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訃報

湾口都市キュールの王室公館は都市を一望する小高い丘の上に建てられた煉瓦造りの重厚な建物だった。

王都の宮殿ほどの威圧感はないがそれが誰が為の場所なのかは誤解のしようがなかった。


教会暦705年8月9日、午後三時過ぎ。

公館の執務室に王都から数日遅れで、一本の機密書簡が届けられた。


封蝋は王室のものだった。


それだけで、内容はほぼ分かる。


王国第二王女にして国王の末子、マリアは机の上の書類を脇に寄せ、書簡を受け取った。手は震えなかった。震える必要がないと、彼女自身が知っていたからだ。


簡潔な文面だった。


8月5日、第三十一代国王アントン、急逝。

死因の詳細は追って通達する。

国王の死に関する正式発表はまだ行われていない。


それだけ。もちろん、王室特有の修辞技法が用いていたものの、内容としてはそれだけだった。


マリアは書簡を読み終えると、静かに再度書簡を閉じた。


――来たか。


それが、最初の思考だった。


父の死を悼むよりも先に、頭に浮かんだのは盤面だった。


王都。王族。元老院。独立派勢力。近衛軍。地方軍。外国公館。


それらが今、どの順で、どの速さで動き始めるか。


王位は、おそらく長兄フリドリに渡る。


順当だ。形式としても、血筋としても。


だが、マリアはそこで思考を止めなかった。


この国において、”順当”は安定を意味しない。


それは歴史が証明している。


代替わりのたびに起きた争乱は、悲劇としてではなく、数多ある事例の一つとして記録されてきた。


内乱、粛清、クーデター、外国の干渉等々。

それはもう、何某かが王国に呪いをかけたのではないかと疑いたくなるほどに毎度のごとく起こっていた。


それらが王位継承に必要な手順かと錯覚するほどに。


外国も当然それを知っている。


王国の王位継承は、彼らにとって常に”不確定要素”だ。


マリアは椅子に深く腰を下ろした。


自分のカードを数え直す。


自分は国王名代だ。

とはいえ、形式的なものにすぎない。権限も限定的だ。

本来は、外交儀礼と象徴的な役割を果たすだけの地位だった。


何より、父は死んだ。国王が任命した国王名代を果たして元老院や王太子の独断で解任できるだろうか。

法的には可能だろう。

だが、それは常に火種になりうる。

そもそも、この地位が脅威たり得るほどの権限を、私は持っていない。

となれば、当然控えるはずだ。少なくとも次代の即位まではこの地位はそのままだろう。


だが今、自分は湾口都市キュールにいる。

王国最大の交易拠点。

海軍最大の根拠地。

外国領事と大商人が集まり、情報と貨幣が交差する場所。


王都は混乱に見舞われる。それは確率的事象ではなく、確実な前提だ。


マリアは立ち上がり、窓の外を見た。港はいつも通りに見える。木造帆船は出入りし、人々は働いている。


だが、情報が一度流れれば、この”いつも通り”は脆く崩れる。


問題は、いつ、誰が、最初に動くか。


マリアは机に戻り、思考を巡らせる。


兄が順当に即位する可能性。

他王族乃至貴族共が兄の即位を認めす内戦に発展する可能性。

元老院が主導権を握ろうとする可能性。

軍の統制が乱れる可能性。

地方が独自判断を始める可能性。

外国が”自国民保護”を名目に介入する可能性。


どれも、現実的だった。


マリアは思考を変える。


自分が何者かを、改めて定義する必要がある。


王位を望んでいるわけではない。


兄上から実権を奪うつもりもない。


では、秩序が崩れるのを座して傍観するか?


それは青き血を持つ者としてふさわしくない。

高貴なる者に生まれたという事実は、特権ではなく義務だ。

逃げる自由など、最初から与えられていないし、それはマリアの美学に反していた。

マリアは義務を放棄する輩がその地位を問わず何よりも嫌いだった。

そしてマリアにとって評価対象から自身を除くことなど愚の骨頂だ。


国王名代。


形式的な肩書きだが、形式は時に武器になる。


少なくとも私は書類の上では国王名代であり、それはいまだに有効であると。


彼女は静かに決めた。


マリアは扉の外に控える秘書官を呼んだ。


「今から、いくつか指示を出します」


声は落ち着いていた。


この時点で、彼女はまだ何も起こしていない。


ただ、盤面に駒を並べ始めた、何が起こってもいいように。

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