マイクロバスはやって来るんじゃなく、そこへ帰っていった。
いつもの北潟でのことかと思ったが、違っているような気がする。
いつも座敷にしてる10畳間と奥の仏壇のある方を仕切る襖を取り払い、大広間の設えにしていたから、何かの騒ぎごとを始めたらしい。中に入ると、北潟での知った顔と知らない顔が混じり、そのどちらも隙間のないほどのみっしりで埋まっている。
全体に黒っぽく映るのは、どの顔も夏の畑仕事で日に焼けてるせいもあるが、男も女も一様に黒っぽい格好をしているからだ。男はともかく女も黒っぽいから、騒ぎごとは喪服の方なのだわかった。ふれが廻り、男も女も野良着から着替えるだけ着替えて、ふれを出した屋敷まで集まってきた。
そして、迎えのバスを待っている。
むかしと違い、この辺りも騒ぎごとは、そうした専門の施設でするようになったから、そこが遣わす迎えのマイクロバスが来るのを大人しく待っている。
中は蒸し返すように暑かった。戸という戸、窓という窓の開くもの全部を開け放してはいるが、ジリジリの日照りに屋根をかけただけでは、この暑さは凌ぎようがない。
そんな中で、わたしだけが、上着も脱がずネクタイも緩めずなのは、喪主だからだ。喪主になった経緯がわかってるわけではないが、それはすんなり入ってきた。
いつもよりもかなりの遠くから運ばれやってきたのだ。
頼まれて、お飾りの喪主をやるためにやってきたのだ。
みっしりの真ん中にいるのに、わたしの周りだけがスカスカのカスカスだ。空虚な冷たさだけが流れている。だから、こんな暑さの中で、どんなときも何をおいて第一にあたまに浮かぶのが暑さのこの中で、それを意識にのぼらせないまま、喪服に絞められた格好で平気でいられる。
がまんが切なくなった年寄は、ブツブツを唱えながら、それをがまんしている。
「一昨年できたばかりの斎場は、クーラーがよう冷えておるから、それまでの・・・・」
「廻されてくるマイクロバスも、ドアを開いたら、心地ええ冷たい風がフワっと、こう・・・・寄ってきて・・・・・」
それまでの辛抱辛抱と、建前の神妙さを崩さずに待っている。
わたしは天邪鬼だ。頼まれての、お飾りの喪主なのに、知らない顔も含めて、みっしり並んだ年寄のそんな神妙に付き合いたくなり、大茶会の亭主よろしくひとりひとに膝を向ける。
それが、・・・・・
視界の淵に入るまでは、地引網の手綱が手元に引き寄せられる幼い日の記憶を辿る繋がりを感じていたのに・・・・・
瞳孔の真ん中に、そのひとの正座姿が写りこむと、餌を取られた釣り糸のようにプツンの声を立てる。飛んだ凧のように遥か彼方へ離れていってしまう。
むかしの白黒写真のフェンダーのようにカシャリ。上下逆さまの静止画が焼き付けられるだけである。
いつも、誰からも、何処からも、他人行儀の特別待遇は、相変わらず。
そんな時別待遇も居心地の悪さも、とうに承知のはずなのに、プイと魔が差し、嫌気が差す。
スカスカのカスカスな中心を抜けて、プイと外へ出てみた。
外といっても、屋敷伝いの敷地の中だから、大人しく待ってる誰からも気にされず、咎められはしない。ずっと手の内にものとわたしを思ってるから、へそを曲げても、そんな曲がったへそに関心するものは誰もいない。
男も女も関心するものは誰もいない。
せいぜいその程度の意地腐れが、わたしというものをかたちづくっている。
外は、お客の行き交う玄関先や座敷からの睥睨の意匠をかたちにした庭でなく、継ぎ足し継ぎ足しで串刺し団子のような凸凹を懐紙の凹凸で包んだ縁のような処だった。
そこに、三人の仔が待っていた。
顔をみたら、ずっと前から「そこに待たせてた」やるせない申し訳なさと繋がる感じがした。
「○○オニ、しよ」と、長兄らしい男の子が云う。色の白い背ばかりが高い瘦せた仔で、言い草のしっかりしたところや瞳のリンリンとしたところは聡明な感じがしたが、まだまだ十歳にも届かない齢だった。
