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テレヌス  作者: 熊と塩
第一部 : Cogito, ergo sum.
13/40

13/食・空へ

 クラウスはマザー号からやや離れた所に枯れ枝を落とした。それからそこへしゃがみ込んで、枝を立体的に組み上げていく。まるでこびとの家の様だけど、焚き火をしようとしているのだった。やや涼しいくらいだけど、まだ日は高いのに。

 ポケットをごそごそやって、枝と一緒に拾ってきただろう枯れ草を取り出すと、それを丸める。火口ほくちだ。今度は懐からナイフを取り出す。これが体格に似合わず刃渡りの短めなもので、ケースにファイアスターターが付いている。狩りに使うもの、と言うより、森や山で生きるために使うものという感じだ。

 火口へ向け、棒状のファイアスターターをナイフの背で擦ると、バチバチと大きな火花が散る。すかさず枯れ草を両手に取り、臭いを嗅ぐ様な仕草で息を吹き込んだ。すると、瞬く間に細い煙が立ち上がり、火が起きた。それをさっきの小屋に入れる。火は枝に燃え移って、だんだん大きくなる。そうした古めかしい火起こしをしたことはないけれど、クラウスが手慣れていることはよく解った。

 しかし、

「僕は何をするの?」

 クラウスの作業を眺めていたが、どうして呼ばれたのか解らなかった。火起こしはもうほとんど終わっている。

「何もしなくていい。腹が減っただろう」

 言われてみれば、確かに空腹だ。丸一日食べてないし、とどめに胃を空っぽにしたばかりだった。

 納得した。火を起こしたのは、缶詰とかレトルトパウチとかで昼食にしようというんだ。嬉しい心遣いだ。冷たい水でもいいけれど、何だったら温かいココアでもいい。

「クリストファー」

 呼ばれたキッツは「はいはい」と言いながら、一旦車に入り、すぐに何かを持って出てきた。チャックの付いた半透明な袋に入った、何か薄赤いもの。

 僕っていうのは、どうしてこうも間違った期待をしてしまうんだろう。キッツが持ってきたのは先程のジャッカルから取った死肉に間違いなくて、だとすれば、今からあれを焼いて食おうと言うのだ。

 一体、何を考えてるんだ。

「……まさか、食べるんじゃないよね」

「食わないで何をする」

 一応確認のつもりで訊いたけど、当たり前だと言わんばかりに睨まれるだけだった。

 クラウスは袋から二切れ、素手のまま掴み出す。はらわたをほじくり出した時点で正気の沙汰とは思えなかったけど、これもまた頭がおかしいとしか思えない。しかも二切れということは、どう考えたってクラウスと僕の分だ。

「……まさか、僕の分じゃないよね」

「お前のだ」

 つれなく言って、肉片を枝に刺し、火が掠める様に地面へ突き立てた。

 ああ、どうしよう、この男は本気だ。

 何度か、パチ、パチ、と小さな爆ぜる音がして、肉から煙が上がり始めた。同時に、とてつもない臭いが鼻を刺した。何と言えばいいのか、草木が燃えるのとはまったく違う、独特な、そう、火葬場の臭いだ。以前、軍隊と各地を巡っていた時、死んだ人を焼いて弔う現場に居合わせたことがある。あの臭いだ。

 思い返して、再び吐き気が込み上げてきた。

「あの、これって、その、まずいんじゃないかな。ほら、何て言うか、こんなにいい匂いをさせたら、動物が寄ってくるんじゃ?」

「肉を焼いて食うのは人間くらいだ」

 それだって、ここ数年はやる人間が居ない。

「あ、ごめん、ちょっと離れててもいいかな。うん、行ってもいいかな。行くよ?」

「焼けたら呼ぶ」

「そうして」

 いよいよ耐えられない。返事を待たずに僕は車へ引き返した。クラウスに見られない様に、何度かえずいた。出るものがないのが、不幸中の幸い。

 シュエは大の字になって眠っているし、キッツは僕の様子を見てクスクス笑っている。二人は平気みたいだけれど、流石にワッカもキツいらしく、鼻を摘んでいた。

「最近の子供は嗅ぎ慣れないんだろうね」

 とキッツが笑いを堪えながら言う。

「ま、ほら、ハンターっていうのは生活のために動物を殺してきた訳だろう? 自分で食べたり、肉や毛皮を売ったりしてね。だもんで、先生にとっちゃ、自衛のためとは言え、食べもしないのに撃ち殺すのは『無駄なこと』なんだよ」

「じゃあ、僕に食べさせようっていうのは、何でさ!」

「さあねえ。歓迎のつもりか、男になる儀式かも知れないね。あ、それか、察知して教えてくれたお礼とか」

 何にせよ、別のやり方にして欲しかった。

「おい、小僧、焼けたぞ」

 休む間もなく呼び戻される。

 臭いはさっきより酷くなっていて、近付くだけで目眩がする。焚き火の近くにしゃがみ込んでしまえばまだマシ、と思っていたけれど、そうでもなかった。

 こんがりと黒く焼けた、ジャッカルの死骸の欠片。クラウスが一本取って、僕に「食え」と突き出してくる。怖々受け取ると、自分も手に取り、齧り付いた。まるで犬だ。牙を立てて、力任せに引き千切る。ビリビリと繊維質が剥がれ、赤々とした中身が露わになる。ぞっとした。

「どうした、食え」

 口の中で肉をくちゃくちゃさせながら、促してくる。どうしたもこうしたもない。

 かと言って、食えるかと放り捨てることは、はばかられた。どんな形であれ、厚意であり好意的な気持ちでもってやってるに違いないから、あんまり失礼なことは出来ない。何より機嫌を損なわせるのが怖い。

