1/死した町にて
綺麗な髪をした女の子だった。
「弾ァ!」
「C4、用意出来てるか」
「勿論です、隊長」
砂埃になびく黒髪はつややかで、僕は見とれていた。
「敵、残存多数」
「弾も山とあるんだ、撃ち尽くすつもりでやれ! 一匹たりと近付かせるな」
らんとした青い瞳が、薄褐色の肌によく映えた。
けれど、酷く悲しそうな目をしていた。
「衝撃注意! 鼓膜をやられるぞ」
「発破!」
崩れ去った街に、たった一人佇む彼女は、
「隊長、西から敵影!」
「西? 現地軍はどうした」
「交戦、確認出来ず。防衛ラインを放棄したものと思われます」
「逃げただと? テメェらが見捨てるのかよ、糞ッ垂れが!」
まるで天使だった。
「対空砲、残弾無し。尚も敵多数!」
「道具に頼るな、目視で撃ち落とせ」
「ロコル、何処狙ってる! 銃口が跳ねすぎなんだよ、しがみついてしっかり押さえろ!」
「ロコル、弾を寄越せ!」
「ロコル!」
「ロコルッ」
背後から銃声。僕の腕を噛み千切ろうと飛び掛かってきたウサギの頭が、すぐ横で弾けた。
「馬鹿野郎、どうしちまったんだ、お前は――」
駆け寄ってきた隊長は、息を切らして怒鳴り散らした。
「ご、ごめん、でも……」
「あ?」
指差した先に少女の姿を認めると、隊長は銃を下ろして声を張り上げた。
「おい、そこの君!」
隊長が呼び掛けると、少女は踵を返して走り出した。まるで逃げる様だった。慌てて追おうとする僕の肩を、隊長が掴んで引き止めた。
「待て、俺が追う。お前はキャンプに戻れ」
言うなり、駆け出していった。
「待って、僕も行くよ」
「疲れてるだろうが、お前は」
振り返らず、二本の指を立てた。少女を追い掛けていく背中に向けて、僕は、
「隊長だって、疲れてるでしょうに」
と呟いていた。
キャンプに戻ると、煙草の臭いで目眩がした。怪我をした仲間が、元は集会所だった、だだっ広いこの場所のあちこち、何かにもたれ掛かって、起きているのか眠っているのかも解らない様相で、煙草を吸っている。慰安の為に配られるものだけど、きっと本当に慰め程度でしかない。それでも、昨晩の戦闘のせいで、二人は煙草を吸うことさえ出来なくなった。
「ロコル、手伝って!」
呼ばれた方を見ると、オロールさんが苦痛に悶える兵士を押さえ付けているところだった。すぐに代わるけれど、僕より体格の大きい男が無意識に出す力は、恐ろしいほど強い。一瞬でも気を抜いたら突き飛ばされてしまいそうだった。オロールさんだって、僕と違って大人だけど、それでも女性だ。強いひとだと、常々思う。
オロールさんがモルヒネを打ってしばらくすると、患者の力は徐々に弱まっていった。「もう離しても大丈夫」と言われた頃には、僕は体中脂汗まみれだった。
「アラシはどうしたの?」
「隊長は、女の子を……生存者を追っていった」
「どうして一人だけ戻ってきたの?」
「隊長に戻れって言われたんだ!」
オロールさんの言い方は僕を詰る様で、思わず声を荒げてしまった。オロールさんは「ごめんなさい」と言った。
「私も疲れてるのね。あなたに当たってもしょうがないのに」
「大丈夫? 代わるよ」
「いいの。注射器は扱えないでしょう?」
そう言って微笑んだ。
人と野生生物とが戦い始めて、もう八年になるらしい。らしいと他人事なのは、僕がそれ以前を全く知らないからだ。
僕がこの部隊――対敵性生物国連特派軍第一中隊所属第六小隊――に入ってからだと、もうすぐ丸一年。つまり、そろそろ十六歳だ。大人ぶったって覆し様の無い子供の僕は、当然、正式に入隊している訳じゃない。居候みたいなものだけど、僕は僕の、ある能力を買われて、ここに居る。悪い言い方をすれば、利用されている。でも、行き場を失った僕を拾ってくれて、部隊の一員として扱ってくれていることには、感謝しているんだ。
そう、僕の住んでいた町も、この町と同じ様に、死んでしまった。
もう窓とは呼べない、壁を四角く切り取った穴から見る景色は、惨憺たるものだった。応戦の砲撃に巻き込まれて、砂に崩れ落ちた家々。その瓦礫と山を成す動物の死骸。ジャッカルやワシ、本来大人しいはずの草食動物、さっき僕に襲いかかってきた様な小動物まで様々に、死屍累々だ。あの中にはたぶん、いくらか逃げ遅れた人も混じっているだろう。一晩明けたばかりだと言うのに、日差しと気温のせいか、腐臭が漂い、ハエが集っている。そのハエだって、酷い感染症の媒介だ。僕達は常に最新の予防薬を支給されているけど、果たして完全に対応出来ているかは、解らない。死骸を処分しないのは、動物を警戒させる一種の防壁の役目を果たすからだ、と誰かが言っていたけれど、単純に人手不足が実情だ。
昨晩の戦闘は、本当に酷いものだった。僕らと現地政府軍、それから反政府軍上がりの民兵との、三軍で防衛戦を繰り広げたけれど、指揮系統はバラバラ、政府軍は早々に撤退を決め込み、その後援を任されていた少数かつ装備の不十分な民兵は全滅。結局、僕達だけで町を守っていた。
守れなかったけれど。町も、部隊の仲間も。
「そもそも、十年以上内戦を続けてきた国だ。共通の敵が出来たから、じゃあって、そう簡単に手を取り合える訳がない。仕方がないんだ。どうしようもないモンだ」
隊長は、そう諦めた様子で語ったけど、その顔には当て所ない憤りと悔しさと、悲しみを隠せなかった。
こういう結果になってしまった町、そのいくつもで、僕は何度も生き延びてきた。僕よりもずっと長く最前線で戦ってきた隊長は、もっと沢山の死線をくぐり抜けて、消えた町を見てきたんだろう。
恐ろしいと思う。兵器を駆使してやっと撃退出来る様な動物は、もちろん恐いけれど、それよりも、こうした経験に慣れていってしまう、僕自身が恐い。
いつも、大勢の人間が目の前で死んでいく。見も知らない他人も、部隊の兵士達も。三十人から成るこの部隊で、顔と名前を覚えているのは、ほんの数人だ。いつも、死んでは補填されて、減っては増えている。いつか居なくなる人達を憶えていると辛いから、僕はいつからか、憶えない事にした。
僕の生まれた町が壊れた時、僕の家族や友達が死んでしまった時の、悲しみや憎しみは、どこへ行ってしまったんだろう。まるで、あの瓦礫の中に埋もれてしまった様な、そんな気がする。
ふと、あの少女の姿を思い出した。崩れた土壁の上に佇むあの子を、僕は一目見たその瞬間に、天使だと思った。
あまりに、あまりに綺麗過ぎた。
死んだ町の中で、彼女だけが生きていた。独り、無傷で立つ少女は、世界から一枚上の層に居るみたいに、嘘みたいに見えた。僕の町も、僕が見てきたいくつもの町も、この町も、彼女の遠景でしかなくなっていた。
だから、あの子は本当に、天使なんだと思う。
隊長は彼女に追い付けただろうか。追い付けたとしても、天使に触れることは、出来るのだろうか。
耳の奥の方で、ざわざわと声がした。