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第7章 シーマンシップ

 米国の通信社GPNから配信されたニュースは、アリエスの政治中枢を根底から揺さぶった。海洋汚染の直撃を受けていた水産業コングロマリットを後ろ盾とする現フラッグマン、レザ陛下に連なる議員たちは、即座に猛烈な攻勢を開始した。連日、疑惑の核心が報道され、国民の怒りは沸点に達していた。


 結果として不正の隠蔽に利用される形となったアラディンだったが、コーストガード上層部からの処分はなかった。上層部自体が、保身と政治的火消しに奔走し、一介の巡視船に構っている余裕がなかったというのが実情だ。


 アラディンはいつもと変わらぬ哨戒任務についていた。


 昨日から低気圧が発達し、海上は大荒れになっていた。海況マップは大部分が黄色で、次第に赤色の領域が広がっている。


 アラディンのブリッジを支配していたのは、外の天気のような鉛色の沈黙だった。

「我々の燃料が、海洋汚染と引き換えだったなんて……到底、呑み込めません」

 ブリッジで当直についていた副長のレイラが、交替に上がってきたカルビンに苦い溜息を吐き出した。

「その燃料で海賊を追い回していたら、彼らが汚染の告発者だった。船長、私たちは一体何を信じて舵を取ればいいんですか?」


 同じくブリッジで機関モニターを見つめていたアレックスが、珍しく真剣な口調で口を挟んだ。

「……だが、海賊に襲われて人生を狂わされた連中だっている。奴らが正義の味方だとは、俺には思えない」


「そうだ」カルビンが続けた。「我々は法の執行者だ。どんな理由があろうと、海賊行為は許されない。」


 そう言いながらもカルビンは、アラディンの初陣で検挙した海賊、いや漁師たちの無学さを思い出し、彼らは果たして真っ当な方法で海洋汚染を告発できたのあろうかと疑問を感じた。


 その時、CICから緊急通信が入り、重苦しい空気が霧散した。

「船長、運用局から緊急の指令です」

「つなげ」


 運用局からの通信がCICの大型ディスプレイに表示される。あいにく、ビデオ通話ではなく音声のみの通話と、文字情報だ。


「こちらPS021アラディン、船長です」

 すかさず運用局のオペレータから指令が伝達される。


 ケマル島で重症の火傷患者が発生した。事故は凄惨だった。嵐で切断された高圧電線を修理しようとした島民が感電。電流は右手から胴体、下半身を貫通し、広範囲に及ぶ重度の電撃傷を負っていた。体内組織の損傷が激しく、容態は刻一刻と悪化しているという。

 あいにくの嵐でヘリは飛べない。カウアン島のときと違ってケマル島には医療施設がない。医師のチームが定期的に巡回しているだけだ。一刻も早く高度医療機関で治療する必要がある。


「了解。直ちにケマル島に患者収容のため急行します」

 カルビンの決断は速かった。政治の泥沼がどうあろうと、目の前の命を救うことこそが巡視船の存在意義だ。


 ブリッジとCICに緊張感が走った。今回も時間との競争だ。

 カルビンがマイクを取った。

「本船はこれより急患収容のためケマル島に急行する。総員配置につけ!」

 その間に航路算定を終えたレイラから続く指示が出された。

「速度55ノット、方位そのまま!」


 ガスタービンの咆哮がブリッジの床を震わせ、アラディンは荒れ狂う海へとその船首を突き出した。


 ケイトは揺れる船内で輸液セットと酸素ボンベを固定し、バックスはボート甲板での収容手順を反芻する。ブレインは海況マップとレーダーを交互に監視し、迫る「赤色の領域」を読み取っていた。

 コンソールでガスタービンエンジンを監視していたアレックスが声を上げた。

「エンジン回転数、温度とも異常なし。まだまだいけます!」


 プロフェッショナルの集団であるアラディンのクルーたちは、それぞれの任務を黙々とこなしていく。

 

 数十分にわたる緊張の航海の末、アラディンはケマル島の沖合まで近づいた。無線でケマルの市民センターを呼び出す。警察も消防署もないこの島で唯一、役人が常駐している役所だ。


