4/厄災
自然に落ちた木の枝を拾ってくる。出来るだけ太いものがいい。それで地面に小さな穴を掘る。深ければ深いほどいい。穴の周りに円を描いたら、穴に枝を立てて、隙間を埋める。すると、
「『話ができるんだ』って」
「誰と?」
「それは……解らない」
自分でやり始めておいて、苦笑するしかなかった。
補給基地に到着した僕らの隊は、重傷者の移送手続きに補給物資の受給にとてんやわんやだった。けれど、僕はそれを蚊帳の外で呆然と眺めているだけ。一応負傷者だし、民間人だし、手伝いたくても手伝わせてもらえなかった。
それで、もうじき別の隊に引き取られるだろうワッカと、こうして話をすることにしたんだ。別れる前に、お互いの身の上話をしたい、そう思った。
補給基地は砂漠を抜けたところにあるが、まだ空気は乾いている。ちょっと行くと海だったはずだけれど、きっとそのわずかな距離を吹いてくる間に、海風から水分が抜けてしまうんだろう。風があるだけ、だいぶマシだ。
風のおかげか、バリケードに囲まれた敷地内に少し背の高い木が一本だけ生えていて、その木陰にワッカを誘って、昔話をしている。日差しを遮り少しだけ湿った空気の漂うそこは、涼しいからというのももちろんだけど、物々しい防衛施設や忙しい人々の中にあって、何となくワッカの場所である様にも感じた。
「本当に小さい頃だよ。五歳くらいまでかな。すごく変わった子供だったみたいだよ、今よりずっと」
僕の耳の事はもう話した。それで、ワッカは興味を持って聞いてくれている。
「今は同じ様にしてもなんともないし、その頃の僕が何を聞いて何を言ってたのか、全然憶えてない。と言うか、こんな風にしてたっていうのも、親から聞いたくらいで。これを急にやらなくなってからは、普通の子になったってさ。ほとんど普通、ね」
記憶喪失、と言ったらご大層だけれど、本当に憶えがない。その頃の話は親からよく聞かされていたのに、どんなに記憶の糸をたぐり寄せても、何も引っ掛かってこなかった。
小さい子供は、大人には見えないものを見て、聞こえないものを聞いている、と誰かが言っていた。感性が鋭い、と言ったらいいのだろうか。言い換えたところでよく解っていないけど、とにかくたぶん、子供の頃はみんな突飛なことをやらかしているんじゃないかな。
「君はなかった? そういうの」
「わたしは――」
話し始めようとするワッカを、隊長の大声が遮った。
「二人とも、ちょっと来い」
狭いミーティングルームは空調が効いていて、木陰よりもよほど涼しい。その代わり、ファンの回る音がうるさくて、しかも嫌なヤツが一緒だった。第二小隊の隊長、ワシ鼻で嫌味なイギリス人だ。名前は確か、アディントンといった。
「そういう訳だから、引き取りたくても無理で無意味なんだな」
話を聞くには、これから僕らが当たる作戦は、彼ら第二小隊との合同作戦らしい。
「残念だけどね。まあ、本部ってのは、いつも口から出任せを言うんだよ」
「呆れて物も言えん。そこで、選択肢が二つだ。俺達と共に行き、向こうで別の引き取り手を探すか、ここで次の隊を待つか。お前達で選べ」
「待ってよ隊長。僕も選ばなきゃいけないの?」
問い返すと、アディントンが大袈裟に鼻で笑った。前のめりになって、不躾に僕を指差す。
「今何て言った? 隊長だって? お前、勘違いしてないか? 戦闘服着てたってなあ、お前は隊員でも軍人でも何でもないんだよ」
そんなことをいちいち言わなくても解ってる、と言い返そうになったところを、隊長が割って入った。
「勿論そうだ。俺達がこいつを連れ立ってるのは、今まで良い引き取り先に巡り会わなかったから、それだけだ。そこら中難民で溢れ返っていやがる。どこもかしこも、キャンプの中で餓死者が出る様な状況だ。ガキ一人養えもしない」
「へえ、そうかい。じゃあ、あの噂は?」
アディントンは腕組みをして、流し目に僕を見た。
「噂?」
「『第六小隊には敵を探知出来るガキがいる』ってヤツ」
噂になっているのか。いや、そりゃ噂にもなるか。別に隠していないし、今度みたいに怪我や何かしらの理由で隊を離れる人は、大勢居る。
隊長は眉毛と肩を同時に吊り上げた。
「そんな話をするのはどこのバカだ?」
「ハッ! まあ、オレだってまともに取り合ってる訳じゃねえさ」
ニヤリとするアディントンの目は、やっぱり僕に向けられていた。
隊長が評する「食えない男」というのは、全くその通りだと思う。
そうこうして、僕はまた、軽傷者の乗り合わせるトラックで運ばれている。さっきよりもお尻は楽だ。相も変わらずむさ苦しい車内。外気の熱と男達の汗とほんのり混ざる煙草の臭い。
向かいにはワッカが座っている。
僕が隊と同行するのは当然として、ワッカも同じ選択をしたのは、それもほとんど即答だったのは、意外だった。でも驚きはしなかった。その方が良いと思っていたからだ。別の隊に回収されたとして、たらい回しにされるのは目に見えている。なんて知恵者ぶっても本音は、もう少し一緒に居たい、たったそれだけだ。
もっとワッカの事を知りたい。
好きな食べ物は何だろう? 嫌いなものは? 花は何色がいい? まつ毛の長さはどれくらい? 歯は全部揃ってる? 触られてくすぐったいのはどこ? 僕のことをどう思う?
