20/別離
国内に、新しく難民収容所が出来たそうだ。とは言っても、住民が退去した街を占拠し直し、仕切りを付けただけだ。
奪って、奪い返されて、奪われて、奪い返して……動物と人間との戦争だ、本当に。
難民の移住は、一日置きの数回に分けられる。移住するのは希望者でなく、ギリシャ国籍のない者と、ギリシャへの査証のない者だ。つまり、国外からの難民は全て収容所に行くことになる。更に、そこから国籍などで、また再振り分けがされるかも知れない。
移住開始までの猶予は、今日を入れて二日。あんまりに急な話だ。アディントン曰く、
「どうも、手違いがあったらしいな」
と、まるで他人ごとだ。きっと、外の人間みんなにとってそうだったんだろう。
「テメェは初日に組み込んでやる。本部の沙汰が下るまで、あっちで面倒見てやる。逃げようなんて考えるんじゃねえぞ」
「解ったよ」
抵抗する気なんて、まるでない。
さて、出立まで二日だ。アディントンが去った後、それまでどう過ごそうか考えていた。
外のガヤガヤ言う声も落ち着いてきた頃、コンコンとドアを叩く音がした。
「はい?」
声を掛けたけれど、ドアは開かない。
「ワッカ?」
ベッドから飛び降りて、僕からドアを開くと、そこに立っていたのは予想通りにワッカだった。
目が合うと、ワッカは気まずそうに視線を逸らした。僕も同じ気持ちだ。けれど、そうして居たってらちが明かない。僕はワッカを招き入れた。
ベッドに戻って腰掛けても、ワッカはもじもじしているだけで、座ろうとしない。
「どうしたの、座りなよ」
ワッカは口の端をキュッと結んで、ただ立ち尽くして、何も言わない。
用がないなら帰れ。そんな冷たい言葉が頭に浮かんできた時だ。
「……ごめんなさい」
ワッカは絞り出すような声で言った。
「わたし、ロコルを怒らせるつもりはなくて……」
「知ってるよ」
そのつもりがなくても、人を傷付けることはあるんだ。
謝ろうというのを忘れてはいなかったけれど、ワッカの顔を見て、先に謝られてしまったことで、その気持ちは萎えてしまった。
「でも、ロコルが普通じゃないなんて言われたら、遠くに行っちゃう気がして――」
「もう十分、『普通じゃない』んだよ、僕は」
自虐的に皮肉を言うと、ワッカの顔付きは痛ましく歪んだ。
「普通じゃないから、僕はここに居るし、君にも会えたんだ。住むところをなくしてからは、全部そう。なのに普通だなんて言われたら、僕はまるで、足場をなくした様な気持ちになる」
ワッカは口の端を結んで、押し黙った。
「もう、放っておいてよ」
解っている。僕は今、自分から一つ、拠り所を奪おうとしている。
ワッカのことは好きだ。けれど僕の異常さに与えられたのなら、要らない。いや、きっと好きになってはいけなかったんだ。理解されるはずがないのに、理解してほしいなんて、思ってはいけなかった。
期待は、いつだって裏切られてきたじゃないか。
ワッカは視線を宙に漂わせて、必死に言葉を探している様だった。でも、結局見付からない。そんなもの、ありはしないんだから、当然だ。
「僕は、ここを出るよ」
「……え?」
「明後日発つんだ。君とは、もう一緒に居られないから」
ワッカは顔をしわくちゃにさせた。
「滅茶苦茶な話だよ」
キッツが合成蛋白にフォークを突き立てて言った。
「収容施設を設けるのも、移住させるのも、そりゃ素晴らしいことだ。でも、人道的配慮が全く感じられない。それじゃあ、あべこべだろうに。あちらにどれだけの医療機関が用意されてるのかどうかも解らない」
性急な移住計画が、街の人々に告示されると、すぐ様病院に大勢が押し掛けてきた。みんな健康に不安のある人だ。健康に不安のない人なんて、この街には居ない。
診察記録の類いは軍に引き渡された。
「だいたい、難民と市民の区別も、半分はここのリスト頼みらしいじゃないか。軍人や政治家が思い付きで行動を起こすと、ろくなことがない」
キッツの愚痴は絶えない。対して、それ以外は口数が少ない、と言うよりほとんど全くなかった。クラウスはいつも通り、ワッカは僕が理由だ。けれど、シュエが黙っているのは、どうも解らない。僕の部屋を出て行った時と、表情が変わらない。
「ああ、君達は安心していいよ。国にも市にも院にも、登録してないからね」
「よかった」
僕が白々しく言うと、ワッカは目を伏せた。
キッツやシュエやクラウスには、黙っている様に言ってある。二日間、別れを惜しんでお慰み、なんていうのは、まっぴらごめんだからだ。少なくともキッツは何とか阻止しようとするだろう。だけどそれは無駄になる。無駄な面倒は起こしたくない。
