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テレヌス  作者: 熊と塩
第一部 : Cogito, ergo sum.
12/40

12/笑み

 気分は最悪だ。結局死骸の始末はクラウスとキッツが付けて、僕は車の中で横になって休んでいた。

「ダサいね」

 シュエにそう言われたけれど、そんなことは言われなくったって僕が一番解ってる。

 嘔吐して、目眩がして、その場にへたり込んで、シュエに介抱されて、シートに倒れ込んで。しかも、枕にしていたのがワッカの膝だってことに気付くのに、十数分いや数十分かかったくらいだ。

「あの、本当に、ごめん」

 頭を振ったワッカの髪が顔をくすぐることも、髪を掻き上げるワッカを間近に見上げていられることも、頭をよしよしと撫でてくれることも、とても嬉しかったけれど、後頭部の感触は、すごく柔らかいとは言えないまでも、すごく心地よかったけれど、それより何より、情けなさが募る。

「不思議だねえ」

 とキッツの声が言う。

「動物の声が聞こえるって、どんな感じなんだい?」

 耳の奥の雑音、頭の中から聞こえてくる感じ、そう説明した。

「なるほどねえ。一種のテレパシーみたいな感覚かな」

「テレパシーがどうか解らないけど」

「科学者ぶった物言いをすると、ニューロンを流れるのは微弱な電流だ。電気が流れるところにはノイズが発生する。君は動物の脳から出るノイズを感知しているのかも知れないね」

 そうなのだろうか。そう言われれば、そういう気もする。無線機が周波数を探している時の音に似ていなくもないから。

「でなけりゃ、第六感だね。どっちにしろ、仕組みは君を解剖して脳をこねくり回したって解りそうにないな」

 頭を開かれるのは願い下げだけど、少し残念でもあった。原因が解れば、取り除く方法だって見付けられたかも知れない。この気持ち悪さ、居心地の悪さは、きっと誰にも理解出来ない。

 何度、僕はあちら側の生き物なんじゃないかと思ったか。人類に敵対する生物。人に紛れ込むため、潜入工作員かあるいは尖兵として、そういう意味を持って生まれたのだとしたら。そんな妄想に苛まれることがある。

 もし、仮に、本当にそうだとしたら、頭に触れる優しい感触を、僕自身が壊してしまうのか。

 そんなことがあってたまるか。吐き気はどこかへ行った。僕は起き上がって、疑問を口にした。

「クラウスはあの時、どうして気付いたの?」

 妙なのは僕一人ではないと、期待を込めて訊いた。やはりクラウスは黙ったままだ。

「先生は五感が鋭いんだよ」

 キッツが代弁する。

「視力、聴覚、嗅覚、触覚、ああそれと味覚。全部が野生動物並なんだ。なんでも、人生の大半を森や野原で過ごしてきたかららしい」

 クラウスが無口なのに合点がいった。人と接する機会があまりなかったのだろうし、常に感覚を尖らせているからなんだろう。特殊は特殊だけれど、僕の求めていたのとは違う様だ。

「先生は無愛想だけど、悪い人じゃあないんだ。ただ用心深いだけで。寡黙に、穏やかに、自然と一体化するのがハンターなんだって。これってニッポンのゼンと似てるよね。サムライ!」

「どっちかと言うと忍者ね」

「そうそう、ジャーマン・ニンジャ! ま、例えニンジャだって、こんな騒々しくて密閉した車内じゃ、なかなか気付けない訳だけど」

 おまけに、おしゃべりが意味不明な単語を叫んでいる。こんな環境では、どれだけ気を張ったって、さっきのジャッカルには気付けなかっただろう。

 待てよ、僕は考えた。

「じゃあ、さっきは僕を信じてくれたから……?」

「どうなんだろうね。どうなんだい、先生?」

 クラウス本人に話を振るが、たぶん答えたりしないんだろう。そう思っていると、意外なことにクラウスは口を開いた。

「疑る意味があるのか」

 たった一言そう言った。

 無駄なことはしない。粗野な印象とは裏腹に、合理的な人物だ。


 昼頃だろうか。装甲車は路肩にちょっとしたスペースを見付けると、そこへ停まった。深夜から走り通し、少し休憩しようということだった。

 エアコンの効いた車内で昼寝、かと思いきや、ハッチを開放し、シートを張って屋根を作り、そうして出来た日陰で、キッツはうんと背筋を伸ばした。

「アイドリングストップさ。燃料代がシャレにならないしね」

 恐らく後者の方が理由としては大きい。世界中で石油採掘が停止状態にあり、その上輸送手段や経路も限られるし、少ない燃料はほとんど軍が買い占めてしまっている。そんな訳で、今や原油は金より高い。というのは、軍隊に居た頃の知識だ。