「コーストガードか、こちらケマル島市民センター。救援感謝する。早速だが、悪い知らせだ。先ほど強風で桟橋が破損した。巡視船は港につけない」


 舵をレイラに代わって、カルビンが通信を引き受ける。

「こちらコーストガードPS021アラディン。桟橋の状況理解した。ゴムボートでの収容は可能か?」

「無理だ。患者は骨折も併発している。ボートの不規則な揺れには耐えられないだろう」

 絶体絶命の沈黙が無線機から流れる。


「だが……船は出せる。島一番の漁師が引き受けてくれた。小型船だが、腕は確かだ」

「了解。小型船だな。接舷して患者を収容する。その漁船の無線の周波数を教えてくれ」


 カルビンは無線の周波数を書き留めると、バックスに命じた。

「船尾からの移送に備えろ」


 しばらくすると市民センターから再び無線が入った。

「こちらケマル島、今、患者を乗せた漁船が出た」

「了解。船尾側から接近するよう伝えてくれ」


 船尾で見張りについていた警備救難隊員のソレイユから報告が入った。

「漁船、後方から接近」

「よし、操舵はオーリンに任せる。手の空いたものは船尾デッキへ」


 船尾デッキは吹きさらしで強風を受けていた。風上に向かって微速前進するように、オーリンが舵を調整している。


 近づいてきた漁船を見て、カルビンは我が目を疑った。

 白波の向こうから、波濤を乗り越えて突き進んでくる黒い船体。それは、つい先日、アラディンが追跡し、ドローンをロストさせられた「海賊船」そのものだった。


 バックスがカルビンの傍らに寄り、腰の拳銃に手をかけた。「船長、念のため……」

「いや、銃は不要だ」カルビンは制止した。「今は患者の収容を優先する」


 船はゆっくりと近づいてきた。カルビンはインカムを通じて指定された周波数で漁船に呼びかけた。

「こちらコーストガードPS021アラディン、私は船長のヨークだ」

 すかさず漁船から応答があった。

「俺はケマルの漁師だ。ハシムと呼んでくれ」

「OK、ハシム。こちらカルビン・ヨーク大尉、カルビンと呼んでくれ」


 初めて聞く名前だったが、おそらく彼が海賊の頭領だろう。落ち着いた威厳のある声だった。

「ハシム、後方から接近して、二つの船体の間に船首を割り込ませられるか?」

「……波と風が強すぎるな。3時の方向に進め。島影になる避泊地がある。そこでなら可能だ」

 島の海と気象を知り尽くした漁民ならではの知恵だ。


「了解。そこへ向かう。オーリン、方位0-9-0、半マイル前進」

 アラディンは海賊船を従えるように、避泊地を目指した。


 ふと風が弱まった。波も周囲と比較して明らかに低い。うねりがお互いに干渉して打ち消し合う地点らしい。

「アラディン、停船。定点保持ステイ!」


 ハシムの操船技術は神業だった。荒れる海面で、彼は漁船の舳先をアラディンの双胴船体の間、数メートルの隙間へと寸分の狂いなく滑り込ませた。双胴の間に、バックスが用意したケーブルが張られ、担架を固定するハーネスが取り付けられていた。


 漁船の舳先に立った男二人が、担架を運んできた。ハーネスを担架に取り付け、手を振って合図する。その間も、ハシムの巧みな操船で漁船は位置を保った。


「収容します」

 バックスがリモコンを操作すると、ハーネスに繋がったケーブルが巻き取られ担架が浮き上がった。


 ケーブルを引き、担架を引き寄せ、船尾甲板に収容した。担架に横たわった男性が呻いた。

「収容完了」バックスから報告があがる。


 その報告と同時に、ハシムの漁船は速やかに後退し、距離を取った。


 カルビンは船尾デッキから遠ざかる漁船を見つめた。

 漁船の舵を握るハシムが、ゆっくりと力強く、握り拳を空へ突き上げた。


 それは、法を守る者と、法を越えて海に生きる者との間に通った、熱い火花のような一瞬だった。

 カルビンは直立不動の姿勢を取り、離れゆく漁師へ向けて、最大限の敬意を込めた敬礼を返した。


 一人の島民の命を救うため、つい先日自分たちを追ってきた巡視船とあえて接触する。

 クルーたちは、ハシムと彼の仲間の矜持に圧倒される思いを感じた。


「……ケイト、容態はどうだ」

「点滴開始。バイタルは不安定ですが、持ち堪えています。船長、急ぎましょう!」

 アラディンの俊足が今こそ生かされるときだ。


 ブリッジに戻ったカルビンが発令した。

「アラディン、これより基地へ帰投する。速度55ノット! 逃げ切るぞ!」

 暗雲を突き破るようなエンジンの咆哮とともに、アラディンは再び海を翔けた。


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