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バレンタイン生まれの憂鬱

作者: ほりとくち

 別に、バレンタインが嫌いなわけじゃない。

 チョコレートは大好きだし、色とりどりのかわいいチョコレートのパッケージを見ていると心が躍る。

 何なら、すぐに手に取ってレジに並んじゃうくらい。

 私はただ、そんなバレンタインに浮わついている人たちを眺めていると、うすら寒い気分になるだけ。


 ガタン、とバスが音を立てて揺れる。

 学校近くのこの道には、車酔いを誘発するガタガタ道があるのだ。

 私はぼうっと視線を遠くに向け、名前も知らない山の緑を眺める。

 車酔いを避けるには、遠くの緑色のものを見ればいいなんて誰かが言っていたけど、根拠はあるのだろうか?

 疑わしく思いながらも、それに縋るしかないなんて情けない話だ。


 決死の思いで車酔いに耐え抜き、ようやく学校近くのバス停に停車した。

 一刻も早くバスを降りたいから、いつも出口付近の席を確保している。

 始発のバス停が最寄り駅だから席は選び放題なのだが、その分1時間近くバスに揺られなくちゃならないから毎朝の通学は憂鬱だ。



「おはよ!」



 バスを降りて一息ついていると、ふいに背中を叩かれた。

 苦情の気持ちを込めて振り返ると、呑気な顔をした夕夏(ゆうか)が肩を寄せてくる。



「ちょっと、やめてよ」


「いいじゃん。バス降りると寒いんだもん」



 はっきりと拒否しても、さらりと流されてしまう。

 私は白い息を吐きながら「もう」と拗ねたような声を漏らした。



「どしたの?機嫌悪いじゃん」


「別に、ちょっと酔っただけ」


「あのガタガタ道、舗装しなおしてほしいよねぇ」



 並んで歩く夕夏の鞄から、青いリボンがのぞいている。

 私の視線に気づいたのか、夕夏が「やば、はみだしてた!」なんて言いながらリボンを鞄に押し込んだ。



「誰にあげるの?」



 平静を装って訊ねると、夕夏は「ないしょ」とはにかんだように笑った。

 どうやら本命チョコらしい。

 冷え切った心を隠すように、私は無理に笑って「頑張りなよ」と夕夏の脇腹を小突いた。

 キラキラと輝くような笑みを浮かべる夕夏はなんだか、絵にかいたような「かわいい女の子」そのものだ。

 ひねくれた私とはまったく違う。


 下駄箱で上靴に履き替えながら、周囲を見渡す。

 漫画なんかじゃ、下駄箱にチョコっていうのが定番だけど、現実ではそんな光景見たことがない。

 私が気づいていないだけかもしれないけど、正直靴とチョコが同席しているなんて不衛生だ。

 それでも男子にとっては希望の光なのか、期待に満ちた眼差しで下駄箱をのぞき込んではがっかりしているやつがちらほらいる。


 教室に入ると、すれ違いざまに何人かに小さなチョコをもらった。

 いわゆる友チョコというやつだ。

 私も一応、鞄にアルフォートを突っ込んできた。


 コートとマフラーを雑にロッカーに押し込んで、鞄の中からチョコを取り出し、お返しを配って回る。

 生産性を感じない恒例行事だが、ないがしろにする勇気はない。



「眉間にしわ、寄ってるぞ」



 ようやく配り終えて、席について一息ついたところで、後ろからぼそっと声が聞こえた。

 黙って振り向き、声の主を睨みつけると楽しそうな笑い声が返ってくる。



「顔に出すぎ」


「……別に出してないし。そもそも出すものなんてないし」


「バレンタインなんて嫌いだって顔に書いてるぞ」



 反論する気力もなく、軽くため息をついて話を切り上げ、前を向く。

 そんな私の背中に「おめでと」と彼が言う。

 私は後ろを振り向かず、小さな声で「ありがと」と返した。







 世間が愛だの恋だのと浮かれている今日2月14日は、私にとっては「バレンタインデー」ではなく「誕生日」だ。

 本当は春に生まれるはずだったのに、予定日よりも1ヶ月以上早く生まれたのだという。

 おかげで「バレンタインデーに生まれたから、愛花(あいか)」なんて、安直に名前をつけられてしまった。


 両親は私の名の通り、たっぷり愛情を注いで育ててくれた。

 一人娘だったから余計に両親の愛を独り占めできたともいえるかもしれない。

 だから誕生日は盛大にお祝いしてくれたし、食卓には私の好物ばかり並べてくれる。


 でも、夫婦仲の良い両親はバレンタインデーという恋人の行事にも気合を入れるタイプで、私の誕生日と同じくらい熱のこもったバレンタインチョコを母は毎年父に用意している。