 科学者連中はのんきなもので、シュエなんかは地面に毛布を敷いて、そこに寝るつもりらしかった。僕もワッカも、その様子を車内から見ていた。

「大丈夫なの?」

「平気平気。むしろ移動してるより安全だ。ほら、風が気持ちいいよ」

 んん、と胸を広げて深呼吸する。なるほど、クラウスが居るし、僕も居るから、ということだ。

 当のクラウスは、僕の脇を擦り抜け、キッツとシュエを通り抜け、茂みに入っていった。何をしに行ったのか、見当も付かない。

 表に出るか、ワッカに目線で尋ねると、車から出ることは全く嫌じゃない様子だった。やっぱり狭いし、エアコンに慣れていないのかも知れない。

「二人はどういう関係ね」

 ワッカの手を引いて出てきた僕を見るなり、シュエに訊かれた。

「どういうって、そりゃあ――」

 どうなんだろう。知り合いと言うには親しげにしているし、友達と言うには遊んだりしていない。恋人なんて論外、それは僕の勝手な願望。

 じゃあ何と言い表したらいいんだろう。そう考えてみると、

「心の支え?」

 と、言うしかなかった。だって、ワッカと知り合って以来、何をするにしてもワッカのことを最初に考えてしまうんだ。

 自分がとても恥ずかしいことを言ってしまったと気付いたのは、ワッカの顔を見てからだった。喜ぶでも怒るでもなく、照れるでも嫌がるでもなく、ただただ、疑問を持った子供みたいな顔で、今にも「それってどういう意味?」と尋ねそうだ。

 本当に、ひたすら一方的な僕の感情だ。ワッカは微塵も同じ様には思っていない。解っていたのに、自分から再確認しにいってしまい、バツが悪くなって、手を放した。

 幸い、シュエは「ふうん」と鼻を鳴らしただけで、それ以上深く突っ込んでくることはしなかった。


 簡易テントとは別、車体の影に僕らは腰を下ろした。四つ並んだ巨大なタイヤを背もたれにする。

 ワッカは手を伸ばせば届く所に居るのに、その距離が果てしなく遠く感じた。

 重たい沈黙。いや、たぶんワッカはいつも通りにしているだけだ。沈黙を作り出しているのは、僕自身。

 気持ちを打ち明けるべきか、否か、逡巡していた。

 君が好きだと、それだけ言うのに苦労していた。

 隠し通すつもりはない。いつかは言うべきだ。ただ、照れくさいし、出会って日も浅いし、彼女に察する様子もないし、気まずくなるのも怖いし、言い出すきっかけがなかったし、それだけだ。だから、シュエに訊ねられたこと、うっかり口を滑らせたことは、いい機会になったはずだ。

 何も言わないでまごまごしているのは、誠実さに欠ける。気持ちを伝えてから始まる恋だって、きっとあるだろう。お互いを知るのはそれからだっていい。これはハンナの影響だ。

 そうだ。僕がどれだけ夢中なのか、告白しよう。

「何か、した?」

 決意を固めた時、口を開いたのはワッカの方だった。不意を突かれたと言うか、カウンターを食らったと言うか、僕は脇腹を針で刺されたみたいになった。

「な、何の話?」

「『心の支え』」

 ドキッとした。僕の想いに全く感付いてない様に見えて、本当は知っていたんだ。ならいつからだ。今さっきか、バッタの群れから庇った時か、無謀にもワシに殴り掛かった時か。

「わたし――」

 ツバを飲んだ。

「どう接していいか、解らない」

 心臓を万力で締め付けられた様だ。頭を重機で殴られた様だ。とにかく、気持ちが一瞬にしてぺしゃんこになった。

「……僕と?」

 恐る恐る聞き返す。それは自殺行為だ。本当に死んでもいいとさえ思った。けれどワッカは、首を横に振った。

「人と」

 ワッカは膝を抱えて、また爪先の辺りに目を落としていた。そのまま、ぽつぽつと話す。

「この前訊かれた、小さい頃のこと。わたしは、笑わなかったんだって。おもちゃにも、変な顔にも、お父さんにも、お母さんにも、笑わなかった。だからだと思う。ずっと、みんなよそよそしかった。『ありがとう』と『ごめんなさい』を教えて貰った。近くに住んでたおばさんが、それは大事な言葉だから、ちゃんと言いなさいって、子供を叱ってるのを聞いた。そうなんだって思った。言わなきゃいけないものなんだと思ってた。嬉しいとか、悲しいとか、知ったのは大きくなってからだから」

「……寂しいことだね」

 ワッカはまた頭を振った。

「寂しいとは思わなかった。寂しいことも、知らなかったから。寂しいって、どういうことか解ったのは、ついこの前」

「両親が死んじゃったから?」

「違うの。それも寂しいことだけど、解ったのは、もっと最近。食堂から、ロコルが飛び出していった時。それから、その後も」

 体の芯を、風が吹き抜けていった。

「だから、解らないの。ロコルの『心の支え』になってるって、どういうことなのか。どうして、わたしが支えになってるのか……」

「大丈夫だよ」

 僕は言った。違う決意をして。

「そういう君に支えられてるんだ」

 今、好きだと告げたら、全部投げ渡してしまったら、ワッカは悩んでしまうだろう。傷付いてしまうかも知れない。だったら、少しずつでいい。一歩ずつ歩み寄っていけたらいい。これまでだって、今だって、僕と彼女の距離は縮まっていっているんだから。


「小僧」

 と僕を呼ぶ声がした。クラウスだ。枯れ枝を脇に抱えて戻ってきた。いいタイミングだった。

「何だろう? ちょっと行ってくるよ」

「うん」

「あ、さっきは膝枕をしてくれて、ありがとう」

「どういたしまして」

 ワッカはそう返して、口の両端をほんの僅かに上げた。

 大丈夫。君は、もう笑えるんだ。

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