11/狩人
学者達の装甲車――彼らはマザー号と呼んでるらしい――の中は、狭苦しいけれど、意外にも快適だった。シュエが運転席、キッツが助手席に着いていて、僕らの乗り込むスペースは十分あったし、空調が効いている。ふと油断すれば、何が何やら意味不明な研究機材に頭をぶつけそうになるけれど、少なくとも軍のトラックにむさ苦しく詰め込まれているよりは、ずっとよかった。
僕らを乗せたきっかけ不在で走り出したマザー号が向かう先は、北だ。方角的には奇しくも隊長達を追う形になった。
マザー号でのルールは至極単純、何にも触るな、それだけだった。
「精密機器が多いからね。それと、クラウスの荷物も触っちゃダメね」
「どれ?」
尋ねてクイと指差されたのは、クラウスが抱えている猟銃だった。二連銃身の古い散弾銃。けれど銃身には改造が施されている様で、立ち上がったら二メートルを超えるくらい大柄のクラウスが、座った状態でストックを床に突き、肩に掛けられるほど長い。荷物というのはその銃一丁らしい。
「ちょっとでも触るとすっごく怒るのね」
シュエが耳打ちで言った。わざわざ言われなくても、あんな物騒な代物は興味本位で触ってみたいとも思えない。
車が走り出して数時間経った。装甲車には景色を眺める窓もなく、ピクニックや冒険に出掛けている様な気分もなく、言葉もない。
クラウスは、まるでこの沈黙を支配している主みたいだった。まだ一言もその声を聞いていないし、相変わらず、意識があるのかないのかさえハッキリしない。もし起きているのなら、瞑想する様に黙っているのは僕らを快く思っていないからかも知れないし、もし寝ているなら、その眠りを妨げてしまって良いものか解らない。それで、爪先に目を落としているワッカに、話し掛けることも出来なかった。
けれど、車内が静まり返っていたのが逆に幸運だった。
「あっ」
鼓膜の内側から、木の葉が揺れる様な、砂をかき混ぜる様な、ザワという音。
「来る、何か来るよ!」
僕は慌てて叫んだ。キッツはのんびりとした調子で鼻を鳴らしてから、
「カメラには何も写ってないけど」
と言った。
「いや」
誰かがそう言った。野太く、掠れた声だった。それが僕の初めて聞いた、クラウスの一声だった。
クラウスはギラギラとした目を見開いて、顎を上げた。そして立ち、そのまま上部ハッチを押し上げた。まだ薄青い光がさっと差し込んで、クラウスの真っ黒なシルエットを照らし出す。
「小僧、来い」
悔しいけれど、このメンバーで小僧なのは僕一人だ。近くへ行くと、隣のハッチを親指で指される。そっち側から覗いて見ろ、という意味らしい。
指示通り、分厚い鉄板を力一杯押し開けた。シートの上に立ってやっと頭が出るくらい高さがあったけれど、隣のクラウスは胸から飛び出していて、黒髪が風を受けて暴れ回っていた。
「ジャッカルだ。一時の方向」
進行方向やや右、言われた方を見るけれど、それらしい影は目に付かなかった。太陽はまだ昇り掛けで、辺りは薄ぼんやりとしている。それでもクラウスはそちらの方をじっと見ているので、僕もよく目をこらした。
道路から外れたところは低木林になっている。その幹や枝の隙間を、サッと何かが横切った。更によく見ると、それは一頭や二頭ではない様だった。
「八頭、四組のつがいだ」
「見えるの?」
「こっちの動向を伺ってる。奴らはどこまでも追ってくる」
言いながら、クラウスはスルスルと猟銃を取り上げた。
「この距離じゃ、散弾は意味ないよ」
「無駄なことはしない」
槍みたいな銃を構えて、照準を覗く。そう改めて見ると、どれだけ馬鹿げた長さかよく解る。重量だって相当あるだろう。風に煽られるし、舗装の甘い道路は揺れる。けれどクラウスはぴたりとして、まるで時が止まっている様だった。銃を構えた今になって、押し黙っていたクラウスに戻った様な感じだ。
ドン、と爆発音がした。遠い銃口の先から閃光。続けざまにもう一発。
命中したかどうかは解らなかったが、クラウスは猟銃を折って弾丸を再装填し始めた。その間も視線はジャッカルの居る方を向いたまま。
突然、マザー号が速度を上げる。危うくハッチの縁で前歯を折るところだった。ぐんぐん速くなるに連れ、クラウスの視線は後方へ移っていく。そしてとうとう、ジャッカルの群れが装甲車の後ろに現れた。数は六。クラウスが最初に言った通りだったら、さっきの二発はそれぞれ命中していたことになる。
装填を終えていたクラウスが、直ぐ様撃つ。一発目で一頭の上顎を吹き飛ばし、二発目が脊椎を砕いた。
それで解った、クラウスが撃っているのはマスターキー、スラッグ弾だ。散弾銃の口径一杯の巨大な鉛玉が、一発きり入っている弾。ドアの鍵を壊すのに使うのが主で、到底「狙って撃ってなんぼ」という使い方が出来たものじゃない。
ジャッカル達は目の前で仲間が撃ち殺されても、いやそれで怒ってか、必死になって追い掛けてくる。車と群れとの距離はどんどん引き離されていく。けれど、クラウスは容赦なく次々に撃ち殺していった。
あっと言う間に残り一頭。その時クラウスが言った。
「回頭だ」
「了解ね」
