酔っ払ったハリモトさんに気をつけろが合い言葉
入社後はじめての飲み会──
僕は強いところを見せようと張り切っていた。大学時代にゼミの飲み会で鍛えてるから──
会場の和食屋さんに着く直前になって、先輩社員のみんなが合い言葉のように言葉を交わしはじめるのが気になった。
「酔っ払ったハリモトさんに気をつけろ」
先輩の一人が、僕にもそれを言ってきた。
「酔っ払ったハリモトさんには気をつけろよ?」
気をつけろと言いながらみんな、なんだか楽しそうな顔している。
針本さんのほうを思わず僕は振り返った。
四つ上の先輩、針本結菜さんは、美人だ。
仕事のデキるひとなのに、目つきが色っぽい。
もしかして、醉うとキス魔に変身するとかなんだろうか?
まぁ、僕は彼女と挨拶以上の言葉を交わしたことがない。期待しても無駄だろうと思っていると──
「新人くん、飲んでる?」
隣に来て、話しかけられた!
しかも酔っ払ってる!
頬が紅くなってて、いつもの目つきがさらに色っぽくなっちゃってる。声に妖しい調子がこもってる。
酔っ払ったハリモトさんだ。気をつけないと! でも何に気をつければいいんだ?
何も対策できず、僕がただテレテレとなっていると、耳許で彼女が囁いた。
「ふふ……。落としたわよ?」
ちりんと季節外れの風鈴が鳴った。
僕の前にはビールが置いてあったはずなのに、いつの間にかそれはサイダーに変わっていた。
周りは真っ暗で、でも球体のような光の中に僕はいた。夏休みの、田舎のおばあちゃんの家だった。
おばあちゃんの背中が僕の大好きなカレーを作ってくれている。
僕は子どもだった。
カブトムシのおもちゃを動かしながら、サイダーを飲みながら、おばあちゃんのカレーを待っていた。懐かしい匂いが鼻をくすぐる。
涙が頬を伝った。
「あーあ。ハリモトさんに拾われちまったか?」
先輩の声で我に返る。
「ハリモトさんは酔っ払うと、見えないものを拾ってきちまうんだ。だから気をつけろって言ったんだが……でも、いい気持ちになっただろ?」
テーブルの上のビールが、とても苦いものに見えた。
僕はいつの間に、こんなに大人になってしまったんだろう。
僕にはわかった、針本さんが拾ったのは、僕の、失くした心だった。
「これでしばらく、仕事のデキないダメ人間になっちゃうね」
先輩はそう言ってからかうけど、悪い気持ちじゃなかった。
針本さんのほうを見ると、一人でビールを飲んでいる。誰もが彼女を好きなはずなのに、避けていた。
僕は彼女の隣に、子どものように座った。




