

「でも、どんなに窮屈だって、つまらなくたって、たった一つの僕の故郷だ。それが滅茶苦茶にされて、家族も死んじゃって、みんな死んじゃって……そんな時に僕を拾ってくれたのが、隊長達だった。他に居場所なんてないよ。危ないってことくらい、もうとっくに知ってるんだ」

「死にたいの?」

「死にたくなんかないよ! 僕は、ただ――」

「そうだよね」

 ワッカは膝を抱え込んだ。彼女の街でしたのと同じ格好だった。

「わたしも、死にたくない」

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