第4章 荒天の救命劇
2027年10月28日、カルバナ基地。
南方から、巨大な大気の渦が王国を狙っていた。台風11号。中心気圧960ヘクトパスカル。発達しながら北北西へ時速40キロで進行中。
一部の大型巡視船だけが哨戒に出動し、アラディンは他の船と同様に基地での待機指令を受けた。母港カルバナ基地の岸壁に接舷した船内でクルーは待機している。
数年前、医療支援任務の帰路に暴風につかまり、多くの殉職者を出した巡視船PS008の悲劇は、王国の海事関係者の記憶に深く刻まれている。その教訓から導入されたのが、米国のAI企業データフォレスト社が開発したAI海況マッピングシステム「ポセイドン・アイ」だった。
AIアルゴリズムは、船舶の対波浪性能、クルーの練度、台風の進路、風速などをリアルタイムで演算し、海図を三色に染め上げる。緑は安全、黄色は船長と運用局長の合意を要する慎重区域、そして赤は危険区域。
基地の大型モニターでは、外洋哨戒用の3000トン級巡視船PS004の周囲でさえ、赤色の領域が急速に拡大しつつあった。
アラディンの居住区では、先日検挙した海賊、いや漁民たちの処遇が話題になっていた。
「結局、罰金で済まされたのよ」副長のレイラが切り出した。
「停船命令違反、銃器の無断移動。大した罪じゃないわ」
アリエス連合王国では、民間人による銃器の所持は禁止されていない。離島の無法地帯において自衛のために銃器を所持することは必然だったのだ。
そして皮肉なことに、彼らは銃器の所持の理由を、「海賊から自衛するため」と主張したのだ。
海に落ちた少年は、レイラの尽力によって児童保護局の一時保護施設へと移されていた。
「同じ泥水をすすって育った者への、せめてもの情けよ」
レイラは、生活保護の申請書類を綴じながら、自分に言い聞かせるように呟いた。
1400、緊急事態発生。
沖合のカウアン島。建設現場で、台風に備えた養生作業中に作業員が足場から転落。腹部に剥き出しの鉄筋が貫通。骨盤骨折、内臓損傷、そして危機的な出血。
島の診療所の僅かな血液在庫はすでに使い切ってしまった。血圧が低下し、やむを得ず生理食塩水を輸液したことで凝固異常を引き起こし、危険な状態に陥った。要請は「O型全血と血小板製剤」の緊急輸送。
「どの船も動けんのか!」
オサマ運用局長が怒号を飛ばす。あいにくの荒天でヘリコプターは飛行できない。船だけが頼りだったが、AIの予測図では、どの大型船を派遣しても、血液を運んで戻る頃には復路が「深紅」に染まっていた。
だが、オサマ局長にはひらめくものがあった。
「アラディンの予測はどうだ」
オサマの鋭い指摘に、運用局スタッフが計算結果を更新する。
「往路は黄色……復路は、離脱が15分遅れれば完全に赤です!」
アラディンの55ノットという圧倒的な機動力だけが、台風という巨大なパワーからすり抜ける唯一の可能性を示していた。
「よし。アラディンにつなげ」
オサマ運用局長は無線を取るとアラディンのブリッジを呼び出した。
カルビンは、荒天下、黄色領域への出動の判断を一瞬たりとも迷わなかった。
「アラディン、出動します。血液パックを埠頭へ!」
1445時、外洋。
アラディンは怒涛の海へと躍り出た。次第に分厚くなる雲が陽光を遮り、波が高くなる。やがて雨と風も強まり、速度を落とさざるを得なくなった。激しいピッチングに揺さぶられながらも、カルビンは操舵輪を握り締め、カウアン島へ急いだ。
カウアン島に到着したころには既に高波が堤防を越えるほどになり、お世辞にも立派とは言えない港には接岸が困難な状況であった。
だが、アラディンには奥の手があった。
「ブレイン、この風の中で飛行可能か」
カルビンはドローンで血液を届けるつもりだった。
「もちろん。デリバリーはオンタイムが信条です」
通信長ブレインは、不敵な笑みを浮かべた。
ケイトたちが血液製剤の入った保冷バッグを農業用大型ドローン「スパイダー2」のペイロードフックに装着する。パラシュート投下にも耐える衝撃吸収材で保護された特製バッグだ。
「血液バッグ、装着完了!」
アラディンは港外500メートル、風上に船首を向け、荒れ狂う波の中で一点に留まる。
3人かがりで船尾甲板にドローンを運び出し放出した。コントローラーを握るのはブレインだ。
暴風の中、ドローンは霧雨の向こうへ消え、数分後、無線の向こうから救急隊員の声が響いた。
「受領完了! 破損なし! 感謝する!」
船内にちょっとした歓声が上がった。カルビンが気を引き締めるように指示を出す。
「まだだ。ドローンを回収し、直ちに離脱、帰投する」
ドローンの回収は難航を極めた。風に流され何度もアラディンの上空を行ったり来たりした挙句、広げた回収用ネットに飛び込むようにして回収に成功した。
「よし、直ちに離脱する」カルビンの命令でアラディンが動き出す。大出力のガスタービンエンジンが轟音をたて、ウォータージェット推進器が海水を吹き出す。アラディンは蹴飛ばされたように動き出した。
その時、CICでAI海況マップを確認していた通信科員から報告が入った。
「船長、台風が速度を上げています。時速70キロで接近中。マップ、赤になりました」
ブリッジに緊張が走る。だが、カルビンは冷静だった。
「速度40ノットを維持。進路そのまま。逃げ切るぞ」
強くなった雨がブリッジの窓をたたく。通常の55ノット航行よりも揺れが激しい。波にぶつかるたびに突き上げられるような衝撃を受け、クルーの身体にシートベルトが食い込む。カルビンは波の位相を読み、風の音を聞き、波の壁を縫うように絶妙な進路変更を繰り返す。
手に汗握る死闘が30分続いた頃、モニター上のマップが黄色に変わった。まだ安心はできないが、台風を振り切ったのだ。
横風が弱まり、波の向こうが見通せるようになった。
カルビンが再び命令を発した。
「速度制限解除、55ノットへ。さあ、帰還だ」
機関長のアレックスがレバーを引いた。
「イエッサー、アラディン、速度55ノットで前進!」
数時間後、カルバナ基地。
基地に帰投し報告を終えたカルビンに、一通のメールが届いた。
先日上申した、カシュー堆付近の海洋汚染に関する報告と調査依頼に対する警備局長からの回答だった。
「調査の必要なし。個別の漁業者の不漁を気にするのは、コーストガードの職務ではない」
官僚的な拒絶。そして、あまりにも露骨な無視。
カルビンは、不自然さを感じたが、続いて入った連絡がその懸念を吹き飛ばした。
「明朝、海賊対処緊急会議を開催する。この数週間、これまでとは明らかに異なる動きをする海賊が出没している」




