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第8章 二つの正義

 米国のジャーナリストが伝えたアリエス連合王国の環境スキャンダルは、国中を揺るがす大事件となった割には、意外なほど短期間で終息した。


 国会での追求に対して、王立製油所は全面的に協力し、求められた情報を供出したのだ。

 海外の専門家も含む第三者委員会が設置され、廃液不法投棄の経緯が明らかにされた。


 それは次のようにして起こった事件だった。


 製油所では、石油精製の過程で酸性の廃液が発生していた。廃液は所内の処理施設で中和処理され、毒性が弱まったところでタンカーで沖合に海洋投棄されていた。

 廃棄ポイントは長年の海洋観測の結果とコンピュータシミュレーションに基づいて選定され、投棄された処理済み廃液は、海流に乗って外洋に拡散するはずだった。


 事実、3年前まではすべてが順調だった。


 ところが3年前、製油所内の廃液処理施設から悪臭が発生するようになった。長年使用された設備の劣化が原因だった。


 製油所幹部は正しい選択ができなかった。確固たる悪意ではないにしろ、中和処理を省略することを選んでしまった。

 彼らにも良心はあった。たとえ酸性廃液をそのまま海洋投棄したとしても、海流によって外洋に流出してしまえば十分に希釈され、環境への影響は無視できるはずだった。


 廃液の処理方法を密かに変更したことは、秘書室を通じてオーナーのザイド殿下にも伝えられていた。

 ザイド殿下は、環境への影響が出ないことを何度も念押しした末、黙認することとした。


 それから1年は問題は起きなかった。


 だが、気候変動、温暖化の影響がアリエスにもじわじわと押し寄せていた。そして2年前、海水の温度差がしきい値を超えたことで海流が大きく変動したのだ。


 それまで外洋に向かっていた海流が大きく蛇行し、本流から切り離された形の支流がぐるりと回って沿岸に舞い戻るようになった。支流に巻き込まれる形になったのがカシュー堆だった。


 投棄された有毒な廃液は拡散せずに滞留し、カシュー堆の豊かな漁場を蝕み始めた。


 最初に気がついたのは漁民たちだった。そして、廃液の投棄に従事するタンカーのクルーたちも、程なくこのことに気がついた。投棄海域に微かな異臭が残っているのだ。そして、今まで目にすることがなかった、陸地から流れ出したペットボトルなどのゴミが、海のそこかしこに固まって浮いていたのだ。カシュー堆は廃液の溜まり場だったのだ。


 製油所は二度目の判断ミスをした。事件のもみ消しを図ったのだ。秘書室幹部が主導し、コーストガードの上層部にそれとなく口止めをかける。そして、海洋投棄の現場からコーストガードの目を遠ざけるため、その海域を担当するアラディンを、ことあるごとに製油所が協賛するイベントに引っ張り出して引き剥がしたのだ。ザイド殿下の名を使えば、こともないことだった。だが、イベントの裏に隠された真意は殿下には伝えられなかった。


 三度目の判断。今度は正しい判断が下された。ザイド殿下は、自身の名が隠蔽工作に利用されていたことを知ると、潔く全責任を認めた。全ての保有株式を売却して巨額の補償基金を設立し、環境アセスメントの再実施を命じた。


 国会での決議もなされ、漁民たちへの損害賠償と生活保障、島のインフラ整備のための投資などが始まった。

 

 スキャンダルの一端を担った船であり、ザイド殿下の肝いりでもあったこと、そしてあらゆる意味で有名になりすぎたアラディンは、失墜したコーストガードの権威を取り戻すための「ホワイトな任務」が与えられた。離島を巡る巡回医療チームの足となることだ。


 アラディンは、医師、看護師、薬剤師からなる5名の巡回医療チームを乗せて離島をめぐる任務についていた。白亜の双胴船は、今や冷徹なハンターではなく、慈悲を運ぶ天使として島々を巡った。


 今回の任務では、3日間で七つの島を巡回した。幸い、急病人が発生することもなく、医師たちは慢性病の患者の経過を観察し、次の巡回までの医薬品を処方した。


 任務を終え、カルバナ基地に戻った夕暮れ時。

 ブリッジにいたカルビンのスマートフォンが震えた。VHF無線でも、衛星電話でもなく、携帯電話に直接着信した。彼が帰投したことを知っている人物からに違いない。


「はい、こちらPS021、アラディン船長、ヨークです」

「パークスだ」

 発信者はコーストガードの頂点、ルーク・パークス長官。

「は、長官」意外な人物からの電話に思わず緊張する。

「活躍は聞いているぞ、ヨーク少佐」

「……少佐、ですか?」

「昇進だ。君の功績は王国も認めている。正式には明日発表される。おめでとう、少佐」

「光栄です。それで、任務が変わったりするのでしょうか」

「ああ、心配ない。引き続きアラディンを指揮してもらうよ」

 安心するカルビン。しかし、次の言葉は衝撃だった。

「だが、その前に片付けるべき仕事がある」

 長官の声から温度が消えた。

「海賊ハシムを逮捕しろ。彼を英雄視する動きがあるが、法の下では犯罪者は犯罪者でしかない。法という正義の下、海賊が英雄であってはならん。わかるな」


 腹に重い岩塊をねじ込まれたような感覚だった。

「了解しました。作戦をうかがってよろしいですか」

「逮捕作戦は4日後、新月の夜の未明。コーストガードと海軍の共同作戦だ。詳細は追って伝える」

「は。速やかに準備にかかります」

「正義を執行しろ、少佐」

 電話が切れた。


 王国とザイド殿下、王立製油所は法に従い正しいが苦しい選択をした。ならばこそ、海賊という犯罪者であるハシムを捕らえて裁きにかけなければならない。きわめて明瞭な論理だった。


