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テレヌス  作者: 熊と塩
第一部 : Cogito, ergo sum.
4/40

 4/厄災

 自然に落ちた木の枝を拾ってくる。出来るだけ太いものがいい。それで地面に小さな穴を掘る。深ければ深いほどいい。穴の周りに円を描いたら、穴に枝を立てて、隙間を埋める。すると、

「『話ができるんだ』って」

「誰と?」

「それは……解らない」

 自分でやり始めておいて、苦笑するしかなかった。


 補給基地に到着した僕らの隊は、重傷者の移送手続きに補給物資の受給にとてんやわんやだった。けれど、僕はそれを蚊帳の外で呆然と眺めているだけ。一応負傷者だし、民間人だし、手伝いたくても手伝わせてもらえなかった。

 それで、もうじき別の隊に引き取られるだろうワッカと、こうして話をすることにしたんだ。別れる前に、お互いの身の上話をしたい、そう思った。

 補給基地は砂漠を抜けたところにあるが、まだ空気は乾いている。ちょっと行くと海だったはずだけれど、きっとそのわずかな距離を吹いてくる間に、海風から水分が抜けてしまうんだろう。風があるだけ、だいぶマシだ。

 風のおかげか、バリケードに囲まれた敷地内に少し背の高い木が一本だけ生えていて、その木陰にワッカを誘って、昔話をしている。日差しを遮り少しだけ湿った空気の漂うそこは、涼しいからというのももちろんだけど、物々しい防衛施設や忙しい人々の中にあって、何となくワッカの場所である様にも感じた。


「本当に小さい頃だよ。五歳くらいまでかな。すごく変わった子供だったみたいだよ、今よりずっと」

 僕の耳の事はもう話した。それで、ワッカは興味を持って聞いてくれている。

「今は同じ様にしてもなんともないし、その頃の僕が何を聞いて何を言ってたのか、全然憶えてない。と言うか、こんな風にしてたっていうのも、親から聞いたくらいで。これを急にやらなくなってからは、普通の子になったってさ。ほとんど普通、ね」

 記憶喪失、と言ったらご大層だけれど、本当に憶えがない。その頃の話は親からよく聞かされていたのに、どんなに記憶の糸をたぐり寄せても、何も引っ掛かってこなかった。

 小さい子供は、大人には見えないものを見て、聞こえないものを聞いている、と誰かが言っていた。感性が鋭い、と言ったらいいのだろうか。言い換えたところでよく解っていないけど、とにかくたぶん、子供の頃はみんな突飛なことをやらかしているんじゃないかな。

「君はなかった? そういうの」

「わたしは――」

 話し始めようとするワッカを、隊長の大声が遮った。

「二人とも、ちょっと来い」


 狭いミーティングルームは空調が効いていて、木陰よりもよほど涼しい。その代わり、ファンの回る音がうるさくて、しかも嫌なヤツが一緒だった。第二小隊の隊長、ワシ鼻で嫌味なイギリス人だ。名前は確か、アディントンといった。

「そういう訳だから、引き取りたくても無理で無意味なんだな」

 話を聞くには、これから僕らが当たる作戦は、彼ら第二小隊との合同作戦らしい。

「残念だけどね。まあ、本部ってのは、いつも口から出任せを言うんだよ」

「呆れて物も言えん。そこで、選択肢が二つだ。俺達と共に行き、向こうで別の引き取り手を探すか、ここで次の隊を待つか。お前達で選べ」

「待ってよ隊長。僕も選ばなきゃいけないの?」

 問い返すと、アディントンが大袈裟に鼻で笑った。前のめりになって、不躾に僕を指差す。

「今何て言った? 隊長だって? お前、勘違いしてないか? 戦闘服着てたってなあ、お前は隊員でも軍人でも何でもないんだよ」

 そんなことをいちいち言わなくても解ってる、と言い返そうになったところを、隊長が割って入った。

「勿論そうだ。俺達がこいつを連れ立ってるのは、今まで良い引き取り先に巡り会わなかったから、それだけだ。そこら中難民で溢れ返っていやがる。どこもかしこも、キャンプの中で餓死者が出る様な状況だ。ガキ一人養えもしない」

「へえ、そうかい。じゃあ、あの噂は?」

 アディントンは腕組みをして、流し目に僕を見た。

「噂?」

「『第六小隊には敵を探知出来るガキがいる』ってヤツ」

 噂になっているのか。いや、そりゃ噂にもなるか。別に隠していないし、今度みたいに怪我や何かしらの理由で隊を離れる人は、大勢居る。

 隊長は眉毛と肩を同時に吊り上げた。

「そんな話をするのはどこのバカだ?」

「ハッ! まあ、オレだってまともに取り合ってる訳じゃねえさ」

 ニヤリとするアディントンの目は、やっぱり僕に向けられていた。

 隊長が評する「食えない男」というのは、全くその通りだと思う。


 そうこうして、僕はまた、軽傷者の乗り合わせるトラックで運ばれている。さっきよりもお尻は楽だ。相も変わらずむさ苦しい車内。外気の熱と男達の汗とほんのり混ざる煙草の臭い。

 向かいにはワッカが座っている。

 僕が隊と同行するのは当然として、ワッカも同じ選択をしたのは、それもほとんど即答だったのは、意外だった。でも驚きはしなかった。その方が良いと思っていたからだ。別の隊に回収されたとして、たらい回しにされるのは目に見えている。なんて知恵者ぶっても本音は、もう少し一緒に居たい、たったそれだけだ。


 もっとワッカの事を知りたい。

 好きな食べ物は何だろう? 嫌いなものは? 花は何色がいい? まつ毛の長さはどれくらい? 歯は全部揃ってる? 触られてくすぐったいのはどこ? 僕のことをどう思う?


