18/動揺
「よく眠れたかい?」
なんて、キッツに気さくに、毛布を畳みながら言われたものだから、朝の気分は最悪だ。
「眠れる訳ないじゃないか」
睡眠と覚醒が半々という具合で、余計に疲れてしまった。
「ははは、そりゃそうだ。あ、そんなに睨まないでよ。君らを同室にするのはシュエの提案なんだから」
あいつのせいか、とドアを睨める。今は着替えをするのでワッカと部屋に居る。中でどんな話をしているのやら。
シュエはどうにも、僕とワッカの仲を縮めたがっている様に見える。だとしたら余計なお世話だけど、このメンツでは誰より色恋沙汰に詳しそうだし、僕とワッカの関係に、何か思うところがあるみたいだ。
何にせよ、あまりちょっかいを出して欲しくはない。
翌日からの生活は、一言で言ってしまうと、暇だった。と言うより、何もさせて貰えなかった。病院の手伝いも、何の知識もない子供には無用だ。ただ廊下に座り込んで、右へ左へ行き交う医師や看護師を見送るしかない。
僕ら以外に、唯一することがない人物と言えば、クラウスだけだ。用心棒の役割も、昨日みたいな大騒ぎがない限り、消え失せてしまっている。
そんな訳で、僕とワッカは病院を出て、クラウスと――期待は出来ないけど――話をしに行ったんだ。
「どうしてキッツ達と一緒に居るの?」
病院の陰で地べたに座るクラウスに尋ねた。
「どうしてだろうな」
ほら。ね。まともな会話なんて出来っこない。そう落胆し掛けたけれど、
「罪とは何か。それが解りそうだから、かも知れないな」
そうクラウスは答えた。
「『罪』?」
僕とワッカはクラウスの隣に腰を据える。
「よく言うだろう、『天罰だ』と。もし、これがどこかの神や、この星が与えた『罰』ならば、こんな罰に値する『罪』とは何だ」
「……自然を破壊したこと?」
「俺は、そうは思わん。その考えは、人間が自然をほしいままにしてきたという、傲りの上にあるものだ。武器も扱えない獣にいい様に弄ばれて尚、人間は自然を凌いだと言えるのか。自然は、人間に破壊出来るほど、脆弱なものなのか。何億周と太陽を巡りながら作り上げた環境を、僅か数千年で無に帰せるほど、人間は自然の破壊者たり得たのか」
「でも、人間が自然を切り崩したり、汚してきたのは事実でしょ?」
「その結果、どうなった。森が消え、山が裸になり、陸地が狭まり、土と水と空気とが汚染され、紫外線と放射線とに晒されて、一体、何がどうなった。人間が住めなくなった、住みにくくなったというだけの話だ。自業自得に過ぎん。例え人類が絶滅しようと、しまいと、自然界は気にしない。この星は、森さえ、大気さえないところから始まったんだ。例えそこに立ち返ろうと、数千数万数億年もすれば元に戻り、また人類に代わる何者かが現れる。たった、それだけのことではないか」
「そう、なのかな」
「そうだとも」
クラウスは断言した。
「じゃあ、クラウスの思う『罪』って、何?」
「そうだな……恐らく、きっと、そんなものはどこにもない」
「それはおかしいよ。それじゃあ、まるで――」
まるで、
「答えのないところに、答えを求めている」
あれ?
どこかで誰かに聞いた言葉だ。でも、どこで、誰から聞いたんだろう。
「哲学的だな」
とクラウスは鼻で笑う。
「だが、その通りだろうな。罪を知りたいのじゃない、罪を作りたいんだ。償い、反省しながら、生きていくための罪を、多くの人間がそうする様に」
締め括って、クラウスは一つやりきったと息を吐く。
しかし、驚いた。深く考えていることにもだけれど、一番は、これほど喋ったことにだ。
それを正直に口にすると、クラウスは機嫌を損ねるでもなく、肩をすくめた。
「余計なことを考えすぎる性分だからな、人の社会では生きにくい」
「ああ、それで外に……すると、無駄なことをしないっていうのも、あまり考えたくないからか」
「いや、顛末を考えれば、無駄になることが解るだろう? 無駄な考えはいつもしている」
つい笑い声が出てしまった。
何もすることがなく、日がな一日ぶらぶらしているのも、そう悪くなかった。ワッカとお喋りする機会と時間が沢山増えたし、キッツとシュエの勧めで、僕は読書を、ワッカは絵を描くことになり、結構有意義だ。
キッツの持っている本は、概ね色々な学問の専門書で、初心者には大変不親切なものばかりだ。しかし、数は少ないけれど、古い文学書や詩集みたいなものもあった。主にそっちを、辞書を引きながら少しずつ読んでいった。
詩集を読み始めると、僕はこれにのめり込んでしまった。
本を読む機会は、これまであるにはあった。軍隊にだって、必ず読書家は居たからだ。けれど、どれも小説だったり聖書だったりで、詩集というのは全くなかった。実際、あっても読まなかったと思う。だって詩というのは、何と言うか、易しくないものだという印象を持っていたからだ。キッツも、
