17/鼓動
自分の血が抜かれていくのを見るのは、決して気分のいいものじゃない。採血管を並々満たしていく、赤い液体。それが今の今まで、体中を駆け巡っていた僕の体の一部だと思うと、ぞっとする。それでも僕なんかはまだ見慣れている方で、ワッカは採血の最中、顔を逸らした上でぎゅっと目を閉じていた。
約束通り、僕の検査が始まった。それで、どうしてワッカまで採血されているかと言えば、感染症の検査も同時にやるからだそうだ。自覚症状が出てからでは手遅れな場合もある、念のためにもやっておいた方がいい、らしい。そのことに異論はないけれど、横から見ていて可哀想だった。
ドーナッツ状のトンネルを、横たえた体が潜り抜けていく。今頃コンピュータ上に僕の輪切りが映し出されて、それをキッツがまじまじ眺めているのかと思うと、妙な気分だった。変な気持ちにさせられただけで、結果は異常なし。言い換えれば、成果なし。キッツの言う通りだった。
「お疲れ」
隣室で休んでいるところに、キッツが水を持ってきてくれた。
「MRIの結果は残念だったけど、ま、DNAの検査もある」
「もし、それでも何も出なかったら?」
「その時は出て行ってもらう……なんてことにはならないから、安心してくれていいよ。君の身に起きていることは事実で、医学や科学で証明出来なくても、それは君のせいじゃないからね」
にこやかに言い放った。それから、「ああ、そう言えば」と継ぐ。
「今日の騒ぎの時はどうだったんだい?」
「酷かったよ、今までにないくらい。頭が割れそうだった。それに――」
それに、なんだったっけ。とても奇妙な体験をした気がするけれど、思い出せない。
「それに?」
「短い時間、気を失ったかも知れない」
そうとしか言えなかった。何か嫌な夢を見て飛び起きたのに、どんな夢だったか解らない、そんな感じだ。
「そうか。それでも、すぐに対応してワッカを助けたんだ。夕方の騒ぎじゃ、重傷者が沢山出た。君は立派だよ」
夕食はとても質素だった。質素も質素、配給品だ。主食のコメに、野菜と果物のフリーズドライと、合成蛋白。
合成蛋白というのは、道中もキッツが食べていたけれど、アメリカで開発された人工の食肉のこと。何でも、ウシとかニワトリとか魚とか、色々を元にした人工の遺伝子が生成した蛋白質の、数種類を混ぜ合わせたもの、らしい。それを加熱・乾燥させて味付けしたものが、パッケージされている。動物の肉は気持ち悪いけれど、これなら僕も食べられる。
合成蛋白の味については、何とも言えない。少なくとも本物の肉よりは美味しく頂ける。隊長に言わせると、「コーヤドウフの方がまだ美味い」らしいけれど、それを知らないから比べ様がない。
夕食は病院内の食堂、マザー号のメンバー三人と、僕とワッカで同じテーブルだった。やっぱり不釣り合いなクラウスは、僕とは真逆で、本物の肉は食べる癖に、合成蛋白は食べようとしなかった。
「そんな得体の知れないものが食えるか」
「得体なら知れてるよ。メーカーも解ってるし。えっと……『ソイレント社』だったかな?」
「嘘ね! 食事中に言う冗談じゃないね!」
シュエが激怒してキッツの頭にゲンコツした。どういう冗談だったのかよく解らなかったのは、幸いと思っていいみたいだ。
「ごめんってば。ま、先生の方が感覚として正しかったんだけどね、以前は、あくまで過去は」
強調する様に繰り返されて、クラウスはちろりと横目に睨んだ。
「食糧危機くらい解ってる。だが口よりも、体に合わない」
「ま、言ってみれば動物性蛋白サプリメントだからね。先生みたいな肉食人間は生きていけない世の中になっちゃった。しかし、ベジタリアンだって遅かれ早かれだ」
「どうして? 野菜の農場なら沢山あるし、ガードも堅いじゃない」
屋内栽培が出来るものだって多い。全く不足がない、とは思わないけど。
「植物だって生長するには栄養が必要だろ? 家畜って概念が消え去って、肥料が不足してきてる。堆肥がなくて、化学肥料だけじゃどうにもならない壁があるのさ。人間の手でどうにかすることは出来なくはないけど、衛生面の問題もあるし、完璧に還元できる訳じゃないから、いずれ破綻するし、方法はこの場じゃあちょっと言えないし」
場を弁えない冗談を言ったらしいのに、今更だ。今度は言わんとすることを解ってしまって、食欲が半減した。
キッツはニンジンの一欠片をフォークに刺すと、目の高さでクルクル回した。
「人間のすることは全部、自然の力と資源を借りているだけなんだよ。高尚ぶったって、ぼくらは地球上の生物に変わりない」
パクッと口に放り込む。
彼らは研究所に寝泊まりしている。研究所は、元々病院の倉庫だった。病院が改築された時に倉庫としての役目を失って、撤去もされないまま放置されていたらしい。それを、キッツが個人的に買い取ったそうだ。
「ちょうど、ヨーロッパ方面に拠点が欲しくてね。本国じゃあ、規制が厳しくて移動がしんどかったんだ。おかげ様で、今じゃすっかりこちらが本拠地だよ」
「でも、これだけ大きい病院だと、国営じゃないの?」
「そうさ」
キッツはケロリとして言った。