運転席のシュエが応えて、マザー号は急旋回した。車体が傾いて、傾くだけ傾いて、僕を振り落としそうになりながら、横転するかしないかというギリギリで百八十度頭の向きを変える。シュエが運転する意味が解ったけれど、解らなくもなる。
向きが全く入れ替わり、チキンレースさながら、ジャッカルと車が正面衝突する間際、クラウスが最後を仕留めた。そして今度は死骸の手前で急停車する。
頭を揺さぶられて、僕はもう倒れる寸前だった。今まで踏み台にしていたシートにすとんと落ちる。暴走する車に翻弄されたのは僕だけではなく、ワッカは床に背中を付けてシートに足を載せた、逆に座ってる状態で放心していた。どこかをぶつけたりはしなかった様子だ。
「乱暴にしないでくれよ、子供が乗ってるんだから!」
泣き声で叫んだのはキッツだ。彼はシートベルトを締めたまま、シートからずり落ちていた。
「丁寧にしたね」
あれで優しいなら、普段はどんな危険運転をしているんだろう。
「開けろ」
クラウスが言い、後部ハッチが開いた。
低いところから見ると、酷い光景だった。向こう数十メートルに渡って、体のどこかを吹き飛ばされた獣の死骸が点々としている。これより凄まじいものは何度も目にしているけれど、僕らの通り道に出来たのだと、一人の男が猟銃一丁でやってのけたのだと思うと、何だか恐ろしい気持ちになる。
息を呑んでいるところに、どんとシャベルを押し付けられた。
「穴を掘れ」
そう言ったクラウスは、銃を担いでタラップを降りていく。
「ぼ、僕が? どうして?」
背中に向けて聞き返しても答えはなかった。
「無駄なことはしないし、言わないよ、先生は」
僕の背後でキッツの声がした。じゃあ代わりに教えてよ、と思ったが、当人は機材の点検などを始めてしまっていた。座り直したワッカと目が合う。
言われた通り、渋々車から降りて穴を掘る。全く訳が解らないまま、何となく大きめの穴を作った。だいたい、腰まですっぽり入るくらい。土が軟らかくて掘りやすいとは言え、片手ではこれが精一杯。そこへクラウスが、終わりに撃ったジャッカルの死骸を引き摺って来た。
「小さい、何をするつもりだ」
「え?」
「もっと大きく」
あんまりに端的な物言いだ。でも、とにかくもっと大きな穴が必要なのは解ったから、従って穴を掘り広げていった。その間に、クラウスは穴の隣にジャッカルの死骸を置き、ナイフを取り出した。何をするのかと思っていると、いきなり切っ先をジャッカルの腹に突き立てて、後ろ足の方へ力任せに切り裂いた。
どばっと内臓が溢れ出てくるのを見てしまった。目を逸らすタイミングが遅れて、ピンク色をしたぶよぶよのゴムボールみたいなものが、目を閉じてもそこに見える。
「な、何をしてるの?」
クラウスは答えなかった。どたり、べちゃりという音だけがする。それから、ビリ、ビリ、という何かを引き剥がす音、バサリと毛布を投げた様な音。
「早く掘れ」
音を立てながら僕を急かす。僕はやたらめたらにシャベルを突き立てた。
クラウスがキッツを呼んで、「はいはい」とキッツが駆け寄ってくる。ああ、解った、あれはきっと何かの検査をするんだなと、そう思いながら、穴を溝にしていった。
穴の具合を見て、クラウスは次の指示を出す。
「死体を埋めろ」
死体というのは、当然道路に沢山転がってるそれらのことだ。流石に、最初に茂みの中で仕留めたのまで拾って来いとは言わないだろうけど、全部僕一人で片付けなければいけない様だった。
そろりそろり、ジャッカルに近付いていく。いきなり動き出すはずはない。何せ、頭の左半分がミンチになっているんだから。しかし、近付けば近付くほど、グロテスクなものがくっきり見えてきてしまうために、慎重になる。
顔を明後日の方向に向けつつ、手探りで脚を掴んだ。棘の様な毛の感触、ぐにゃっとした皮の柔らかさ、その内側にある骨の硬さ。僕は今、初めて動物の死骸に触れた。いや、人間以外の生き物を自分から触りに行くことからして、初体験だった。
こんなに気色悪いものだとは。
思わず込み上げてくる吐き気をぐっと堪えて、引き摺って行く。重い。クラウスは、右腕一本でも十分可能だと踏んで僕にやらせているんだろうが、もの凄い重労働だった。力任せに引けば肩の関節が抜けてしまいそうだったし、かと言って、手に一体どれだけ力を入れていいのかも解らない。とにかく重量、そして気持ち悪さとの格闘だった。
死骸をちょっとずつ移動させながら、全く関係のないことを考える様にした。例えばワッカのこと、隊長らが向かった場所のこと、シャワーのこと、美味しい食べ物のこと――は、やめておいた方がよさそうだ。
やっとこさ穴まで運んできたけれど、そこからもう一苦労だった。穴の中へ降りて行って引き込む訳にもいかないし、何せ片手じゃ投げ込めない。そこで、蹴り落とすことにした訳だけど、これは結果から言って、大失敗だ。
蹴り込む時、思わず穴の中を見てしまった。クラウスが引き摺り出した臓物と毛皮、それらが土をまとってぐちゃぐちゃになっている。その上へ死骸を落としたから、不快な音が足下から立ち上り、靴に血がはねた。
とうとう耐えきれなくなって、僕はその場に胃液を吐く。