 両親から私が誕生日プレゼントをもらい、父が母にチョコをもらうというのが定番の流れだ。

 二人の世界に入って見つめあう両親を見るたびに、なんだかむなしい気持ちになる。

 両親の仲が良いに越したことはないので文句を言うつもりはないが、正直誕生日のお祝いの余韻にもっと浸っていたい。


 そしてあれは忘れもしない、小学校3年生のとき。

 父方の祖父母が事故に遭い、二人とも命に別状はなかったが、大けがをして生活が立ちいかなくなってしまった。

 両親は仕事や家事、育児に加えて祖父母の看病にも走り回る日々で、きっと目の回るような忙しさだったことだろう。

 子どもながら、当時の両親が疲れ果てていたことは理解していた。


 だから私の誕生日ケーキの予約を両親が忘れてしまったことも、仕方のないことだった。

 誕生日当日に思い出した両親は、何度も私に謝ってくれた。

 大丈夫だと私は答えたが、さぞがっかりした顔をしていたのだろう。

 学校から帰ると、両親がケーキを買ってきてくれていた。


 私はうれしくてうれしくて、ケーキの箱を開けて中を覗き込んだ。

 そこにあったのは、大きなハート型のチョコレートケーキだった。

 ご丁寧にかわいいハートのホワイトチョコやピックが飾られているのを見て、私は嫌な予感を感じた。

 ちらりと目を向けたチョコプレートには「あいか おたんじょうびおめでとう」と書かれていて、ほっとしたのもつかの間、その裏にもう一枚プレートが乗っていることに気づいてしまった。

 恐る恐るもう一枚にプレートを手に取ると、そこには「Happy Valentine」の文字が並んでいた。



「親にはさ、感謝してるのよ?忙しい中、誕生日ケーキを探し回ってくれたわけだし?でもさ、でも……誕生日にバレンタインケーキはショック大きいって……。バレンタインデーがなければ、普通のホールケーキが買えたはずなのに。浮かれた恋人たちがこぞってケーキを買いに来るもんだから……!ケーキと言えばいちごと生クリームなのに……」


「気持ちはわからんでもないけどな」


「……顔がにやけてるけど?」



 後ろの席の晴哉(せいや)とは、家が近所で幼稚園時代からの腐れ縁だ。

 小学生のころまではよくいっしょに遊んでたから、私のバレンタイン嫌いも知っている。

 中学ではクラスが離れてあまりしゃべらなくなったけど、高校入学後、近くの席になってからはこうして会話することが増えてきた。



「誕生日って、一年に一度主役っぽい扱いを受けられる日じゃん?」


「まぁ、そうかもな」


「でもなんかさ、主役の座をバレンタインにはしゃぐ恋人たちに取られたみたいでむかつくわけよ」


「なんだよそれ」



 ふっと晴哉が笑う。

 ふいにこうして大人びた表情をするから、思わずドキッとしてしまう。

 