「屋根が不足し始めた頃だね、国が売りに出したんだ。アパートを建てればよかったんだけど、当時は今ほど深刻な状況じゃなかったし」
それでも、決して安くはなかったはずだ。どれほどの価値かは見当付かないけれど、立て替えも全部自費でやったらしい。
「ぼくの親父はキリヤマ製薬の重役だったんだよ」
その会社の名前とロゴは僕も知っている。オロールさんの鞄の中に沢山見た。
「『だった』?」
「死んじまったからね。溜めに溜め込んだ遺産は使い放題って訳。機材も中古品で安く揃えられた。いやあ、いい親父を持つと得だね」
皮肉っぽく言う。意外にも、シュエは何も言わなかった。きっと、親子の関係はあまり良くなかったんだろう。
「じゃあ、病院で働かなくてもいいんじゃないの?」
「何度も言うけど、ぼくはあくまで医者だからね。医者が病院のすぐ隣に住んでるんだから、そりゃ働かないと世間体が悪いよ」
「ここの仕事はほとんどボランティアね。好きでやってるね。悪ぶっても格好付かないね」
そんな訳で、二階建ての研究所は外観も内装もまだ真新しく、清潔そのものだ。しかし、困ったことが一つ。
部屋が足りない。寝泊まりできるのは二階にたったの一部屋で、そこにはキッツとシュエが住んでいる。一階の研究室は、一晩過ごすのはおろか、立ち入り自体お断りされてしまった。クラウスは、やっぱりと言うか何と言うか、野宿であったりマザー号で寝たりと、そんな調子だったらしい。
「空いてる病室に泊まれる様、病院には頼んであるけど、今晩のところは今日のあれこれで埋まっちゃってるらしいんだ」
「それじゃあ、クラウス先生と野宿?」
「いや、子供にそんな危ないことはさせられないよ、二つの意味で。ま、一晩くらい、ぼくらは廊下で寝るよ。シュエも構わないだろう?」
「大丈夫ね」
「待ってよ、そうすると――」
ワッカを見た。ワッカも僕を見た。
一晩、同じ部屋に、二人きり。
「何か困ることでもあるかい?」
「それは……別に無いけど、僕も廊下で寝たっていいよ」
「難しいなあ。怪我人を固い廊下に寝かせるのは出来ないし、流石に夜は冷えるからね。ぼくと彼女はくっついて寝るからその点はクリアだけど、もしかして、君も混ざりたいのかい?」
ぶんぶんと頭を振った。それは困る。
「ま、紳士たるもの、女性の意見が第一だ。ワッカはどうだい?」
尋ねられたワッカは、僕の顔を見ながら少し考えて、答えた。
「ロコルと一緒がいい。一緒だと安心する」
嬉しいことをいってくれるけれど、僕は顔面から噴火しそうだった。
部屋はベッドルームとリビングとダイニングの兼用で、入って右手がキッツの、左手がシュエの生活スペースになっているらしかった。それは部屋の有様を見れば明らかだ。
右側は本棚とパソコン、何やら小難しいタイトルの本が山積みになっている。左側にはそういったものは一切なく、代わりに何を描いたのかよく解らない絵が沢山掛かっていた。たぶん、シュエが描いたんだろう。それと、服が脱ぎ捨てられている。片付けてから招き入れるという発想はなかったのか。
そう狭くはないけれど、ど真ん中に堂々と置かれたクイーンサイズのベッドが場所を占めている。これもベッドメイキングなんかまるでされてなくて、いつか剥いだ毛布がそのままだ。
さて、僕とワッカはすぐに眠ることにした。何となく、お喋りなんて落ち着かないし、何より、僕ら二人とも夕方の一件で疲れていた。
お互いに背を向け合って着替えを始める。パジャマなんて上等なものは用意がないから、キッツに借りたシャツと、スウェットのパンツ。もう片手も慣れちゃって、早々に着替え終わってしまった。
「着替え終わった?」
「うん」
確認を取ってから、振り返った。
ど、
「どどどうして下を穿いてないのさ!」
慌てて目を覆ったけれど、直視してしまった生の太腿が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
「ぶかぶかだったから……」
ワッカには大きすぎる、アメリカ陸軍なんて書いてあるダサいティーシャツのせいで、いやおかげで、下着は見えなかった。もし見てしまっていたら、僕はどうしていいのか解らなかっただろう。平身低頭して部屋を出て行くしかなかったんじゃないか。
毛布をバサバサやる音がして、そっと見ると、ワッカはもうベッドに潜り込んで、僕に背を向けていた。
思わず溜息が出てしまう。
ワッカは無防備すぎる。どんなに幼く見えたって、十四歳と言ったらいい年頃だ。国によっては、もう結婚してたっておかしくない。なのに、だ。
また溜息が出た。どっと疲れが押し寄せてきて、照明を消してから、僕もベッドに入った。なるべく端の方にした。
それから、酷く後悔した。年頃だなんて、考えなければよかった。僕だって、年頃の男に違いないんだから。
ぎゅっと目を閉じて、全く別のことを考える努力をした。主に、隊長達と一緒に居た頃のことだ。あの男臭くて、むさ苦しい場所。
「ロコル」
小さな声で呼ばれて、心臓が口から飛び出しそうになった。
近い。いつの間にか寝返りを打っていて、吐息がうなじに掛かるくらいだ。
「おやすみ」




