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南の風 時折、凪  作者: 青空野光
勾坂千尋
5/43

少女

 故人の年齢が若すぎたこともあってだろうか。

 日暮れと共に開式された通夜は、やはり数年前にこの場所で行われた祖父の時とは比べ物にならない程に重々しい雰囲気が漂っていた。

 親族の大人達は祭壇の前の座敷で参列者を出迎え、俺はひとり玄関に程近い植え込みの傍らに立ち、やってくる人達にこうべを垂れ続ける。

 この町で暮らしたことがなかったので当然ではあるのだが、まばらに訪れる礼装の参列者の中に知っている顔はいなかった。

 ただ、相手方からすればその限りではないようで、この家のご近所さんと思しき人に声を掛けられることがあった。

 その度に有り体なやり取りをしてお茶を濁しながらも、頭の中では亡くなった従妹のことを考えていた。

 なぜ彼女には、たった十四年という短い生しか与えられなかったのだろうか。

 いや。

 彼女はもっと長い命を与えられていたのに、それを理不尽な理由で奪われただけなのだ。

 それも、見ず知らずの他人によって。


 開式から一時間程が経過した頃になり、県道のある路地の方から学生の集団がゆっくりと歩いてくるのが見えた。

 恐らくは千尋ちゃんの同級生なのであろう彼等彼女等のうち何人かの女生徒は、ハンカチで顔を押さえながら他の生徒にアテンドされて目の前を通り過ぎて行く。

 その中にも知る顔などあるはずもなかった――のだが、最後尾でキョロキョロと辺りを見回しながら、誰よりも不安げな表情を浮かべている背の小さな女生徒の顔に、俺はなぜだか見覚えがあるような気がした。

 集団が通り過ぎて行くなか彼女だけが俺の正面でピタリと足を止める。

 そして、うつむき加減でいた俺の顔をまるで値踏みでもするかのようにじっと覗き込んでくる。

 身長は俺より二〇センチは低いように見えるので一五〇センチ前後だろう。

 長く綺麗な黒髪をハーフアップにし、前髪は昨日にでも美容室に行ったばかりかのようにピッタリと揃っている。

 白磁のように透明感のある白い素肌の顔に付いている大きな瞳。

 そこにはキリンのように長い睫毛が湛えられえおり、その下の小さな鼻と口との対比はといえば、夏服のセーラー服を身に纏ってさえいなければフランス人形と見まがわんばかりの端正さだった。


 その整ったあどけない顔に見惚れていた時であった。

 ほんの七〇センチばかりの距離にある少女の口がおもむろに動くと、少し遠慮がちに言葉を発した。

「……あの。もしかして、万里くん?」

 少女が俺の名を呼んだことに然程さほどの驚きはなかった。

 それは俺も彼女の顔に見覚えがあったからなのだが、問題はそれがどこの誰かまでは思い出せていないことだった。

 とりあえず返事をしようと口を開きかけた時、僅かに早く言葉を続けた彼女に遮られる。

「……私、千尋です」

 俺には従姉妹と呼ばれる存在は、今まさにここで執り行われている通夜の中心人物しかおらず、千尋という名の知り合いもまた同様であった。

「え? 俺は確かに万里だけど……。君は、千尋ちゃんの親戚?」

 千尋ちゃんは一人っ子だったはずなので、可能性があるとすればそのくらいだろう。

「いえ。千尋本人です。勾坂千尋です」

「え?」

「よかった……。私のことがみえる人がいてくれて……」

 彼女は心底安心したといった風に胸を撫で下ろすと、再び不安げな表情に切り替えて俺に尋ねてきた。

「万里くん、あの。これって……どうなってるんですか?」

 まるで雨の日に捨てられた仔犬のようにすがりついて来ようとする彼女から、二歩三歩と後ろに下がって距離を取る。

「……どうなってるも何も……え? どうなって……るの?」

 質問に対する回答としても日本語としてもおかしいことは十分理解していたが、俺にしてみればそのくらいの言葉しか出てこない。

 もし彼女が本当に俺の知っている勾坂千尋であるならば、それはつまり……。

「君はここの家に住んでいるおばあちゃんの孫? ここまでは合ってる?」

「はい」

「お父さんとお母さんの名前は?」

「勾坂正と恵美です」

「……」

「なんですか?」

「……君は……え? 千尋ちゃんの……幽霊?」

「……え?」

「だって今、お通夜だよ。君の」

「……え?」

 ただでさえ白かった彼女の顔から血の気が引いていくのが見て取れ、次の瞬間には祭壇のある家の方へと全力で駆けていってしまった。

 その姿は――彼女が本当に幽霊だとすれば――生きている人間と何も変わりはなく、なんなら足もちゃんと二本とも生えている。


 彼女の姿が見えなくなった途端に、背中を起点として全身の毛穴という毛穴が縮み上がり、真夏にもかかわらず猛烈な寒気に襲われて自らの腕を抱えた。

 幽霊を目撃しただけではなく、そこそこの時間()()()までしてしまったのだ。

 悲鳴を上げなかっただけでも誉めて欲しいくらいだ。

 俺は鳥肌が収まるのを待たずに、千尋ちゃん(ゆうれい)が駆けて行った方向へと足早に移動する。

 それは彼女の動向が気になったからというよりは、この場所に留まっているとまた彼女が戻ってくるのではないかと思ったからだった。

 祭壇のある和室の前は芝生の広場になっており、何人かの参列者がそこで声を潜めながら立ち話をしていた。

 室内では先ほど俺の前を通り過ぎた中学生達が列をなして焼香をあげている。

 その一番先頭の更に前の、花と遺影の飾られた祭壇の前に彼女はいた。

 その様子はといえば呆然自失というか、魂ここにあらず――誤用ではない――というか、とにかく酷いショックを受けていることだけはよくわかった。

 彼女は自らの遺影と棺を交互に見比べながら、自身の置かれている立場を一生懸命に理解しようと努めているように見えた。

 しばらくそうした後ふいに振り返った彼女は、祭壇の前で並んで座っている父親と母親に取りすがろうと手を伸ばす。

 しかし、彼女の手は両親の身体に触れることは出来ずスルリとすり抜けてると、勢い余って畳の上で豪快に転びそのままピクリとも動かなくなった。

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