序章 南洋の超特急
アリエス連合王国標準時、早朝0520。
まだ夜の明けきらない多島海を、巡視船PS021アラディンは低速で哨戒航行を続けていた。白を基調にブルーのラインが入った、一目でコーストガードと分かるシャープな双胴船体が、海面を滑らかに切り進む。風もなく穏やかな海上では、南国の平穏な一日が始まろうとしているかに思えた。
静寂を破ったのはブリッジ後方に位置するCIC(指揮情報センター)からの知らせだった。通信当直の報告がスピーカーを通じてブリッジに響く。
「当海域で操業中の漁船より緊急入電。『我ら、海賊と思われる不審船に追跡を受けている。直ちに救援求む』漁船の位置、方位2-7-0、距離10マイル」
ブリッジ当直であった船長のカルビン・ヨーク大尉がシートから立ち上がり、そのはずみでずれた制帽を直してマイクを握りしめた。彼の鋭い視線が、ブリッジの防弾ガラスを通して、まだ暗い水平線の先を見据える。
船内に総員配置を告げるサイレンが鳴り響く。
「こちら船長。総員哨戒配置に付け。本船はこれより海賊に追われる漁船の救援に向かう。高速航行に備え!」
再びサイレンが鳴り響き、ブリッジ要員が着席してシートベルトを着用する。副長のレイラ・スコール中尉が冷静な声で各部署に命令を伝達する。
自らが舵を握りながら、クルーが配置についたことを確認したカルビンが改めて命令する。
「機関、全速」
機関長のアレックスがパワーレバーをMAXに倒した。二基のガスタービンエンジンからジェット機のような高周波の轟音が響き、ウォータージェット推進器が海水を噴射し船体が振動する。海面をのんびり漂っていたカモメの群れが驚いたように飛び立った。
「トリム、アップ」
強い加速Gがかかり、アラディンは双胴の舳先をわずかに持ち上げながら海面を切り裂いて進み始めた。たちまち、トップスピードに達した。レイラが告げる。「速度55ノット、被救助船まで距離10マイル、到着予定時刻(ETA)は12分後です」
55ノット、時速約100キロ。この圧倒的な速度こそがアラディンの存在意義だった。
速さは力、速さは正義。
漁船の船長は、大事な商売道具である漁具を切り離し、獲物を捨てて最大速度で不審船からの逃走を試みていた。黒く塗装された不審船は闇に紛れて背後から忍び寄ってきた。略奪を目的とする海賊であることは明白だった。
「助けが来るまであとどれくらいだ」船長が呻く。先ほど無線で救助を要請したが、あの距離では到着まで30分はかかるはずだった。海賊が甲板を制圧し、金品を奪って逃走するには十分すぎる時間だ。船を奪われ、命までも失うのか。くそ、あと20分も逃げ切れるわけがない……。
「船長、あれを!」
甲板員が指さす先、昇りつつある朝日を背景に、純白の船体が小さく見えた。
同時に、ジェット機のような轟音が大気を震わせ、凄まじい勢いで近づいてくる。双胴巡視船のシルエットは瞬く間に大きくなり、信じられない速度で接近してきた。
「なんだ、ありゃ、本当に船か?」
漁船の船長は思わず声を上げた。30分はかかると予想された救援が、半分以下の時間で眼前に現れたのだ。その圧倒的な速力は、海賊船が最も恐れる法執行の権威そのものだった。
その時、海賊船の船長もまた、眼の前に突如現れた高速巡視船に色を失っていた。
「くそっ、コーストガードか! 逃げろ、面舵いっぱい!」
しかし、時すでに遅し。アラディンは速度を維持したまま海賊船を追い抜く。55ノットが引き起こす引き波で海賊船が大きく揺さぶられた。そして追い抜いた先で、500トンクラスの船としてはあり得ない動きで回頭した。巡視船から2機の無人ドローンが放たれ、甲板上の30mm機関砲がぐるりと回転し海賊船に狙いを定めた。
もはや、海賊に逃げ場はない。




