表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

終章 燃える多島海

 ハシムは信頼する仲間と共に、最後の準備を整えていた。


 錆の浮いた甲板には、最低限の身の回りの品と、これまでに蓄えたわずかな金を詰め込んだ防水バッグ。そして、黒いゴムボート。

 デッキにはガソリンが詰まった数本のドラム缶が、不気味な鈍色を放って並んでいた。


 生まれ育ったケマル島。潮の香りと、貧しくも誇り高き漁師たちの思いがしみ込んだこの地を、今夜去る。おそらく、二度と踏むことのない土だ。


 夜の帳が降りるのを待ち、ハシムの船は静かに港を滑り出した。明日は新月。月は既に水平線の彼方へ消え、アリエスの多島海は漆黒の闇に包まれていた。

 暗闇の中、船は無灯火でとある島を目指していた。

 ディーゼルエンジンが低いうなりを立てる。


 ハシムはこの船で漁に出た日々を思い出していた。

「最後に積む荷物が、マグロじゃなくドラム缶とは……笑えない冗談だ」

 ハシムは舵を握り、誰に言うともなく呟いた。


 深夜未明、予定の海域に到着した。ここでゴムボートを下ろし、島に向かうことになっている。


 だがその前に、大事な儀式があった。

 ハシムは、カルビンが通信アプリの最後に残した言葉を反芻していた。

「我々は、海賊をとことん追い詰めるのが仕事だ。そいつが生きている限り」

 ——生きている限り、か。


 アラディンは、逮捕作戦の前夜からケマル島周辺に展開していた。


 午前0時。ブリッジ当直はカルビン、CICのレーダー席にブレイン、30mm機関砲の火器管制はバックスが担っていた。当直ではないはずのレイラもブリッジにいた。


「レーダー、感あり。小型船です。方位0-9-0、距離5マイル、10ノットで0-6-0に航行中。予定通りです」ブレインの報告が沈黙を破った。

「よし、追尾する」自ら舵を取るカルビンがスロットルレバーを倒す。アラディンのガスタービンエンジンがうなりを上げ、暗闇の中船体を40ノットまで加速する。航跡が淡く光る。夜光虫だ。


 やがてターゲットまでの距離500mでアラディンは停船した。熱映像カメラの視界に、小さな漁船が映った。甲板上で何か作業をしていると思しき3人の姿が、白い影として映し出された。


 カメラ映像を確認していたブレインが報告した。「ゴムボート、海面に下ろされました」

「よし。デッキの見張り員を中に呼び戻せ」

 カルビンの命令に、レイラは無言で頷き、インカムへ指示を飛ばした。


 その間にも3人の男が乗ったゴムボートはゆっくりと漁船を離れ島に向かっていく。

 ブリッジの皆が無言となった。ディスプレイの明かりだけがブリッジを照らす。


 突然、ゴムボートの上で小さな光が瞬いた。そして次の瞬間、アラディンの船体とブリッジの強化防弾ガラスに衝撃が走り、遅れて激しい銃声が轟いた。

 ーカンッ、カンッ、ダダダダダー

 ハシムの放ったAK47の一連射。7.62mm弾がアラディンの装甲に痕を残す。

 カルビンが叫ぶ。

「不審船より発砲、被弾!直ちに応射せよ!」

  カルビンの叫びに応えたバックスがFCSの暗視カメラとレーザー照準器で狙いをつけ、トリガーを引き絞る。


 船首に搭載された30mm機関砲が火を噴いた。曳光弾がオレンジ色の光を曳きながら、吸い込まれるようにターゲット——漁船の甲板に無造作に積まれたガソリン入りのドラム缶——に命中した。


 ドォォォォォン!

 夜の静寂を引き裂く爆発。闇夜を焦がす巨大な火柱が立ち上がり、海面は真っ赤に染まった。炎は瞬く間に老朽化した船体を呑み込み、ボロボロと崩れながら、多島海の底へとゆっくりと消えていった。


 クルーたちは沈みゆく漁船を無言で見つめていた。


 やがてカルビンが口を開いた。「不審船は炎上、沈没。生存者を認めず」

 ダメ押しのようにバックスが付け加えた。「この状況下で救助は不可能です」

 だが、カルビンの目は確かに、炎に微かに照らされたゴムボートが島へ向かう姿を捉えていた。

「本船はカルバナ基地に帰投する。高速航行準備」


 翌朝、カルビンはパークス長官へ報告を行った。


「不審船より先制攻撃を受け、正当防衛として応射。敵船は爆発沈没し、全員死亡と推定されます」


 アラディンの船体と防弾ガラスに残った生々しい銃弾の痕は、この報告を裏付ける無言の証人だ。この報告を疑う者は誰もいなかった。


「危険な任務、ご苦労だった、ヨーク少佐。これで王国に真の平穏が戻る」

 長官の声には、不都合な真実が全て闇に葬られたことへの、あからさまな安堵が混じっていた。


 数ヶ月後。


 環境改善が進み、元の健やかな海の復活を感じ始めた頃。アラディンは再び医療巡回任務で、名もなき離島の小さな港に停泊していた。


  「お疲れ様でした、船長。皆さん、元気そうで良かったですね」

 医師たちのチームの活動を支援していたケイトが、満足げな表情で戻ってくる。

 出港の汽笛を鳴らし、アラディンがゆっくりと岸壁を離れたその時、一隻のボロい漁船が港に入ってきた。


 すれ違いざま、その漁船の舵を握る男と、カルビンの視線がぶつかった。男は日に焼けた顔に不敵な笑みを浮かべ、無言のまま、力強く右の拳を突き上げた。

 それは、あの嵐の夜に「シーマンシップ」を交わした男の、再生の合図だった。


 カルビンはマイクを取り船内に達した。

「本船はこれよりケマル島に向かう。急患が発生したとの知らせだ」


 ブリッジに心地よい緊張が走る。レイラ、アレックス、ブレイン、バックス。全員がそれぞれの定位置で、誇らしげに顔を上げた。

「アラディン、最大船速55ノット! 救助に向かう!」

【完】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