19/望まぬ再会
カーテンを閉め切った病室で、ベッドに寝転がって、天井を眺めている。そうして、何時間も考えている。今後の進退についてだ。
キッツが言うには、
「まだ調べようがない訳じゃない。例えば脳波を取る実験」
だが、それは危険だ。僕の耳に起こるノイズを再現するためには、動物を誘うか、捕獲してくるしかない。
「それに、それこそ君を実験動物の様に扱わなくちゃいけなくなる。何度も繰り返しデータを取って、比較し、検証しなくちゃいけない。君にとって、苦痛を伴うことだろう。だから、あとは君の気持ち次第だ。ぼくはあまりオススメ出来ないけどね」
僕は、それに「考えておく」と答えて、診察室を出たのだった。
この耳は、とても便利なものだ。だけどそれは、僕以外の誰かにとってか、僕にとっても、僕を守ってくれる誰かが居た時の話だ。
動物の声が聞こえたからって、襲われないで済む訳じゃない。人よりちょっと早く知ることが出来るだけ。それにしたって手遅れだ。知ったところで、僕自身には、敵を撃退する力も、誰かを守る力もない。この前は、襲われる前からこの耳のせいでやられることもあると、知ってしまった。
役立たずで、ひたすら気持ちが悪い、この耳。
これは能力なんて大層なものじゃない。もう、ただの病気だ。
実験をしても、何か解ったとして、治療されるとは思えない。原因が解っても治療なんて出来るかどうかさえ、怪しい。いや、治療してしまったら、僕は一体何者になるんだ。
最悪なのは、この病気に、僕の存在価値が掛かってしまっていること。部隊でも、ここでもそうだ。病気と関わりなく身を置いた農場では、一ヶ月と耐えられなかった。ワッカとも、結局、この耳がなければ傍に居られない。
虚しくて、悔しくて、顔の皮を掻き剥がしてしまいたくなる。
僕は、僕自身をどこに置けばいいのか。
ノックの音がして、僕は跳ね起きた。誰だろう。誰にしても、あまり話したくない。けれど、内省的になりすぎると泥沼だ。だから意を決して、「どうぞ」と入室を許した。
入ってきたのはシュエ……僕とワッカとのことを、やたら気にしている人だ。
「説教しに来たの?」
「何のことね」
「いや――」
「ワッカがヘコんでること? それとも、君がヘコんでること?」
意地悪く言って、肩をすくめた。
「詳しい話は聞いてないね。もしお説教が必要なら、聞くけど?」
「……別に、いい」
「ならいいね」
シュエはつかつか歩み寄ってきて、僕の左腕に触れた。
「痛い?」
「少しも」
そうやって触診があって、「うん、もう大丈夫ね」と三角巾から腕を抜き、包帯を解いた。
やっと、僕の左腕が帰ってきた。持ち上げても捻っても、振り回しても痛くない。使っていなかったから、右腕に比べて少し痩せていた。
でも、あまり開放的な気分にはなれなかった。
「ありがとう」
「浮かない顔で言われてもあまり嬉しくないね。で、何があったね?」
「話すようなことじゃないよ」
「じゃあ一つだけ訊くけど、どっちが悪いね?」
「それは――」
どっちだろう。
そりゃ、僕の気持ちを逆撫でしたワッカは悪い。でも、言っていることは事実だし、慰めようとしてくれた。話も途中だった。
じゃあ、僕も悪い。でも僕だって辛いんだ。誰にも理解出来ない問題を抱えてるのは僕なんであって、そこはみんなもう少し気遣ってくれてもいいんじゃないか。
なら、ワッカが悪いのか。いや、僕は悪くないのか。
「迷うくらいなら、謝っちゃったら早いね」
シュエは呆れて、腰に手を当てた。
「ケンカの大半は、どっちも悪いか、どっちも悪くないか。どっちが悪いかなんて考えて、意地張ったって日が暮れるだけね。仲直りしたいと思うなら、謝っちゃうしかないね」
「でも……」
「でもじゃないね、もう!」
結局、ことのあらましを話すことになった。
一通り聞き終えたところで、シュエはなぜかちょっと訝しげな顔付きをした。
「キッツから検査結果を聞いたの?」
「そう、それで――」
僕がもう一度ワッカに言われたことを話そうとした時、「解った」とシュエが遮った。
「別に、どっちも悪くない。ちゃんと謝って、話すこと。いい?」
「ああ、うん」
「じゃあ、ちょっと急用を思い出したから」
突然、一方的にそう言い切って、シュエは病室を出て行ってしまった。
暫くして、僕も病室を出る。ワッカのところに行くためだ。