「そういえば、チョコもらえたの?」


「何個か」


「義理?」


「どうかな」



 あいまいにはぐらかされたが、多分本命も混ざっているのだろう。

 中学の終わりに背が伸びた晴哉は、なかなか整った顔をしているし、昔から案外モテた。

 背が低かった小学生時代も、足が速いという理由で一定数の女子の人気を集めていた男だ。


 ただ幼馴染だから嫉妬されるとか、そんな漫画みたいなモテ方はしていないけど。

 本人はあまり恋愛に興味がないのか、彼女を作ったという話は一度も聞いたことがない。



「お前は?チョコあげんの?」


「あげたよ」



 そう言って、アルフォートの袋を鞄からのぞかせる。

 晴哉は「そういんじゃなくて」と呆れ顔だ。



「自分用には、ちょっといいチョコ買っちゃったけどね」


「どんなの?」


「トリュフのやつ。缶に入ってるんだけど、それがめっちゃ可愛くてさ」


「……ふうん。うまかったらお裾分けしにこいよ」


「絶対いや。大事に一粒ずつ食べるって決めてるの。その代わりこっちあげるから」



 余っていたアルフォートを一つ手に取り、そっと晴哉の机の上に置く。

 晴哉は仕方なさそうに袋を破り、中身を口に放り込んだ。

 そして「こういうのが結局一番うまいんだよな」なんてバカみたいなことを言っていた。







「あれ?夕夏?」



 授業も終わり、そそかさとバス停へ向かう途中、下駄箱に座り込んでいる夕夏を見つけた。

 夕夏は私にちらりと目線を向けてから、泣き出しそうな顔をする。



「ちょ、どうしたの?誰かになんかされた?」


「……されてない」


「でも泣きそうになってんじゃん。具合悪い?」


「ううん、めっちゃ元気……」


「全然元気に見えない!」



 丸まった背中をポンポンと叩くと、夕夏は観念したように口を開いた。



「……これ」



 そう言って夕夏が取り出したのは、青いリボンのかかった小さな箱。

 朝、夕夏の鞄から覗いていたのはこれだったはず。



「渡せなかったの?それとも受け取ってもらえなかった?」


「……渡そうと思ったら彼女ができてた。幸せそうに腕組んでた」


「あ……それは渡せないなぁ」



 今朝の夕夏のはにかんだような笑顔を思い出し、胸が痛む。

 ドキドキしながらチョコを用意した彼女にとって、それはまさに絶望的な光景だったはずだ。


 慰めるように背中をさすると、夕夏は「ありがと」と寂し気に笑った。



「愛花は?幼馴染の彼にもう渡した?」


「ちょ、なにそれ」


「付き合ってるんじゃないの?」


「……ありえない!」



 予想外の内容をぶっこまれて、思わず語気が強くなる。

 夕夏は「あはは」と楽しそうに笑い、私の手にしている複数の紙袋を指さした。



「じゃあ、それは誰にあげるの?てか多くない?」


「これはバレンタインじゃないの。そもそも、これはあげるんじゃなくてもらったの」


「え、そうなの?」



 ぽかんとした夕夏に「今日誕生日なんだ。これはもらった誕プレ」と告げる。



「え?まじ?おめでとう!」


「ありがと」


「でもバレンタイン生まれってなんかすごいね」


「……あんまりいいもんじゃないけどね」



 私が苦笑すると、夕夏は「そんなもんか」と笑った。

 失恋の悲しみはすっかり隠されて、すっかり普段通りの夕夏だ。


 夕夏は少し申し訳なさそうに眉を下げ「よかったらいらない?」と青いリボンの小箱を差し出した。



「でも……」


「これ、本命用だったから結構高かったんだ。自分で食べようかと思ったけど、せっかくなら誰かにプレゼントしたくって。……あ、プレゼントの流用って嫌だよね、ごめん……」



