第2話
左手を、地面に対して平行に。
右手を、地面に対して垂直に。
「タアアアアアアアアイム!!」
勇者は、綺麗なTの文字を作って叫んだ。
きょとんとする周囲の視線を無視し、勇者は真っすぐ魔導士長の元へ向かう。
「あの、すいません。どういうことでしょう」
「何がですかな?」
「いやその、だから、じゃんけん……」
「先程説明したとおりの意味ですが」
「すみません、聞いてなかったのでもう一回お願いします」
魔導士長は、改めてこの世界の説明を始めた。
曰く、この世界はじゃんけんで全ての勝負が決する世界。
殴ろうが斬ろうが、相手を傷つけることはできず、じゃんけんで勝つことだけが相手にダメージを与える唯一の方法。
全ての説明を聞き終えた勇者は、無言で天井を仰いだ。
当然だろう。
じゃんけんでは、人間離れした身体能力は、何の意味も持たない。
握力が強い方がじゃんけんに勝つだろうか。
否、何一つ関係ない。
喧嘩が強い方がじゃんけんに勝つだろうか。
否、何一つ関係ない。
勇者の常識に照らし合わせれば、じゃんけんで勝つために必要なのはただ一つ。
運だ。
そして、勇者は運が滅法悪かった。
おみくじを引けば大凶。
折り畳み傘を持っていない日は帰り道に土砂降り。
じゃんけんは、向かうところ敵しかいない、全戦全敗。
「すみません、この話はなかったことに……」
勇者はくるりと背中を見せ、魔法陣の中心へと向かう。
勇者の希望はただ一つ。
奇跡的に魔法陣が作動し、元の世界へと再転移すること。
「既に勇者様は騎士団長との勝負を承諾されましたので、なかったことにすると不戦敗になってしまいますが」
「……不戦敗になると、どうなります?」
魔導士長の言葉に、勇者は恐る恐る問いかける。
「神からのペナルティが下り、全身爆発ですかね」
「ジャンケンヤリマス!!」
逃げられない運命を呪いながら、勇者は再び騎士団長の前に立つ。
騎士団長の表情は、先と変わらず真剣そのもの。
勇者の表情は、先と変わって泣く直前。
騎士団長は、勇者が戻ってくると、再び拳を前に出す。
「ち、ちなみに、じゃんけんで負けたらどうなるんですか?」
「敗者の体には、ダメージが刻まれます。あいこの数が多ければ多いほどダメージは大きくなり、骨が折れたり腕が斬れたりします」
「いやああああああああああ!?」
勇者の足ががくがく震え、全身に不自然な力が入る。
「最初は、グー!」
勝負は無情にも始まる。
騎士団長の合図に、勇者はグーを出す。
「じゃん! けん!」
「「ほい!!」」
騎士団長が出したのは、チョキ。
勇者が出したのは、チョキ。
あいこだ。
「やるな、勇者殿。手が震えているせいで、私の動体視力をもってしても、手の動きが読みにくかった」
「ど、どうとぅあいしりょくぅ?」
勇者の常識に照らし合わせれば、じゃんけんで勝つために必要なのはただ一つ。
運だ。
だが、じゃんけんによって勝敗を決めてきたこの世界は違う。
動体視力を鍛え、相手の手の動きを捕らえる力。
反射神経を鍛え、相手の手の動きに応じて自分の手を動かす力。
心理を鍛え、駆け引きによって、相手の出す手を読む力。
そういった複合的な力が、じゃんけんで勝つために必要な力とされている。
「私は次、チョキを出す」
「はああああああああああ!?」
騎士団長もまた、勇者へ心理戦を仕掛けてきた。
騎士団長のチョキという言葉を信じ、グーを出すか。
騎士団長のチョキという言葉を信じず、他の手を出すか。
騎士団長は、勇者をじっと見つめる。
瞳孔。
視線。
発汗。
体の震え。
勇者の体が発するあらゆる情報を観察し、勇者の手を読もうとする。
(チョキ……チョキチョキチョキチョキチョキ)
一方の勇者は、完全に混乱していた。
頭の中は、『チョキ』という言葉一色。
一度あいこになったことで、負けた場合にどれだけのダメージを受けるのだろうという恐怖が、すべての思考を奪った。
「あい! こで!」
結果、機械的に出された勇者のグーは、騎士団長の出したグーとあいこになった。
「私の言葉を信じ、真っ向からグーを出してくるとは……。なんという度胸。そして、私の目をもってしても心を読めぬ振る舞い……なるほど、確かに勇者だ」
「あばばびょびべべべべ」
「しかし! だからこそ! 私は勇者を倒す! 魔王は、私が討つ!」
「あばばびょびべべべべ」
二回目のあいこ。さらに大きくなる敗者へのダメージ。
未来で待ち構える痛みが、勇者の心臓を握りつぶす。
脳内の電気信号があっちこっちと走り回り、思考をめちゃくちゃにかき乱す。
「あい! こで!」
かき乱された思考は――。
「……なんだそれは」
――じゃんけんを、超えた。
騎士団長の手は、チョキ。
対し、勇者の手は、親指、人差し指、中指を伸ばし、薬指、小指を握ったもの。
グー。
チョキ。
パー。
いずれにも属さぬ、第四の手。
勇者は、おそるおそる自分の手を見て、震えながら口を開いた。
「グ……グーチョキパー……?」
「グーチョキパー……だと?」
周囲が静まり返る。
全員が、勇者の出した手に注目する。
薬指と小指でグー。
人差し指と中指でチョキ。
親指、人差し指、中指でパー。
グーとチョキとパー、全てを兼ね揃える手に。
「ば……馬鹿な……。そんな手……見たことも……聞いたことも……」
神の、判定が下る。
騎士団長の鎧が砕きわれ、体が後ろへ大きく吹き飛ぶ。
そのまま壁にぶつかり、騎士団長はうめき声と共に床へと倒れた、
勝者は、勇者。
グーチョキパーは、チョキに勝る手であると判断された。
しばしの沈黙が流れ――。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
沸いた。
グーチョキパーという、最強の技を前に。
勇者という、伝説を前に。