まだ、僕から謝ることに納得した訳じゃない。でもだからと言って、ワッカを嫌いになったとか、気持ちが変わったとか、そんなこともない。シュエの言う通り、意地を張っているだけだ。たぶん、僕が嫌いなのは、僕自身だ。それをワッカに八つ当たりしているだけなんだ。
出たところで、院内が騒がしいのに気が付いた。また寄生虫か感染症かと思ったけれど、どうも違うらしい。
医師や看護師が廊下で何か言い合って、お互い首を傾げたりしている。そこに患者が加わって、ガヤガヤしている。ちょうどそこに居たのが、見知った顔の看護師だった。
「何かあったの?」
「それが、急に難民を移住させるって話が出てきて……」
「ええ? 移住するったって、どこに?」
「そんなの、解んないよ」
混乱して、苛立っている様だった。
それはそうだと思う。今この街で一番住民と近い関係にあるのは、ここだ。街の中にあり、人の生きる中心である、ここ。移住を決めた政府やヨーロッパ連合や国連というのは、訳知り顔でいるけれど、外でしかない。唐突な決め事は、結局彼らの自己満足だろう。
「とにかく、難民を把握してるのはここだから……今、軍が押し掛けてきてて、院長と話し合いをしてる」
「そう、ありがとう」
僕はキッツを探しに行った。彼と話をしたって、何がどうなる訳でもない。けれど、とても落ち着いてはいられなかった。僕の脳裏には、あの時の街の混乱があった。
診察室にキッツの姿はなかった。きっとこの騒ぎを聞きつけて、奔走しているに違いない。
なら、僕の向かう先は一つしかない。ワッカも今頃、憮然としているはずだ。
「おっと」
廊下を早足に歩いていると、戦闘服姿の兵士と肩でぶつかった。
「ごめんなさい、急いでるから」
詫びるだけ詫びて行こうとした時、後ろから、ぐいと左の二の腕を掴まれた。
「いいや、オレは急いでねえ」
そう言った兵士の声は、聞き覚えがあった。何となく耳障りで、しゃくに障る。
「腕は治ったみてえだな、おい」
ねっとりとした目付きと、ワシ鼻の細長い鼻の穴が僕を見下ろしている。
「ア……アディントン!」
「『アディントンさん』だろうが、生意気が」
偶然の再会だ。けど、こんな偶然は願い下げたい。
「どうして、ここに?」
「そりゃこっちが訊きたいね。テメェ、あの農場から逃げたのか?」
「そうじゃない。ここの――医者に引き取られたんだ」
「へえ、そうかい。そいつぁ、酔狂な奴も居たもんだ。役にも立たねえクソガキをさ」
アディントンは薄気味の悪い笑みをニタッと浮かべて、僕の腕を乱暴に引っ張った。
「ここじゃあ邪魔になる、空いてる病室までご案内してくれねえか」
元々居た空き病室に戻るはめになってしまった。病室に着くなり、アディントンは僕の腕をねじり上げて、ベッドに投げ出した。
「な、何するんだッ」
「何にもしやしねえよ、気色悪ぃ。ただ、オレもテメェに会いたいと思ってたんだ」
「僕は、そんな風に――!」
喋っている最中に、アディントンは僕の胸倉を掴み上げた。
「……『聞こえる』ってのは、本当だろう?」
ギクリとして、視線を逸らしながら「何が?」ととぼけた。
「敵の声が聞こえるんだろう? バカにした話だが、ようやく確信したぜ。でなきゃ誰がテメェなんかを世話したがるのよ」
痛いところを刺してくる。
「大方、ここの連中もそれを調べたがったんだ。違うか?」
「違う、そんなんじゃない!」
僕は嘘をついた。本当はアディントンの言う通りなのに。「ふうん」とアディントンは傲慢に鼻を鳴らした。
「テメェのここへ来た子細なんて、どうでもいいこった。だが、オレの来た理由は知ってるんだろう? なら話が早ぇ。テメェを連れて行くぜ」
どうして、なんて聞き返すまでもなかった。他人が僕を連れて行く理由、僕に見出す価値はみんな一緒だ。
でも一つだけ、聞いておきたい。
「何で、僕をそんなに欲しがるの? 僕を調べてどうしたい?」
ハッ、とアディントンは笑って、僕を突き放した。
「軍のため、多数人の安全のため……そんなご立派なモンじゃねえ。自分のためだ」
「有名になりたい?」
「なれるかよ。なってもテメェだろ。まあ、上からちょっと目を付けられるかも知れねえが、期待なんてしちゃいねえ。とにかく、テメェみてえなあやふやなのが、気に食わねえんだ」