 口を付けるのに、ものすごく勇気が要った。しかし、肉をじっくり眺めるに、勇気は次第に小さくなっていく。終いには、もうどうにでもなれ、食べたら意外と美味しいかも知れないじゃないかと、ヤケクソだった。

 なるべく唇を付けない様に歯を立てる。熱い。そして固い。堪えて、ぐっと噛み締めると、謎の汁が口の中に染み出してきた。途端、また言い知れようのない臭いが僕を襲った。例えるなら、十年くらいシャワーを浴びていない味だ。

 オエッと、思わず吐き出して、肉を投げ捨てた。とてもじゃないが、食えたもんじゃない。

 その場から逃げ出し、マザー号の影に入って吐いた。出るのは唾液ばかりだけど、口の中に入ったあの味は、どうしても消えなかった。ワッカが背中を撫でてくれる。片手で鼻を抑えながら。

 キッツの「あっはっは」と笑う声が聞こえる。

「いや、頑張ったと思うよ。ぼくなら絶対食べないけどね、ジャッカルなんて。絶対不味いもの」

 見ると、キッツは合成蛋白の封を切っていた。


 マザー号は軽快に走るが、僕の気分は最悪。さっきよりもっと最悪。僕の口や鼻にまだ残っているのか、みんなの服に染み付いてしまったのか、いや一人で二切れ食べたクラウスが乗り込んでいるからか、車の中にまだあの嫌な臭いがする。ワッカがもう一度膝を貸してくれたのがせめてもの救いで、未だに鼻を摘んでいるのが救いのないところ。

 そうこうしている内に、いつの間にか僕らは国境を越え、空港に到着していた。ここからは空路で二時間弱、彼らの「アジト」があるという、アテネへ行く。

 悪臭から解放されて見たのは、ズラリと並んだ軍の輸送機、爆撃機、それからヘリ。かつては国際空港だったろうに、もう旅行や国際ビジネスなんかやってる場合じゃないということだ。

 キッツが話を付けている間、僕はちょっと離れて、整備員らしき人を捕まえ、隊長達が来なかったか訊いた。見ていないという答えを聞いて、少し残念だった。


 ぱっくりと開いた輸送機の腹の中は、運動場かと見間違うくらい広い。幅も高さも奥行きもあって、装甲車が入ったって全然平気だ。

「なんと貸し切りなんだな、こいつ一機が!」

 キッツは、どうだい、と両手を広げる。その横で、シュエが白い目をしていた。

「どうして?」

 科学者や医師は優遇されると話には聞いてたけど、まさかこんな待遇を受けられるとは思ってなかった。

「ワタシの伯父が、ちょっとしたコネを持ってるね」

「そう、彼女の伯父さんはアメリカ軍の陸軍中将にして参謀総長なんだ。つまり、こいつは可愛い姪っ子を送り迎えするためのチャーター機って訳だ。すごいだろう!」

 まるで自分の手柄みたいに言うキッツ、それを睨むシュエ。しかし、「ちょっとしたコネ」と言うには、大いに余りあると思う。

「伯父とはあまり仲良くないね。仕方なしで手配してくれてるね」

「そうそう、だから申し訳なさそうにしなきゃいけない。申し訳ないなあ、全く」

 悪びれず、うひひ、と笑う。

「ところで君達、飛行機は初めてかな?」

 僕とワッカは一様に首肯した。

「飛行機は世界一安全な乗り物だ――というのは前時代の話で、今は二位なんだ、残念ながら」

「一位は?」

「戦車に決まってるだろう? 飛行機はバードストライク、鳥の衝突事故が増えてね。しかし、ま、ここから離陸する分には安全だ。何せ世界一安全な戦車がリードしてくれるからね」

「着陸は?」

「それは乗ってのお楽しみ」

 不安だ。


 離陸の瞬間は背筋が強張った。機体に対して横向きの座席に着いていたけれど、妙にガタガタ揺れて、それは機首が持ち上がるにつれて強まっていった。

 僕もワッカもヒヤヒヤして、お互い汗ばんだ手を握り合っていたけれど、キッツは興奮して、フーとか、ヤーとか、叫びまくっていた。一方でシュエは落ち着き払って、新聞なんかを読んでいる。クラウスは、彼も飛行機が苦手なのかも知れない。銃を握る手が心なしか強張っていたし、眉間と目尻に皺を作っていた。それぞれ、らしいと言えば、らしい。

 ぐん、と上に引っ張られる感じがして、僕らは飛び立った。そうして暫くして、機首がまた少しずつ下がってくると、それまで揺れていたのが嘘の様だった。

 体をよじって窓を覗く。僕らはもうとっくに雲の上に居た。乾燥した砂の色と、赤っぽい土の色と、それから褪せた緑色が、どこまでも続いている。機体は緩やかに旋回している様で、ゆっくり、農場の円い畑が見えてきた。ハンナは両親と上手くやっていけてるだろうか。

「ワッカも見てごらんよ」

 未だに、僕の手とシートの端をしっかり握っているワッカに、そう促した。ワッカもようやく、おっかなびっくり窓から地上を見下ろす。

「――広い」

 素朴で幼い感想だ。それで、僕のガチガチに固まった背中がほぐれた。

 ワッカが控えめに手を振った。彼女にとっては、初めての旅路だ。僕も一緒になって手を振った。だんだんと、海が見えてくる。

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