 カルビンは深いため息をついた。肩章の金線は思った以上に重いようだ。

 自分は、王国の海の安全と秩序を守るためにコーストガードに入隊した。その時、国家と法への忠誠を宣誓した。そして、海賊を取り締まり、遭難者を救助した。


 だが。

 この豊かな海を生き返らせようとしたのは誰だろう。一人の怪我人の命を救うため、わが身を官憲に晒したのは誰だろう。

「どうやら正義は一つじゃないようだな」

 カルビンはつぶやくと、ブリッジを出て居住区に向かった。


  食堂にはレイラが残っていた。

「船長、聞きました。昇進おめでとうございます」

「ああ、ありがとう。君らのおかげだ」


 レイラは、カルビンの様子がおかしいことに気が付いた。

「それにしては、浮かない様子です、船長」


 カルビンの脳内で様々な思惑が浮かび、結論を出した。レイラは理解してくれるだろう。

「ハシムの逮捕命令が出た。ハシムは王国にとって不都合な人物ということだ」

 レイラは少し驚きながらも、極力感情を押し殺した声で答えた。

「それは、海賊行為は犯罪ですから」

 ただ、歯切れは悪い。そこにカルビンが問いを投げかけた。

「彼のやったことは正義か?」


 レイラは一瞬戸惑った。コーストガード中尉としての正解はわかっている。だがそれが漁村出身のレイラ・スコールにとっての正解かはわからなかった。

「我々は法の執行者です。海賊は生きて裁きを受けるべき存在です」

 カルビンは、ハッと何かに気が付いたようだった。

「そうだ。我々は海賊を追い詰める。奴が生きている限り」


 レイラはすべてを察したようだった。そして、カルビンにヒントを与えた。

「あの女性ジャーナリストは、もしかするとハシムと連絡を取っていたかもしれませんね」

「そうか、ありがとう」


 カルビンは食堂を後にすると自室に入り、スマートフォンを取り出した。

 ジャーナリストにとって取材源の秘匿は絶対の原則だ。はたしてエミリーがハシムを知っていたとして、コーストガード少佐である自分に彼の連絡先を教えるだろうか。大きな賭けだった。


 取材の際に教えてもらったIDに、メッセージを送る。米国東部はまだ午前中のはずだ。


「エミリー・カーター殿、以前取材を受けた、アリエス連合王国コーストガード巡視船アラディン船長のカルビン・ヨークです。少々、知らせたいことがあり、よろしいでしょうか」


 その直後、カルビンのスマートフォンが鳴動した。エミリーからだった。ジャーナリストの嗅覚とはいえ素早い反応だ。

「ヨーク船長、急にどんなお話でしょうか」


 カルビンは近況を簡単に話した後、その後のアラディンの活躍のエピソードがあるといって話し始めた。


「ある嵐の日、離島で重傷の怪我人が発生した・・・」

 嵐の中、巧みな判断と操船技術で島民の命を救った名もなき漁船の船長のエピソードは、アラディン後日談として一般受けしそうなネタではあった。

 だが、それだけのために連絡してくるほどのものかと、エミリーは訝しげに思った。


 続く一言が会話の流れを一気に変えた。

「君はきっとハシムを知っているだろう。オフレコだが、ハシムは逮捕される」

 なぜそれを知っている?いや、はったりかもしれない。


「何故かと思うかい?ハシムは海賊だ。犯罪者だ。我々コーストガードは法と秩序の番人だ。犯罪者は捕らえて裁きにかけねばならない」

 そこでカルビンはわざとらしく咳払いした。

「それは、さっきの勇敢な船長のような、真の船乗りを生かすためだ」


 エミリーはそのメッセージに込められた意味を理解した。

「ちょっとお待ちください。急用を思い出しました。後でかけなおします」

 そう言って電話を切ると、秘匿性の高いメッセージアプリを起動し、あるIDにメッセージを送った。


 10分もしないうちに、カルビンのスマートフォンにメッセージが着信した。

 指定された時間帯だけつながる、秘匿通信アプリのアクセスコードだった。


 回線を繋ぐと、波の音に混じって、聞き覚えのある豪放な声が響いた。

「あんたがあの足の速い船の船長か」

「ああ、アラディン船長、ヨークだ」

「念のため確認させてもらう。嵐の日には何をする?」

 カルビンは、あの日のことを思い出していた。

「島の影に隠れる」

「よし」

「こちらからも確認させてもらう。隠れた後は何をする?」

「足の速い嬢ちゃんの股座に頭を突っ込むさ」

 船乗りらしい下品で勇敢な合言葉。間違いなくハシムだ。


 そして、カルビンはハシムに逮捕命令のことと、ある提案を伝えた。


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