 少し慌てた様子で箱を引っ込めようとした夕夏の腕を、とっさに掴んだ。

 戸惑うような視線を向ける夕夏に、私は笑って首を振った。



「チョコ好きだからうれしい。大事に食べるね」



 受け取った小箱は手のひらにおさまるサイズのかわいいものなのに、なんだかちょっと重く感じた。

 夕夏に「ありがと」と微笑むと、彼女も安心したように笑った。







「よ」



 不意に背後から声を掛けられて振り向く。

 背中から夕陽に照らされているその人の顔は見えづらかったが、誰なのかは声だけで十分わかった。



「今帰り?部活は?」


「今日休み」


「めずらしい」



 呑気そうな顔をした晴哉が、私の隣に並ぶ。

 晴哉が所属しているうちの学校のバスケ部はなかなか強いらしく、練習にも熱が入っていて、ほとんど休みはない。

 ただ今日は整備のため体育館が使えず、急遽休みになったそうだ。


 他愛もない会話をしながら、晴哉の手にぶら下がっている紙袋の中身に視線を向ける。

 何個入っているのかはわからないが、それなりに数がようだ。

 誕生日の私よりもたくさんもらっていそうなところが、なんだか無性に腹が立つ。



「こわっ」



 顔に出ていたのか、茶化すように晴哉が言う。



「バレンタインへの恨みを俺に向けるなよ」


「……別に、バレンタインを恨んでなんかいないし」


「嘘だ。バレンタインなんて嫌いだって顔に書いてるぞ」


「だから書いてないってば」



 何度こんなやりとりを繰り返しただろう。

 そう思って、つい苦笑した。

 でも、こうして茶化された方が気がまぎれるから不思議なものだ。



「彼女できた?」



 平静を装って訊ねる。



「できてない」



 そっけない返事が返ってきた。

 私は「ふうん」となんでもない声を出しながらも、心の隅で安堵する。


 別に、晴哉が好きなわけじゃない。

 自分が彼女になりたいわけでもない。

 ただ、こうして気兼ねなく話せる関係が変わっちゃうのが嫌なだけ。


 十字路に差しかかり、晴哉に「じゃあね」と手を振る。

 しかしなぜか、晴哉は私についてきた。



「あんたの家、逆方向でしょ」


「今日はこっちに用があんだよ」


「おつかい?」


「そんなもん」



 私の家を過ぎてしばらく行ったところに、小さなスーパーがある。

 買い物ならバス停近くの方のスーパーに寄った方が早かったはずだが、面倒なので追及はしなかった。



「バレンタインバースデー、悪くないと思うけどな」



 ぽつりと晴哉が言う。



「まだその話続けんの?」


「だってさ、俺は自分の誕生日、嫌だと思ったことないぜ?」


「え、一度も?」



 驚いて晴哉を見る。

 あっけらかんとした横顔に、嘘はなさそうだ。



「だってさ、毎年ケーキにサンタさん乗ってるし、お得感あんじゃん」


「いや、でもクリスマスと誕生日いっしょにされちゃってるじゃん」


「その分、ケーキもプレゼントを2つずつ用意してもらってるし問題なし!」



 イベントに誕生日が重なるつらさを知っているからこそ、12月24日生まれの晴哉も似たような理不尽さを感じているものだと思っていた。

 名前だって「聖夜」に生まれたから「晴哉」なんて、クリスマスありきの理由でつけられたみたいだし。


 まあ、私の誕生日に毎年のように軽口叩くくらいだから、そこまで気にしてはいないのだろうとは思っていたけど。



「……まじかぁ」


「まじまじ。お前が気にしすぎなんだって」



 ケラケラと笑う晴哉を見ていると、ひとりでもやもやしているのが馬鹿みたいに思えてきた。

 私もつられて笑いながら、マンションの前で足を止める。

 ここの4階が、私の家だ。


 今度こそ本当に、と再度晴哉に別れの挨拶をする。

 晴哉も足を止め「またな」と手を上げた。


 マンションのエントランスに足を踏み入れたとき「なあ」と晴哉の声がした。

 まだ行っていなかったのかと不思議に思って振り向き「なに?」と問いかける。


 晴哉の手には、小さな袋が握られていた。

 なんだろうと思っていると、その袋が自分に向かって飛んできて、慌ててキャッチする。



「ちょっと、急に何!落とすところだったじゃん」



 自分でもよくキャッチできたな、と思うほどだ。

 運動神経が壊滅的な身としては、自分を思う存分褒めてあげたい。



「やる」



 そう言った晴哉の顔は、逆光で見えなかった。

 耳が赤く見えたのは、きっと夕日のせいだろう。


 私が袋を持ったまま呆然としているあいだに「じゃ」と短く言って晴哉は走って行ってしまった。

 スーパーかどこかに行くんじゃなかったのか、走っていったのは晴哉の家の方向だった。


 私はその場にしばらく立ち尽くしたあと、晴哉に渡された袋のなかをのぞき込んだ。



「ハンドクリーム?」



 袋の中には、3種類の小さなハンドクリームが入っていた。

 雑貨屋なんかでよくギフト用に売られているやつだ。


 そういえば、何日か前に手荒れが気になるっていう話を晴哉にした気がする。


 誕生日プレゼントってことなのだろうか?

 予想外の展開に頭が追い付かない。

 今までプレゼントなんてくれたことないくせに、急にどうしたというのだろう。


 私は寒さで赤くなった頬に手を当て、エレベーターに乗り込んだ。

 家に帰れば、きっと母が私の好物づくりに精をだしているだろう。

 そして夜には、父がいちごと生クリームのケーキを買ってきてくれる。



 玄関のドアを開けると、案の定おいしそうな匂いに包まれた。

 母に「ただいま」と声をかける。



「おかえり!今日は愛花の好きなものたくさん用意してるわよ」



 キッチンから顔をのぞかせた母が、弾むような声で言う。

 そして私の顔を見て、おかしそうに笑った。



「なに?」


「ううん。ずいぶんうれしそうな顔してるから、つい」



 母に言われて、私は思わず「別に」と返した。

 バレンタインへのもやもやした気持ちがどこかへ飛んで行ったのを感じながら、私はその理由には気づかないふりをした。



(完)

 最後までご覧いただき、ありがとうございます!

 バレンタインに思い立って書いた短編、いかがだったでしょうか?

 甘酸っぱい気持ちになっていただけたら幸いです。

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