「ねえ、ワッカ――」

 話し掛けようとしたその時、またしても邪魔が入った。僕らの乗るトラックが急停車したのだった。列を成しているから、恐らく全車が停まった。けれど、敵の襲撃を受けている様子でもない。静かだった。

 トラックから飛び出ると、ちょうど先頭から降りてきた隊長と出会した。

「隊長」

「ロコル、乗ってろ」

 そう険しい面持ちで言い付けながら、通り過ぎていく。そこへ、一つ後ろのトラックからアディントンも降りてきた。

「何事だよ」

 訊かれた隊長は振り返って、前方の空を指差した。僕もそちらを見る。

 延々と続く青空。見渡す限りの打ち捨てられた農耕地。遥か地平線上の丘陵の、その輪郭まではっきり見えた。

 しかし、隊長の指した方角には、黒いシミが広がっている。遠くを黒いもやもやが、ゆっくりと形を変えながら、動いている。

「何だ、砂嵐か?」

 砂嵐の様な、竜巻の様な、とにかく形の定かでない、気流に翻弄されているそれは、じわじわとこちらへ迫っている様だった。

「おいおい、通り過ぎちゃくれないみたいだぞ」

「突っ切るしかない。ロコル、戻ってろと言ったはずだ!」

 怒鳴られて、荷台に戻ろうとした。したけれど……。


 耳の奥がザラついた。


「隊長! あれ、砂嵐なんかじゃない!」

 僕が叫ぶと、すかさず隊長の顔が凍りついた。

「ロコル、双眼鏡を寄越せ!」

 言われた通り、トラックから双眼鏡をかっさらって投げ渡す。すぐに隊長はレンズを覗き込み、二度ほど、肉眼と見比べる。そして双眼鏡を下ろした隊長は、張り裂けんばかりの大声を上げた。

「全隊、防塵装備!」

「やっぱり砂嵐か」

「バッタの嵐だよ!」

 バッタ? あの黒いうねりが、全部バッタだっていうのか。一万や十万じゃ済まない。百万も一千万もいる。巨大で莫大なバッタの塊、それが突っ込んでくる。


 昆虫だって、立派な僕らの敵だ。ハチなんて代表格だけど、それ以外にも毒や牙といった武器を持っている虫は沢山いる。以前の仲間から聞いた話だと、どこかの国ではアリの大群に襲われて、村が一つ全滅したらしい。バッタなんていう草食の虫は、僕達人間を襲ってくることは少ない。でも群れを作っていれば、どんなものでも脅威になる。


 僕は慌ててトラックに飛び乗った。外の隊長が「肌を出すな!」と叫んでいる。トラックの中の仲間は、みんなガスマスクだのヘルメットだのを被って、上着の袖を伸ばしているところだった。けれど、ワッカは袖無しの薄っぺらなワンピース。

「ワッカ、これ!」

 急いで僕のマスクをワッカに被せた。思った通り、ベルトを調整する必要はなく、ピッタリだ。次に、毛布を二枚取って、ワッカを頭からすっぽり包む。丸いレンズの向こうから、ワッカの瞳が僕を見詰めていた。

「暑いけど、ちょっとの間だから、我慢して」

 言いながら、僕も袖を伸ばす。吊っている方の腕にかなり手間取った。それから、仲間から投げ渡された予備のマスクを装着する。でもこっちはベルトが調整されていない。締めようとしても、片手じゃ難しかった。

 悪戦苦闘している間に、車が走り出した。ぐんぐんスピードを上げていく。正に全速力だった。段々と腕を横に引っ張られ、車体が上下に跳ねる。

「何やってんだ、早くしろ!」

 隣の仲間ががなりながらも、手伝ってくれる。

「あ、ありがとう」

 しかし、


 ノイズが一際強くなったかと思うと、荷台をバチバチという騒音が襲った。ヒョウが吹き荒れる様な酷い音だ。大量のバッタが、横様にホロを打つ音だった。と同時に、車体が大きく揺れた。

 その拍子に僕はベンチから転げ落ちた。つんのめって、ワッカに覆い被さる様な格好になった。だけど、敢えて離れなかった。

「大丈夫! 僕が守るから、絶対守るから!」

 耳元で叫んだ。爆音の中で聞こえているか解らないけど。

 ぐらぐらとトラックは揺れる。ハンドルを取られるのか、何度も左右に大きく振り回される。トラックの中は洗濯機の様な状態で、銃なんかの装備があちこち飛び回り、体を丸めた仲間もあちらこちらに転げ回った。僕は絶対にワッカから離れなかった。掴めるものなら何でも掴んで、必死に食らい付いた。気が付けば、左腕も伸ばしている。力を入れたら痛むはずで、そもそも力もあまり入らないはずなのに、僕はそれらのことを全部忘れていた。


 屋根がへしゃげた。ホロを支えている骨組みが、バッタの猛烈な体当たりに耐えられなくなっていた。

 まずい。そう思った時には、もう手の施し様も無く歪みきって、そうして生まれた隙間を、バッタの突風が吹き抜けた。ヘビみたいに、ホロの隙間で切り取られた一群が、一直線に、僕の顔面目掛けて突っ込んでくる。

 バッタの、有機物と無機物の中間にあるような顔が、目と鼻の先に迫った瞬間、ガスマスクが弾き飛ばされていた。

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