3/強行軍
取って返したキャンプで、隊長はすぐ、五人編成でワシにやられた隊員の遺体を回収する様に、指示を出していた。その横でオロールさんが怒鳴る。
「そんな事より、早く怪我を診せなさい!」
「うるせェな。俺よりロコルが先だ」
隊長だって酷いだろうに、僕を顎で指しながら言った。確かに、段々と酷くなってきたのか、思い出してきたのか、痛みが増してきている。オロールさんは険しい顔をして隊長を睨んだけれど、言われた通り僕の腕を真っ先に診てくれた。上着を脱がされると、二の腕がパンパンに腫れていた。
「まったく、だから単独行動は危険なのよ」
オロールさんは包帯を巻きながら小言を言う。
「僕が居たって同じだよ」
「居ないよりはマシでしょ」
そんな悪態を吐いている内に、添え木と一緒に包帯を巻いて、首から吊すだけの簡単な治療は終わった。相変わらず仕事が早い。
「はい、折れてはいないと思うから、このまま安静にしておいて。痛みが酷くなる様なら、痛み止めをあげるから」
「ありがとう」
僕のお礼を聞くが早いか、オロールさんは隊長の方の治療に当たった。
「あの子が例の生き残り?」
「ああ、たぶん、ここでたった一人の――」
そこで、隊長はチラと僕に横目をくれる。あの子と僕とは境遇が同じだ。
件の少女は、隅の方に座り込み膝を抱えて、キャンプを出ようとする隊員達の背中を上目に見送っていた。
「なあ、君、名前は何ていう?」
隊長は上も下も服を剥がされながら、少女に向かって声を張り上げた。それから一拍か二拍の間を空けて、呟く様な声が返った。
「ワッカ」
「何て?」
「ワッカだって、隊長」
助け船を出すと、隊長は、ふうん、と鼻を鳴らした。
「変わった名前だな。で、苗字は?」
「そんな慣習、この辺にないわよ」
と、今度はオロールさんが言う。
「勉強不足ねえ、隊長さん」
「ああ、そう。まあいいや。後で本部に確認を取るよ」
すっかり身ぐるみを剥がされた隊長は、ひらひらと手を振った。そんな風に何とも無い様子を装っていたけれど、脇腹が酷く腫れ上がって、肋骨が一、二本折れているのが、遠目に見ただけでも解る。僕も一度経験があるけれど、声を出すなんてとんでもない。呼吸をするだけで激痛が走る。僕のものなんかより、よっぽど酷い怪我だ。それはそうだ。あんな巨体にのし掛かられては、生きているだけでも奇跡に近い。隊長は、体も心も、ずっとずっと強い人だ。
悔しくなった僕は、ワッカという女の子の傍に寄って、許可も取らずその隣に腰を下ろした。さっきワッカを助けた時だって、良いところは全部隊長に持って行かれてしまったから。
すぐ横で見ると、ワッカはすごく小さかった。今は天使の羽をもぎ取られてしまったみたいで、ただの可哀想な女の子でしかなかった。
「ねえ、君――」
話し掛けてから、僕は言葉を失った。両親の事を訊ねようとしていたからだ。それを訊かれた時、真っ黒い布を頭から被せられた様な気分になるのを、僕はよく知っている。声を出すその瞬間まで、忘れていたけれど。
「君は、ワッカって言うんだよね。僕はロコル。短い間かも知れないけど、よろしくね」
ワッカは両膝で顔を隠す様にして、ぼそっと言った。
「変な名前」
隊長に言われた事の八つ当たりだろうか。でも、よく言われることで、僕もそう思う。隊長はついこの間まで「舌が回らない」と、なかなか呼んでくれなかったし、オロールさんは隊長と逆に酷い巻き舌で発音するし。聞き馴染みも言い馴染みも悪い名前だ。
「どこかの古い言語で『言葉』って意味らしいよ。どうしてそんな名前にしたのか、結局聞けず終いだったけど」
言ってから、自分の頬っ面を殴りたくなった。ワッカの目が不思議そうに僕に向けられる。もう言い出してしまったから、話すしかない。
「僕も去年、両親と住む町を亡くしたんだ。それから隊長に拾われて。歳はいくつ?」
「十四」
「そっか。僕はもうすぐ十六。近いね」
勢いで話題を紛らわそうとしたけれど、それっきりワッカは黙りこくってしまった。とても居たたまれない気持ちになる。こういう時、何を言ったらいいのか解らない。たぶん、励ませばいいんだろうけど。
「あ、あのさ、だから君の気持ち、解るよ。痛いくらい。でも、ダメなんだよね、そんな事言われたって。嬉しくないし、元気になんてなれる訳ないし、何言われたって、慰めにも……」
はあ、何を言っているんだろう。口を動かさなきゃいけないと思えば思うほど、無意味な言葉がこぼれ出てくる。自分の頭の悪さに呆れ果てそうだ。
「大丈夫」
こんな僕にワッカは、変わらない調子で言った。これじゃあ、僕が励まされているみたい、あべこべだ。恥ずかしくて堪らない。頭の中を引っ掻き回して別の話題を探すに、そうだ、と思い出したことがあった。
「あの時、どうして逃げたの?」
初めてワッカと出会った時だ。僕と彼女は、暫く呆然と見詰め合って居たけれど、隊長が来た途端、走り去ってしまった。
「怖かったから」
「怖い? ああ、そっか」
あの時、僕らは銃を持っていて、隊長が一発撃ってる。納得だ。銃なんて武器は、女の子からしたら、怖いもの以外の何物でもないだろう。例えそれが、自分や誰かを守るためのものであっても。それに、長い内戦状態にあったこの国では、銃を持った連中が日常的にウロウロしていたんだろう。政府軍にしろ反政府軍にしろ、市井の子供達にとってはどっちだって等しく恐ろしい。