「ねえ、ワッカ――」
話し掛けようとしたその時、またしても邪魔が入った。僕らの乗るトラックが急停車したのだった。列を成しているから、恐らく全車が停まった。けれど、敵の襲撃を受けている様子でもない。静かだった。
トラックから飛び出ると、ちょうど先頭から降りてきた隊長と出会した。
「隊長」
「ロコル、乗ってろ」
そう険しい面持ちで言い付けながら、通り過ぎていく。そこへ、一つ後ろのトラックからアディントンも降りてきた。
「何事だよ」
訊かれた隊長は振り返って、前方の空を指差した。僕もそちらを見る。
延々と続く青空。見渡す限りの打ち捨てられた農耕地。遥か地平線上の丘陵の、その輪郭まではっきり見えた。
しかし、隊長の指した方角には、黒いシミが広がっている。遠くを黒いもやもやが、ゆっくりと形を変えながら、動いている。
「何だ、砂嵐か?」
砂嵐の様な、竜巻の様な、とにかく形の定かでない、気流に翻弄されているそれは、じわじわとこちらへ迫っている様だった。
「おいおい、通り過ぎちゃくれないみたいだぞ」
「突っ切るしかない。ロコル、戻ってろと言ったはずだ!」
怒鳴られて、荷台に戻ろうとした。したけれど……。
耳の奥がザラついた。
「隊長! あれ、砂嵐なんかじゃない!」
僕が叫ぶと、すかさず隊長の顔が凍りついた。
「ロコル、双眼鏡を寄越せ!」
言われた通り、トラックから双眼鏡をかっさらって投げ渡す。すぐに隊長はレンズを覗き込み、二度ほど、肉眼と見比べる。そして双眼鏡を下ろした隊長は、張り裂けんばかりの大声を上げた。
「全隊、防塵装備!」
「やっぱり砂嵐か」
「バッタの嵐だよ!」
バッタ? あの黒いうねりが、全部バッタだっていうのか。一万や十万じゃ済まない。百万も一千万もいる。巨大で莫大なバッタの塊、それが突っ込んでくる。
昆虫だって、立派な僕らの敵だ。ハチなんて代表格だけど、それ以外にも毒や牙といった武器を持っている虫は沢山いる。以前の仲間から聞いた話だと、どこかの国ではアリの大群に襲われて、村が一つ全滅したらしい。バッタなんていう草食の虫は、僕達人間を襲ってくることは少ない。でも群れを作っていれば、どんなものでも脅威になる。
僕は慌ててトラックに飛び乗った。外の隊長が「肌を出すな!」と叫んでいる。トラックの中の仲間は、みんなガスマスクだのヘルメットだのを被って、上着の袖を伸ばしているところだった。けれど、ワッカは袖無しの薄っぺらなワンピース。
「ワッカ、これ!」
急いで僕のマスクをワッカに被せた。思った通り、ベルトを調整する必要はなく、ピッタリだ。次に、毛布を二枚取って、ワッカを頭からすっぽり包む。丸いレンズの向こうから、ワッカの瞳が僕を見詰めていた。
「暑いけど、ちょっとの間だから、我慢して」
言いながら、僕も袖を伸ばす。吊っている方の腕にかなり手間取った。それから、仲間から投げ渡された予備のマスクを装着する。でもこっちはベルトが調整されていない。締めようとしても、片手じゃ難しかった。
悪戦苦闘している間に、車が走り出した。ぐんぐんスピードを上げていく。正に全速力だった。段々と腕を横に引っ張られ、車体が上下に跳ねる。
「何やってんだ、早くしろ!」
隣の仲間ががなりながらも、手伝ってくれる。
「あ、ありがとう」
しかし、
ノイズが一際強くなったかと思うと、荷台をバチバチという騒音が襲った。ヒョウが吹き荒れる様な酷い音だ。大量のバッタが、横様にホロを打つ音だった。と同時に、車体が大きく揺れた。
その拍子に僕はベンチから転げ落ちた。つんのめって、ワッカに覆い被さる様な格好になった。だけど、敢えて離れなかった。
「大丈夫! 僕が守るから、絶対守るから!」
耳元で叫んだ。爆音の中で聞こえているか解らないけど。
ぐらぐらとトラックは揺れる。ハンドルを取られるのか、何度も左右に大きく振り回される。トラックの中は洗濯機の様な状態で、銃なんかの装備があちこち飛び回り、体を丸めた仲間もあちらこちらに転げ回った。僕は絶対にワッカから離れなかった。掴めるものなら何でも掴んで、必死に食らい付いた。気が付けば、左腕も伸ばしている。力を入れたら痛むはずで、そもそも力もあまり入らないはずなのに、僕はそれらのことを全部忘れていた。
屋根がへしゃげた。ホロを支えている骨組みが、バッタの猛烈な体当たりに耐えられなくなっていた。
まずい。そう思った時には、もう手の施し様も無く歪みきって、そうして生まれた隙間を、バッタの突風が吹き抜けた。ヘビみたいに、ホロの隙間で切り取られた一群が、一直線に、僕の顔面目掛けて突っ込んでくる。
バッタの、有機物と無機物の中間にあるような顔が、目と鼻の先に迫った瞬間、ガスマスクが弾き飛ばされていた。