クラウスが僕を見ていた。目を合わせると、さっと逸らされる。流石、勘が鋭い。それに、みんなの前で追及してこないのも、やっぱり流石だ。
二日間は、まるで何ごともなかったかの様に過ごした。することと言ったら読書だけだけど、二日の間はその時間がたっぷりあった。誰も積極的に僕と関わろうとしなかったからだ。
詩を読み返した数を更新し続けて、あっという間に約束の二日目が来た。
「彼はぼくが保護しているんですよ」
僕を連れ去りに来たアディントンに向けて、キッツが怒鳴った。同席しているのはシュエだけだ。クラウスは知らないだろうし、ワッカには僕から顔を出すべきじゃないと言ってある。
アディントンは冷笑を浮かべて、「保護」と言葉をなぞった。
「保護ってのは頂けねえな、先生。じゃあアンタ、こいつがただのガキでも『保護』したのかい」
「ええ、しましたよ。彼がぼくらと同行する意思を示したんですから」
「おっと、その理屈なら、こっちにも筋が通っちまうな。こいつはオレに付いて来ると言ってんだ。おまけに、ここにゃ居られねえともさ」
そうだろう、と僕を見る。
「それは……本当なのか?」
「本当だよ」
即座に答えると、キッツは険しい表情を作って、両腕を広げた。
「おかしな判断だよ! 軍は君の耳が欲しいだけだ。君をただの研究資料として扱うだろうってことくらい、君だって――」
「それは、ここに居るのとどう違うの」
遮って言うと、キッツは口を開いたままで、黙った。
ヘヘへ、とアディントンは嘲笑った。
「ガキに一本取られてんじゃ世話ねえぜ。ああ、オレはアンタのことを知ってるぜ、先生」
キッツを指差し、継ぐ。
「エセ科学者だろ、アンタ」
「『エセ科学者』だって?」
「だってそうだろう? 博士号もありゃしねえ、あるのは粗末な子供部屋に、お下がりのおもちゃばっかりじゃあねえか」
「子供扱いをして!」
「違うのかい? 医者になったのも、妙な研究を始めたのも、全部親父への反発じゃなかったか? 『やるな』と言われたからやってんだろう、ガキみてえにさ」
キッツは顔中に嫌悪感をあらわにしたが、返す言葉はない様だった。恐らく事実なんだろう。アディントンはかなりの噂好きだ。きっとシュエのことも知っている。
「別に、アンタの素性なんかどうだっていいんだ。ただ、アンタにこいつを引き留める権利があるのかって話だ。こちとら、しっかり手続き踏んでそのガキ農場に預けたんだ。それを断りなく連れ出したとあっちゃ、例え難民だろうが立派な誘拐だぜ。大人しく黙ってた方が身のためだと思うがね」
アディントンはニヤリと笑う。相手を見下すそれは、勝者の笑みだ。
難民の移送に用意されたのはトレーラー連結車だった。それが数台並び、小汚い格好の難民達が群れ、突撃銃を携えた兵隊が囲む。拡声器からするひび割れた声は、言葉遣いこそ丁寧だけれど怒鳴っている。
これから僕が向かう場所は、軍の実戦部隊よりも、集団農場よりも、ここよりも、悲惨なところだ。
「しばらくの間は、テメェもただの難民だ」
そう言ってトレーラーに乗る様指示すると、アディントンは行ってしまった。他の誰かが見張りに付くということもない。
僕は黙って乗り込む順番を待った。
何となく、空を見上げた。でないと、視界一杯が殺伐とする。空は青く爽快だ。ついこの間、あの空を飛んだのだと思い出して、これからはこうして空だけを見ていようと思い立った。下を見ていると、嫌なものばかり目に入るものな。
けれど、誰かに袖を掴まれて、引き戻された。
振り向くと、空の色を写し取った様な、青い大きな瞳がある。
「ワッカ! どうして――」
辺りを見回す。アディントンの姿はない。
「悪いけど、君は連れて行けない」
「解ってる」
ワッカは力強く言った。
「だから代わりに」
四つ折りにした紙を差し出してきた。
「これは……君の絵だ」
それはワッカがいつも描いていた、花の絵だった。でも初めて見る絵だ。相変わらずの鉛筆画だったけれど、二つの花が寄り添って、お互いを支え合う様にして咲いている。
ワッカは首を横に振った。
「それは、ロコルの花。枯れないで、ずっと咲いてる……ごめんなさい。お別れに、こんなものしか……」
「ううん、嬉しいよ」
僕の前に待っていた人達が、俄に動き出した。
「もう行かなくちゃ」
「うん」
「じゃあ」
それだけ言って、僕はワッカに背を向けた。
少しずつ離れて行く。きっとワッカは、ずっと僕の背中を見ている。でも、決して振り返らなかった。今振り返ったら、泣いていると知られてしまうから。