「ごめんね」
ワッカは首を横に振った。そして、隊長の方を見る。隊長は消毒液を塗りたくられて、喚いていた。
「もう平気」
隊長をじっと見る横顔に、僕は嫉妬した。
その日の晩。砂漠の夜は酷く冷え込む。ごわごわしたカーペットみたいな毛布にくるまって、焚き火に当たっていた。横ではワッカも同じ様にして、横になっている。起きているのか寝ているのか、顔は見えないし寝息も聞こえない。
キャンプの中は静まり返っている。時間毎に番を立てているけど、いびきをかいて眠る者は誰一人居ない。僕達はいつもこうだ。眠れる夜なんて、気が休まる時なんて無い。少なくとも、あの耳鳴りみたいな声は聞こえないけれど。
だから今、僕は隊長の話し声に淡い期待を寄せている。でも、淡い期待というのは、儚いものと相場が決まっている。
「だから、こっちは難民一人抱えてるってのに――!」
突然、隊長が怒鳴り散らした。怒鳴った相手は、無線機の向こうの遥か遠く、第三級安全地帯に居る、中隊本部の連絡官だ。隊長は僕の方、いやワッカをチラリと振り返ってから、また声を落とした。
どうやら、また本隊への帰還は遠のいたみたいだ。まあ、そんなものだろうと思っていた。
それを僕自身、本当に望んでいるかと言えば、違う。僕は未だに民間人で、本部のがっちりした規律の前に顔を出そうものなら、即難民キャンプか孤児院か、というところ。それにこの耳のこともある。何にせよ、隊長や彼らとは離ればなれ、その消息を聞く事も出来なくなるだろう。また居場所を奪われる、そんなのは御免だ。
でも、僕らには休息が必要だ。ぐっすりと眠りこけられる夜が必要だ。みんなボロボロだ。
無線を乱暴に切った隊長は、すっくと立ち上がり、手を打った。
「全員起床! すぐ移動だ、馬鹿野郎」
「どこへ?」
「補給基地に引き返して、今度は掃討任務だと」
隊長はかなり苛立っていて、さっきまで自分が座っていた椅子を引っ繰り返した。隊員達はやれやれという様子で支度を始める。オロールさんも、無言で治療器具を詰め込んだバッグを背負った。
「隊長、この子――ワッカはどうなるの?」
「連れて行く。が、途中のルートに難民キャンプはない、残念ながら。本部は基地で受け渡せだとさ」
舌打ちをして、引っ繰り返った椅子を、更に乱暴に蹴飛ばした。
ワッカがゆっくりと、静かに起き上がった。やっぱり起きていたらしい。
難民キャンプや施設に行くことが、彼女の幸せに繋がるか、正直解らない。確かに敵からの安全度は高いけれど、ああいうところは、良くない感情が渦巻いている。悲しみと怒りのるつぼだ。あそこに居る人達は、喜びや楽しみを忘れている。戦場にもそれらはないけれど。でもきっと、今のワッカにとっては、たぶん、どこに行っても同じだ。僕がそう思っていたから。
わだちを踏んで車体が大きく揺れる。ずん、と下から突き上げられて一瞬浮き上がり、鉄板を敷いた様なシートに、思い切りお尻を打ち付けられる。もうずっと、何べんもこの調子だ。長期の移動にはなかなか慣れない。向かいのワッカも居心地が悪そうだ。
そう見えたのには、別に理由があった。僕らが乗せられたのは軽傷者用のトラックで、荷台はぎゅうぎゅう詰めだったからだ。ワッカは一番端に座っているけれど、隣のヒゲ面のイタリア人が、妙な下心を起こしたりしないかと、僕はひやひやしている。
と。
「なあ、お嬢ちゃん。ワッカだっけ?」
その男がワッカに話し掛けた。悪い予感というのは、的中するものなのかも知れない。いざという時は、殴り掛かってでも止める決意を固めつつ、様子を見守った。
男は胸ポケットをごそごそやって、何か紙切れを取り出す。まさか金で買おうとかいうつもりじゃないだろうな。そう思っていたけれど、どうやら杞憂だったみたいだ。
「クニに居る、おれの娘だ。今頃、お嬢ちゃんと同じくらいじゃねえかな」
写真らしい。僕の方からは、そこに写っている女の子の顔は見えないが、恐らく昔の写真だ。裏は赤茶けているし、端もボロボロで全体的にヨレヨレ、一部は一度破れたのをテープで留めている。いつもポケットに忍ばせていた様だ。
ワッカは写真を受け取って、じっと目を落とす。
「母親にゃ、俺はとっくに死んだって言えと、教えてあるんだ」
「どうして?」
「本当に死んじまっても、嫌な思いしなくて済むだろ? 実際、長いこと会ってねえんだから、死んだも同然さ」
写真を返されると、懐かしげに目を細めて見てから、サッとまた仕舞い込んだ。
「ま、おれが何を言いたいかっつーと、どこに居たって、どんなに離れてたって、親ってのは子供のことを考えてるモンだ、って話よ。あの世に行ったって、それは変わらねえ、と、思う」
彼なりに、不器用ながら、ワッカを励まそうとした様だ。でも、僕よりはちゃんとしたものだった。
ワッカは伏し目がちに、「ありがとう」と小さく言った。
これまで一度も、ワッカは涙一つこぼさない。もしかすると、見た目や年齢や、そして僕よりも、ずっと大人なのかも知れない。