「君にはまだ早いかも知れないよ」
と言っていたくらいだ。
しかし読んでみると、すぐに夢中になってしまった。韻を踏むリズミカルな言葉が、頭の中に滑り込んでくる様だった。書かれた当時の情景だとか、作者の見ていた世界とか、感情とかが、流れ込んでくる様だった。
他方、ワッカの絵の方はと言うと、自由にやっている様だった。シュエの持っている絵の具は、水彩から油絵からペンキから、手に入るものは何でも、という感じだ。とは言え、今じゃどこも作っていないし、入手も難しいから、ワッカは使わせて貰えない。鉛筆で古い書類の裏に描いている。
恥ずかしがって見せてくれないけれど、何度か盗み見た限りでは、花の絵ばかり描いている。それが何の花なのかは解らない。けれど、小さな子供に描かせる様な、抽象化されたものとは違った。普通、花を描かせたら、みんなこっちを向くじゃないか。でもワッカの花は、茎を真っ直ぐに、すっくと佇んで、花弁と葉とに太陽を一杯受けていた。それは決して単に綺麗なものの形じゃなくて、逞しく生きているものの姿だった。
たぶん、その像が、ワッカの見ていた花だったんだろう。
シュエに手解きを受けて、見る度見る度、花はどんどん力強くなっていった。
そうして、一ヶ月が過ぎた。
検査結果が出たと、キッツが言った。もちろん寄生虫や疫病の方ではなくて、僕がいかなる人間であるか、そちらの方だ。
「遅くなってすまなかったね。何せデータベースを取り寄せたりなんかしていたから」
「いいから、早く教えてくれないかな」
僕は焦って言った。診察室に呼ばれた時、僕は不安で堪らなくて、ワッカを同席させたいと申し出た。あっさりと快諾されたのが、酷い衝撃を伴う告知だからか、ワッカに聞かれても全く問題のない話だからか。
「そうだね、解った。結論から言うと……」
キッツは安っぽい椅子にもたれた。キイ、と軋む高い音がする。
「君はホモ・サピエンスだ、すなわちヒトだね」
そう言われた時、頭をガツンと殴られた様なショックも、また胸にぽっかりと穴が空いた様な落胆も、何もなかった。喜びも、安堵もない。
「……そう」
それもそうだ。元に戻っただけなのだから。着実に歩を進めていると、勘違いしていただけ。
「君のミトコンドリアを調べてみても、近似しているのは、現代の人類種に他ならなかった。ホモ・ネアンデルターレンシス由来の遺伝子混入も、一般的な割合だ」
つまり、僕はただの人だ。一部、耳の異常を除いて。
「だけど発見はあったよ」
「どんな?」
「君の耳は遺伝子じゃ解らないという発見」
溜息が出る。「そうガッカリしないでくれ」とキッツは言った。
「この結果は、概ね予想通りではある。霊感や予知といった第六感を、遺伝子的に研究した人間が過去に居てね。そういったセンスは親から子へ、遺伝する場合があったからだ。ま、結局これは成果が出ず、頓挫したんだね。先人がいくつものサンプルを元に研究した事象について、小手先でどうにか出来るとは、はなから思っちゃいなかった。そもそも、人間が原種に立ち返ることによって、今にない感覚を取り戻す、いや会得するなんて仮定自体、有り得ないものだしね」
そうだ。馬鹿馬鹿しい話だ。だって、それは僕が口から出任せで言ったことなのだから。
「……ごめん、下らないことに付き合わせて」
「そうだね、本当に『下らない』」
即座に、投げ捨てる様な口調で言った。
「こんな『下らない』ことをしている様じゃあ、ぼくも相当『下らない』よ」
僕の言い方が勘に障ったのだろうか、キッツは少し苛立っている様だった。
「……ごめん」
診察室を出て、とぼとぼと歩き出したところで、ワッカがシャツの裾を引っ張った。
「何?」
僕は振り返らなかった。ワッカは僕を慰めようとしていると、解っていたからだ。けれど、「こっち見て」と、ワッカは言う。
仕方なく振り返ると、ワッカは見た事もない、険しい顔付きをしていた。
「わたし、解らなくてよかったと思ってる」
「え?」
眉間に皺が寄るのを感じた。
「だって、何度もロコルに助けられてるもん。だから――」
僕は、ワッカが一頻り喋り終わるのを待たずに、ワッカの手を振り払った。
「あ……」
ワッカは腕を引っ込めて、ちょっと怯えたような表情になる。
僕は何も言えなかった。心臓が凍り着いてしまうくらい冷ややかなものが、胸に充満していたからだ。ワッカを傷付けたくなかったんじゃない。これ以上、自分が傷付きたくなかっただけだ。
ワッカに背を向けて、歩き出した。ワッカは付いて来なかった。
僕の気持ちなんて誰にも、ワッカにさえ、解る訳がない。