左右に従う二人の弟は、この兄とそれほど齢は離れていないはずなのに、相当な距離で隔てられていた。二人ともチンチクリンで、あたまはボサボサ、一度も風呂に入ったことがないのか垢が頬っぺや額に赤黒く浮かび、絵に描いたような汚い格好をしている。団栗か蓑虫か、ひととは無縁の類ばかり先に立ってしまう。
とても、白の開襟シャツを着ている長兄とは、同じ暮らしぶりをしてる同じ兄弟には見受けられない。
そんなことばかりにあたまを向けていたから三人は心配して、三人が三人とも両手を使い、わたしの手を引っ張ってくる。わたしは、そこに「ずっと待たせてた」負い目があるから、素直に手を引かれるより仕様がない。
「そんなことしてていいの、もうすぐバス、くるよ」と、追いかけてきた妻に窘められた。
たったひとり他人行儀の特別待遇だとあきらめかけていたので、途中から妻が現れ、ほっとする。ほっとするが、突然の流れに、ここ最近の微妙な空気感から何か引導を渡すきっかけを求めに此処まで追いかけて来たのではの疑念が払拭できない。
こんな処まで来てもそんなグルグルを繰り返すわたしを3人の仔と妻に悟られてはいけないから、ポケットに仕舞い、「こんなにたくさん、手を引っ張るほどせがまれてるし、・・・・ちょっとだけだから」と大人の顔をするふりを三人に向けて、○○オニの中に入っていく。
妻にも三人にも片目を瞑ったような他人行儀のグルグルは相変わらずだと思った。
そのときも、こうして書き写してるいまに至っても・・・・・
思い出そうとするのだが、○○オニのやり方は残しては呉れなかった。白いフワフワした軽羹に黄色い卵餡が細くキりっと挟まった柔らかで美しい記憶だけが残ってる。
楽しかった、のだ。
汗をかき、ハァーハァーいい、それでも肌はべたつかず喉は枯れず、心地よかった。
「バスが帰るよ。今度は、ほんとにマイクロバスに乗って帰るみたいだよ」
と、ふたたび、妻は、わたしを連れ戻しに中にまで入って来た。「こんな中まで、いい大人が、よくもまぁー、入ってきたもんだ」と、自分を横に置いて半ば呆れた顔を向けようとしたが、妻の小脇に、その言い伝えを人型にした複数の顔が見える。いつも勝手なばかりして、尻ばかり拭かせているのが気の毒になった。
わたしは、そこに戻る気はとうに失せていた。
あのひとたちがどんなに喚き散らそうが、ここまでは届かない。ここまでは追いかけてこない。それが分かっているから、わたしは3人の仔どもらと○○オニを続ける。
妻は、オニに交じろうとはしなかったが、呆れる顔を見せずに、此処で体育座りしている。追いかけなくても、キャッキャッを口の端に乗せなくても、妻はべたつかない美しい汗をかいてノースリーブの両肩を輝かせる。
小脇にいた人型は、もう消えていた。
体育座りしているときは、妻が一番リラックスしてるときだ。まだまだ分からないことの多い女だが、そのことだけは、よぉーく分かっている。
もどらずに此処に居て呉れた。
いてくれたことが、嬉しかった。
さっきまでは、こんなわたしに愛想がついて、あっちに混ざり、一緒にバスに乗って居なくなるものとばかり思っていた。
こんなわたしでも、独りではなかったのだ。
独りではないと、わたしの声にならない声がこだまのように戻ってくる。
ぱたぱたと、此方に向いていた拵えものが片付くように、模様替えとなる。
美しい汗もキャッキャッの声も消え、妻と三人兄弟と帰らぬと決めた北潟の屋敷も消え、ただただ広い水平線を感じている。空と海の違いさえ見えない濃い青に浮かんだ筏の上で、わたしの代わりの人型が1本のオールで大切そうに漕いでいた。
朝見る夢の中にあの三人の仔が現れ、座敷わらしかと思い、書き始めました。妻とのやりとりを入れて、仕舞が水面鏡のようになったのは、最近の様々な感情が往来する妻との関係と対峙したかったからだと思います。
多分、今生は、手をつないで前を見ていくのだと思います。